47.男装せずに、天使とお茶をします
計画に従い、各々は出席した社交の場でライアンには王女の前から婚約を考えている人がいたらしいと、噂を流していた。これが、謎の赤毛の令嬢と一緒にいた目撃談や、前にフレッドが流していた婚約者の噂と相まって、予想以上の速さで広まっていったのが決行日の二日前。
そして、一日前の今日はルーチェ念願のミアとのお茶会であった。ライアンがいるオルコット家に招くわけにもいかないため、ルーチェはブルーム家にお邪魔していた。非常に参加したがっていたアレンは、どうしても外せない商会関係の仕事があったため、終わり次第駆けつける予定だ。
サロンで挨拶をしたミアは、小さな花の刺繍が散りばめられた薄いオレンジ色のイブニングドレスを着ていた。胸元と袖口のリボンが可愛く、スカートはボリュームたっぷりのフリルがついている。その姿を見ているだけで、ルーチェは癒されていた。
「ミアちゃんは今日も可愛いわ。そのドレス、すごく似合ってる」
対するルーチェは群青色のシンプルを体現したようなイブニングドレスだが、生地に独特の光沢があり、ルーチェ自身の美しさを存分に引き出している。ミアは落ち着いた大人の美しさに目を輝かせ堪能していた。
「ルーチェ様のようなドレスも素敵ですわ。私のドレスはどうしても子供っぽくて」
「似合ううちに着るのが一番よ。私は着たくても似合わないから」
二人は丸テーブルに向かい合って座り、ダリスが給仕を務めていた。紅茶のふくよかな香りが広がり、注がれる音が耳を楽しませる。テーブルにはおいしそうなクッキーやケーキが並んでおり、ルーチェは目移りをしていた。
「このお茶菓子はお兄ちゃんが用意してくれたんですよ」
アレンがルーチェの好みを考えて厳選したもので、ギリギリまで組み合わせを考えていた兄の姿を思い出して笑う。
「まぁ、甘い物好きのアレン様が選ばれたなら、どれもおいしいわね」
「殿方が甘い物を好きなんて、お笑いになりません?」
「まさか、アレン様が甘い物を食べている姿は、見ている方も楽しくなるくらいだもの」
「それならよかったですわ」
ほっとした表情で紅茶をすするミアには使命があった。兄の良さをアピールして脈があるのかを探る。ルーチェに想いを寄せている兄のためにも、義姉様と呼びたい自分のためにも、失敗は許されない。
オレンジの香りがするクッキーを口に入れたルーチェは、「おいしい」と相好を崩す。爽やかな柑橘の味と香りが、紅茶によく合った。
「アレン様は、商会のお仕事があるのよね」
「はい。最近は父の代わりに商会を回ったり、商談をまとめたりすることもあるそうです。父も安泰だと安心していますわ」
しっかりと兄の有能さを入れ込むミアも、さすが商いのブルーム家とあって口がうまい。
「それはご立派ね。ライアンもそれぐらい真面目ならいいのに」
同じ兄なのにこの違いは何だと、ルーチェはつい比べてしまう。やや表情が陰ったルーチェを見て、ミアは場を和まそうと「でも」と話を続ける。
「お兄ちゃんは過保護なんです。最初はエスコート役だったんですが、誰ともしゃべらせてくれなくて、お父様が怒ってお留守番させたんです」
ひどいでしょう? とむくれて話すミアに、ルーチェは口元に手を当ててクスクスと笑う。容易にその様子が想像できてしまった。
「アレン様らしいわ。ミアちゃんのことが大切でしかたがないのね」
「だけど、あの様子じゃ私いつまでたっても結婚ができなさそうです」
「父親以上に厳しくされそうだわ」
「笑えませんよ~」
二人して肩を震わせて笑う。ルーチェの表情がほぐれてきたところで、ミアはリンゴのパイを食べながら「そういえば」と話を切り出す。
「ルーチェ様には婚約のお話はないのですか?」
話が自分のこととなり、ルーチェは紅茶をすすると「そうねぇ」と目線を宙に飛ばした。ミアはその間が少し怖い。
「特にないわね。今は両親もライアンのことで手一杯でしょうし、当分話は回ってこないんじゃないかしら」
視線をミアに戻して事も無げに返したルーチェに対し、内心ほっとするミア。兄が入れる隙間はありそうだ。
「まだ婚約は考えていらっしゃらないのですか?」
すっかり恋愛話になり、ルーチェはミアちゃんもお年頃のご令嬢ねと思いながら、ライアン抜きで話ができることに胸が弾む。ルーチェが知るご令嬢との恋愛話は、ライアンを巡る意地の張り合いと駆け引きだからだ。
