49.男装して、喜劇の幕を開けましょう
陽の光に強さを感じるようになり、社交シーズンも折り返しだ。もうすぐ年内で最も重要な王家主催の夜会があり、その前日の両陛下への謁見と夜会でのお披露目を持って貴族の子女たちが正式にデビューする。心なしか社交界全体が浮足立つ頃である。
気温も上がってきた昼過ぎ、ルーチェはライアンに扮すると、気合十分でクズ兄の部屋を訪れた。
昼食を終え、寝椅子に腰かけて画集を眺めていたライアンは入ってきたルーチェを見て目を丸くする。
「うっわ、心臓に悪い。久しぶりに見たけど、本当にそっくりだね」
鏡を見ているようだが、実体を持って動くので本人としては少し怖くもある。ルーチェは声は自分のまま要件を話し出した。
「最終確認をしようと思って。さすがに、ベタベタ触って来ていた王女だと気づくかもしれないから……少し立ってくれる?」
「いいよ」
何の疑いもなく、ライアンは画集を開いたまま寝椅子に置き、立ち上がる。ルーチェはその前に立つと、身長や肩幅に変わりがないかを上から下まで確認した。ライアンはシャツ一枚にズボンという恰好なので、細身ながらも骨格は男だと分かる。それでも、ヴェラの補正技術はブルーム家のダリスと結託してからさらに上がっているため、寸分違わないものになっていた。
眠いのか、ふわぁと欠伸をするライアンに、ルーチェは変わらぬ声音で問いかける。
「ねぇライアン。私が貴方のことを何て思ってるか分かってる?」
欠伸の涙を指で拭いながら、ライアンは「へ?」と視線をルーチェに向けた。
「かっこよくて自慢の素敵なお兄様でしょ?」
淀みなく言いきったライアンに、ルーチェは怒りが混じった笑顔を浮かべ、踏ん張るために左足を少し後ろに引いた。
「女好きで散々迷惑をかけるクズよ!」
腰を落として踏ん張りを利かせ、握った右拳で狙うは鳩尾。まっすぐ捻りを加えて叩き込めば、頭上から「ぐふっ」と低い声と息が漏れた。意識を飛ばしたライアンを左手で受け止め、寝椅子にもたれかけさせようとして失敗し、床にずり落ちたが問題ない。
「ヴェラ! ライアンを運んで頂戴!」
外で待機していたヴェラと従者を呼び入れ、ライアンの手足を縛って口と目も布で覆うと馬車へと運んでもらう。
「さぁ、楽しい舞台会場へ行くわよ!」
ルーチェは意気揚々と、どっから見ても誘拐されているライアンに続いて馬車に乗り込み、付き添いのヴェラと共に出発するのである。
犯罪に見間違われそうな状態でライアンを連れ、ルーチェが向かったのはヘルハンズ家だった。アレンとフレッドの計画から大きく変更されたのは、場所と内容だ。新作のケーキ試食を名目にライアンに遊ばれた令嬢たちを呼ぶことにしていたが、ヘルハンズ家の夜会ということにして、口が軽く社交的な貴族たちを招いている。
会場の設営が終わり、計画実行の五人が最後の打ち合わせを終えたところで、今日の主役の一人であるルーチェが口を開いた。
「皆様、今日はご協力いただき、本当に感謝しています。早くも一つやり返すことができて、爽快でしたわ」
外見はライアンだが、口調はルーチェのままだ。この状態ならしぐさもあって、女性っぽく見える。
「一発では済まんだろうに。顔以外ならどれだけ痛めつけてもよかったのだぞ?」
ルーチェの向かいに座っているカミラは、髪を下ろした令嬢の姿であり、初めて見たアレン、ミア、フレッドは始め誰か分からず、本人に名を告げられて絶句していた。
深紅のドレスにアクセントとして黒が使われ、全体を引き締めている。デコルテが美しく、ルーチェの瞳を思わせるサファイアのネックレスが光っていた。騎士服の時よりも豊満な胸が強調されており、女性二人は羨ましいとつい視線を向けてしまう。奥ゆかしい令嬢の姿なのに、口調は固い騎士のそれであり、ルーチェ以上の違和感を発揮していた。
「いえ、今からすることに比べたら、子どもの遊びですもの」
ふふふと口元に手を当てて笑うルーチェに、怒らせたら怖いやつだなとアレンとフレッドは無意識に背筋が伸びる。反対にミアは「かっこいい」と目を輝かせていた。
「ルーチェ様、絶対成功させましょうね!」
「俺たちは近くにいるから、何かあれば助けるよ」
ミアとアレンは招待客に混じって、話を誘導と不測の事態への対処を任されている。
「騎士団の仲間も何人かいるから、賑わせてくれると思うぜ」
