インフレーション
── 見つからない。
まだ、見つからない……。
今日もまた、あの一等星の煌めきを探しに海に行く。
親には「夢を見るのは小学生まで」と言われた。
私は、その時悲しかった。
だって本当に夢だと思ってしまったから。
ただ、悲しかった。
自分で微かにでも、私だけは信じなきゃいけない存在なのに、諦めて、疑ってしまったから。
(本当に、あるのかな)
なんて。
大好きなはずなのに。たった一つの希望だったはずなのに。
……なんで? なんであの星は見つからないの? ……。
明日私は小学生最後の日を迎える。
なんで? なんでなの?
あれはお母さんの言うとおり夢だったの?
あの暗闇にポッと強く輝くたった一つの私の灯火だったのに?
あの光があったから、私は今を生きていけるのに?
あぁ、私からひかりが逃げていくのが分かる。
どうやってこの混沌とした闇の中で、まだまだ幼い私はこれから、どうやって生きればいいの?
なんでお母さんは私をあの光から引き離すの?
なんで、お母さんは私を、愛理を見てくれないの?
なんで、この世界は私を嫌っているの?
なんでこの世界と私はここまで乖離しているの?
なんで? どうして? どういうこと? いかなる理由で? どういう訳があって? 世界の都合で?
私だけ?
なんで? なんで? なんで?
なんで? なんで? なんで? なんで? なん──
フッ。何かが空気を吹き込んだ。海の香りがした。夜のドロドロとした感触がした。
何かが私の心の中の……たった一つわたしを照らしていた、小さな、最後の蠟燭の光が消えた。
そして私は砂浜に倒れ込んだ。
その時、前髪の隙間から見えた星空がきれいだった。
第一章 天才と秀才
天才とは、努力する凡才のことである。
皆さんはよくこの言葉を聞いたことがあるかと存じます。この言葉は、かの有名な物理学者、アルベルト・アインシュタインが残した名言であり、一種の格言でもありました。
この言葉の意味を誤解をするほとんどの理由は天才の存在意義を履き違えているからです。天才とは、秀才とは、凡才とは… …この問題を埋めるには、どうしても自分自身強欲でなければいけません。金に頓着、色欲に耽溺、睡眠に無感覚などの3代欲求ではなく、知識に対して強欲であること。悟りを開け、当たり前に気づいて、と、そういう訳です。
世界には人口82億3200万人※1の人間が生きており、その中でも人口の約100%の凡人と10%の秀才、1%の天才で構成されていると推測されます。
その約1%の天才が及ぼす影響の規模は計り知れません。一騎当千という言葉のように、一人で何万人の働きを起こせるのが天才なのです。
誰が設定したのか軽快な音楽に起こされて、朝五時に目が覚めた。
カーテンの隙間から見える外の景色は春らしくない冷たそうな薄明の紺色である。庭に生えている屋敷林の赤樫などの広葉樹がわさわさと風に揺られている。全く、植物は日々気楽そうに見えていいな。
私もそういったカモフラージュをしてみたいものだ。
どことなくゆらゆらと見える霞んだ視界に、しばしばする乾燥した瞼と顔の表面に唇。
まだ春といっても4月上旬。屋敷林もどことなくはげているし、花は咲かない品種なので新芽が生えている。朝なら外は冷えるし、昼間だって陰や屋内ならなんとなしに寒く感じる。だから、まだ冬の乾燥気質が春に残っているのだろう。最近は温暖化の影響で、季節が生まれるごとに親の気質を長く継いでいるような気がする。
軽くはだけたネグリジェを整えて、偽シルクの化学繊維、レーヨンとポリエステルのナイトキャップをベット脇に置いて、スリッパを履いて廊下に出る。
そういえばなぜか寝ている時たまに息苦しくなる時があるのだが、あれはどうしてだろうか。無意識下に動き回るほど私はレム睡眠気質なのだろうか。私にも気質があるのだから、地球の気質はきっとすごい規模のものになるのだろう。
おっと、何にでも脈略なく擬人化させるのは私の癖だ。人は生き急ぐあまりに周りを見ることを忘れるから。無機質物になんてもっと眼中になくなるだろう。だからスマホ認知症なんて新たな仮病名ができるのだ。
ほのかにあかりが刺しているリビングの扉を開けば、まだそこそこ寒いだけというのに暖かい空気が入ってきた。
こんな寒がりで早起きなのは母だけだ。父は存在しないし兄弟はいない。部屋の一角を横目で見れば彼らは死んだ扱い。母の中に彼らはもういない。
今日から私は高校になる。
相変わらず蠟燭の灯は消えたまま。