「今はライアンの問題を片付けることで精一杯ね。縁があれば婚約を考えることにもなると思うけど……」
兄はどうですかと売り込みたくなるが、まだその時ではないとミアは自重する。ルーチェの後ろにいるダリスに視線を送れば、しっかりと首を横に振られた。考えていることはお見通しである。もう少し兄の好感度が上がりそうな話を披露しようと考えたところに、ルーチェがクスリと思い出し笑いをした。
「あぁでも、カミラ様にいい人ができたら紹介するようにと言われたから、婚約は両親とカミラ様に認められる人じゃないとだめそうね」
軽い口調で冗談っぽく話すルーチェだが、ミアは思わぬ障壁に兄は大丈夫だろうかと不安がよぎる。
「それは……私より大変そうですね」
アレンは過保護ではあるがミアにとことん甘いので、最後は泣き落としが通用するのに対し、カミラは鉄壁そうだ。
「さぁ、その時のお楽しみね」
ふふふと笑っているルーチェはその時が来るとは考えていないようで、ミアの中で兄のゴールが遠ざかる。だがまだいけると、ミアはさらに踏み込んだ。
「ルーチェ様はどんな殿方がお好みですか?」
ミアの可愛い声でそう聞かれれば、甘さ控えめのナッツクッキーの甘さが増した気がする。これが普通の恋バナなのねと変な感想を抱きつつ、ルーチェはクッキーを飲み込むと考えを巡らせる。誰かに自分の好みを聞かれたのは初めてで、自分でもあまり考えたことはなかった。
「ライアンみたいなのじゃなければいいわね。誠実が一番だと思うわ」
妹の代わりに女装をした挙句、相手を陥れようとした兄が誠実と言えるのかという疑問はさておき、ミアは「そうですよね」と頷く。
「あとは……ライアンがこのままカミラ様と結婚するなら、私は軍関係の家じゃない方がいいかもしれないわね」
これは代々法に関する役職にいるオルコット家の親類が一つの系統に固まることをよしとしない考えから来ていた。
「なら、内政や商いのほうもありですわね」
「そうかもね。それで? ミアちゃんはどうなの? 社交デビューをすれば、ひっきりなしに申し込みが来そうだけど、実はすでに心に決めた人がいるのかしら。アレン様には内緒にしておくわよ?」
純粋な恋愛話に楽しくなってきたルーチェはそう切り返した。まさか自分に返ってくるとは思っていなかったミアは、かあっと頬を朱に染めて視線を下げる。
「その……いませんけど、私はデビューしたら、かっこいい殿方を探してときめく恋がしたいと思ってるんです」
照れながら憧れの恋を口にするミアが、ルーチェは眩しくてたまらない。自分も恋に夢見た時があっただろうかと振り返るが、悲しいかな無かった。無論クズ兄のせいである。だからこそ、心の底から応援したい。
「好みはどんな方なの? いい人がいたら紹介するわ」
「えっと……お優しくて、私のことを大切にしてくれて、ダンスがお上手で、お顔も素敵だったら言うことありませんわ!」
どこの王子様だろうという条件だが、表面だけならライアンは当てはまるため、なるほどそれでかと納得してしまうルーチェだった。守ってあげたいわと思っていると、真面目な顔に戻ったミアが「でも」と呟く。
「まずはお兄ちゃんが先ですわ。両親も早く見つけろとやきもきしていますもの」
「どこも同じね」
下の妹弟が先に婚約、結婚することもあるが、そこは順番にしたいと考える家も多い。ミアはここぞと兄が婚約者を探していることを前面に出した。
「お兄ちゃんには幸せになってほしいから、いい人と結ばれて欲しいんです」
心の中でルーチェ様のような! と叫ぶミア。なんて兄思いのいい子と胸に迫るものがあるルーチェ。
「私もそれぐらい思える兄が欲しかったわ!」
つい本音が飛び出したルーチェに、ミアは「あげましょうか!」と叩き売りそうになるのを寸前で押さえた。ダリスが落ち着きましょうと両掌を見せて合図している。
「絶対いい人がいますわ! 私、ルーチェ様にも幸せになってほしいですもの!」
「ミアちゃん、本当にいい子!」
結局、この茶会でがっちりとルーチェの心を掴んだのはミアであった。恋愛話がひと段落して紅茶をすするミアは、兄への脈は掴めなかったわと反省する。
そして、ほどなくアレンが帰り話に加わった。会話のほとんどがミアの可愛さとおいしいお菓子や料理のこと。二人の雰囲気はよく、打ち解けているように見えるのだが、よき友人の距離感のような気がする。ミアとダリスは顔を合わせると、微妙な表情を浮かべたのであった。




