23.男装せずに、薔薇騎士とお茶をします
夜会から二日後、ルーチェはカミラに招かれて、ヘルハンズ侯爵家に来ていた。母に行き先を伝えれば「どこで接点があったの」と不思議そうな顔をされたが、屋敷に籠っているよりはいいと嬉しそうにヴェラに質の良いイブニングドレスを出すように頼んでいた。用意されたドレスは空色の生地にチュールが重なり、腰には青い花のコサージュがついた上質のものだ。
ヘルハンズ侯爵家は騎士の家系ということもあり、通されたサロンにも剣や防具が飾ってある。出迎えてくれたカミラは騎士服を着ており、カーテシーをしたルーチェの手を取ってエスコートした。丸テーブルにはお茶の用意がされており、向かい合って座る。
「今日は来てくれてありがとう。改めて本物を見ると、奥ゆかしい美しさだな」
「そんな……恥ずかしいですわ」
褒められることに慣れていないのと、男装姿を見られているのとで恥ずかしさが増す。
「こちらこそ、お招きくださりありがとうございます。とても光栄ですわ」
ルーチェが招かれた礼を述べている間にも、侍女たちが丸テーブルとサイドテーブルに、様々な焼き菓子やケーキ、果物を置いていく。二人の茶会にしては量も種類も多い。
手に取った茶器も侯爵家の紋が入った細工の凝ったもので、立ち上る紅茶の香りから最上級のものであることが分かる。私用の気軽なお茶会で使われるようなものではない。
なんだか場違いな感じがして、ルーチェは焼き菓子をつまんでいるカミラに恐る恐る尋ねた。
「あの……。私は、こういう経験が少ないのですが、侯爵家ではこのようにもてなされるのでしょうか」
カミラはルーチェの言わんとすることが分かったようで、「あぁ……」と言葉を濁すと、照れくさそうに苦笑いをした。
「それが、今まで非番は剣の修練ばかりしていた私が茶会をすると言ったものだから、使用人たちが大喜びで準備をしたんだ」
「そ、そうなんですね……。ありがとうございます」
それで先ほどから給仕をしてくれる使用人たちの視線が温かいのかと、ルーチェは納得した。身に余る歓待に恐縮するルーチェを見て、カミラが「もういいだろう」と気心の知れた使用人たちを追い払えば、茶を淹れる侍女を残して笑顔で出て行った。
「とても慕われているのですね」
「ありがたいが、時々おせっかいが過ぎる。今日なんか、お茶会なのだからとドレスを着せようとしたんだぞ。あんなに動きにくいもの誰が着るか」
男装をして男服の自由さを知っているルーチェは、小さく笑った。令嬢でも乗馬服はズボンだが、日常生活で着るわけにはいかないのだ。
「ですが、カミラ様はドレスを着てもお美しいと思いますわ。見てみたいものです」
「やめてくれ……。王妃殿下が夜会の度に、余興で私にドレスを着せようとして、毎回逃げるのも大変なんだぞ」
常に騎士服で凛々しい顔をして王妃の隣に立っている裏で、そのような攻防があると知りルーチェはクスクスと笑った。話せば話すほどカミラは気さくで、ルーチェの緊張も解けていく。そして、カミラは渋い顔でお茶を一口飲むと、真面目な顔で視線をルーチェに向けた。
「そういえば、あの夜会からライアン殿の噂が流れているが問題はないのか?」
それは、ライアン・オルコットに婚約を考えている令嬢がいるらしい。夜会の日、ひっそりと庭園で会っていたらしいという噂で、耳に入っていたルーチェは顔色を曇らせる。相手の令嬢については情報がなく、ライアンとルーチェ、どちらを元にした噂なのか判断ができないのだ。
「えぇ……。婚約はともかく、本物のライアンもあの日裏庭でどこかのご令嬢と一緒だったみたいで、本人は全く気にしていませんでした」
「あの女たらしは、また新しい令嬢がいるのか」
「はい……、田舎から出てきたご令嬢だそうです」
