31.男装して/女装して、秘密を死守します
◇◆◇◆
おいしいケーキを食べてお腹がいっぱいになった二人は、名残惜しそうに相手を見つめてから席を立った。ルーチェは居心地のよい友達と別れるような寂しさから、アレンは綺麗な顔をいつまででも見ていたいという鑑賞欲からと違いはあるが……。
ルーチェは前に自分が贈った帽子を少女に被せ、エスコートをして赤薔薇と白百合の部屋を後にする。今度は階段を踏み外さないように、ゆっくりと慎重に二人とも降りて行った。そして、左右の扉に分かれるところで、アレンは腕を絡めて上目遣いで見上げる。
「あの、ライアン様。近くのお菓子屋でクッキーを買いたいのですが、おすすめはありますか?」
「あるけど……一人で行くの?」
腕にしがみついて来た可愛い少女を見下ろし、ルーチェは足を止めた。この近くには母親が贔屓にしているお菓子の店があるが、令嬢が従者もつけずに行くのは危ない。
「そのつもりですが……」
危機意識のない彼女に令嬢たるものを説きたくなるが思いとどまり、頭の中で天秤にかける。
(あの店のクッキーは甘くてミア嬢の好みだけど、他の令嬢も御用達だから見られる危険性があるわ……)
少女の笑顔と自分の保身。ぐらぐらと揺れるルーチェだが、じぃっと期待する瞳を向けられれば断ることはできない。
(まぁ、ミア嬢さえ見られなければ、何とでも言い訳は立つわね)
ルーチェは仕方がないなぁと少女に甘い自分に苦笑を浮かべ、一緒にケーキ屋の扉をくぐったのだった。
そうして二人は春の陽気に包まれ歩いていく。深く帽子を被らされあまり前が見えない状態で歩いているアレンは、表情が見られないのをいいことにニィっと口角を上げた。
(よし、うまくいった。この辺りは貴族が多いから、誰かの目には入るだろ。これで、女たらしに婚約を考えた令嬢がいるって噂に信ぴょう性が増すな)
アレンは笑いを堪えるのに必死だ。自分がお菓子を見に行きたいと言えば、付き添うと言ってくることは織り込み済みだった。これもフレッドの入れ知恵であり、味方になったら心強い。人の話し声が聞こえ、何人かとすれ違った。馬車も通っている。
しばらく歩くと、甘い匂いが漂い始め、隣の足が止まった。
「ここだよ。僕はここにいるから、買っておいで」
そう言われて顔を上げれば、おしゃれな外観の店だった。店内にはイブニングドレス姿の令嬢が何人かおり、アレンはよしよしと小さく頷いて中に入る。さすがに一緒には入れなかったが、ここまで来てくれただけでも十分噂にはなるだろう。
(いや~、俺って本当に悪女の才能があるわ~。ご褒美においしいクッキーを買って帰ろ)
アレンは鼻歌を歌いたいぐらい上機嫌であり、顔を見られないように気を付けながら一番人気と書かれたクッキーを買う。そしてクッキーが入った箱を抱えるように持って外に出れば、近づいて来た女たらしにすっと荷物を持たれエスコートされる。
「馬車はどこに?」
その問いかけにアレンは指をさして答えた。さすがに往来で声を出すと、正体に気付かれる危険性があるからだ。アレンが示した方角で、だいたいの位置が分かったのか、彼は迷いのない足取りでそちらに向かいだした。
「この辺りで人目につきにくい場所は限られているからね……。だけど、そこまでだって本当は一人で行っては行けないんだよ? 次からは時間を決めるから、馬車に店の前まで来てもらって」
そう言ったルーチェの顔は心配から固い表情になっていた。前は少女が階段から落ちそうになった後すぐに出て行ったので気が回らなかったが、少女は少し離れたところに停めていた馬車まで一人で行ったのだろう。今思えば何もなくてよかったが、ヒヤリとする。
少女が頷き、何度かつばが広い帽子が揺れた。そして、賑わう道から外れ、路地に入ると少女の指さしに従いながら歩く。この国で最も人が多い王都といえども、大通りから一つ入れば静寂に包まれる。人々の生活の匂いを感じる路を進んでいると、ルーチェはピリッと嫌なものを感じた。同時に感じたアレンも、当たりの気配を探る。
剣術を習う時に、身に覚えさせられた殺気の感覚である。
「何かあったら、すぐ逃げて」
進む先には少し開けたところがあり、馬車はそこから路地を抜けた先だった。そこは真ん中に水汲み場があり、四方に路地が伸びている。そして足を踏み入れた瞬間、脇の路地から二人の男が出てきた。
「これはこれは、ライアン・オルコット伯爵令息ではありませんか。今日もまた女遊びですかい? 一人くらい分けてくれやしませんか」
向かって左の男は品のない笑みを浮かべ、少女を嘗め回すように上から下まで見た。もう一人より身なりがよい。
(ライアンと分かって出てきたってことは、物取りじゃないわね。今度はどこで恨みを買ったのよ!)
