5.女装して夜会に参加する
◇◇◇
時間はアレンがミアに扮して、会場の広間に入ったところに遡る。
「足が痛い」
人々が広間で歓談している中、ソファーに座るアレンは隣に座るダリスに聞こえる声量で呟いた。念のため声は高くしている。周りはデビュー前の令嬢と疑わず、先程挨拶をした主催の夫妻も成長したら美しくなりそうだと褒めてくれた。ダリスによるアレンの女装は完璧だが、アレン自身はそうもいかない。
「動くのは最低限にしていますので、我慢してください」
本来であれば壁の花になっている暇はなく、社交デビューに備えて有力な貴族に紹介してもらうべきなのだが、今日は両親もいないためただの見学者となっていた。
「これで踊るとか無理……。つま先が潰れそうだし、かかとは絶対血が出てる。スカートの中がスースーして落ち着かない」
「ミア様、もう少し女の子らしくお話ください」
ダリスはアレンに顔を寄せると口元を手で隠し、「ミア」という役を強調して注意する。喧騒に紛れているとはいえ、誰かに聞かれるかもしれないのだ。アレンは言い返したくなるが口を閉じて我慢し、目を閉じて心の中でまくしたてる。
(俺はミア、天使のミア。俺が下手な振る舞いをすれば天使が汚れる。可愛い妹のためだ男を見せろ!)
そして開いた深緑色の瞳は丸く、無邪気な笑顔を見せれば垂れた目が愛嬌を誘う。
「安心してダリス。慣れていないから緊張しているだけよ」
絹の肘上まである手袋をはめた手を口元に当て、ふふふと笑う。その笑い方はミアそっくりで、さすがミア様を溺愛しているだけあると、ダリスは満足そうに目元を和ませた。
ほどなくして、ライアン・オルコットの来場を告げる声がし、アレンは人々が一斉に視線を飛ばした方へと顔を向ける。隣から「いよいよですね」と緊張が混じった声が聞こえた。周りの令嬢は色めき立ち、口々にライアンの美貌を称える言葉を口にしている。
「きゃぁ、ライアン様素敵。今、目が合ったわ」
「違うわよ。私を見たの。だって、前の茶会でご一緒したんですもの」
「あら、私は前の夜会で一曲踊りましたのよ?」
令嬢たちは自分が相手より上だと主張し、火花を散らす。
(うわ~、女は怖い。……けど、顔はいいんだよなぁ)
ライアン一人のせいで、令嬢たちがドレスの中で足を蹴りあうような様子になるのはよろしくないが、それはさておき鑑賞するアレンだ。
(男の時だと、夜会で一緒になってもじっくり見るわけにもいかないし、今日は役得だと思って堪能しておこう)
ミアの代わりにフラれに来ているのだから、それくらいは許されるだろうと遠慮なく視線を注いでいると、広間を見回していたライアンと目が合った……気がした。肖像画に残したい極上の笑顔を向けられ、心臓がぎゅっと掴まれる。袖口をダリスがさりげなく引いてくれなければ、我を忘れて魅入っていただろう。気が抜けると足が開きがちになるので、慌てて閉じた。
「あれがミアを虜にした笑顔……危なかったわ。あと少しで、私まで呑まれそうだったもの。あの顔で結婚を申し込まれたら、うっかり頷きそう」
アレンはダリスの耳元に顔を寄せ、こそこそと話をする。
「実際、オルコット家とは家格も合いますし、悪くない相手ですよ? あの性格さえなければ」
確かに同じ歴史ある伯爵家であり、商いのブルームと法律のオルコット、伝手を広げるにはもってこいではある。アレンは一度真面目に考えてみたが、すぐに首を小さく横に振った。
「仮に性格がよくても、あの顔と過ごすのは無理だわ。心臓がもたないもの」
「……結局顔ですか」
「他に何があるのよ」
そうして話をしていれば、ほどなくしてダンスの曲が流れ始めた。自然と足が動き出しそうな曲調で、男女が広間の中央へと集まっていく。主催者の娘と踊っているのは当然、あの女たらしだった。
(あ~、きれいな顔を見ながら食べるケーキは最高。さっきのムースもアイスもおいしかったな)
そしてアレンは、誰からもダンスの誘いを受けることなく、リンゴが入ったケーキを口に運んでいた。ほどよい甘さとリンゴの酸味が合わさって、食感も楽しいケーキだ。自然と顔がほころぶ。
(この格好なら、気兼ねなく甘い物が食べられる。役得、役得)
アレンは常の夜会や茶会では甘いものは一切食べなかった。男らしさに欠けると思っているからで、周りには甘いものは苦手だと言っていた。だから、実は大の甘党であることを知るのは身内のみである。ご満悦のアレンはお皿に乗ったケーキを食べ終え、給仕に皿を下げてもらうと隣に顔を向けた。
「ダリスは踊ってこなくていいの?」
「私はミア様の御側を離れるわけにはいきませんので」
「別に一人で待っているのに……」
「お気になさらず」
にこりと微笑むダリスだが、内心「アレン様は状況が分かっていない」とため息をつく。ダンスの誘いもそうだが、ケーキを食べていた可憐な姿は周りの男たちの視線を奪っていた。それをダリスが目で牽制していたのだが、欠片も気づいた様子はない。
そしてアレンがレモネードを飲み終え、目的の相手のダンスが途切れたところでダリスは背を押した。
「さぁ、ダンスをしながら、人気のないところに誘ってきてください。あとはフラれればいいだけです」
そうにこやかに送り出されたアレンは、ドレスを踏まないよう気を付けながらダンスの輪へと近づいた。令嬢側からダンスを申し込むことはできないので、アレンは視線を送るしかない。
(あー、俺もひっきりなしに視線を送られたいなぁ)
悲しいかな、アレンも夜会に出れば2,3人と踊ることはあるが、求められてということは少ない。まして、そこからいい雰囲気になったこともなかった。
(というか、誘ってほしそうな視線ってどうやるんだ? ひとまず、見ておけば……え?)