ルーチェはあの夜会から戻ってすぐに、ライアンに裏庭で会っていた令嬢について尋ねていた。ライアンは見られていたことに驚いていたが、すんなりと初めて会った令嬢だと教えてくれたのだ。なんでも、西の大国に近い領地らしく、なかなか王都に足を運べなかったらしい。王宮を珍しがる彼女を案内していたそうだ。
考えると頭が痛くなってくる。
「それで、ブルーム伯爵令嬢とは?」
カミラは事情を知っているため、気にかけていてくれたのだろう。今日の茶会もその話をするためだと理解しているルーチェは、正直に答えた。
「変わらずです……。次の日の朝に手紙が来て、驚いて逃げたことを謝罪されました。一週間ほど領地に戻るそうで、帰ってきたら会って婚約を解消しようと思っています」
カミラはその解答に満足そうに頷くと、足を組むと紅茶に口を付ける。
「そうか、進めようとしているようで安心した。ルーチェ殿が演じるライアンは、なかなか刺激が強そうだから、うら若い少女には毒だと思ってな。抜けられなくなる前に切ってあげたほうがいい」
「毒、ですか?」
「あぁ、私も仕事柄令嬢相手に男のふるまいをすることがあるから分かるのだが、無意識に女心に添った行動ができるのだよ。そのせいで、何人かご令嬢に道を踏み外させそうになった。不甲斐ないことだ」
ルーチェの脳裏には顔を赤らめ、恥ずかしがる少女の顔が浮かんだ。あれはライアンの顔でふるまっているからだと思っていたが、たしかに言動の基準は自分がされたら嬉しいことだった。取り返しのつかないことをしていないだろうかと、不安になる。
「……気を付けますわ。ご忠告ありがとうございます」
ルーチェは思案顔のまま、茶色いケーキを口に入れた。栗の蜜漬けが入っており程よい甘さである。カミラは紅茶のケーキにフォークを入れると、「しかし」と呟いた。
「ブルームは惜しいな。あの家のワインセラーは見事なんだ。ワイン好きとしては、一度お目にかかりたい」
もちろん見るだけが目的ではない。ルーチェは先日ワインをおいしそうに飲み、軽々二本を開けたカミラの姿を思い出し、微笑みを浮かべた。
「父とライアンからも、そのお話は聞いたことがありますわ。もうすぐワインセラーを増設されるとか」
「羨ましいことだ。うちは酒飲みが多いから、すぐに無くなってしまう。あぁ、そういえば、昔ライアン殿と飲んで話をしたこともあったか。夜会の酒が無くなると主催者に泣きつかれたな」
初めて聞いた話に、ルーチェは目を丸くする。ライアンはお酒に強い方だが、酒豪と名高いカミラに付き合えるほどだとは思っていなかった。カミラは懐かしそうに目を細めている。
「ライアン殿が社交デビューしてすぐくらいだったかな。思えば、あれが初対面だったかもしれん。それからも度々夜会で一緒になって……あぁ、一曲相手をしたこともあったか」
「意外ですわ。カミラ様は王妃殿下の護衛をされていて、ご令嬢として夜会にはいらっしゃらないイメージでしたから」
ドレス姿のカミラとライアンのダンスはさぞ映えただろうと、ルーチェが思っているとカミラは乾いた笑みを浮かべて首を横に振った。
「いや、私は近衛騎士として参加していたとも。にもかかわらず、あの男は私にダンスを申し込んだのだ。王妃の護衛任務をしている私にだぞ?」
「それは……大変失礼なことを」
「しかも王妃殿下が面白がって、ダンスを受けろとおっしゃるから、騎士服で踊ることになったんだ……。恥ずかしくてたまらなかった」
王妃の命令は絶対だ。ライアンとカミラが踊る様はとても美しく、しばらく社交界を賑わせたのだが、屋敷に籠っていたルーチェの耳には届いていなかった。
「それはそれで、見たかったですわね。また、踊ってくださいますか?」
「断る。令嬢扱いは慣れない」
「あら、残念です」
その後話は剣の鍛錬やサロンの防具へと移り、楽しい話とおいしいケーキとお菓子を堪能したルーチェは、進展があれば報告すると約束をしてヘルハンズ侯爵家を後にしたのだった。