親に怒られ、周りから変人扱いされ、話し相手もなく、みんなからはまるで空気扱い。昼ご飯はいつも一人。
寂しい……という感情も、もはや亡くなっている。
先月とった学力1位の空虚な称号。
こんなものをとってもあの人は私に目もくれなかった。
風邪をひいてもずっと守ってきた皆勤賞のチープな紙の賞状。
あの人の目の引く位置に貼っているのに、あの人は毎日ないものを見ている。
カーテンを少し広げ月明かりと蝋燭の光を灯りに、窓辺で読書をしているあの人がいた。
パラリパラリとページを捲り瞳で文字を追っている。サラサラと、どこか掴みどころなく隙がない、静かな人だ。
指が動くたびサラサラと肩から斑白の髪が滑り落ちていく。彼女は38歳で、同級生の親の年齢平均から言えば若い方だ。だけど、もうすでにその薄い髪からはまばらに白髪が生えている。
何時ものように優しく微笑んでいる母がいた
「おはよう、愛理」
「おはよう、お母さん」
「行ってらっしゃい」
「……行ってきます」
廊下を歩き、靴を履いて、玄関の扉を開けて、外に出る
今日は日本晴れ、だが、彼女の見える景色は灰色
1196日、それが灰色でなんも変化なく、なにも楽しげも無い日常
実家が学校の近くにあるお陰か、たったの十五分で学校についた。
自転車から降りてレンガの地に足をつける。
最近錆びついてきて思うように軽く進まない自転車を手で押して歩けば、学校のさほど大きくない正門が見えてくる。
他の同級生達はみんな、集合場所に合流して、団体で歩いたり、自転車を漕いだり、電車やバスに乗って遅く来るのに。みんなが遅く来る理由はわかっている。だって早くついても、意味がないから。まぁ部活生とか委員長なら別だけど。
学生からしたら学校はただの口実だ。学校という自分のためのプロセスの一部にめんどくさくも通う中、せめてもの楽しみとしている友達と和気藹々とするための、大義名分。
私も本当はここに通うつもりはなかった。だってこんな、まともな研究設備も揃っていないような、地元の名門校なんて。ただの履歴書のお飾りでしかない。
── 私は海外に飛び級して自分の研究室を大学に持ちたかったのに。
ただ母という強大な怪物に心配をかけたくないという理由がために。
お金の心配だってする必要もない。
私は最初から親のお金を搾り取るために生まれたわけではないのだから。自分で、大会に優勝したり、商標登録をして使用料をもらったり、自分で小さなAT技術を使った会社を作ったり、会社を作る大会で賞をもらったり。そうしてもらった不労所得なりで留学、なんならその地に永住できるくらいの収入はあるのだから。
あの人と話すだけで、胸が渦に巻かれながらもずんと落ちていくような、自分がいかに矮小で醜い存在か、なんて思い知らされるようなあの不思議な強制力が嫌いだ。私はあの人とこんな田舎で落ちるつもりはない。蝋燭の光なんて、いつでも何度でもつけられるんだ。
こんなふうに、あの人のことを考えていると、頭の中の思考と、自分の気分が最低になる。
いつの間にか下がっていた目線を上げて、地面を歩く自分の足ではなく、桜が吹雪く入学式後の高校の校舎を見上げる。
正門を潜り抜けて学校の敷居に入ればもう私はどこにでもいる普通の高校生。
ただ私が何もしなければ、誰かが私を勝手に隠してくれる。カモフラージュだ。
透明になれば空気みたいになれる。教室にいればカメレオンになれる。日陰にいれば柳の幽霊みたいになれる。
それでいい。それがいい。逆にそれ以外いい。
気分を変えるために、視点を変えるために。
ふうとため息を吐いて、代わりに桜の香りを肺に入れ込めば、気分はいくらかは晴れる。
晴れた気分に変わった意識で違った視点で校舎へと続くレンガの道を見れば、そこは在校生による部活勧誘で賑わっていた。
左右を見れば体育会系の、無骨な人たちがまだまだ中学生気分が抜けないふにゃふにゃな新入生たちの視線を引いている。
文化部の人たちはというと、校門の近くではなくむしろ校舎の前で、まるでそこだけ影が差しているのかと思わせるほど陰鬱とした雰囲気を、無意識だろうが、見せていた。
前後でこれほど雰囲気の落差があると、その違いに風邪をひいてしまいそうだ。実際には春の麗らかな日差しと風が、ちょうど過ごしやすい気温に仕上げていて、風邪とは無縁なのだが。
だが超絶目立ちたくない自分としては、この光景はむしろ憎たらしいと言える。
※1『世界人口白書2025』の一部を抜粋。現時点での世界人口総数。