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第94話 きみは眩しい小さな熱

 ニュクスは、羊皮紙に向けて俯いたままの少女がどんな表情をしているのか見えず、――怖かった。


 平和ボケしたかつてのオルフェンたちが、なすすべなく蹂躙されたことも。


 絶望に身をゆだね、乞い願われるまま友と民を丸呑みしたことも。


 この誇り高く、退くことを知らない少女には、許容できないことに違いなかった。


(……失望されて、しまっただろうか……)


 自分に全幅の信頼を向けてくれる、朝焼け色のキラキラした瞳を思い出すと、慕わしくて胸が苦しい。


 だが。


「このあと……先輩は、どうやって過ごしてたんですか? 生活費は? おうちは?」


「へっ?」


 ――アリアがしごく真面目な顔で切り出したのは、千年王国の滅亡を語った叙事詩の後にしては、大変に落差の激しい、庶民的な質問であった。


(……せ、生活費、だと……!?)


 予想だにしない問いかけに、こめかみをハンマーで無邪気に殴り飛ばされたかのような衝撃が走る。


「ン゛ッ……ン゛ン゛ッ、ゴホッ! ……ま、まずは、ピュティアの祖廟の地に、この家を建てました。ぼくはゴーレムなら何体でも作れるので、作業は彼らにさせておいて、眠っていた十八年の間に世界がどう変わったのか情報を集めました。……先を見越して解呪の仕事を請け負うようにしたので、困窮はしていません」


(もっとこう、あるでしょう!? 自分自身にまつわることで訊くべき事柄が、山ほど……!)と思いつつ、ニュクスは大陸地図を取り出した。


 フルクトゥアト大陸、西方図。


「王太子レクスは、イリオンを攻め滅ぼしたのち、速やかに先王から王位を奪取し、エレウシス大帝国の正統なる後継者を意味する『皇帝(インペラトル)』を名乗り始めました」


 文鎮代わりの黒曜石が、西にゴトリと動かされる。


「そして、まずは西の小国エステルに侵攻しました」


 魔法使いが左手を振るうと、棚から飛んできたラピスラズリが、北東の位置にゴトンと置かれた。


「続いて北のノルデン王国に侵攻、ザウド州を併合しました。周辺国との戦乱は、今も続いています。機動力の高い魔術騎兵相手に周辺国は歯が立たず、侵略戦争を咎める大陸十二カ国共同声明も、エレウシス大帝国の復興というお題目のもとに、はじき返されたのです。やつがあんな真似をしたのは、ユスティフを帝国とし、おのれが皇帝の称号を得るため。エレウシスが滅びてから連綿と続いてきたイリオンを併合することで、正当性を担保しようとしたのです。しかし、イリオンは地図から消えた。――やつらの、手に負えなかったからです」


 ニュクスの手が、ユスティフ帝国の左下、南西の海上に、水晶をコトンと置いた。


「ここがイリオンのある場所です。……今はもう、この国のいずれの地図からも完全に削除されている、懐かしい故郷」


 潮の匂いのする熱い風が、森の深奥の部屋を吹き抜けたように錯覚した。


「拠点を作り、偽の身分証を用意し、解呪魔術師ウィペル・ネフシュタンとしての生活が安定してから、一度、行ってみたことがあります。――いえ。正確には、行こうとしたが、行けなかった。イリオンの周囲は、古代の怪物の巣となっていました。ぼくたちが銛突き漁(スピアフィッシング)で狩っていた獲物とは、全く違う。巨大で獰猛な……おそらく、火口の怪物と同じ場所から来たものたち。それに、脳を破壊せんばかりの音波が、島に近づくことを阻んでいる。あれは耳が良いオルフェンやリオンダーリでなくても、近づくことはできません」


 指先で愛おしげに水晶を撫でながら、少年の顔がつらそうに歪んだ。


「ぼくたちの約束の地は……二度と人が住めない地獄へと、なり果ててしまった」


「……偽の、身分証……。まだ十歳だったのに、そんな苦労をさせて……」


「え?」


 そこ? と顔を上げたニュクスと同じタイミングで、白金の頭がバッと振り上げられた。


 朝焼け色の瞳をまたたかせるのは、涙。


 手が伸ばされる。


「……!」


 目を見開いたまま、少年は、ぎゅっと強く抱きしめられていた。


「ありがとう……! 先輩……!」


 何に対しての礼かわからない。


 わからないが、おのれを抱きしめる小さな身体の力強い温かさに、一瞬、息が詰まった。


「わたしが、生まれた時……! 憎くて仕方ない男の子どもなのに、泣いて喜んでくれた!」


 ――朝焼け色の瞳にも、何も忘れられない少年の見てきた全てが映った。


 なぎ倒されていく命に、何度でも立ち上がろうとする人々に、それでも完膚なきまでに砕く絶望に圧倒されたが、打ちのめされる前に言わなくてはならないことがあることを、知っていた。


