54.男装せずに、薔薇騎士と夕食を共にします
ルーチェ主演の大恋愛劇が終演した翌日。ルーチェはヴェラに髪を梳かしてもらいながら、ふわぁと暢気に欠伸をしていた。昨晩は帰るなり湯あみだけ済まして倒れるように寝てしまった。両親に報告するはずだったのだが、すでに夜も遅かったため今日に回され、カミラが夕食時に訪ねてくるということで一緒に行うことにしたのだ。
ルーチェは眠そうな顔で、涙を指でぬぐう。そんな主に、ヴェラは微笑みを浮かべながら労いの言葉をかけた。
「昨日は素晴らしかったですね。ルーチェ様も晴れやかなお気持ちなのではありませんか?」
「えぇ、これでライアンの問題は片付いたし、もう男装させられることもないわ」
そう答えるルーチェの顔は憑き物が落ちたようで生き生きしている。
「皆様のご尽力に感謝ですね」
「ほんとに、とても感謝しているわ。そうそう、昨日ライアンをカミラ様に任せた後、アレン様と少し話したのよ」
「まぁ、どうでしたか?」
ルーチェの口からアレンの名が出て、ヴェラの声が弾む。ヴェラの見立てでは、ブルーム伯爵子息は主に好意を持っているようなので、いい方向に進むのではと期待しているのだ。
「今度お礼を兼ねて王都の繁華街に行くことにしたの。ミアちゃんに似合うオートクチュールの店があるから下見をしようかと思って」
てっきりデートかと思ったヴェラは、少々風変わりな行き先に櫛を持つ手が止まった。
「……ミア様は、ルーチェ様の理想的なご令嬢ですものね」
ふわふわと可愛い物が似合う心優しいご令嬢。ヴェラは実際その姿を見て、ルーチェがなかなか別れを切り出せずにいたのも分かったのだ。同時にアレンの女装力の高さと、それを成しえたダリスの技術力の高さには恐れ入った。ダリスとはその後手紙での交流を続けており、商会の伝手でいくつか評判のよい化粧品も融通してもらっている。
「そうなの。社交デビューしたら、茶会や夜会で会えることも増えるだろうし、楽しみだわ」
「ルーチェ様が社交に前向きになられて嬉しゅうございます。婚約者探しも本格的になりますね」
ヴェラは髪を梳き終わり、久しぶりに剣の鍛錬をすると言われたので一つにくくる。
「そうねぇ……」
婚約者探しと言われ、差し迫ったことだと考えていないルーチェは気乗りのしない声を返す。
「正直、しばらくは穏やかに暮らしたいのだけど」
「まぁでも、男装して衝動的に婚約をしてしまうぐらいですから、案外すぐにお相手ができるかもしれませんよ?」
ミア嬢をどうしたら傷つけずにフることができるか思い悩んでいたのがもはや懐かしく、ルーチェはクスクスと笑った。苦しかった思い出がいつの間にか笑えるものに変わっている。頭の中にはアレンの顔が浮かんでいた。
「あのままいけばアレン様と婚約することになったかもしれないのね」
「女装に男装、いい組み合わせかもしれませんよ?」
ルーチェはアレンの女装姿を思い出し、肩を震わせ笑う。
「アレン様は嫌がっていらっしゃるのだから、失礼でしょう?」
話は終わりと、ルーチェは椅子から立って鍛錬をするために中庭へ向かう。シャツとズボン姿であり、凛々しさが増していた。ヴェラは先に歩き、ドアを開ける。
「夕方にはカミラ様がいらっしゃるので、ほどほどになさってくださいね」
「えぇ、ヴェラはレモン水の用意をお願いね」
そう頼んでから、ルーチェが中庭へと向かっていると、先程の言葉が蘇った。
(アレン様と婚約……不思議と嫌じゃないわね。ミアちゃんもいるし、アレン様可愛いし)
胸の内のくすぐったさを感じながら、ルーチェはライアンのいない屋敷で思いっきり羽を伸ばすのだった。
日も暮れた頃、ルーチェは訪れたカミラと夕食の席についていた。暖炉の側、テーブルの奥に父親が、その右手に母親とルーチェ、左手にカミラが座っている。両親はカミラを歓待し、最高級のワインや珍しいお酒が振舞われた。食事を進めながら、カミラからライアンのその後について報告を受けた三人は目を丸くする。
「え、あのライアンが大人しくしているのかい?」
いつもの威厳もなんのその。素っ頓狂な声を出した父親は、「さすがカミラ殿」と舌を巻く。対する母親は「さすがね」とレースの手袋を嵌めた手を口元に当て、ふふふと笑っていた。ルーチェもにわかには信じられず、疑問が口をついて出る。
「何をしたんですか……」
どれだけ、誰に怒られても反省の色を見せなかったライアンが、無理やり婚約させられ連れ去られたのに大人しくしているなんて、怖いぐらいだ。
信じられないと目が語っているルーチェに、カミラは香りのよいワインを味わいながら口角をあげる。
