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34.男装せずに参加した夜会で……

 ◆◆◆


 ルーチェはライアンと共に公爵家の夜会に参加し、主催者への挨拶を終わらせると壁の花になっていた。ライアンは知り合いを見つけて話をしていた。ルーチェは常ならば広間を避け、人気の少ない中庭や控室にいることが多いのだが、今日は朝来た手紙でブルーム伯爵子息も出席すると知ったため、残っていたのだ。ぜひお時間があればお話の続きをと書かれていたので、少し期待してしまう。ミア嬢に似た雰囲気の彼の側は居心地がいい。


 壁際に置かれた一人掛けのソファーに座りながら、彼の姿を探していると入口の近くに立って辺りを見回していた。目が合い、微笑まれる。


(……可愛い)


 周りの令息たちより頭一つ分低い彼は、顔立ちもまだ少年っぽさがある。こちらに向かって歩いてきたが、途中で他の令息に声をかけられて立ち止まった。肩に腕を回されていて、仲の良さが伺える。


(知り合いの多い方なのね)


 少し怒った顔をした後、笑っているアレンを見ていると一人で隅に座っている寂しさが強くなった気がした。周りの話し声と優雅な曲に置いていかれているような気持ちになる。ぼんやりしていると給仕がお茶を勧めてくれて、ありがたくもらうことにした。手持無沙汰が紛れてちょうどいい。


(まだ、傷はちょっと痛いわね)


 白い革の二の腕まである手袋をしていて、締め付けられているので指を曲げると擦れて痛む。今日もカップは左手で持つしかなかった。

 そして彼が軽く手を振って友人と思われる令息と別れた時、高らかにファンファーレが鳴り響いた。この音は王族の入来を告げるものであり、会場に緊張が走る。


(あら、王妃殿下かしら。王子か王女という可能性もあるけど)


 王族の参加がある場合は事前に分かっていることが多いので、突然の訪問なのかもしれない。慌てた様子で主催の公爵と夫人が入口近くに迎えに出ていた。ダンスの曲が止まり、皆挨拶のために立ち止まる。ルーチェも挨拶をするべく立ち上がった。ファンファーレが鳴りやみ、張り上げた声が広間に響く。


「西の大国、ナーデル王国第二王女殿下のご入来!」


 反射的にカーテシーをしたが、ルーチェの表情は強張っていた。他の貴族たちもなぜ西の大国の姫がと不思議そうだが、ルーチェの動揺はその比ではない。


(ライアンに婚約してきた王女様じゃない!)


 ずいぶんとご執心のようで、矢のように手紙が来ているという。ルーチェは嫌な予感に血の気が引いていく。顔を上げ、目に飛び込んできた王女は、金色の艶のある髪がゆるく波打って広がり、水色の瞳には自信が映っていた。王女は公爵たちと話しており、他の貴族もおしゃべりに戻る。ルーチェもひとまずソファーに腰を下ろし、気持ちを落ちつかせるために紅茶を飲んだ。動揺を鎮めるには甘さが足りず、給仕に砂糖を追加してもらった。


(気が強そうだわ。あれは、ライアンが合わないって言うのも分かるわね)


 そして問題のライアンはと視線を会場に飛ばすと、危険性を感じたのかそっと人の影に隠れながら入口の方へと移動していた。王女が入口から離れた瞬間に逃げ出す算段なのだろう。


 見つからずに済むかとハラハラしながら見守っていたが、案の定声をかけられ胸に手を当てて挨拶をしていた。立っているだけで目立つライアンが、潜めるはずがないのだ。周りは二人に注目していて、近くにブルーム伯爵子息もいた。


(なんか変な顔してるわね……あ、こっち見た)


 前にクズ兄について愚痴をこぼしたからだろうか。驚いて戸惑っているような表情をし、視線を投げかけられたので、苦笑いを返した。だが、その表情の意味を考える前に、王女の言葉がルーチェの思考を吹き飛ばす。


「ライアン、会いたくなったから来ちゃったわ。早く私との婚約をして一緒になりましょ」


 管弦団の曲が流れていなかったこともあり、王女の声は広間中に届いた。王族の声はよく響くとルーチェは現実逃避したが、そんな場合ではない。一拍後、広間は蜂の巣をつついたように騒めきが上がった。カップを口元に運んだまま固まっていたルーチェは、大変なことになったとカップをサイドテーブルに置く。あの婚約は内々に申し込まれたもので、表に出ないように断るつもりだったのだ。それが、社交界に周知されれば一段と断るのが難しくなる。


 ライアンもそれが分かっているので、顔を引きつらせていた。


「わざわざ会いに来てくれたことは嬉しいのですが、今私は婚約を考えられるような状態ではないのです。申し訳ありませんが、また改めて返事をいたしますので、ご容赦をいただきますよう」


 そして深々と礼を取ってその場から去ろうとしたが、王女に腕を絡められ引き留められる。


「あらつれない。この私が婚約を申し込んでいるのよ? 喜んで受けるのが筋というものでしょう」


 ライアンに密着していることで、ご令嬢たちから鋭い視線を浴びているが王女はどこ吹く風。広間中の貴族が固唾を飲んで成り行きを見守っていた。ライアンは眉をピクリと動かし、目を細めている。頬がひくひくと動いていた。


(大変だわ、癇癪を起す一歩手前!)


