30.男装して別れを/女装して復讐劇への誘いを、切り出します
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ライアンに扮したルーチェと、ミアに扮したアレンが会ったのは、最初の時と同じケーキ屋の二階だった。今回アレンに送られてきたカードには、赤薔薇と白百合が交差して描かれており、同じドアをくぐった部屋の内装は以前の部屋より可愛らしかった。窓辺にウサギとクマのぬいぐるみが置かれていたり、テーブルクロスや椅子のクッションにさりげなくレースがつけられていたりと、アレンはミアの部屋を思い起こす。
(ミアが喜びそうな部屋だな……ケーキもおいしいし、連れてきてもいいかも)
この場所がフレッドの言うような危ない場所ではないと、ダリスから教えられたため今日のアレンは警戒を解いていた。前回二日酔いであまりケーキを食べられなかった分、ワクワクした気持ちでメニューを見ている。
その様子を四角いテーブルの右手に座るルーチェは、長い足を組み頬杖をつきながら眺めていた。いつもより距離が近く、横顔が見られるのも嬉しい。
(可愛い部屋に可愛いミア嬢……最高ね)
黄緑色のドレスには胸元に大きなリボンがついており、ふわりと膨らんだスカートはフリルがふんだんに使われていた。緑色の大きな目が何を食べようかと手に持つメニューの上を忙しなく動いていて、あるもの全部お食べと甘やかしたくなる。
「ミア嬢、今日はこの前のお詫びを兼ねているから、何でも食べていいよ。可愛い女の子がおいしそうに食べてくれると、僕も癒されるから」
ここ最近ライアン関係で疲弊し、心の栄養分が足りないルーチェの本音だった。思わず柔らかい笑みが零れる。その言葉にメニューから顔を上げたアレンは、目に飛び込んできた光あふれる笑顔に心臓が飛び出そうになった。天使の微笑が固まり、メニューを持つ指先に力が入る。
(距離が近い! 落ち着け俺の心臓! 顔が好み過ぎるからって誤作動を起こすんじゃない。そうだ、ルーチェ嬢に置きかえ、さらに大好きだわ!)
視線を受け止め切れず、赤らむ顔を下に落とした。この赤面はほとんど羞恥心だ。好きな顔に振り回される面食いな自分が恥ずかしいが、やめようと思ってやめられるものではないのが面食いだ。
「ライアン様は、そういうことを他のご令嬢にもおっしゃっているのでしょう?」
なんだか負けているような気がしたので、ここはフレッドの入れ知恵、焼きもち焼く天使を使う。こういう時のために、女たらしの対策をしておいてよかった。
「まさか。ミア嬢にだけだよ」
(はいはい。そんなわけがあるかよ)
自分のペースに戻せたアレンは、おすすめだと言われたケーキを含めた三つを頼む。もう、壁から出てくる侍女にも驚かない。そして、ケーキとお茶が揃い、アレンが名物のパイナップルパイを食べ終わったところで、本題を切り出した。
「あの、ライアン様。この間一緒にケーキを食べたブランドを覚えていらっしゃいますか?」
「うん、覚えているよ。それがどうかしたの?」
「はい。実はあれから改良したものをまた召し上がってもらいたいんです。パティシエも前に食べてもらった方のほうがよいらしくて」
これは半分本当で半分嘘だ。パティシエとしては同じ人にも食べてもらいたいが、より多くの意見をということで多数の令嬢も呼んでいる。だが、二人の関係を内密にしている以上、人が集まる場所には来ないと踏んだので、その情報は伏せる。
アレンは天使のお願いを再現し、じっと女たらしを見つめていた。これで兄が落ちないはずがないのだ。
「もちろ……ん、ミア嬢の頼みとあれば断れないよ」
潤んだ愛くるしい目の効果はてき面で、ルーチェは反射的に返事を口にしてから失言に気付く。
(しまったわ! 次の約束をしてしまったじゃない! これから別れ話を切り出すつもりだったのに……)
今日のために念入りに言葉を考えて、脳内で何度も繰り返したのだ。それがキュンと来る可愛さの前に一瞬で崩れた。頭を抱えたいぐらい動揺しているが、ルーチェは鍛えた演技力でおくびにも出さない。
「嬉しいですわ! 今後、ライアン様がブルーム家の事業に携わることもあるでしょうから、少しずつ知ってほしいんです」
アレンはぱっと明るい笑顔を見せ、将来をちらつかせることで本気だぞと圧力をかける。実際、ミアがどこかに嫁ぐことになれば、いくつか商会を持参金と共に持っていくことになるので、嘘でもない。
その圧力はルーチェにしっかり効いており、幸せな将来を夢見ている少女に胸がナイフで刺されたように痛んだ。
(ごめんなさい。ごめんなさいミア嬢……。やっぱりここで終わらせるべき? もう、遅すぎるほどだわ。あぁ、なのに、なんで言葉が出てこないの?)
答えを出したくないルーチェは、いつもその一歩が踏み出せない。今までライアンの代わりに令嬢たちを振った時は、すらすらと思ってもいない言葉が出たのに。その悲痛な思いが顔に出てしまう。
「ライアン様、どうかされたのですか?」
自分勝手と優柔不断さで純粋な少女に叶わぬ夢を見させているのに、彼女は心配そうに顔を傾ける。それがますます申し訳なくて、今すぐ跪いて赦しを乞いたくなると同時に、愛しさがこみ上げた。
「ミア嬢の真心が美しいから、自分の浅はかさが呪わしくなったんだよ」
引き寄せられるように、その美しい亜麻色の髪に手を伸ばし一房すくい上げる。
「僕は貴女の永遠なる幸せを心の底から願う」
その柔らかく艶のある髪に口づけを落とした。親愛を意味するものであり、まるで舞台のクライマックスのような美しさがあった。一拍後、高い金属音がし、顔を上げると少女は目を見開いて顔を真っ赤にしている。
アレンの手は宙で止まっており、その手からフォークがお皿の上に落ちていた。
(カツラ! バレてないよな! てか急に髪にキスとかどういうこと!? 引っ張られたら脱げるんだけど!)
乙女からすれば破壊力抜群の行動に対する衝撃よりも、カツラの心配が先に来た。一応地毛に留めてはいるが、強い力で引っ張られれば一巻の終わりだ。
「は、恥ずかしいので、急にしないでくださいませ」
「なら、事前に言えばいいの?」
「もう、からかわないでくださいな!」
アレンは動揺と恥ずかしさを紛らわすために、落ちたフォークを手に取りケーキを食べ進める。チーズケーキとクリームが山のように盛られた丸いケーキを完食し、アレンは先ほどのことはなかったようにとりとめのない話をした。それにルーチェは必ず次で最後にすると、何度目かの決意をしながら耳を傾けるのだった。




