36.男装して/女装して、謝罪します
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ルーチェは朝いちばんで届いた少女からの手紙を開き、ため息をついた。髪を梳かしていたヴェラが、「ミア様は何と?」と話を促す。
「今日の午後、時間があれば話がしたいって……。きっと、昨日の王女とのことが耳に入ったのね。いつもより字が固いわ」
「それは……真実を問われるか、婚約破棄でしょうか」
「向こうから婚約破棄をしてくれるなら、ミア嬢の心の負担が減る……いえ、もう充分傷つけているわね」
何度目かのため息をつくルーチェは、昨日の夜会から帰ってからずっと沈み込んでいた。寝つきも悪く隈ができたので、先程ヴェラに念入りに化粧で隠されたほどだ。
「今日は何もご予定はありませんので、あの場所を押さえましょうか」
「えぇ、お願い」
すると、すぐにヴェラは小間使いを呼んでカフェの部屋を押さえに走らせた。
「それと、前回のようなことを防ぐために護衛をつけます」
前回とは、路地裏で襲われた事件のことだ。一歩間違えれば令嬢としての人生が危ぶまれる事態にもなるため、ルーチェは大人しく頷く。あのカフェの近くで待っていてくれるのだろう。
「護衛は分かるけど、ヴェラはどうして?」
ヴェラと二人で街に出かけることはよくあるが、護衛がいるなら必要ない気もする。
「ちょうど奥様からあの近くのお菓子屋でクッキーを買って領地に送るように頼まれたので……」
ミア嬢と行ったお菓子屋のクッキーは母のお気に入りで、わざわざ領地に送らせるということは起こっている問題が深刻で、気晴らしが欲しいのだろう。
「それに、お辛そうなお嬢様を一人で行かせたくありません」
ヴェラの声は固く、顔は見えないが心配そうな顔をしているのだろう。ルーチェはその優しさに涙が滲む。最近は常にいっぱいいっぱいで、ふとしたことで涙が溢れそうになる。
「……ありがと。本当に、今日で終わらせてくるから」
そして、小間使いが帰って来るのを待って、部屋の鍵となるカードを同封した手紙を少女に送る。今までで一番重く感じる手紙だった……。
◇◇◇
ライアンと署名された手紙を受け取ったアレンは、前にもらっていたルーチェからの手紙と見比べていた。
(ん~、文体が違い過ぎるけどやっぱ字は似てるよな)
昨日でほぼ確証を得ているが、それでも気になって比べていたのだ。部屋のカードが同封されていた手紙には、会えるのを楽しみにしていると美麗な言い回しをもって書かれていた。
(ルーチェ嬢、気に病んでないといいんだけどなぁ)
大方昨日の王女のことだと思っているのだろう。こちらの機嫌を伺う言葉が何度か出てきていた。ルーチェのことはミアにも話していないため、代筆してもらっている手紙では書けなかったのだ。
どう話せば一番ルーチェが傷つかないかを考えていると、ノックの音がしてダリスが入ってきた。広げていた手紙を片付けて机の隅に寄せる。
「アレン様、ドレスと馬車の準備もできました」
「ありがと」
「それと、今回は私も同行します。馬車からカフェまで送り迎えを致しますので、帰りは時間になればケーキ屋のところで待っております」
前回襲われたことで、警戒を強めることにしたのだ。中身はアレンなので問題ないが、外見はミアのため醜聞が立てば被害を受けるのは天使の妹になる。それだけは避けなくてはならない。隣接する仕立て屋や、二階の空き部屋で着替えるという案も出たのだが、誰かに見られる危険性があるため見送られた。
「うん、悪いけどお願い」
うまくルーチェに話せれば、今日で女装をするのも最後になるだろう。アレンは深く息を吸って気合を入れる。
「では、準備を始めますよ」
ミアに化けるには下準備から。今日も肌を整えられるところから始まるのである。
◆◇◆◇
そして昼過ぎ、二人は男装、女装しケーキ屋の上で会っていた。これで三度目であり、今回はドアに白のアネモネが描かれている。部屋の中の調度品も白が多く、全体にすっきりとしていた。暖炉の側にはソファーも置いてあり、ゆったりとくつろげる部屋だ。
だが、いつもと違いケーキも頼まず、先程から気まずい沈黙が続いている。
ルーチェは浮かない、張り詰めた表情をしている少女に視線を向けたが、すぐに俯いて何から話そうかと考えていた。
(まずは、王女様とのことよね……。それとも、男装して騙していたこと? ミア嬢が何を望んでいるのかが分からないわ。でも、私から話さないと)
その沈黙の中、アレンも顔色が晴れない彼女をちらちらと見ながら、どう切り出したものかと言いあぐねいている。
(何度見ても、兄の方にしか見えない……。けど、傷あるし、やっぱルーチェ嬢なんだよな……。どう言ったら、傷つけないだろ。まず、俺の正体から話す? 混乱するかな……。いや、男だろ、まずは誠意を見せろ!)