 普通ならもう怒鳴っているのだが、王女の手前無理やり抑え込んでいるのだろう。すぐにどこかへ連れて行かないと爆発してしまう。


「ねぇライアン、私がオルコット家に嫁げば家格も上がるわ。貴方がよければ、こちらの国に来てもいいのよ? 贅沢ができるし、おいしい物も多いわ。欲しいものは何でも買ってあげる」

「……王女様、続きはオルコット家の当主を交えた場で」


 ライアンは正直な答えを言うわけにもいかず、この場はうやむやにするしかない。ルーチェは立ち上がりしずしずと二人に近づいていく。王女に話しかけるのは恐ろしいが、ライアンが暴言の一つでも吐けば国家間の問題になりかねない。


 その間にも王女は一方的に、自分と結婚した時の有用性を話している。場の空気はどんどん悪くなっていた。


(割って入って、無理やりにでもライアンを連れ出すしかないわ)


 ぺらぺらと口が回るライアンが先ほどから押し黙っているのも、限界が近い証拠だ。そして人の輪をかき分け、二人の前に出た。勇気を出して声をかける。


「第二王女殿下」

「王女殿下!」


 だが、ルーチェの声はさらに大きく張り上げた声にかき消された。凛と通った女性の声に、全員の視線がドアの方へと向けられる。赤い髪を一つにくくり、長身の彼女はよく目を引いた。


「王女殿下、王宮で王妃殿下がお呼びでございます」


 カミラ近衛騎士であり、馬を駆けて来たようで髪は少し乱れ、乗馬用の手袋もつけたままにしている。


「あら、薔薇騎士じゃない。今ここに来たばかりなんだから、後で行くわ」


 お邪魔と言いたそうに邪険な顔をした王女はライアンの腕を離さない。その傲慢な態度から、ライアンに匹敵する我儘さが覗いている。


「お言葉ですが、そこの男は顔はよいですが様々な令嬢と浮名を流しています。王女殿下の婚約者としてはふさわしくないかと」


(さすがカミラ様、かっこいい!)


 はっきりと物を言うカミラにルーチェは胸のすく思いになる。


「そんなこと知っているわ。でも、私が一番になるもの」


 まっすぐと力強い目でカミラを見返している王女は、そうなると微塵も疑っていないようだった。


(すごい自信……そりゃ、ライアンとは合わないわよ)


 自己主張が激しい者同士が一緒にいても不和にしかならないのに、なぜ王女はライアン相手に不愉快にならないのか不思議でしょうがない。


 そこに、カミラの介入で少し落ち着きを取り戻したライアンが、王女の頬に手を添えて自分の方を向かせた。女たらしのスイッチが入っている。


「殿下、僕の一番になりたいのでしたら、思慮深く気品のある淑女でいてください。王妃殿下のお声がかかることは大変名誉なこと、淑女であればすぐに向かわれるべきかと」


 間近で本気の輝かしい笑顔を浴びた王女は、ぼんっと顔を赤くし、ついっと顔を逸らした。


「そ、そうね。私は淑女だもの。いいことライアン。私から逃げられると思わないで」


(王女様、ちょっと流されすぎじゃない? というかライアン、そんな感じで王女様に接したから、勘違いさせたんじゃないの!?)


 ライアンは一方的に言い寄られて困っているような感じで言っていたが、絶対にライアンにも原因がある。今までだってそうだったのだ。


 そして王女はカミラに付き添われ、広間を後にした。去り際にカミラと目が合い、すっと目でドアを示された。今のうちに帰れということだろう。ライアンが逃げ時を見過ごすはずもなく、王女が出ると同時に騒がせたことを一言詫び、丁寧に礼を取って出ていく。ルーチェもそれに倣ってカーテシーをして、ライアンの後を追った。


 出ていくときにドアの近くにいたブルーム伯爵子息と目が合い、何か言いたげな様子だったのが気になるが、ルーチェにあの場に残る選択肢はなかった。残れば根掘り葉掘り聞かれ、暇つぶしの餌食にされただろう。帰りの馬車は同じなので、早歩きでライアンに追いつけば、苛立った顔をしていた。


「僕はしばらく社交界には出ない。後はよろしく」


 つまり、自分の代わりに男装して出ろという意味なのだが、ルーチェはいつもなら内心クズ呼ばわりしながら頷くところを、何も返さなかった。


「さすがに対処できる問題じゃないわ。領地のこともあるし、お父様たちに相談して残りは欠席することしましょ」


 ルーチェも好奇に目を輝かせた人たちの中に行きたくない。そして、馬車に乗り込んだ二人は一言も言葉を交わすことなく、両親不在の屋敷へと戻るのだった。


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