「何、腹を割って話しただけだ。まあ、数度逃げ出したライアン殿と楽しい追いかけっこをしたがな」
「それは……お手間を取らせました」
あの状態から逃げようとした兄の度胸がすごいと、ルーチェは若干引く。
「カミラ殿が家に来てくれるとなれば、とても頼もしいよ。手のかかる息子だが、よろしく頼む」
「いえ、私もお二人を父、母と呼べることが嬉しくてたまりません」
和やかな会話が続き、ルーチェは思わず顔をほころばせた。ライアンがいる時も会話はあるが、ライアンへの説教や、起こした問題への対処の話し合い、仕事の情報収集と気が重くなることも多かったのだ。
「私もカミラ様と家族になれて嬉しいですわ」
ルーチェの嘘偽りのない気持ちであり、それを聞いたカミラは嬉しそうに目を細めていた。両親の表情も柔らかい。そして、話の内容は婚約後の段取りとなり、明日にも両家から正式に婚約発表をして、社交界とライアンが落ち着いたころに式を挙げることで話が進む。まだしばらくは、ライアンはヘルハンズ家で花婿修行となり、合格すれば家に戻すことになった。
「これでライアンの女遊びが治まるかしら……無理だったら、一発仕留めに行きますわ」
これからはカミラにも迷惑がかかるため、もし止めずさらにひどくなるようなら鉄拳制裁も辞さない。なんなら、カミラと一緒になって追いつめてもいい。この一連の出来事で、すっかり強くなり武力に頼るようになったルーチェに、母親が渋い顔をする。
「ルーチェ、淑女が荒事をしてはいけませんよ」
レースの手袋をした手を頬に添えている母親の表情は、争いを憂いているように見える。ルーチェは耳にタコができるほど言われてきた言葉に、はいはいと頷くと切れ味のある笑顔に変えた。
「大丈夫ですわ。男装してやりますので!」
たくまくしく育った娘に、母親は額に手を当てる。父とカミラの苦笑いは、この母にして娘ありなのだが、それを黙らせるように母親は鋭い視線を父親に向ける。
「ライアンのことがひと段落着いたら、ルーチェの婚約者も絞り込みを始めますから、貴方もよく考えておいてくださいね」
妻の剣の切っ先のような視線から逃げるように顔をルーチェに向け、にこやかに笑った。
「ルーチェは心優しいから、それに合うような素敵な人を見つけないとね。もし気になる方がいるなら、周辺情報を全て洗い出すから遠慮なく言いなさい」
法と情報に長けた父親の本気が覗き、ルーチェは曖昧に笑うしかない。最大の障壁は父になりそうだ。そこに、第二の障壁として名乗りを上げているカミラが口を挟む。
「私もルーチェ嬢にふさわしい男かを見極めるから、楽しみにしているぞ」
「それでは、私はいつまで経ってもお嫁にいけそうにありませんわ」
くすくすと口元に手を当てて肩を震わせるルーチェはぼんやりと結婚相手を考える。貴族の令嬢であれば、社交デビューすれば結婚相手を探すため躍起になるものだが、ルーチェには縁遠いものだったのだ。頭に浮かぶのは最近交流ができた二人のこと。
(殿方と言っても、アレン様とフレッド様しか関りがないのよね……)
手札が圧倒的に少なかった。かといって、積極的に人々の輪に入りたいとも思わない。
(やっぱり今はいいかしら……やっと自由になれたんだし、可愛い物好きのお友達を増やしたいわ)
そこで考えが止まっており、「ゆっくり考えますわね」と返答するしかないのである。
そして、談笑が進んでいきそろそろお開きという頃に、廊下が騒がしくなり執事と共に見慣れない男が駆け込んできた。男は礼を失したことを詫び、膝をつく。腕章からヘルハンズ家の護衛団だと分かる。
「歓談中失礼します。カミラ様、先程ライアン様が脱走し、逃走中に人攫いに捕まって運ばれております!」
息を切らしている男がそう報告すると、オルコット家の三人は目を剥いた。脱走よりも捕まったほうがまずい。両親の頭に子供の時の誘拐事件がよぎったところに、カミラの笑い声が響く。
「逃げるとは思っていたが、まさか捕まるとはな! これだからライアン殿は面白い」
そして、椅子から立ち上がり三人に向き直ると騎士の礼を取る。
「ご安心ください。ライアン殿は私が救い出しますので。姫を助けてまいります」
そう言いおくなり、カミラは男と共に足早に出て行った。三人が慌てて玄関まで見送れば、カミラは護衛団の一人が玄関口に連れて来ていた愛馬に跨り夜闇の中を颯爽と駆けだしていく。門の前にヘルハンズ家の護衛団がいたようで、足音と馬の蹄の音が増えて遠ざかっていった。
その数時間後、無事ライアンを救出し、王都を騒がせていた人攫いの一団を捕えたと一報が入るのである。




