4.男装して夜会に参加します
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社交シーズンは毎夜いくつもの夜会が開かれている。山のような招待状から参加する夜会を厳選するのも一苦労で、ルーチェは両親と家令が上流貴族との関係を考慮して予定を組み立てているのを何度も見ていた。より高位の貴族が主催する夜会が優先されるのは当然で、残念ながら参加できない夜会には息子や娘が代理で赴くこともある。特にオルコット家は仕事柄、他家とのつながりや情報が重要となるので、なるべく多くの場に顔を出していた。
ライアンが参加すべきだった夜会は、最近勢いがある新興貴族が主催したもので、参加者には若い令嬢、子息が多く見られた。規模はそれほど大きくなく、名前が読み上げらえると同時に広間に入ったルーチェは、令嬢たちの黄色い声に迎えられた。婚約者がいない男性がエスコートの女性を連れないことは珍しくなく、特別な相手を作りたがらないライアンは基本的に相手役なしで参加している。
ルーチェがかわいい声をあげている令嬢たちに笑顔を振りまいて、広間を見回せばすぐに目的のミア・ブルームを見つけた。
(可愛い子、まだ場に慣れていないって感じがするわ)
ライアンが言った通りの亜麻色の髪をした女の子は、エスコート役と思われる灰色の髪の男性と共に壁際のソファーに座っていた。首も腕もしっかり隠されたドレスは薄ピンクで、フリルがふんだんにあしらわれている。まだ蕾であることを強調しているようだった。
こちらに視線を向けていることから、その本気具合が伺える。一瞬目が合えば、大きな瞳が丸くなって、隣の男性の耳元で言葉を交わしていた。
(あんな純粋そうな子を悲しませないといけないなんて……)
胸の痛みを感じつつ視線をそらし、ルーチェは主催の夫妻に挨拶をしに行く。一瞬カーテシーをしそうになるが、優雅に右手を胸に引き寄せ軽くお辞儀をした。その美しさに夫人と、その後ろにいた令嬢がほぅと息を吐く。そのまま去年デビューしたという娘を紹介された。先ほどから彼女の視線はルーチェに釘付けで、頬が紅潮している。
「ライアン殿、娘の最初のダンスの相手をしてほしいのだが、どうだろうか」
「それは光栄です。よろこんで踊らせていただきます」
主催者の令嬢と踊ることは、結婚相手として見られていることを意味する。しかも、最初の相手はさらに重い。ライアンがその相手を頼まれることはよくあるが、そこから恋人となった令嬢はまだいない。
そして、一度夫妻の前を辞し、軽食をつまんだりライアンの知り合いにうまく話を合わせたていたら、ゆったりとした曲が流れ始めた。ダンスの時間だ。
ルーチェは約束をした令嬢を誘い、ダンスの輪へと入っていく。令嬢の手を取り、流れるようにステップを踏んだ。
(キラキラした微笑みと、花を散らした動き……と)
ライアンの雰囲気と動きを真似れば、誰も中身がルーチェだとは気づかない。焼けるような熱い視線を背中に受け、内心ため息をつく。
(本当にこの顔は注目を集めるわね……中身はクズだってわかってるはずなのに)
周りでダンスを見ている人たちだけでなく、踊っている令嬢たちも視線を投げかけてくる。そして、ダンスの相手は踊り始めてから一度も目を外していなかった。圧と熱がすごい。
「ライアン様、貴方様と踊れるなんて夢のようです」
曲が中盤に入ったところで、令嬢がそう話し出した。ここでライアンなら次に遊ぶ約束を取り付けるのだろうが、ルーチェは「また夜会で会ったら、何度でも相手になるよ」と返しておいた。あとは彼女とライアンしだいだ。
一曲が終われば挨拶をして別れ、視線を送っている令嬢の中から家格や親の仕事などと照らし合わせて次の相手を決める。誰もが選ばれれば目を見開き、頬を染めてうっとりとライアンの顔を見ながら踊った。
(あら、ミア嬢は誰とも踊っていないのね……。それだけライアンに本気なのか、エスコート役のお許しが出ないのか)
ちらりとソファーに座る目的の子を盗み見ると、お皿に盛られたケーキを食べていた。自然と笑みがこぼれており、ぬいぐるみのような可愛さというのも頷ける。
