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53.女たらしと薔薇騎士の攻防

 役者が退場しても舞台は続く。

 ライアンが椅子ごと運ばれた部屋は、客人用の部屋の一つらしく、ベッドと机など生活に必要な家具がそろった小ぎれいな部屋だった。廊下を進むうちにライアンは暴れるのを止め、口をへの字に曲げるとカミラから顔を背け、拒絶を示すようになった。


 そんなことは意に介さず、カミラは優しく椅子を床に下ろすと、自分も手近にあった椅子を引いて、ライアンと向き合う形で座った。このまま矯正のためのお話に入ろうとしたところで、ライアンが口を開く。


「あのさ、さすがにこれ、解いてくれない? トイレも行きたいし。仮にも婚約者に対する扱いじゃないと思うんだけど」


 夜会で誘って来た時の甘い顔も丁寧な言葉づかいもなく、不機嫌丸出しの声で睨んでくるライアンにカミラは軽く肩をすくめた。これが本来のライアンなのだろう。


「それもそうだな。申し訳なかった婚約者殿。トイレはそこのドアだ。何、時間はたっぷりある」


 カミラがライアンの手足を縛る縄を解けば、ライアンは立ち上がって縄の痕がついている手首をさすった。鼻を鳴らし、無言のままトイレに続くドアへと消えていく。それをカミラは余裕を感じさせる笑みを浮かべながら見送った。


「さて、そろそろかな」


 面白そうに呟くのとほぼ同時に、外から甲高い笛の音が聞こえた。カミラは窓を開けると、枠に足をかけて身を乗り出す。暗い外に目をやれば、ランタンの灯りが左右に揺れ場所を示しているのを見つけた。


「手のかかる婚約者だ。私に追いかけてほしいと見た」


 ライアンが逃げるのは想定済みであり、警備の人数を増やしている。逃げても怪我をしないために、わざわざ部屋を一階に用意していたのだ。武を誇るヘルハンズ家とあって、使用人であっても身体能力は高く護身術も使える。カミラは獰猛な猟犬のように目を光らせると外に下り立ち、光と音を頼りに門も分からず走るライアンを追いかける。あえて使用人たちには捕らえさせず、場所の報告だけをさせている。


「うわぁ!」

「ライアン殿、今さら照れているのか? それとも、私の基礎訓練に付き合ってくれるおつもりか?」


 あっけなくライアンは捕まり、部屋に連れ戻されることになるのである。そして、湯あみ、カミラの離席などの隙をついて逃げ出すも捕まるを繰り返すこと4回。無論、カミラはわざと逃がしていた。空はすでに白んでおり、気力と体力の限界を迎えたライアンは、朦朧とする意識の中カミラに肩に担がれて連れ戻され、ベッドに下ろされるとそのまま意識を手放したのだ。




「ライアン殿、続きと行こうか」


 日が高く昇ってから目を覚ましたライアンは、部屋に届けられた朝食兼昼食を食べていた。窓際に置かれたテーブルの向かいにはシャツとズボンという飾らない恰好をしたカミラが座っている。とても共に明け方まで走り回ったとは思えないほど爽やかな笑顔だった。


 ハムに齧りついたライアンは、非難がましい目をカミラに向けて毒っけのある声を出す。


「夜通し俺を追いかけるとか、カミラ嬢がそんなに熱烈に僕を求めてくれているなんて知らなかったよ」


 カミラは長い足を組み、机の上で頬杖を突いて目を細める。


「私の本気が分かったか? まだ足りないなら相手をするが」

「……もういいよ。これ以上やると、護衛団をしかけられそうだし」

「なんだ、それは残念だ。護衛団のやつらはそろそろ出番だろうと、入念に準備運動をしていたのに」


 カミラはおどけた表情をしているが、ライアンはそれが冗談ではないのを知っている。夜明けすぎ、屋敷の一角で寝起きしている護衛団が鍛錬のため起きだしたのを見たのだ。ライアンは最後のパンを口に入れると、食事は終わりだと淹れたての紅茶を飲む。傍に控えていた侍女が音もなく食器を下げてくれた。


 ずずっと香りのよい紅茶をすすったライアンは、カップをソーサーに戻すと視線をカミラに向ける。


「それで? 婚約の理由と流れは昨日のでだいたい分かったけど、本気なの?」

「無論だ。ライアン殿の自由と身の安全は保障する。悪い条件ではないはずだが?」

「まあね……。現実的に考えればそうだけど、この不意打ちはないよ。カミラ嬢と婚約したら誰も遊んでくれないじゃん。情報も引き出せないけど?」


 カミラという美、才、武がそろった令嬢が後ろにいるとなれば、女の子たちは心を開いてくれなくなるとライアンは口を尖らせる。一応諜報をする心づもりはあるライアンに、カミラは笑みを深くした。


「そんな相手でも魅了して口を開かせるのがライアン殿だろう? それに、ライアン殿はいわゆる陽動だから、無理に聞き出そうとする必要はない。今まで通り、適当に女の子と遊べばいいさ」

