13.男装するのは、クズ兄のせい
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ルーチェは訓練用の剣を振りながら、昨日のやり取りを思い出していた。綿のシャツにズボンという姿で、打ち込み用の木が立った砂地の中庭で鍛錬をしていたのだ。髪は後ろで一つに束ね、木製の剣を両手に構える姿は様になっており、胸が目に入らなければ男と思われるだろう。
(剣術をやってたことがバレたのは驚いたけど、あの感じだったら剣術の話もできたんでしょうね)
ルーチェが手紙で誘われたケーキの試食を受けたのは、罪滅ぼしの気持ちからだった。前回は怪我をさせそうになり、怖い思いをさせたかもしれないと心残りだったのだ。そのため、別れ話は保留にして可愛い少女との時間を楽しんだ。
(ますます、友達になりたくなったわ……。おいしそうにケーキを食べる姿、リスみたいで可愛かった)
淑女たるもの、一口は小さく上品にゆっくり食べなさいと躾けられるが、デビュー前だからか気が緩んでいたのか、時々ケーキを大きく取りすぎて頬が膨らんでいた。可愛らしい姿を思い出すと、相好が崩れる。その間も剣は振り下ろされ、空を斬る鋭い音を鳴らしていた。
令嬢の気まぐれではない、美しい太刀筋と長い年月をかけて染みつかせた動き。騎士志望であれば、女子が剣を握ることも珍しくないが、ルーチェは騎士になるつもりはない。
ではなぜルーチェが剣術の基礎を叩きこまれているのかというと、ライアンのせいだ。貴族の男子は幼い頃から嗜みとして剣術を修めることになっている。オルコット家でも、騎士の先生を招いて指導してもらったのだが、そこで問題が起きた。少年となり、我がままも高度に、癇癪も激しくなったライアンが鍛錬の前にルーチェの部屋に来て言い放ったのだ。
「ルー。剣術の稽古変わって! 僕、女の子の手より重いものを持ちたくないんだ!」
当時、10歳で同年代からおば様までメロメロにしていたライアンは、「よろしく!」と悪びれない笑顔でドアを閉め、姿をくらました。使用人たちが総出で探し出しても見つからず、困り果てた母親は到着した先生に謝り、代わりにルーチェに護身術を教えてほしいと頼んだのだ。
最初は簡単な護身術や体力づくりだったのが、ライアンが稽古をさぼる度にルーチェが呼ばれるようになり、試しに剣を振ってみればしっくりきた。刺繍もお茶の作法も嫌いではないが、ルーチェは体を動かすのが好きだったのだ。
いつしかライアンが稽古をつけてもらう時には、当然のようにルーチェも一緒にいるようになり、ひたすら剣を振ったのである。母はいい顔をしなかったが、才能があるから鍛えさせてほしいと先生が頭を下げ許可が出たのだ。父は苦笑いをしていた。
だが、社交界デビューが近づくと、筋肉が付きすぎてはいけないと稽古をつけてもらうことはなくなり、今は気分転換に体を動かすくらいになったのは、昨日話していた通りだ。
「……よし、これくらいで終わりましょ」
いいぐらいに汗をかき、剣を放した手は赤くなっている。稽古をつけてもらっていたころと比べれば、手の皮は薄くなったが、まめが潰れて固くなったあとは残っていた。外では手袋が外せない。
(体を動かすとすっきりするわ~)
ぐっと伸びをして体をほぐし、見計らって近づいてきたヴェラから渡されたタオルで汗を拭く。そのまま湯あみを済ませ、朝食をとるためのドレスに着替えれば、剣を握っていた凛々しさは消え、お淑やかな令嬢が現れるのである。
そのすっきりした気分が一瞬で急降下したのは、書き物をしていた午後。言わずものがな、ノックもせずに部屋に入ってきたライアンのせいだった。貴族名鑑の情報を整理しているところに、「ルー」と甘えた声で厄介事の種になりそうな封筒を指に挟んでやってきた。近くにあった椅子を引っ張り出し、その背を抱えるように跨いで座る。背もたれの上で腕を組み、その上に顎を乗せてじっと見つめる表情はあざとい。
だが、心が動かされないルーチェは、迷惑だという表情で名鑑を閉じ、冷え切った視線を飛ばした。だが、ライアンは一切介さずに要件を話し出す。
「ルー、観劇行きたい?」
「……何が言いたいの?」
「いや、チケットがあるんだけど、都合が悪くて行けないからどうかなって」
珍しく女の子がらみではない話だったため、ルーチェの警戒が少し緩む。観劇は少し興味があった。昨日、ケーキを食べながら王都でしている新しい劇の評判がいいと聞いていたのだ。
ライアンから渡されたチケットを見ると、演目は今話題のもので、日にちは四日後。ルーチェは空いている。
「……別にいいわよ。二枚あるなら、お母様でも誘おうかしら」
「ルーチェ、友達いないもんね。あ、行くときは俺の姿で行ってね。それ、俺のために特別融通してもらったものだからさ」
つまり、女の子と行くつもりだった、ということだ。薄々そうだろうとは思っていたが、聞くと急激に行く気がなくなった。
「……誰か違う女の子と行けばいいじゃない」
どうせ行かない理由も、当初行く予定だった令嬢との遊びが終わったからだろう。チケットを突き返そうとしたら、無理無理と首を横に振られた。
「僕、四日後は熱が出て休む予定だから」
「何それ、意味が分からない」
どこに計画的に熱を出せる人がいるのか。
「だから、母上なら大丈夫だろうし、二人で行ってきてよ」
何が大丈夫なのと思ったが、相手にするのも疲れるので聞かなかった。母は観劇も好きだし、ルーチェがライアンの姿になるのも慣れているからだろう。
だが、生憎母はその日友人の茶会に招かれており、当てが外れたルーチェは観劇が趣味だと言っていた少女を頭に浮かべたのだった。




