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32.男装して/女装して、危機を切り抜けます

「ミア嬢!」

「ラ、ライアン様!」


 アレンは引っ張られる髪を帽子の上から押さえつけ、男に引っ張られるのに抵抗していた。地毛を挟むように止めているカツラが引っ張られ、激痛に涙が滲む。


(痛い痛い! 髪が千切れる! カツラが脱げる! これ取れたら俺の髪も死ぬし、女装がバレて俺も死ぬ!)


 アレンは男たちから逃げた後、馬車が見えるところまで走ったのだが、男なのに逃げるなんてと取って返したのだ。何より、彼があそこで捕まったり怪我をしたりすれば寝覚めが悪い。アレンも剣術の覚えがあるため、苦戦しているようなら助けに入ろうと思ったのだ。


 建物の影から入る隙を伺っていたが、女たらしは俊敏な動きで男たちを翻弄しており、長年の修練が見える戦いに見惚れてしまっていた。顔がいいと剣も美しく見える。そのため、見入っていたアレンは背後から近づくもう一人の男に気が付かず、髪を引っ張られて悲鳴を上げたのだった。カツラが取れなかったのが奇跡だ。


「その子から手を放せ! 関係ないだろ!」

「俺たちからすれば、金になれば何でもいいんだよ」


 三人目の男は剣を持っていなかったが、汚らわしい手が少女を掴んでいると考えただけで、ルーチェの血は沸き立つようだった。


(手が痺れて剣が握れないし、この距離では届かない)


 瞬時に状況を判断し、辺りに視線を飛ばして走り出した。


「ちょっと、放しなさいよ!」

「このガキが、動くな!」


 少女は男から逃げ出そうと身をよじって抵抗していて、男の意識がルーチェから逸れる。その隙にルーチェは剣を手放し、家の壁に立てかけられていたブラシを手に取って、痺れる手を補うために両手で握り込んだ。ルーチェはどんな状況でも生き延びることを教え込まれたため、槍の扱い方も知っている。


 ブラシの持ち手の先を男に向け上段に構えると、走る勢いを全て棒の先に乗せ、足音に顔を上げた男の眉間を突いた。脳震盪を起こした男は白目を剥いて仰向けに倒れる。


「ミア嬢、無事!?」


 ルーチェは帽子を押さえて身を小さくしている少女を掻き抱く。すぐに体を離して顔を覗きこめば、目には涙が溜まっていた。それがどれだけ怖がらせ、痛い思いをさせていたかを物語っており、ルーチェの胸が握りつぶされたように痛む。


「大丈夫、ですわ」


 それなのに、気丈にふるまおうとするのでルーチェはますます苦しくなる。対するアレンは顔もよくて剣の腕も立つとかどういうことと、ちろりと嫉妬の炎が燃やしながら相手に気付かれない程度に帽子の上からカツラの位置を整えた。なんとかカツラは守れたが、引っ張られた頭皮が痛んでおり、髪の毛も抜けている気がする。


(禿げて、ないよな……)


 別の意味でカツラが必要になると青ざめていたら、視界に赤いものが映って目を見開いた。


「血! 怪我をしたんですか!?」


 利き腕の、右手人差し指から血が流れ出ていて、石畳の上に落ちていた。


「大丈夫だよ。傷も浅いからすぐにくっつく」

「駄目ですわ! ライアン様の綺麗な指に傷が残るかもしれないじゃないですか!」


 アレンは慌ててスカートのポケットからハンカチーフを取り出し、血が出ている指を包んで握りしめた。アレンも剣術の稽古で何度か怪我をしたことがあり、応急処置はお手の物だ。血を止めることに集中していたアレンの上から、思いつめたような声が降ってくる。


「ミア嬢……。ごめんね、また君を危険な目に遭わせてしまった。これで分かったでしょ? 僕では君を幸せにはしてあげられない。だから」

「言わせませんわ」


 キッと睨み上げて固く強い意志を持った声をアレンは遮る。それは、この後の復讐劇をするための打算でも、女たらしを苦しめるための私怨でもない、その言葉への反射的な気持ちからだった。


「殿方なら、投げ出さずに守るとおっしゃってくださいな」


 それは、自分がなりたいと思う理想。そこに、彼を繋ぎとめる言葉を続ける。


「私はとうに覚悟はできています。ですから、どうか私の手を離さないでください」


 指の細い綺麗な手を包み込むように両手で握り、真剣な目を向けた。そのような目を向けられれば、ルーチェは続けて別れを切り出すつもりだった言葉を飲み込まざるを得なかった。か弱く、守らないといけないように見えるのに、芯が強い。後戻りができそうにないほど、彼女の人間性に引かれていた。ルーチェの顔が泣きそうにくしゃりと歪む。


「ごめんね、ミア嬢……。ごめん」


 ライアンだと偽って騙している罪。彼女を危険に巻き込んだ罪。そして、彼女の優しさに許されたいと思っている罪。数えればきりがない。謝罪の言葉しか出てこなくて、苦く吐き出したくなる思いをぐっと喉元で止める。身を屈めて、痛む指を握ってくれている彼女の手の甲に唇を落とした。


「必ず、この償いはするから」


 もう、ルーチェが謝れば済む話ではない。ライアンと両親に正直に話して、家として誠意をもって解決に当たるしかないと思った。その結果、ルーチェ自身にも罰が与えられるだろうが、それでも償いきれないほど彼女を傷つけてしまうだろう。


「ライアン様、顔を上げてください。苦しい時は、甘い物を食べるといいんですよ。だから、今度一緒にケーキを食べましょ。それで……」


 アレンはその先を続けることなく、ニコリと笑った。


(地獄に突き落としてやる。こいつは髪だけじゃなく、手の甲にもキスしやがって……手慣れた女たらしにふさわしい罰を与えてやるよ!)


 一瞬でアレンの気持ちは怒りに傾いており、微笑を張り付けたまま手を静かに引いた。そして馬車まで付き添われ、申し訳なさそうな表情で見送られたアレンは、一人になってやっと安堵から肺の空気を全て吐き出したのだった。いつのまにか、無事だったクッキーの箱を手渡されていた。

 馬車が路地を抜けていくのを見送ったルーチェは、指に巻き付けられたハンカチーフに目を落とす。


(嘘つきな私は、地獄行きね)


 自嘲の笑みを浮かべると、ルーチェはその足で警備兵を呼び、男たちを捕えてもらった。目を覚ました男たちが叫んでいた内容から推測するに、以前ライアンの情報を元に摘発した武器の密売人たちだったらしい。これで残党狩りが進むと礼を言われたが、ルーチェの気は微塵も晴れない。


 日が傾く中、ルーチェは重い足取りで家へと戻るのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] かつらもだけど、アレンの声が地声になってたりルーチェの口調が女っぽくなってそう 無事でようございました
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