「ふ~ん。じゃ、お言葉に甘えさせてもらうけど……」


 一度言葉を区切り、紅茶で喉を潤してから話を続ける。その表情はどこか冷めていて、女の子に向ける甘い笑みはない。


「僕と婚約するのは、銀槍の戦乙女が目当て?」

「ん?」


 ライアンを観察していたカミラは、その言葉に虚を突かれた表情になる。対するライアンは「違った?」と小首を傾げた。


「騎士からすれば、戦乙女は憧れでしょ? ヘルハンズ家は先の戦いで母上に恩があるって聞いたから、それでこの話を受けたんだと思ってたけど?」


 当然のように話すライアンに、カミラは口元に手をやり指先で顎を撫でる。顔には困惑が浮かんでいた。


「その話、夫人から聞いたのか?」

「昔の母上について小耳に挟んだことがあって聞いてみたんだよ。だから僕は知ってる。ルーチェには絶対言うなって言われたけどね」


 先の防衛戦で活躍したとされる銀槍の戦乙女が、現のオルコット伯爵夫人だということは公然の秘密であった。それは、愛国心の高さから貴族令嬢でありながら戦場に出て槍を振るった過去を若気の至りとし、結婚を機に完全に武の世界から身を引き、完璧な伯爵夫人になろうとした母の願いだからだ。


 当初は戦争の英雄である戦乙女を表舞台から消すことに反対する人も多かったが、先の両陛下がその望みを尊重した結果である。そのため、今は劇や史実にその名が残るのみで、戦乙女とオルコット伯爵夫人を結び付けて話すのは禁句となっていた。


「そうか、ライアン殿は知っていたのか」


 戦場で活躍していた若き戦乙女は、今のヘルハンズ家当主、カミラの父の命を救ったことがあるのだ。その恩を当主は忘れておらず、夫人とはよき友人となった。そのためオルコット伯爵夫人はヘルハンズ家に度々招かれていたのだ。


「ルーチェぐらい社交から遠ざかってなければ、自然と耳にも入るよ。それに、真夏でも家で手袋を脱がないなんてどう考えても変でしょ」


 母親は常に細かいレースの手袋をしている。本人は淑女の嗜みだと言ってルーチェは信じているが、ライアンは手に残る傷跡を隠すためだと分かっていた。カミラは「たしかにな」と相づちを打ち苦笑を浮かべる。


「まあ、確かに私にとって銀槍の戦乙女は憧れであるし、ヘルハンズ家としてもオルコット家と縁を深めたいのは確かだ。だが、それだけだと言われると心外だな。これでも、ライアン殿のことは気に入っている」

「へぇ、カミラ嬢も僕の顔が好き?」


 片方の口端を上げたその表情は嘲笑っているようだが、自嘲めいたものにも見える。その表情を見せたことがカミラは意外で、ライアンの輪郭が少し掴めた気がした。だから、極力優しい声音で言葉をかける。前から胸に抱いていた、嘘のない気持ちを。


「あの女どもに振りまいている仮面は嫌いだな。だが、今のような素の表情の下に毒を持っているのは嫌いではない」


 方々でもてはやされている顔を否定されるとは思っていなかったのか、軽く目を見開いたライアンに、カミラは一拍置いてから落とし込むように続きを口にした。


「ライアン殿は、女自体は嫌いだろう?」


 その瞬間、ライアンの顔から表情が抜け落ちた。まるで蝋人形のようで、カミラはゾクリとする。だがそれは瞬きの間に微笑へと変わっており、まさに仮面が付けられたようだった。


「面白いことを言うね。こんなに女の子と遊んでいるのに?」

「だが、誰とも恋仲にならず、手も出していない」

「それはたまたま僕がその気にならなかっただけだよ。だって、彼女たちは僕を愛しているんじゃなくて、見せびらかしたいだけだからね」


 そう言って黒く見下した笑みを浮かべるライアンだが、カミラはその奥を見ていた。先ほどの無にライアンという存在が凝縮されている気がしたのだ。それと同時に、これ以上踏み込むことの危うさも感じる。だから、カラリと笑った。


「そうか、ならば私はライアン殿のお眼鏡に適うように精進せねばな」

「僕の理想は高いよ」

「じっくりと陥落させてみせよう」


 そしてカミラはそこで会話を切り上げ、部屋を後にする。周辺では護衛団がアリの一匹も逃がさないように見張っているが、あの様子では当分大丈夫だろう。

 廊下を歩くカミラの脳裏にはライアンの表情が印象深く残っており、一つの事件と結び付く。


(やはり、あの誘拐か……)


 それは、王国を揺るがした誘拐事件。幼いライアンが攫われ、3日間監禁されたというものだ。犯人は貴族の女性で、幼くあどけない天使のような姿だったライアンを自分のものにするべく、強行に走ったとされている。銀槍の戦乙女である夫人が激怒し、自ら乗り込もうとしたのを今の両陛下がなんとか抑えたらしい。騎士団が救出した時にはライアンは憔悴し、ひどく怯えていたという。


 そしてその後から、ライアンの令嬢に対する態度が変わったと、夫人から聞いたことがあったのだ。監禁されている間に何があったのか想像もしたくないが、幼い心は傷ついただろうし、今の行動と無関係とは言い切れない。


(いつか、話してくれるといい。話してくれなくても、忘れられれば……)


 カミラは静かに息を吐くと、頭を使い過ぎたと足を鍛錬場へと向ける。今晩はオルコット家の晩餐に呼ばれているので、それまでの間、カミラは無心に剣を振るったのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] ライアンは、仏頂面だろうと毒吐いてようと、女性が寄ってきそうです 既婚なんてステータスはものともせずに誘蛾灯になっちゃうんでしょうね
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