6.男装してフリます/女装してフラれます
バラのアーチの前に立っていたミアに扮するアレンを、ライアンに扮するルーチェは自然な手つきでエスコートし近くのベンチに座らせた。少女は月明りに照らされると、可愛さに大人っぽさが混ざって、令嬢として花開く間近であることを感じさせる。
頬を撫でる風は舞踏会の熱気にあてられた二人には心地よく、かすかに聞こえる舞踏曲が静寂を和らげてくれた。アレンは隣の色男に顔を向けると、ミアを思い起こして天使の笑顔を作る。
「ライアン様、今日はわざわざお時間をいただきありがとうございます。こうやって二人きりでお話するのが夢だったんです」
「こちらこそ、ミア嬢とお話できるのが楽しみだったよ。先ほどのダンスで足も疲れただろう? 座って待っていてくれたらよかったのに」
ライアンに憧れる純粋な少女を演じるアレンは、まさか靴擦れを起こしていることに気づいているのかと驚くと同時に、完璧な微笑に嫌悪感を覚えた。
(こっちがデビュー前で不慣れなのも承知ってことか……しかも張り付けたような笑みを浮かべて気持ち悪い)
ただでさえ燃えている怒りに薪がくべられ、ライアン許すまじと顔が赤くなる。
「いえ、立派な……ライアン様にふさわしい淑女になりたいので、これぐらいなんてことないですわ」
取ってつけたように慕っている言葉を付け足したが、傍から見れば意中の男性を前に恥じらう背伸びした少女に見える。その姿はルーチェに好ましく映り、愛玩動物を見るような目を向けていた。
(あ~あ、ルーチェとして会っていたら、すぐにお茶会の約束を取り付けて、私の部屋で可愛いドレスを着てもらうのに……。丸い目に、華奢な体、羨ましいわ)
ルーチェの目は兄と同じ切れ長の釣り目で、中性的な顔立ちは可愛さより凛々しさが勝る。それは幼い頃から同じで、フリルやリボンがふんだんに使われた可愛いドレスは似合わず、衣裳部屋の奥に押し込まれていることからも伺える。
だが、ルーチェ自身は可愛いものが好きなので、似合う女の子を見ると着せかえたくなるのだ。叶わぬ夢ねと思いながら、柔らかな視線を注ぐ。
「すぐに、僕なんかでは手が届かないぐらいの淑女になってしまいそうだ。きっと多くの男性が君の手を取りたがるだろうね」
「そんな……お上手ですのね」
「気づいてなかったの? 今日だって、僕と踊っていた時も、ケーキを食べていた時も、周りの男たちの視線を奪っていたのに」
目を丸くしている少女に顔を近づけたルーチェは嫉妬をしているように見えるが、内心では純粋さと無垢さにときめいていた。
(ライアンの周りにいる計算高い令嬢たちとは大違いね。こんな子がいたら、お茶会も夜会も楽しくなるのに)
心の中と表情がかけ離れているルーチェだが、それはアレンも同じこと。
(なるほどな! お前はいつもそうやって口説いてるわけだ。これはもう害虫だわ。ミアにとっても、世の令嬢にとっても! 即刻駆除!)
さくっと撃退モードに入ったアレンは、目を潤ませ上目遣いになった。秘技、おねだりをする天使。
「私は、ライアン様を一途にお慕いしております……。だから、その、期待してもいいんですよね」
恋する少女の表情に対し、顔を曇らせるルーチェ。罪悪感で胸が痛むが、傷の浅いうちにと申し訳なさそうに眉を下げた。
「……ごめんね。ミア嬢の気持ちは嬉しいけど、僕は応えられないんだ」
「えっ……」
アレンは傷ついた表情を作って口元を両手で覆った。そうしないと、目論見通りとにやける口元を隠せないからだ。ここからアレンの渾身の演技が始まる。
「そんな、あれは、将来を誓うという意味ではなかったのですか? あんなに熱いお言葉をかけてくださったのに。私はそれを信じていたのに!」
茶会でミアが何と言われたかなど微塵も知らないが、それっぽいことを言えば当てはまるだろうと並べ立てる。
「ライアン様のもとに嫁入りできると思って、進めようとしていた縁談も断りましたのよ?」
大嘘をすらすら並べるアレンの目には涙。唇の裏をぐっと噛み、痛みで涙を出した。
「え……」
ルーチェもライアンが茶会で何と口説いたかなど知るわけもなく、涙を浮かべる少女に固まった。すっと頬を伝う涙が、今までライアンとして断りを入れたどの令嬢よりも心に突き刺さる。
(あのクズ! 何を言ったらここまで本気にさせるのよ! こうなるって分かってたから逃げたのね!)
これまでも面倒な令嬢の相手をしたことはあった。罵られ、頬に平手打ちをもらったこともある。反対に静かに泣かれ、恨み言を延々聞かされたこともあった。しかし、誰もが頭の片隅に遊び人という認識があったため、最後は仕方がないと引き下がっていったのだ。
(……ごめんね、あんなクズで。私がいたら、守ってあげられたのに)
泣くまいと肩を震わせている様子に庇護欲がそそられる。彼女は、ルーチェがなりたかった可愛いものが似合う可憐な、恋に胸を躍らせる少女だった。
「ごめん。ミア嬢なら、もっといい人が現れるから……僕のことは忘れてほしい」
「どうしてですか? 私、ダンスももっと練習して、お裁縫も頑張って、ライアン様にふさわしい淑女になりますわ。ライアン様が、たとえ、他の女性のところに行かれても、私はずっと待っております。だからどうか、これきりだなんて言わないでください」
震える手で袖を掴まれ、ルーチェの心は揺さぶられる。ライアンの女癖の悪さを知ってもなお、健気に待とうとする姿に心を打たれた。
その一方、潤んだ目で見つめるアレンは引き際を探る。
(罪悪感に苦しんでるな、いい気味だ……さて、そろそろ)
アレンが袖を離して、「わかりました」と引き下がろうとしたその時、手を掴まれた。真剣な目に見つめられる。
「なんで……僕の悪いところを知っているのに、そんなことが言えるの?」
ライアンは令嬢たちが手に落ちると、すぐに掌を返していた。だが、それは令嬢も同じで、手に入らないと分かると見切りをつけて次へと進んでいたのだ。これほど、まっすぐと曇りのない瞳と愛情を、ルーチェは見たことがなかった。胸の奥が悲しいほどに締め付けられて、縋り付きたくなる。
(こんなに、素敵な子がいたなんて……)
表情が崩れた。計算されたライアンの笑顔でも、困り顔でもない。脆さが垣間見えるルーチェの泣きそうな顔だった。それを見たアレンの心臓が跳ねる。
(ちょ、その顔はずるい)
いつもすかした顔をして、女の子たちに笑顔を振りまいている男の意外な一面に、体温が上がる。面食いアレンの好みど真ん中は、影のある表情だ。熱にうかされた様に頭がぼおっとし、言葉がこぼれ出る。
「……すごく好き」
顔が、という意味だが訂正するにも、すでに遅い。ルーチェは感極まり、ぐっと握る手に力を入れた。
(守ってあげたい。こんなに心がきれいな子、私知らないわ)
社交界にデビューすれば、嫌でも令嬢たちの醜い争いに巻き込まれる。それに傷つき、涙してほしくない。ルーチェは少女の手を離すと、立ち上がり彼女の前で片膝をつく。心に突き動かされるまま、手を伸ばした。
「貴女を一生かけて守りたい。僕の手を取ってくれませんか」
そしてその手を、好みの顔という魔の引力に引き寄せられたアレンが取ったのが、全ての始まりである。