第97話 力こそパワー
すっかり空っぽになった鍋を囲んで。
「――あのクソガキ……」
バキィッ! とティルダが片手でへし折ったのは、木製のスプーンである。
ボアネルジェスとニコスは(えっ? それ折れるんだ?)と二度見した。
「ティルダ、お口メッ! よ」
「はわ……! すみません姫君! ――ところでそのメッていうの、大陸爆発級に愛くるしいですね。もう一回やっていただいてよろしいですか?」
「メッ!」
「ふわ~~! キュートの天元突破~~~~!」
「怖っ……」
「お前もやんのかい」
ネメシスが作った食後のデザート――バニラ風味のクレマである――を食べながら、イリオンの子どもたちはアリアの語る国境伯邸の話に聞き入っていた。
華やかで安楽としたイメージとは裏腹の、嘘と裏切りに満ちた生活。
「貴族って性格が終わってる人のことを言うの? なんかアリアのお姉さんとか、息をするように嘘をつくんだね」
「そんな子ばっかりじゃないけど……そうねえ、嘘や悪巧みもできて一人前の貴族、みたいな空気があるみたいだわ」
「げー。ぼくは無理〜」
子どもたちがおしゃべりをしている横で、ネメシスは安楽椅子に腰掛けながらニコニコとお茶を飲み、ニュクスは窓際のスツールで相変わらず読書に勤しんでいた。
「近いうちに、ティルダもプランケットに連れて行ってリクハルトに会わせるわよ~」
「はい! 必ずや、クソ愚弟を姫君の前に土下座させてみせます!」
「……あの、ほどほどでいいのよ? だって先輩がすでに一回ボコってるし、わたしのケンカはわたしが始末をつけたいの」
「なんて気高い志! だとしたら、我が弟は三回ボコられることになりますね!」
「……」
(ハーゼナイ家の姉弟の力関係、えぐそうね。……まあこの珍獣は言っても聞かなさそうだし、後に回そう)
「みんなの家族の居場所も探すわよ!」
「……」
元気な声で水を向けられた四人は、――口元は笑みの形を残したまま、沈んだ眼差しでクレマのカップを見つめた。
残酷な人狩りの追手に襲撃を受けて、彼らの家族はみな行方知れずとなっている。
あの地獄の地下牢に行きつくまでの間に、一人残らず、すでに痛切な別れを経験していた。
「いいよ、アリア。……いいの。たぶん、ママもパパも、きっと、もう……」
言い淀んだアニスの唇を、アリアはツンとつついて黙らせた。
「……!」
「探すわ。絶対に見つける」
朝焼け色の瞳は、いつだって真っすぐに微笑んでいる。
「ベネだって、ご両親に送り届けないといけないわ。約束したもの」
「……ベネ……」
三つ目のデザートを食べながら、カネラが目を潤ませた。
「……たぶん、隠れ住んでるとしたら、山奥だ。おれんちは……そうだった」
ボアネルジェスが、指先を固く握りしめてそう言った。
「イリオンの生き残りは、山奥、荒れ地、危険な国境地帯で、息をひそめてる。目の色をごまかせるやつは、ユスティフ人のふりをして混ざってるかもしれねえ。そっちの方が安全だ。……何度住処を変えても、どれだけ遠くに逃げても、人狩りはおれたちの痕跡を探して追いかけてくる」
「見つからないためには、完全な自給自足をするしかない。……けど、そんなの、そうそうできっこないよ。ぼくらだって、人間だもん」
ボアネルジェスの言葉を、ニコスが引き継いだ。
暗い眼差しに暖炉の炎が映りこみ、小さな火花が爆ぜた。
「ぼくの家族は、魔獣の出る山に住んでいたから、そこしか採れない珍しい薬草を麓の村に卸してた。……信頼してた相手だったよ。命からがらで逃げてきた父さんを助けた命の恩人なんだって、何度も聞いた。でも、ぼくたち一家の情報を人狩りに売ったのも……あの人だった」
「フム……」
アリアは口元に手を当てた。
「先輩、あの」
「どうぞ」
「ありがとうございますっ」
皆まで言わずに差し出された地図をテーブルに広げ、ネメシスから飛んできた羽ペンも受け取ると、アリアは柘榴色のインク壺にペン先をつけた。
