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59.恋が花咲く

「え、アレン様が!? なんで!?」


 まさに話題の人物の来訪にルーチェは思わず立ち上がり、両親もどういうことだと怪訝そうな顔をしている。対してヴェラは気まずそうに頭を下げており、「その」と口を開く。


「申し訳ありません。ブルーム家のダリス様に、お嬢様に婚約の話が上がったことを伝えてしまい……」


 ルーチェはヴェラがダリスと手紙のやり取りをしていたことを知っているが、それでもなぜ? と疑問が起こる。仕えている家の情報を他家に漏らすなど、下手すれば懲罰ものであり、長年誠心誠意使えているヴェラらしからぬ行動に、両親も咎める言葉が出てこない。ことの重要さはヴェラ自身も理解しており、ただただ恐縮していた。


 沈黙を打ち破ったのは当主である父で、難しい顔をして低い声で唸る。


「ひとまず、ヴェラには後で事情を聴くとして、彼を待たせるわけにもいくまい。ここに通してくれ」

「かしこまりました。この罰は必ずお受けいたします」


 深く頭を下げたヴェラは、急いでアレンの案内に戻る。給仕が一度テーブルの上のカップを片付け、来客用の茶器を用意していた。母親は意中の人が突然訪ねてきて困惑しているルーチェへと視線を向ける。


「ルーチェ、何か心当たりないの?」

「え? ないわよ。だって、次に会うのは王宮の夜会だって手紙で言ってたもの」

「ふ~ん。順調にお手紙のやりとりはしているのね」


 ニマニマとからかうような笑みを浮かべる母の顔はライアンを思い出すもので、ルーチェは慌てて釘をさす。


「お母様、余計なことは言わないでよね! お父様も!」


 温かい笑みを向けられれば、背中がぞわぞわと落ち着かない。今からアレンが来ると考えると、心の中は嵐で、どういう顔をすればいいのか分からなかった。そして落ち着く間もないうちに、ノックの音がしてヴェラの声がする。


「アレン・ブルーム様がお越しになりました」


 ドアが開き、入ってきたアレンを三人は立って出迎える。アレンの表情は硬いが、ルーチェに目を留めると少し口元が緩んだ。その姿が目に映るだけで、ルーチェの心臓は高鳴り顔が熱くなる。


「突然訪問した無礼をお許しください。また、私のためにお時間を割いていただきありがとうございます」


 丁寧に礼をしたアレンは、挨拶の口上を述べる。ドアの前に立つヴェラが何か言いたげにしていたが、父親が目で制するとアレンと握手を交わした。


「ようこそ。どうぞかけてくれ」


 そして、ソファーに座るように促し自分も座った。空いているのはルーチェの隣であり、アレンは一瞬戸惑った表情をしたがすぐに切り替えて腰を下ろす。ルーチェは空気が揺れて流れてきた香水の香りに、恋慕の情がさらに強く刻まれた気がした。匂いは、それほど強烈に記憶に残る。


(アレン様は何をしにいらしたのかしら……。どうしよう、近くにいるだけでドキドキしすぎてお顔が見られないわ)


 侍女によってお茶が淹れられ、話し合いの場が整った。アレンはルーチェを一瞥すると、一呼吸を置いてからオルコット伯爵夫妻に顔を向ける。


「改めて、アレン・ブルームです」

「かしこまらなくていいさ。ルーチェと仲良くしてくれているようで、こちらも嬉しいよ」


 父親はにこやかに話しているが、他貴族と外交をする時の顔つきだ。


「いえ、こちらこそ、ご令嬢には過分な心遣いをいただいております」


 アレンの背筋は伸び、口調も貴族令息として申し分ないものである。初めて見る彼本来の姿での本気の顔に、ルーチェはますます引き込まれる。


「それで、今日はどういった用件で?」


 さっそく本題へと進もうとする父に、ルーチェまで緊張してくる。アレンの表情も硬く、目が合った。少し照れたような困ったような、複雑な表情をしたが真面目なものへと変わる。芯のある声が通った。


「ルーチェ・オルコット伯爵令嬢に婚約を申し込みに来ました」


 その言葉が耳に入った瞬間、ルーチェは息をするのを忘れた。みっともなく口を開けて、アレンの横顔を見つめる。


(えっ、婚約? 私と? まさか、なんで?)