(まあ、あの子は後でダンスに誘うとして……まずはこの数をさばかないと)
まだまだ視線を向けている令嬢は多く、ルーチェは気が遠くなる。ヒールでないぶん、足の疲労はましだが当分終わりそうにない。ライアンは一つの夜会で同じ人と踊ることは滅多になかったが、ダンスの頼みを断ったり、誘ってほしそうな令嬢を無視したりすることはなかった。
曰く、「僕の美しさを一人でも多くの人に感じてほしいから」だそう。それを聞いた時、ルーチェは思った。「被害を振りまくクズ」と。撒き餌にでもなるつもりなのかと、ヴェラに愚痴を言えばお腹を抱えて笑われた。
(いけない、つい思考が引っ張られたわ。今は目の前の子たちに集中しないと)
失礼になってしまうと、一緒に踊る小柄な令嬢に微笑めば、きゃっと小さく声が上がった。
その後ルーチェは休憩を挟みつつ踊り続け、やっとミアを誘えたのがダンスの時間も残りわずかという頃。デビュー前の子を最初の方で誘うと悪目立ちするため、控えたのだ。ミアの方もタイミングを計っていたのか、ルーチェのダンスの相手が一通り終わったところで輪に近づいてきた。
「一曲お願いできますか?」
指先まで神経を行きわたらせて、美しくダンスに誘う。手紙の内容からすると、相当ライアンに夢を見ているので、極力潰してあげたくない。
「は、はい」
緊張からか上ずった声の返事が聞こえ、「よろしく」と華やかな笑顔を向ければ、少女は恥じらいながら手を取った。手触りのよい手袋をしており、引き寄せると野に咲く花のような優しい香りがする。先ほどまでの令嬢たちのむせ返るような香水で鼻が麻痺しかけていたルーチェには、新鮮に感じた。
(さすが商会を持っているからか、珍しい香水も持っているのね)
そんな感想を抱きつつ、ゆったりとした曲に合わせて踊りだす。少女は場の空気に飲まれたのか、体は固くステップがぎこちない。足元に視線を落とす様子が初々しくて、頬が緩む。
「ミア嬢。夜会は初めて?」
声をかければ初めて彼女は顔を上げ、丸い深緑の瞳にルーチェを映す。
「えっと、そうではないのですが、憧れのライアン様と踊れると思うと足が震えてしまって」
鈴を転がすような可憐な声。不安げに下げられた眉尻。ミアの潤んだ瞳が足元、ルーチェ、外で見守っているエスコート役へと忙しく動いていた。その姿が辺りを警戒する小動物のようで、なんとも和んだ。
「緊張しなくていいよ、僕に任せて。ほら、可愛い顔をしているんだから、もっと笑ってほしいな」
ターンをするときも、足を気にする彼女の負担にならないようにゆっくり、優しく回す。広がるスカートが、花開いたようで美しい。
「ライアン様は、本当にお優しい方なんですね。私、私……」
胸が詰まったような苦し気な顔をする少女に、ルーチェはターンに合わせて顔を近づけ耳元で囁く。
「ミア嬢。この後、中庭のバラ園で待ってる。もっと、君のことを教えてほしい」
そして何事もなかったように体を離すと、彼女は耳まで真っ赤だった。その純粋さに、胸が痛む。
(ごめんなさいね。期待させた言い方をして……だけど、貴女にはもっとふさわしい人がいるわ)
どうかこのクズのことは忘れて、幸せにしてくれる人に巡り合ってほしい。そう願いを込め、別れの挨拶をしてダンスを終えた。少女はすぐに付き添いの男性に近づき、何かを話していた。
その後、ルーチェは話しかけてくる令息や令嬢をうまくかわし、開放されている中庭へと出る。主催の夫人が挨拶の時に中庭が自慢だと言っただけあり、足元のランタンが照らす花々は見事で、噴水が月の光を返していた。
中庭にはいい雰囲気になった男女がベンチで歓談しているが、噴水の音がいい具合に雑音を消してくれている。夫人が奥にあると言っていたバラ園に足を向けると、風に乗って香りが運ばれてきた。
「ライアン様、お待ちしておりました」
バラのアーチの前に少女は立っていた。遠くから聞こえる管弦の音色が、甘く密やかな雰囲気を醸し出す。ルーチェは静かに深呼吸をして覚悟を決めると、ゆっくりと近づいていった。