「ボアはどの地方だったの?」
「おれんち? アルカン山脈の北だよ。地図だと、えーっと……あっ、このへん」
「ふむふむ。ニコスは?」
「ぼくらが住んでいたのはここ。聖エウスターキオ山と国境の境にある、連峰のふもと」
「わたしはこのあたりだったわ」
「わたしはここ!」
「あらカネラ、ここ国境の戦闘範囲じゃない。危険じゃなかった?」
「大丈夫! お兄ちゃんたちが守ってくれたから!」
「たしか、ベネは……ローラン半島にいたんじゃなかったかしら。波の音が恋しいって言ってたから、きっと海沿いだと思うわ」
「ティルダのおうちは?」
「うちも山奥でした。このあたりです」
地図に書き込まれる単純な赤い丸を、ネメシスとニュクスも興味深そうに見下ろした。
「こんなふうに隠れ住んでいたとは……ニュクス。噂は本当かもしれないよ」
「そうですね」
「噂?」
「この大陸の奥深い山の中。陥落戦とその後の大規模連行を生き延びたイリオンの隠れ里があるって、まことしやかに伝わっているんだよ。ニュクスが人狩りの一団を壊滅させた時に、首領をメタメタに拷問して吐かせてた」
「余計なことを言うのはやめなさい……! ン゛ン゛ッ……とにかく! この広い大陸、まだまだ隠れる場所はあるということです。お前たちの肉親も、血を分けた氏族の生き残りも、どこかで無事に暮らしている可能性があります」
子どもたちの目に、わずかに光が戻った。
アリアは、ネメシスとニュクスの肩を順番に叩きながらニッコリした。
「そうなの! この人たち、ちょ〜っと目が怖いけど、とっても優しくてなんでもできるのよ! さらわれた家族を探すことなんてわけないわ!」
「あれ? いつの間にか戦力に含まれてる」
「早々に目的地が定まったわね、幸先がいいわ」
大陸の上の海に、小さな手が味のある文字を記しはじめた。
「まずはみんなの家族を見つけるでしょ。これがやることその1。それから隠れ里の人たちも見つけて、離散している全てのイリオスを見つけるの。その2ね。あっそうそう。迷宮に囚われているオルフェンと、魔術式の動力炉になっている人たちも解放しなくちゃ。これが3……と」
「……」
いったい、目の前で組み立てられていくのは、何の計画か。
――だれが実行するんだ?
――まさか自分たちも、頭数に含まれているのではないか?
――いやいやバカな……そんなはずあるか?
イリオンの子どもたちは怪訝な表情で眉を寄せ、しきりにまばたきをしながらアリアの手元を注視した。
「それでみんなで、人狩りどもと皇帝をぶっ飛ばすのよ!」
グッとこぶしを握り、可憐なウインクとともに立てられた親指は、――勢いよく地面に向けられた。
甘いはずの朝焼け色の瞳は、気づけば冴え冴えと冷たく見下ろしていた。
「皇帝だろうが何だろうが、わたしたちを食い物にしたやつらは全て、奈落行きよ。二十年間ためてきたツケを、いい加減払ってもらわなくちゃね」
唖然と言葉をなくした聴衆に構うこともなく、羽ペンで、ユスティフの左下の海上に大きく丸を描いた。
イリオンの位置である。
「敵をボコボコにするだけじゃなくて、わたしたちの国のことも、忘れちゃいけないわ」
手は止まらずに、次々と新しい文字が増えていく。
「まずは、今も島にいるお邪魔虫さんたち! ぜーんぶ、元いた場所に帰ってもらいましょうね~。火口から来たなら、火山に放り込んだらいいかしら? いらないものを綺麗にしまっちゃって、みんなで帰島するの! 二十年ぶりだもの、盛大にお祝いしましょうね! で、ハッピーなお祭りのあとは、イリオンの復興! 国民一丸となって全力を注ぐの!」
大きな丸の外に、ドン! ドン! ドン! と太字で箇条書きが記された。
「尽きないごはん! 潤沢なお金! そして他国に二度と舐めた真似をさせない、圧倒的な強さ! これが三本柱よ!」
「「「「「……」」」」」
(あれ? おかしいぞ。なんでぼくはマニュフェストを聞いてるんだ?)