持久戦覚悟で彼の姿を目で追っていれば、視線が交わった青色の瞳が近づいてきた。
「一曲、よろしいですか?」
そしてうっとりする所作でダンスを申し込まれ、気づけば手を取られてダンスの輪へ。
(あれ……俺はいつのまに頷いて? あ、いや、無理無理無理。近い近い近い!)
右手を取られ、腰に手を回され、いつのまにか自分の左手は彼の肩。何より、至近距離に神々しい美。ヒールを履いていることもあり、背の高さは頭一つ分も変わらない。近くで見ればその笑顔の破壊力は心停止もので、アレンの顔は赤くなる。
だが、飛びそうな意識を、足の痛さが呼び戻した。
(痛い! なんでこんな拷問みたいな靴で軽々踊れるんだよ。我慢だ。男だろ、我慢しろ! この男には気づかれるな!)
痛みのおかげか、ミアがうっとりしていた言葉にもなんとか返すことができた。
(くっそ、こいつダンスうまい。こっちの動きに全部合わしてくれてる……腹が立つ!)
そしてダンスが進むにつれ、自分と技量の差を感じて苛立ってきた。微笑みがこちらを見下した余裕の笑みに見えてくる。
(そりゃ、女の子誘えなくて肉食ってる俺と違って、お前はとっかえひっかえだろうよ。当然経験値も上がるわな!)
美しい顔に罪はない。そこに嫉妬はしない。だが、彼の言動一つ一つが神経を逆なでる。男の差を見せつけられた気がして、足を踏んでやりたくなる。
(あぁぁぁ、けど顔が好み過ぎて、全部許す!)
アレンは口許がだらしなく緩みそうになるのを微笑に留めるため唇の裏を噛んでいるが、頬が引きつりそうだ。早いところ庭園にでも誘ってダンスを終わらせようと、誘いの言葉を口に出そうとしたが、色気たっぷりの言葉に遮られた。
「ミア嬢。この後、中庭のバラ園で待ってる。もっと、君のことを教えてほしい」
ターンを狙って耳元に顔を近づけ、囁かれた熱を持った言葉。その瞬間、手慣れた誘い文句に手が出そうになった。握られていてよかった。さらに顔が熱くなったが、これは恥じらいではない。怒りだ。
(こんの女たらしがぁぁぁ! そうやって何人もの令嬢と俺の天使の心を弄んで、俺たちの出会いの芽を摘み取りやがってぇぇぇ!)
顔の良さを怒りが上回った瞬間だった。アレンが顔は別としてこの男を嫌いなのは、規格外の美しさのせいで目が肥えてしまった令嬢たちに相手にされない逆恨みも混じっていた……。そして、ダリスのもとに戻ったアレンはギリッと奥歯を噛んで目を見開く。
「ダリス、ただ告白して大人しくフラれるのはやめよ。あの男のトラウマになるぐらい、めんどくさい女になって、腹いせをしてやるわ!」
顔を真っ赤にして戻ってきたアレンを見て、堪能したのかなぁと思っていたダリスはその宣言を聞いて目を瞬かせた。
「そんなことをすると、オルコット伯爵子息への印象が悪くなりますが……」
「金輪際接触させないから問題ないわ!」
そう息巻くアレンは、ダンスと怒りで火照った体をコーヒーのソースがかかったアイスで冷まし、いざ決闘とバラ園に向かうのだった。