11.男装して、婚約を白紙にするために密会します。
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可愛い令嬢とのお茶会。ルーチェはいつ別れ話を切り出そうか伺っているが、なかなかきっかけを掴めないでいた。そればかりか、向かいでケーキを頬張っている少女に和んでいる。頭が痛いと聞いた時は心配になったが、ケーキを頬張れるほどには元気なようだ。口が小さいのか、頬が膨らんでいるのがリスのようで可愛い。紅茶をおいしそうに飲む様子は、キラキラと輝いて見えた。
「ミア嬢は、ケーキが好きなの?」
パイナップルのパイを口に運びながら、そう話を向ける。すると、照れくさそうに頬を赤らめ、こくりと頷かれた。
「甘いものが大好きで、体の調子が良ければ全部食べたいくらいです」
「また来よう。季節のフルーツを使ったケーキもおいしいんだ」
「はい! 楽しみにしていますね!」
と、うっかり次の約束をしてしまってから、すっかり楽しんでいる自分に気づく。思えば、ルーチェにとって令嬢とケーキを楽しんで食べるというのは初めてだった。
(友達って、こんな感じなのかしら……。でも、ライアンだから、ああやって笑ってくれるのよね)
おいしいものを食べて緊張がほぐれてきたのか、少しずつ話してくれる少女を見ていると、関係を断つことに後ろ髪が引かれる。友達になりたいと、思ってしまっていた。
少女は王都のスイーツに詳しく、最近食べたおいしかったケーキの話を楽しそうにしている。ルーチェも母に付き合って行ったことがある店が多かったので、話が弾む。あっという間に少女のケーキが無くなったので、季節の果物が乗ったケーキを追加した。少し恥ずかしそうに俯いた彼女は、大変可愛らしかった。
「ライアン様は、殿方にしてはスイーツをよくご存じですね。甘いものがお好きですか?」
「たくさんは、食べられないけど好きだよ。母と妹がいるから、よく付き合って食べるんだ」
「まぁ、妹様がいらっしゃるのですね。それは、ライアン様に似てお美しいでしょうね」
「……そう、だね。双子だから、よく似ていると言われるよ。……だから、もし社交の場で見かけたら、仲良くしてあげて」
兄が絶対に言わないであろう言葉は、ルーチェの願い。
(これで、今度ルーチェとして会った時に、声をかけても変じゃないかしら……)
ライアンとの関係を断ち切りたい。だが、ルーチェとしては繋ぎたい。その矛盾に苦しくなった。お茶の味も苦く感じる。
「えぇ、もちろんです。だって、私の妹になるお方ですもの」
弾んだ声で紡がれた言葉に、ルーチェは目を丸くする。稲妻が走ったような衝撃が体の中を駆け抜けた。
(その手があったわ! そうよ、ライアンとミア嬢が結婚すれば、私とミア嬢も家族……可愛い、お義姉さま……だめよ! それでもライアンには任せられない!)
曇りなき笑顔と魅力的な言葉に、決意が揺らいだ。お義姉さまと呼んで、一緒に買い物をしたりお茶会をしたりするところまで想像してしまった。幸せすぎる。
「ラ、ライアン様……そのお顔はずるいですわ」
「え……ごめん! 想像したら、幸せすぎてつい」
赤面する彼女の顔を見て、今自分がどれほど締まりのない顔をしていたかに気づく。遅れて顔が熱くなり、カップを置いて口元を手で覆った。恥ずかしくて、視線を食べかけのパイに落としてしまう。
「ミ、ミア嬢。妹は君より年上になるんだけど、それでも大丈夫?」
焦ってよく分からない確認を取ってしまった。ライアンの皮がうまく被れない。取り繕うように、フォークを手に取ってパイに刺した。
「あ、そうですよね! 双子って、私ったら。お……お兄様と同い年ですものね」
少女は気恥ずかしいのか、忙しくケーキを口に運んでいた。もう無くなりそうだ。ルーチェも間が持たず、パクパクとパイを口に放り込む。
「あ、それで、ブルーム伯爵子息は元気にされてる?」
「あ、はい。元気です」
ルーチェは貴族名鑑の情報から、ミアに兄がいることを知っていたが、実際に会った記憶はなかった。だが、その名前はライアンと母親から何度か聞いていた。そこから、ライアンの思い出として言葉を借りる。
