17.男装の原因を問い詰めます
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「ライアン、説明してもらおうかしら?」
ルーチェは劇場から少女を送り届けて屋敷に帰ると、着替える間も惜しいとカツラだけ取ってライアンの部屋に突入した。
「あ、おかえり。やっぱり何かあった?」
ライアンは熱が出ている様子もなく、寝椅子に横になりながら女の子たちからの恋文を読んでいた。可愛い便箋を掴んだ手を振るライアンは、怒りを露わにしているルーチェを見ても悪びれることなく問いかける。その態度から、分かっていて頼んだことは明らかであり、ルーチェは怒り心頭する。
「何かあったじゃないわよ! 劇場にあんたの妻だってわめく令嬢がいたわ。何よあれ!」
本当は一緒にいたミア嬢を怯えさせたことが一番の怒りなのだが、それを口にするわけにはいかないので、直前で飲みこんだ。ライアンは「怖~」と嫌そうな顔をしながら、手紙をサイドテーブルに置いた。頭の下で指を組み枕にし、ルーチェに視線を向けることなく話し出す。
「その子、ちょっと前の夜会で会ってさ、僕にべた惚れだったから観劇でも一緒に行こうって約束したんだよ。頭の中お花畑な感じが可愛くて、深みにはまらせるのも面白いかなって」
ライアンは宙に視線を飛ばしたまま、うんざりした声音で続ける。
「けど、その日から一日に10通くらい手紙が来てさ。しかも徐々に妄想が入っていって、結婚したらとか、花嫁衣装はとか……怖すぎて観劇の予定は断ったんだ。なのに、次の手紙でお待ちしてますとか言うからさ、僕も席を融通してもらった手前空席にするわけにもいかなかったし。だから、ルーに頼んだってわけ」
嫌になるよね、と自分が被害者のように話すライアンに、ルーチェは空いた口が塞がらない。実際に向けられたあの令嬢の狂気は、怖いなんていう一言で済まされるものではなかった。まして、か弱いミア嬢が受けたショックを考えると、ルーチェは崖下に突き落とされたような心地になるのだ。怒りから手は震えていた。
「なんで、そんな無責任なことができるの?」
淡々とした表情のない声。怒りが振り切れて、逆に冷静になってきた。
「え、そうかな? 合理的だと思うんだけど。だってルーの方が強いじゃん。僕では何かあった時に対処できないし、今までもこういうのはルーにお願いしてたから」
あっけらかんと言ってのけるライアンに、ルーチェは気が遠くなる。もともとそういう役割だったかのような言い方だ。ライアンはこの顔と言動から、人を惑わすと同時に恨みを買うことも多い。一緒に死ねばあの世で結ばれると叫んだとある令嬢がナイフを振りかざして来たこともあった。とある令嬢の激怒した婚約者が決闘を申し込んで来たこともあった。そのどちらも、ルーチェがライアンとして無傷で解決していたのだ。頭がクラクラする。
「そうだとしても、一言くらい言いなさいよ。それなら誘う相手を考えたのに」
「え、母上と一緒に行ったんじゃないの?」
「……お母様とは一緒に行ってないわ。先約があったから」
「え、嘘……」
そこで初めて、ライアンは身を起こしてルーチェに顔を向けた。少し顔が強張っているのは、まずい事態になりそうな気配を感じたからだろう。昔から自分の身が危なくなりそうなことには敏感だった。
「劇場には一人で行って、声をかけてくれたご令嬢と席をご一緒したのよ。その帰りにその騒動が起きたの……。問題の令嬢は最終的に係の人に取り押さえられて、今頃生家に戻っているんじゃないかしら」
「もしかして、けっこう大事になってる?」
「幸い目撃者は少ないけど、当然抗議文を出してもらうわ。あの令嬢を放置したら、怪我人が出るわよ」
ライアンは苦り切った顔で、顎を撫でた。少しの間思案し、「うーん」と唸る。
「仕方ないか。僕も刺されたくはないからね……。母上と父上、怒るだろうなぁ」
「当然でしょ。少しは反省して、軽率な行動を慎んでくれる?」
「え~。僕の唯一の楽しみなのに」
(このクズ兄が! あんたのせいでミア嬢が怖い目にあったのよ!)
だがその怒りも虚しいだけだ。どれだけルーチェが怒ってもライアンが変わることはなかった。それが分かっているから、やり場のない怒りを抱えたまま「また後で」と言い捨てて部屋を後にする。
自室に戻って、ヴェラに着替えを手伝ってもらい、お茶を飲めばやっと人心地がつけた。全身がだるく、肩と奥歯が痛い。知らないうちに噛みしめて力を入れていたらしい。
そして、それぞれ用事で外に出ていた両親がそろうのを待ち、事の顛末をブルーム伯爵令嬢のことは伏せて報告した。血相を変えた両親によってすぐさまライアンが呼び出され、たっぷり怒られたのだが、それでも堪えないのがライアンであり、すでに参加の返事をした明日の夜会以降一週間の謹慎となった。問題の令嬢の家には抗議文が送られ、その日の夕方には謝罪文と共に、令嬢の両親が訪れ、そちらは両親と本物のライアンが対応することになったのだ。
ルーチェが後から聞いたところによると、あの令嬢は心が弱くライアンへの思慕が高まって、あのような行動を起こしてしまったらしい。そして今後は屋敷で療養をするということだった。
その後も家の間で今回の件に関する対応が話し合われ、問題が片付いたのは翌日の午前中。報告を聞き終えたルーチェは、巻きこんでしまった少女に改めて謝罪と説明をするための手紙を書いていた。ライアンの名で署名し、封をするとヴェラに渡す。
「今朝、あの子から気遣う手紙が来てたのよ。信じられる? 自分も怖い思いをしたのに……。あんな優しい子、他に知らないわ」
「どんどん情が移っているじゃないですか……」
口約束の婚約をしてしまった少女と会って帰ってくるたびに、楽しそうに話すルーチェに対し、ヴェラは「優しすぎるんですよ」とハーブティーを入れながら小言も付け加えた。
「どうしよう。私の中で、ライアンから遠ざけたい自分と、友達になりたい自分が戦っているの……。でも、もう駄目だわ。これ以上ライアンと一緒にいたら、あの子が危険な目にあってしまうわ」
「なら、さっさとライアン様との方を片付けて、ルーチェ様としてお友達になればいいじゃありませんか」
「……友達になってくれるかしら」
深々とため息をつき、ルーチェは淹れてもらったハーブティーに口をつける。ルーチェに友達はいない。それもこれも、話しかけてくる令嬢がライアン目当てだからだ。ライアンに振られた腹いせに、心ない言葉を投げつけられたことも多い。
(あの子に、嫌われたくはないわ……)
関係が切れてしまう寂しさと、結び直せない虚しさをハーブティーと共に流し込んだ。そして、王宮の夜会を最後にすると決意するのである。
ライアンに石を投げたい人は、こちらのライアンかかしへどうぞ。
石は心が痛むぞという方は、お手玉もあります。