ルーチェは少女を引き寄せ、じりじりと馬車がある奥へと進む。せめて彼女だけでも逃がしてやりたい。男たちは全員帯剣しており、ルーチェが持っているのは懐の護身用ナイフのみ。剣相手に下手にナイフを出せば、逆上させてこちらの身が危険に晒されかねない。
「お前たち何者だ。僕に何か恨みでも?」
男たちは顔を見合わせニタニタと笑っている。
「お前があの令嬢から得た情報を売ったせいで、商売にならなくなったもんでね。その見目麗しい顔を欲しいって奴は外国にもたくさんいるんだ。損失はその身で贖ってもらおうか!」
右の男は言い放つと同時に剣を抜き、隣の男もそれに続く。
「走って!」
ルーチェは少女の手を放して背中を押すと、丸腰のルーチェを剣で脅して取り囲もうとしている男たちに向き直った。視界の端で少女が路地へと走っていくのを見届け、クッキーの箱が潰れないように井戸の淵に置いてから構えた。武器を持たずに抵抗しようとするルーチェを彼らは鼻で笑う。じわじわと距離が縮まり、右の男が面白半分で剣を突き出したところを、ルーチェは切っ先を避け伸ばされた腕を掴んで捻り上げた。
「ぎゃぁっ!」
油断していた男は短い悲鳴を上げて剣を持つ腕を緩め、落ちかけたそれを奪ったルーチェが柄を鳩尾に叩き込んだ。男は声も出さずに失神してその場に膝をついて倒れる。一瞬、もう一人の男は何があったか分からず固まっていたが、すぐにルーチェめがけて剣を振り下ろした。それを受け流したルーチェは、後ろに飛びずさったが底を上げた靴では足に力が入らず距離が取れなかった。男が突き出した切っ先が剣を握る指をかすめる。
幸い人差し指の付け根を切っただけだが、血が流れジンジンと痛んだ。
「この野郎!」
激高した男が切りかかってくるが、護身術と剣術の身のこなしを使いながら避けていく。並みの令嬢より力はあるが、男の本気の一撃を受ければ手の痺れは免れない。だからルーチェは徹底的に避けることを叩きこまれていた。男の猛撃を難なく交わしていく……が。
(大変! 激しく動くとカツラが取れるわ!)
ルーチェの不安は男たちではない。速く動いているため、カツラが先程から少しずつ動いている気がする。ルーチェは付けやすさ重視で、まとめた髪を中に入れ被っているだけだった。脱げれば一大事だ。
(カツラが落ちる前に、この男を落とさなくちゃ!)
狙うは鳩尾か側頭部。ルーチェは鬼気迫る表情で男の攻撃をかいくぐり、振り払われた剣戟を飛んで避けると、先程倒した男の側で屈んだ。剣を振りかざした男が走ってくるのを確認すると、倒れている男の腰ベルトから鞘を抜き取り踏み込んだ。身を低くしたまま右手の剣を顔の前で横に寝かせ、男の剣を受ける。衝撃が肩に抜け、傷口が痛み手が痺れた。剣を落としそうになるのをなんとか耐え、怒りに目をぎらつかせている男の側頭部に鞘を叩きこんだ。
「ぐっ……」
視野が狭くなっていた男は避けられず、低くうめいて崩れ落ちた。ルーチェが気絶した二人を見下ろしカツラを直して息を吐いた。
「きゃぁぁぁぁ!」
悲鳴が聞こえ反射的に顔を上げたルーチェの目に飛び込んできたのは、男と髪を掴まれた少女だった。