 アレンの耳が赤くなければ、都合のいい幻聴を聞いたのではと思っただろう。面を食らっているのは両親も同じで、目を瞬かせると互いに顔を見やった。

 父親は意味ありげな視線をルーチェに向けてから、咳ばらいを一つする。


「それは、ずいぶん急な申し出だね」

「はい、本来であればブルーム家から正式な形で申し込むべきなのですが、ご令嬢が婚約されるかもしれないと耳に挟み、気づけば飛び出しておりました。自分を律せず、浅慮だったと反省しております」


 のんびりと昼寝をしていたアレンは、血相を変えたダリスに叩き起こされたのだ。ヴェラから早馬で手紙とも呼べない紙が届き、そこには走り書きでルーチェに婚約の話が出ていることが書かれていたと。


 寝耳に水というか、頭から水を被せられたような衝撃を受けたアレンは、自分の恋心がオルコット家の侍女にまで知られているとは気づきもせずに、厩舎から愛馬を出すと鞍をつけて馬を走らせた。背後でダリスの叫び声が聞こえたが、アレンの頭には婚約の言葉だけが残っており、衝動のままにオルコット家に駆け込んだのだった。


 そして、ヴェラに書斎まで案内されながら、ルーチェがすぐに婚約をするわけではないことを聞き冷静にはなったが、すでに書斎の前で後に引けない状態になったのである。


(俺の馬鹿……。もっとこう、仲が深まってから観劇の帰りにでもお洒落なところで告白したかったのに)


 自分の思い込みの激しさと行動力を後悔中であり、すでに逃げ出したい。隣のルーチェの反応が怖くて顔も見られなかった。訪問の目的をうやむやにして辞去する手もあったのだが、印象が悪いし男が廃ると正直に気持ちを伝えたのだが、根回しも情報収集もないアレンには博打もいいところだ。


(あぁぁぁ、こんな失態を犯したって父さんにバレたらどやされる……)


 アレンが身を固くして夫妻の返答を待っていると、父親の方が鋭い視線を向けてきた。


「なるほど。それで、オルコット家にブルーム家と結ばれる利はあるのかな?」


 試すような言い方に、ルーチェは「余計なことしないでって言ったよね!」と目で訴えるが、涼しい顔で流された。隣の母は静観を決め込んでおり、楽しそうに場を見守っている。


「はい。ブルーム家は商会を多く有し、外国との取引も盛んなため多様な情報が集まります。その情報はオルコット家にも益するものかと」


 圧を感じる言い方だが、アレンは物おじせずに落ち着いた表情で言葉を返す。


「それに、うちの自慢のワインセラーから選りすぐりの名酒をご賞味いただけますよ」

「ほう」


 少し茶目っ気を利かせるアレンからは交渉に慣れているのが伺え、父親は口角を上げる。母も満足そうに頷いていた。及第点なのだろう。


「それと……」


 そこで一度言葉を切ったアレンは、隣のルーチェに視線を向け、気恥ずかしそうに表情を崩した。ルーチェは控えめに視線を合わし、顔を赤らめてスカートを握りしめる。


「ルーチェ嬢の優しくも芯が強い人柄に惹かれたんです」


 まっすぐ見つめられ、ルーチェは顔から火が吹きそうになる。はっきりと好意という栄養を恋心に注がれ、一気に花が咲いた。それもたくさん。何か返したほうがいいのだろうが、恋を知ったばかりのルーチェにはもう限界で、助けてと視線を両親とヴェラに飛ばした。だが、誰からも助け船は来ず、父親が突然笑いだす。


「若さとはなんとも眩しいな」


 そこに母親も目元を和ませて、「そうね」と頷く。


「なんだか若い頃を思い出しちゃったわ。ルーチェ、アレン君は素敵な方ね」

「その心意気を買って、ルーチェの婚約や見合いは一度保留にしよう。あとは二人で話し合いなさい」


 先ほどルーチェが頼んだことを、あたかも今決めたように話す父親は策士だと、ルーチェは軽く睨んでいた。父親は執事と侍女に目で合図し、立ち上がると一緒に出ていく。ヴェラは二人が気がかりなのか残りたそうな顔をしていたが、母親が声をかけた。


「この二人のいきさつについては、ヴェラに聞いた方が早そうね。教えてくれる?」


 そう言われれば断れるはずもなく、ヴェラはルーチェに対して申し訳なさそうに頭を下げると母親について部屋を後にした。ルーチェの恋心を教えられたヴェラが、驚きのあまり絶叫するのは間もなくである。


 そして書斎に残るは渦中の二人。後はお二人でとなってから一言も発せず、目も合わせられない。むずむずと全身がかゆくなるような甘ったるい空気で、相手の表情を伺いたい両者の目だけが忙しく動く。


(なんで二人っきりなの!? 無理、心臓がもたないわ。このドキドキ伝わってないかしら。え、待って、さっきの話だとアレン様は私を、す、好き? え、そんな、私どうしたらいいの!?)


(あぁぁぁ、俺の心臓大丈夫か!? これ、ルーチェ嬢に聞こえてない!? というか、ここからどうすればいいんだよ。突然こんなこと言われて嫌だったかな。こ、断られたら、俺……。俺、ルーチェ嬢の気持ち聞いてないじゃん!)


 恋心が一気に満開になったルーチェと、恋の衝動で突っ走った挙句青ざめるアレンの視線が交わった。


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[一言] 圧迫面接とは おとうさんも事態が急激に進みすぎてる割にはちゃんと対応できてるのかできてないからなのか
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