フレッドは声が大きく、噂好きの仲間を連れてきており、自身も積極的に情報操作をするつもりだ。
ルーチェはやる気十分な皆の顔を見まわし、くしゃりと笑った。
「みんな、頼りにしていますわ。あのクズに鉄槌を下してやりましょう!」
「おー」と全員の声が一つになり、一度解散した。それぞれ不審がられないように、時間をずらして人が集まり始めた広間へと向かう。フレッド、続いてミアとアレンが招待状をドアマンに渡して入る。名が読み上げられ、ヘルハンズ侯爵夫人に挨拶をして適当におしゃべりの輪に加わっていた。まだダンスには早く、広間に流れる音楽も歓談のものだ。
武のヘルハンズ家の広間は武具が多く飾られており、壁には歴代の当主の肖像画と共に愛用した武器がかけられ、壁際には甲冑の騎士像が立っている。ところどころ大きな木箱が被せられているものがあるが、それは古びていたり武骨すぎたりで夜会に合わないからという配慮だった。木箱には花がつけられ、違和感なく会場に溶け込んでいる。
それらの一つ、中央の壁際で会場全体が見渡せるところに置かれた木箱の隣にはヴェラが立っている。その木箱が、少し震えた。
「今、少し動いた気がしますわ」
それを怪しまれない程度にかすめ見たミアは、隣に座る兄の耳元でコソコソと伝える。
「あまり見るなよ。あそこは任せてあるから、俺たちはできることをしよう」
縛られて運ばれてきたライアンがどこにいるのかと言えば、その箱の中である。シャツとズボン姿のまま、椅子に手足を縛りつけられ、目の布を取った状態でいるらしい。あの木箱は特別で、正面に小さな穴が無数に空いており外から中は見えないが、内からなら見えると聞いた。ライアンの口には布が巻かれているので声は漏れないはずなのだが、何かあった時のためにヴェラがついている。
(あの中に縛りつけてるとか……やばい)
「ライアン殿には特等席を用意すると」とカミラが言っていたので、どうするのかと疑問だったアレンだが、実際の席を見て少し引いてしまったのは内緒だ。先ほど、すれ違ったフレッドと「怒らせると怖いのは女性のほうだよな」と意見が一致したところである。
そうして、アレンとミアが他の貴族とおしゃべりに興じながら、ライアンの噂を流していると、入口の方からざわめきが聞こえた。そちらに二人が視線を向ければ、人が道を開けたその先から銀髪の美青年と赤髪の凛とした令嬢が歩いて来ている。
周りの貴族たちが、「あれが噂のご令嬢」「ライアン殿の想い人か」「悔しいぐらいお美しいですわ」と話題に上げていた。ここで騒ぎ立てる令嬢や令息が出れば、沈静化させるのもアレンたちの役目だが幸い大きな混乱は起きていないようだ。
二人は衆目を集めつつ、主催の侯爵夫妻のもとへ近づく。そしてライアンに扮したルーチェが挨拶をし、カミラが夫妻の隣に立ったことで令嬢の正体に気付きだす。そこに立てるのは、家族のみだからだ。
稲妻が走るように、驚きの声が駆け抜けていく。三人は今だと、カミラの名を出して広げていった。
「ライアン様が婚約を考えられていたのは、カミラ様だったのね」
「もう両家の間で婚約が交わされているのかもな」
「美男美女でお似合いだぜ」
それぞれ肯定的な意見を大きな声で話せば、それが何倍にもなって広がるのだ。さざ波のように情報が伝わっていくのは、見ていて気持ちがいい。騎士団員と思わしき大声の祝辞が飛んでいた。さすがに収拾がつかないからか、侯爵が片手をあげて皆を静める。波が引くように話し声が落ち着くと、厳めしく渋い声が響く。
「まだ公にはしておらんため、静かに見守ってほしい」
その言葉と同時に、ルーチェとカミラが礼を取る。指先まで美しい二人の礼に、広間のあちこちから感嘆の声が漏れた。二人の挨拶が最後だったのか、侯爵夫妻は二人を連れてソファーに座り談笑を始める。それが合図となって、それぞれも歓談を再開させ、別室へ軽食を食べに行く人も出てきた。
和やかな雰囲気が切り裂かれたのは、しばらく経ったころ。
「ライアン! この私のエスコートを断るなんて、どういうことなの!?」
耳を突き抜ける金切声に、驚いた人々のおしゃべりが止まる。遅れて管弦楽の音も消えた。風が立つ勢いで全員が戸口に顔を向ければ、そこに立つのは金髪の王女様。
第二幕の始まりだった。