「小さい頃は、女の子に見えるくらい可愛くて驚いたな。母は僕にあれくらい可愛さがあればいいのにってぼやいていたよ」
もう口に入れるパイはない。紅茶に手を伸ばしかけたルーチェは、言葉が返ってこないことに気づき視線を上げた。
「ミア嬢、どうしたの?」
そこに先ほどの明るい表情はなく、辛さを我慢しているようで、ルーチェは思わず腰を浮かす。近づこうとしたのを、手で制された。
「だ、大丈夫ですわ。少し眩暈がしただけで……」
「あぁ、ごめんね。調子がよくないのに、無理をさせて……」
白い顔を苦し気に歪める少女はか弱く、守ってあげたくなる。
「いえ……少し気分がすぐれないので、お暇してもよろしいでしょうか」
「そうだね。帰ろうか」
声に名残惜しさが滲んだ。こくりと頷いた彼女の椅子を引き、その手を取ってドアまでエスコートをした。黄色い百合が描かれたドアを二度叩けば、給仕係がドアを開けてくれる。誰も外にはいないということだろう。
そして、手を引いたまま細い廊下を抜け、階段を下りる。結局別れ話をできないまま、帰ることになってしまった。
(もう、ここで、終わりにしようかしら……)
本当はもっと彼女のことが知りたいし、遊びに行きたい。だが、一緒にいればいるほど、離れがたくなってしまいそうだった。調子が悪そうなのが申し訳ないが、逆に元気のない今なら、大人しく引いてくれるかもしれないと、淡い期待を抱く。
(友達に、なりたかったわ……)
ライアンとの関係が白紙になれば、消える夢とは知りながら、それでも手放しにくいほど、手袋越しに伝わるぬくもりに心が掴まれている。階段を下りて、左に行けばケーキ屋へ、右に行けば仕立て屋に出る。それがそのまま二人の別れを意味しているようで、胸が詰まった。罪悪感でいっぱいだ。無言のまま、ゆっくりと階段を下りた。そして、最後の一歩を踏み出したところで口を開く。
「ミア嬢、突然だけど……」
「きゃぁ!」
「え?」
振り向いたルーチェの視界には、階段を踏み外して前のめりになっている少女。どこかに掴まろうと伸ばす右手は宙をかいていた。
「ミア嬢!」
慌てて前に回り込んで受け止めれば、ふわりと波打つ亜麻色の髪から香水が香る。ルーチェも女性だから分かる。急な階段はドレスで足元が見えず、足を踏み外しやすい。
(びっくりした、間に合った……)
鼓動が早い。視線を下に向ければ、胸のところに小さな亜麻色の頭があった。顔を胸に押し当てている状態になっており、ルーチェは慌てて彼女の肩を掴んで引き離す。
「け、怪我はない?」
茫然としているのか、ルーチェを見ようとはしないままこくりと頷いていた。
「ライアン様……今日は、これで失礼しますわ」
そして、そのまま目を合わせることなくカーテシーをすると、足早にケーキ屋へと去って行く。
「あ、待って!」
まだ別れ話ができていないと、ルーチェが急いで呼び止めるも、彼女の姿はケーキ屋のドアの向こうへと消えていった。
(どうしよう……別れ話ができなかったこともだけど、嫌な気持ちにさせたのかしら。痛かった? 嫌われ……あぁ、でも、それなら婚約の話もなかったことに……)
去り際の苦し気な表情が頭にこびりついている。ルーチェは、罪悪感とも違う胸の痛みを抱えながら、仕立て屋を抜け、人目が付かないところで御者が待つ馬車へと乗り込んだ。
◇◇◇
一方のアレンは、足早にケーキ屋を出て、裏手に止めていた馬車に乗り込んだ。何かに駆り立てらえるように襟のボタンを開け、詰め物の下に手をつっこむと、ぺたぺたと自分の胸の固さと厚さを確認する。
(俺の胸筋、あの女たらしに負けてる!)
頬で感じたあの男の胸筋は、板のように頑丈で分厚かった。だらりと力が抜け、椅子の背にもたれかかったアレンに、胃から逆流してくる気持ち悪さが追い打ちをかける。
(うえっ……二日酔いでケーキを一気に食べたのはまずかったな。吐きそう)
そこから、小刻みに揺れる馬車の中で本格的な二日酔いとの戦いが始まった。