意を決した二人は同時に顔を上げ、口を開いて頭を下げた。
「ミア嬢、申し訳ない」
「あの、ごめんなさい」
え? と二人の口から驚きの声が漏れ、視線が合わさった。ルーチェは少女に辛い別れを言わせてはいけないと、自分が泥をかぶるつもりで話し出す。
「もう、ご存知ですよね」
声が震え、緊張のせいで声が上ずる。その声は女性的で、アレンはハッと息を飲んだ。
(もしかして、俺が気づいているって分かってる!?)
アレンは思っていることが顔に出やすいほうだと自覚している。悲痛な顔をしているルーチェを見ると責めているような気になり、コクリと申し訳なさそうに頷いた。
「はい、ほんの、偶然だったんですけど」
「やっぱり……騙した形になってしまい、申し訳ありませんでした。まだ、状況は片付いていなくて、不愉快だったでしょう……」
ルーチェは目を伏せ、苦しそうに眉根を寄せる。女性の問題を片付けてから正式に婚約を申し込むと言って、人に知られないようにずるずると恋人でいさせたのに、そこに王女との婚約話だ。令嬢にとっては泣きたくなるほどの屈辱だろう。ルーチェはそれが分かるから、はっきりと口にできなかった。これ以上、心優しい少女に傷ついてほしくない。
「いえ、貴女様が一番お辛い立場なのは分かっていますわ……。ですから、自分を責めないでください。貴女の優しさに付け込んだ私も悪いんです」
「ミア嬢が謝る必要なんてないよ! 悪いのは全部僕なんだ……。本当は、もっと早く終わらせないといけなかったのに、貴女の隣が心地よくて、切り出せなくて」
ルーチェは涙がこみ上げそうになり、唇を噛んで弱い自分の心を叱咤する。
(泣いちゃだめよ! 辛いのはミア嬢なのに、私に泣く資格なんてないわ! さぁ、言うのよ!)
目を潤ませるルーチェを見て、アレンは胸が押しつぶされそうになった。
「酷いのは私の方なんです。自分の欲に負けて、醜い下心を持って近づいて……」
彼女は全ての責任を一人で抱え込もうとしているようで、そこまで苦しめていることに罪悪感で殴られたような気がした。頭がぐらぐらして吐きそうだ。
(俺、最低だ。こんなに相手を思える優しい令嬢を泣かせて……。向こうが言う前に、言おう。そして、全力で謝ろう)
すぐに正体が明かせるように、今日はカツラを地毛に留めていない。アレンは胸元に垂れている長い栗色の髪を掴み、ルーチェは覚悟を決めた表情で短く息を吸った。
「ミア嬢、貴女と婚約すると言いながら、王女との婚約話が出てしまって、本当に申し訳ない!」
ルーチェは立ち上がり、誠心誠意頭を下げる。
「男なのに、女装して騙そうとして本当に申し訳なかった!」
アレンはカツラを勢いよく取ると、地声で叫んで頭を下げる。
突然少し低い声が聞こえて、ルーチェが反射的に顔を上げれば、少女の髪色が亜麻色から栗色にばっさりと短くなっていた。その顔は、見覚えがある。
二人はしばらく、互いを見合って固まっていた。
「……え? アレン様?」
「……え? 王女との?」
状況が何一つ飲み込めない。ルーチェはパクパクと口をただ動かし、アレンを凝視していた。
(え、ミア嬢がアレン様に!? いえ、え、何が? 違う、もともとミア嬢が男? え、もう無理)
頭は情報を処理しきれず、ルーチェは極度の緊張もあって、ふっと糸が切れたように気を失い膝から崩れ落ち床に倒れ込んだ。その衝撃でカツラが取れ、長い銀色の髪が広がる。
「ルーチェ嬢!?」
アレンは動転して椅子から立ち上がり駆け寄る。頬にかかる髪を避ければ、彼女の顔は青白く冷や汗が浮かんでおりアレンは右往左往した。
「あぁもう! どうする!? 気付け薬! 頭を打ったかもしれないから医者!? まずは、どこかで休ませないと」
アレンは暖炉の側にあるソファーに目を留めると、ヒールを脱いだ。踵が高い靴では、バランスを崩しやすい。
「ルーチェ嬢、失礼する!」
ルーチェの背中と膝裏に腕を差し入れ、頭を胸に預けさせて横抱きにする。強い揺れを与えないように慎重にソファーに寝かせ、カツラを被りなおしたアレンは給仕を呼んで気付け薬を用意してもらった。




