10.女装して、相手を夢中にさせるために密会する
王都には、王宮の高官も利用する守秘性の高いカフェがある。カフェと言っても看板はなく、一階がケーキ屋、その二階でお茶が飲める個室になっているものだ。女性はケーキ屋から、男性は隣の仕立て屋から部屋の名を告げて入るため、一緒にいるところを目撃される恐れもない。密談や危ない関係の逢引きには持ってこいなのだ。
そのケーキ屋の中で、ミアに扮したアレンは二日酔いで痛む頭を我慢しつつ、ケーキを選ぶふりをして店員に話しかけるタイミングをうかがっていた。ちらちらと辺りに視線を飛ばす様子は、周りを警戒する小動物だ。
(あの女たらし、やっぱ日頃からこういうとこで遊んでたんだな。そこにミアを誘うなんて……い、いかがわしい!)
ここの存在は、王都をフレッドに案内してもらった時に、聞いたことがあった。王都には表向きはケーキ屋や仕立て屋だが、その上で密会ができる場所があると。そこでは、口にできないような危ないことが繰り広げられていると。そしてこうも言っていた。そこに連れ込まれたら、もう終わりだから気を付けろ、とも。
(卑劣! 今日こそ俺が、あいつの腐った性格を叩き切ってやる!)
義憤に燃えるアレンは、その時のフレッドが盛大に勘違いして顔を赤くする友人を見て、面白がっていたことを知らない。そしてその後、それを訂正する人はいなかった。
そして、客が少なくなったタイミングを見計らい、ケーキを補充していた初老の女性に声をかければ二階に通された。手紙に添えられていたカードには、黄色い百合が描かれ、それが鍵となるようだ。
薄暗い階段を重いスカートを持ち上げて上れば、緊張もあって心臓が早鐘を打つ。ズキズキと痛む頭は、このドアの向こうでは倫理に触れることや、血生臭いことが行われているのではと妄想が止まらない。
(もし無体を働かれそうになったら、鳩尾に拳を入れて逃げる!)
そしてドアが開かれ、思わず身構えたアレンの目に飛び込んできたのは、落ち着いた内装の部屋、中央には木の目が美しい椅子とテーブル、その手前に銀色の髪と顔がまぶしい男が立つ光景だった。
「ミア嬢、突然のお誘いだったのに、来てくれて嬉しいよ。さぁ、座って」
花が舞うような笑顔を向けられ、アレンは締まりのない顔にならないよう頬の肉を噛む。
(顔がいい! 声もいい! はっ、騙されるな俺、こいつはミアを食おうとしている男だぞ!)
そう自分に言い聞かせるが、流れるように手を取られ、席までエスコートをされていた。不安で握りしめていた手持ちカバンもいつの間にか預かられ、壁際のチェストの上に置かれている。入ってきたドアには、カードと同じ黄色い百合が描かれていた。
「ミア嬢はまだデビュー前だし、気軽に外で会うわけにはいかないからさ。ここは絶対ばれないから、安心して」
「そ、そうなんですね」
(それは、ここなら何をしても隠せるってことか!? 何するつもりなんだ!)
「まずは、食べようか」
「何を!?」
思わず声が出た。身を固くするアレンに、彼は目を瞬かせている。
「ケーキだよ。ここ、一階のケーキが食べられるんだ。もし、この近くで好きなケーキがあるなら、取り寄せてもいいよ」
「あ、ケーキですね。喜んでいただきますわ」
ふふふと、口元に手を当てて笑ってごまかす。顔が熱い。差し出されたメニューに目を通すと、どれもおいしそうで、先程下で見た色とりどりのケーキが目に浮かぶ。その中から二日酔いでも食べられそうなレモンケーキを指さした。慣れた様子で彼がテーブルに置かれていたベルを鳴らすと、壁が開く。
「え?」
給仕係が現れたのはアレンが入ったドアではない。暖炉と反対側にある、絵画が飾られた壁が音もなく開いたのだ。目を丸くして口を開けたアレンは、笑いをかみ殺している目の前の男に恨みがましい視線を向ける。
「ごめん、あまりにいい反応をするからさ。可愛いね」
(うっわ、その笑顔は反則)
口元に拳で隠して笑っている色男に見惚れたアレンは、反応が一拍遅れた。
「そ、そんなにお笑いになるなんて、ひどいですわ!」
謝りながら手早く注文を終えた様子から、使い慣れていることが分かる。二人だけの空間になり警戒を強めていると、彼はテーブルに頬杖を突き、そこに顎を乗せた。少し傾けた顔から色気が溢れ、アレンの心臓が跳ねる。頭も痛む。つい、眉根を寄せてしまった。
「ミア嬢、ちょっと顔色がよくないね。無理してるんじゃない?」
「大丈夫ですわ。少し、頭が痛むだけですの」
「それは大変!」
色男が身を乗り出したと思ったら、手が伸びてきた。ひやりと冷たい手が額に当てられ、アレンは驚いて肩を震わせる。顔が近くて、息が止まった。
「熱は……ないかな。気分がすぐれないなら、横になれる部屋を用意しようか? そこで、少し休むといい」
体を引いて椅子に座りなおした彼は、心配そうな表情をしていた。だが、アレンは「大丈夫です!」と首を激しく横に振り、気持ち悪さに襲われ後悔する。
(そうやって女の子を連れ込む魂胆だな! その手には乗るか! よし決めた。今日は体が弱いふりをして気を引こう。そして俺に夢中にさせてから、婚約破棄だ!)
鈍い頭で今日の方針を決めたところに、壁の向こうからノック音が聞こえ、ケーキとお茶を持った給仕係が入ってきた。二人の前にケーキが乗ったお皿を置き、温められたカップにお茶を注ぐ。カップが満たされる音と共に、深い茶葉の香りが広がった。




