58.両親に想いを伝えます
ルーチェが父親のいる書斎に向かおうと部屋から出て歩き出すと、ちょうどヴェラが廊下を曲がって来たところだった。ルーチェに気付いたヴェラは小走りで近づいてくる。
「もう、よろしいのですか?」
気づかわしい表情でルーチェの顔を伺うヴェラは、ルーチェの半歩後ろをついて行く。
「えぇ、お父様と話をしてくるわ」
「えっ、お見合いの相手をお決めになったのですか!?」
何やら声に緊迫感があり、ルーチェは顔だけヴェラに向けた。焦っているような、困っているような、ヴェラにしては珍しい表情だ。ルーチェは何と説明したものかと考える。
(アレン様が好きだって気づいたなんて、なんだか恥ずかしくて言えないわ……)
その気持ちに気付いた時は戸惑いと不安から苦しみが勝ったが、それが引いた後に残ったのは溢れんばかりの喜びだった。少しアレンの顔を思い出そうものなら、きゃぁと声を上げて赤くなる頬を押さえたくなるような、初々しい恋の甘酸っぱさ。だが、ルーチェの表情には出ていない。
「まあ、ちょっと相手についてお父様と相談をね」
「え、お相手って、え?」
ひとまず断ろうと部屋を出てきたのだが、話しているうちにこちらから頼むのもありだと思いつく。高鳴る心臓に後押され、浮かれているルーチェは名案だわと微笑を浮かべた。その笑みにヴェラはますます混乱する。
(そうよ、ブルーム家は家格も問題ないし、商の家だから都合がいいし、他にも利点があるわ。そこを伝えれば候補に考えてくれるかもしれない。なんだか今なら何でもできる気がする!)
恋の勢いというものか、不思議な万能感に包まれたルーチェは類を見ないほど前向きに突き進んでいた。急な展開に目を白黒させているヴェラを気にかけることもなく、ルーチェは書斎の前で足を止めた。
「じゃ、私は話をしてくるから」
軽くノックをして返事を確認すると、ルーチェはヴェラに機嫌よく笑顔を振りまいて、書斎に入って行ったのだ。残されたヴェラが、「どうしましょう……」と小さく呟いたのにも気づかずに……。
「おや、ルーチェ。珍しいな。どうかしたのか?」
父親は正面奥の重厚な作りの机で仕事をしており、山のような書類の決裁を後ろに控えている執事と行っていた。
「あら、何か用?」
その手前の応接用のソファーには、先程と変わらない位置に母親がおり、お茶を飲みながら書類に目を通していた。母が執務を行う書斎にいるのは珍しいが、広げられた書類から察するに、例の密輸組織関係なのだろう。執事の手によって広げられていた書類が片づけられ、控えていた侍女がルーチェの分のお茶を用意しだした。
ルーチェが母の向かいに座ると、父親も話を聞こうと母の隣に座りに来た。恋の高鳴りは緊張の鼓動に変わっていて、握った手に汗が滲む。気恥ずかしさと不安がのしかかっているルーチェは二人の顔を交互に見てから口を開いた。
「あの、さっきのお見合いの話なんだけどね……」
「誰に合うか決めたの?」
即断即決がドレスを着たような母であり、隣の父親が落ち着きなさいと咳ばらいをした。鋭い突きを食らった気持ちになったルーチェだが、すぐに立て直す。
「いえ、彼らと会う気はなくて……」
言葉が一気に出てこない。つい癖で二人の反応を見ながら話してしまう。
「気に入る人がいなかったの?」
心臓が耳の横にあるようにうるさく、口の中が渇く。ルーチェは首を横に振ると、落ち着くために紅茶を一口飲んだ。温かさが喉から体内に滑り落ちていき、少し気がほぐれる。
「そうじゃなくて……その、気になる、というか、仲良くなりたい……人がいて」
自分でもまどろっこしい言い方だとは思うが、恋愛初心者のルーチェは本当の気持ちをうまく言葉にする術を持っていなかった。ライアンとして上辺だけの愛を模った言葉ならいくらでも吐けるのにだ。
両親は二人の顔色を伺い、身を小さくしている娘を見て目を瞬かせる。
「まぁ! ルーチェったら、想いを寄せている人がいたの!? それなら早く言ってくれたらよかったのに」
「本当かい!? え、誰だい?」
驚く両親を前に、ルーチェは顔を赤らめていた。今さっき気づいたところとも言えず、落ち着きなく何度かカップに口をつける。ひとまず、お見合いを断ることに反対されなくてほっとした。
ルーチェは恥ずかしさに顔を覆いたくなるのを我慢し、唇を湿らせてからその名を口にした。まるで、本人に思いを告げるくらい勇気がいる。
「あ、アレン・ブルーム様なの……」
照れくささと反応の怖さから両親の顔は見られず、テーブルに視線を向けたままだ。だが、言葉が何も返ってこず、ダメなのかと恐る恐る顔を上げた。父は顎に手をやって思案顔、母も口元に手を当て考え込んでいる様子だ。
