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57.自分の気持ちを考えます。

 ルーチェが沈んだ表情で自室に戻ると、部屋の片づけをしていたヴェラが出迎えてくれた。察しのいいヴェラは、すぐに主人の顔色が優れないことに気が付いてお気に入りのハーブティーの用意をし始める。


 ルーチェはソファーに座ると、テーブルに釣書を置いてウサギのぬいぐるみを抱き寄せた。嫌なことがあったり、悩んだりしている時のルーチェの行動だ。ヴェラはハーブティーを淹れながら優しい声音で尋ねる。


「どうかなさったんですか?」


 最近は穏やかに過ごされていたのにと、ヴェラは心配そうな表情をしている。ルーチェはハーブティーを受け取ると、一口飲んで気を休めてから話し出した。


「……婚約の話が来たのよ。誰でもいいから会ってみないかって」

「えっ、婚約ですか!? まさかそれ、全部釣書で?」


 ヴェラの第一声が祝福ではなく驚きだったことを意外に思いながら、ルーチェはカップをソーサーに戻してテーブルに置くと5つの釣書を広げて並べていった。それにざっと目を通したヴェラは、


「なかなかの面々ですね」と感想を述べる。

「お父様とお母様が選び抜いたそうよ……」


 ルーチェは記憶にない令息たちの肖像画をぼんやりと眺め、ぬいぐるみを抱く腕に力を込めた。ざわざわと落ち着かない感じが強くなっている。


 ヴェラはルーチェの顔をじっと見ており、遠慮がちに声を発した。


「あの、それでルーチェ様は、この方々とお会いに?」

「……本当は会いたくないのだけど、せっかくお父様たちが用意してくれたから」

「えっと、でも、ルーチェ様のお気持ちも大切になさったほうがいいと思いますが……ご当主様たちの考えも、分かるんですけども……」


 ヴェラにしては歯切れの悪い言い方に、ルーチェは不思議そうな顔で一瞥してから再び視線を肖像画に戻す。


「私の気持ち、ねぇ」


 先ほどからのもやもやが何か分かれば自分の気持ちも分かるのだろうかと、ルーチェはため息をついてぬいぐるみの頭に顎を乗せた。ぽふんと気持ちのいい弾力が返って来て、甘い香りが鼻腔をくすぐる。その香りに胸が掻き立てられ、ぬいぐるみを抱く腕に力を入れればさらに香りが強くなった。珍しい、独特の花の香り。


(アレン……様?)


 胸が締め付けられ、苦しくなる。せつない、とその気持ちの名前が浮かんだ。香りが呼び起こすのは、このぬいぐるみが見たいと言い、持ってこられたルナの頭を可愛いと撫でていたアレンの笑った顔。


(アレン様に、お会いしたい……)


 その優しい笑顔が今、無性に見たくなった。傍にいると居心地のいい彼と話がしたい。


 とくり、と胸が鳴る。


(嘘……)


 もやが張れたように、唐突に理解した。雪崩のように押し寄せた感情に晒されるルーチェの頬に涙が伝う。


(こんな時に、気づいてしまうなんて……)


 ルーチェが急に泣き始めたため、仰天したヴェラがポケットからハンカチーフを取り出し手渡してくれる。言葉をかけるべきか迷ったそぶりを見せる彼女に、「大丈夫よ」と笑ってみせた。


「悪いのだけど、少し気持ちを整理するから一人にしてくれる?」

「ですがルーチェ様……」

「大丈夫よ。何かあればすぐに呼ぶから」


 表情は沈んでいても声には芯がある。ヴェラはできれば側にいて寄り添いたいと思う気持ちを抑え込み、「わかりました」と自分ができることをするべく足早に部屋から出て行った。


 ルーチェは一人になると、静かに息を吐いて抱きかかえていたぬいぐるみと目を合わせる。一度自覚してしまえば、最初から胸の内にあったようにしっかりと存在を捉えられた。


「私、アレン様が好きなのね」


 言葉にすれば想いが胸を焦がす。ミアが夢見て話していたような、甘さも楽しさもない、締め付けられるような苦しさだ。瞬きをすれば涙が頬を伝った。


「好きって分かったのに、どうすればいいの?」


 震える声で吐き出すように問いかける。辛い時は、こうやってぬいぐるみに話しかけていた。ルナは丸い目で全てを受け止めてくれる。アレンがしてくれたように、ルーチェもルナの頭を撫でた。


「アレン様が撫でてくれるのが、私の頭ならいいのに……」


 おもむろに自分で自分の頭を撫でてみる。だけど、欲したものではないことを突きつけられるだけで、一気に涙があふれた。嗚咽が混じり、心の中で叫ぶ。


(私、どうしたらいいの? アレン様が好き。他の人と婚約もお見合いもしたくない!)


 唐突に自覚した感情は激流となっており、ルーチェは声を我慢して泣く。握りしめた両拳は掌に爪が食い込み痛い。それでも、胸の痛みには敵わない。


(お母様たちに言わないと……でも、だめって言われたらどうしよう)


 今まで両親の意向に逆らって自分の気持ちを口にしたことなどなく、否定されたらと思うと体がグラグラ揺らされるような不安に襲われる。両親の口からブルーム家の名がでたことはない。ライアン矯正計画の際や、家に招く際にアレンとフレッドの名は告げているのだが、その二人に対して明確な反応はなかったのだ。


(もし反対されたら……?)


 弱気になるルーチェをぬいぐるみはじっと見つめている。その目は「だめだよ」と応援してくれている気がした。いつだって側にいて慰め、勇気をくれたぬいぐるみ。ルナを撫でてくれたアレンの顔が重なり、背中を押してくれる。


(そうね……。泣いてたって、どうしようもないわ)


 何より、今のルーチェは前までのただ泣くことしかできなかった弱気な女の子ではない。周りに支えられ、自分の気持ちをクズ兄にぶつけることができた芯のある女の子だ。


「自分で動かないと、何も変わらないもの」


 ルーチェの心に皆がつけてくれた火が灯る。袖で涙を拭い、抱えていたぬいぐるみをそっとソファーに戻すと立ち上がった。ここからは、一人で大丈夫だ。


(ちゃんと伝えないと、何も始まらないのよ)


 ルーチェは意を決した顔つきで、父がいる書斎へと向かうのである。


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