ニコスは周囲を見渡したが、どの赤い目もうろたえてまばたきをしているばかりである。
ネメシスやニュクスですら同様に、怪訝な顔で凝視しているだけだった。
──黙っているうちに、とんでもない場所へと走り出している気がする。
『ごはん』と耳にした不死鳥だけが、キラキラとした目でアリアを見上げた。
アリアの手と口は止まらない。
まるで、なんでも好きなおもちゃを買っていいと言われた子どものように生き生きと目を輝かせて、地図に赤い標を次々と記していく。
「第一弾は、お家の建て直しよね。衣食住の中でも一番大変なところ! あとはそうね〜、井戸と道路も綺麗にしなくちゃ。畑もきっと草だらけの野ッ原になっちゃってるだろうから、がんばってみんなで耕して、食料を確保しましょうね! そうそう、イリオンの金ピカのお金、すっごく立派だったわ。アレ、たぶん陥落戦のときに盗まれて皇宮にあると思うの。だから皇帝をぶん殴る時に、忘れずにぶんどってこないとね。――奪われたものを全部取り返して、ついでに周辺国の外貨も吸い上げて、お金持ちで強くて堂々としたイリオンにするの! もちろん、ずーっとみんな一緒よ!」
「……」
想像するだけで過酷なハードワーク。
ボアネルジェスは鼻血が出そうになり、ニコスは白目をむいた。
フラフラと眩暈を起こしたアニスをカネラが慌てて支え、ティルダは青ざめた。
そんな彼らに、アリアはピカピカの太陽のように、屈託のない笑みを向けてみせた。
「だから、みんなの家族は必要なの。国にとって、人口こそ力! 力こそパワー! 絶対に一人残らず連れてきて、何があっても、離さないわ!」
「「「「「……」」」」」
ニュクスは(みんな一緒って、そういう意味でもあったか……)と、小さな君主のしたたかさにやっと気づいて天井を見上げた。
イリオンの子どもたちは、長い夜のことを思い出し、遠い目をしていた。
そういえばこの少女は、優しいだけではなかった。
大変残酷でえげつない一面も、持っていたのだということを……
++++++
「アリア。今日はもう遅いので、明日でいいのですが……少しついてきてほしいところがあります」
「あっニュクスさま! デート!?」
「カネラ、もう寝なさい。……きみが目を覚ましたら連絡をしてほしいと言われていたのを、忘れていました」
「連絡?」
アリアは首を傾げた。
エミリエンヌとセレスティーネは夕方に熱いお別れをしたばかりだし、フレデリクも彼女たちから、アリアが元気になったことを耳にしているはずだ。
自分が誘拐され、死の淵をさまよったことを知っている人間など、他にいただろうか?
「皇太子テセウスも、きみの捜索に参加していたんですよ」
ニュクスが告げた言葉に、カネラとアニスは息を呑み、ボアネルジェスとニコスは目を剥いた。
「「皇太子~~~!?」」
「王子さま……ってこと!?」
「わああ~~~すごいすごい! ニュクスさまだけじゃなくてそんな大物までゲットしてるなんて! さすがアリア!」
「ゲッ、ゲット!? なんの話ですかカネラ!?」
アリアはパチパチとまばたきをしていたが、ややあって不思議そうに眉を寄せた。
「えっ、なんで?」
お読みいただきありがとうございます!
改稿により文字数が増えたため分割しました(2023/5/28)