「だめ、かしら……」
この国では貴族であっても恋愛は自由だが、それでも結婚となると親の許可がいる。二人に反対されれば芽生えたばかりの恋心は、たやすく踏みにじられ枯れてしまうだろう。
てっきり驚かれたり、根掘り葉掘り聞かれたりするのかと思っていたルーチェは、静かな両親に逆に怖くなってくる。父親は「ブルーム家か」と呟くと、執務机の奥に立っている執事に顔を向けた。
「アレン殿はブルーム家の嫡男で、婚約者はいなかったよな」
「はい、遡ってもブルーム家と婚姻を結んだことはなく、商会の情報網を吸収できる点は利が大きいですね。お人柄も問題はないと記憶しております」
「ふむ、さしあたっての問題はないか。ブルーム伯爵は辣腕家だからな、縁ができるなら嬉しいことだ」
父の中で見通しが立ったのか、頬を緩めると隣の母親に顔を向けて「どうだ?」と尋ねた。おしゃべりが好きで返答の早い母が黙っているのは心臓に悪い。
「そうね……。記憶にある限りでは、あまり親交はなかったと思うわ。よく社交の場では一緒になっていたけれど、たぶん大丈夫だと思う」
ルーチェには何が大丈夫で、母親が何を気にしているのかは分からない。だが父親は頷いており、情報を網羅している執事に目で確認も取っていた。執事は首を縦に振ったので、問題はないのだろう。
不思議そうな顔をしているルーチェに対し母親は説明する気はないようで、「ルーチェに好きな人ねぇ」と小さく笑ってカップに口をつける。密かに確認されたのは、若き日の母親、血気盛んな銀槍の戦乙女が関係を結んだ家だったかだ。あの戦争と、結婚に伴う引退騒動で恩や因縁がある家もあるのだ。
安心した顔をしている母親は、好奇が混じった瞳をルーチェに向ける。
「彼の名前は最近よく聞いていたものね。でも、彼のような人が好みだとは思っていなかったわ。剣が好きで、先生にも懐いていたから筋肉を重視しちゃったじゃない」
思いもよらない「筋肉」という言葉は強烈で、ルーチェはその二文字を呟く。
「……そういえば、さっきの釣書の男性は体格がよかったような」
剣を振るうものとしては、鍛え上げられた筋肉に興味はあるが、ルーチェの好みは可愛いものだ。
(あ、でも、アレン様は鍛えているようだし、将来に可能性があるかもしれないわ……それも素敵ね)
そうなると筋肉が大事というのも間違いではない気がするルーチェだ。否定されなかったルーチェの恋心はすくすく育つ。
「では、一応ブルーム家の情報を洗って、正式に打診をする方向で進めるとしてだ。その……アレン殿との仲はどんな感じなんだい?」
「え、仲ですか? いいとは思いますけど……」
質問の意図がピンと来ていないルーチェに、母親は「まぁ」と口を開ける。
「ルーチェ、心に決めた殿方が出来たなら射止めるのよ。相手を追い詰めて、落として、想いを告げてこそオルコット家の女よ」
普段のお淑やかな母とは思えないほど力説され、ルーチェはたじたじになる。つい先ほど「好き」に気付いたところで、正直そこまで考えていなかった。ミアが口にしていた告白や恋人を考えるだけで、叫びだしたいほど恥ずかしくなる。そのため、ぽそぽそと小さな声で答えるのみ。
「しょ、精進いたしますわ」
勢いで伸びた恋心の茎は、強風に煽られている。もし告白してダメだったら、ポキリと折れるだろう。少し想像しただけでも泣きそうで、ルーチェは慌てて蓋をした。その不安を隠そうと早口で確認する。
「そういうことだから、婚約とかお見合いは受けないで断ってね。そ、それで、私は私で頑張るから。余計なこともしないでよね!」
顔を赤くしてしゃべりたてるルーチェは年頃の娘という感じで、両親は顔を見合わせて微笑んだ。
「えぇ、応援しているわ。ライアンのこともあって、ルーチェには我慢ばかりさせていたから、私たちのことは気にせずに頑張りなさい」
「あぁ。幸いライアンは片付いたし、あとは好きにすればいい」
両親から後押しをもらい、ルーチェは満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、お父様、お母様」
そして、お茶を飲みながら母親がアレンとの出会いを聞き出し始めた時、間隔の短いノックの音が聞こえた。アレンの女装を隠してどう話そうかと考えていたルーチェは、話が途切れたので安堵する。侍女がドアを開けると、表情が硬いヴェラが立っていた。
視線を浴びているヴェラは申し訳なさそうな表情をルーチェに向けてから、一礼して用件を述べる。
「アレン・ブルーム様がお見えになりました。ルーチェ様ならびに、ご当主様と奥様への面会をご所望されています」