「わたしとお母さんを、身を挺して銃弾から庇ってくれた! おじいちゃんやお母さんが撒いた種の、後始末をしてくれた! どんなにつらくて吐きそうでも、気が狂いそうな孤独の中でも、歯を食いしばって耐え抜いてきたのを見たわ……! 一歩も退かない、誇り高い夜の帷(オルフェン)だった!」


「……!」


 手放しの賛美。


 ロードライトガーネットにもじわりと涙の膜が張り、ニュクスは慌てて目をこすった。


「と、当然です! ぼくはきみのオルフェンなんですから!」


「だからたったひとりで、この国を燃やし尽くそうとしているんですか?」


 そう尋ねるアリアは、潤んだ目元のまま、全てを見透かすような眼差しをしていた。


「……そうです」


 少し吞まれながらも、ニュクスは頷いた。


「二十年前には簡単な浮遊魔法すら使えなかったユスティフ人が、今や魔術大国になっているのは、なぜだと思いますか?」


「……」


 魔法とは、境界を超えることである。


 境界の向こうから流れてくる調べを阻害するには、大いなる犠牲を必要とする。


 では、無理やり境界の果てと疎通するには、何を対価とするのだろうか?


「……まさか」


「そう。あの日滅びたイリオンから連行された数百万人のイリオスたち。その魂が、ユスティフ各地で稼働しています。彼らは今も苦しみに囚われたまま、魔術式回路の動力源として、動かされ続けている」


「……!」


「だから、この国は滅びなければならない」


 魔法使いは、暗い眼差しで断固として告げた。


「ネメシスの仕事は、魂の開放の術式を探ることと、阻害術式の無効化。そしてぼくの仕事は、それを成し遂げるために、この国の指揮系統、情報機関、武力装置を、無力化することです」


「……」


 アリアはしばらく頭を抱え、黙っていた。


 見せたくはなかったはずの生々しい記憶を見せてまで、この少年が自分に何を諦めさせたいのか、忘れたわけではない。


 だがどう考えてみても、道は一つしかなかった。


「……やっぱり、目を背けて生きていくのは無理だわ。お母さんも言ってましたよね? わたしこそが、夜明けを導くんだって」


「ユスティティアさまは身勝手です」


「まあそれはそう」


「ぼくはきみを見つけた時から、……あの広いプランケット邸で寂しそうに歌うきみの姿を見た時から、固く心に誓っているんです。たった一人のイリオンの忘れ形見を、決して復讐のコマになどするものかと。それはたとえ女王の御心であっても、関係ありません」


「あはっ! 先輩、頑固ですもんね」


「……」


 明るい笑みを漏らしたアリアをニュクスは不満そうに睨むと、――ややあって、まぶしそうに目を細めた。


 薬品で少し荒れた少年の手が伸ばされて、少女の柔らかな頬にそっと触れる。


「最初は……守るべき、小さな女の子でした。夜闇からも嵐からも守らなければたやすく折れてしまう、かよわいぼくの姫。でも、違った。――きみは眩しい、小さな熱だった」


 アリアを映す夕刻色の瞳に滲むのは、優しい熱。


 母から受けた黄金と同じ、自分よりも大事な何かを見つめる眼差し。


「ぼくはね……、何を食べても、ずっと、味なんてしませんでした。鼻腔を抜ける匂いを遮断しなくては、吐かずに飲み込むことなんてできなかったから。……まとまって一晩眠ることも、できなかった。夜が来るたび、あの夏至の短夜(みじかよ)の長さを、音を、煙を、臭いを、思い出さずにいられなかったから」


 暗い心情を吐露しているというのに、ニュクスの双眸は、そこに輝くものでもあるかのように、眩しげであった。


「目に映るものは何もかも灰に等しく、ただあの男を燃やし尽くそうとする炎だけが唯一、赤く光るものでした。……きみを見つけ、その熱に触れるまでは」


 アリアは、頬に触れる乾いた手の冷たさを感じながら、紅紫(マゼンタ)の瞳を見つめた。


「フラゴナール邸でのことを覚えていますか? きみは濡れ衣を着せられても、心をえぐる悪罵を放たれても、怯むことすらしなかった。恩人に対してまで、命を粗末にするなと説教してみせた」


「あ、はは……。覚えてます……」


「それほどまでに誇り高いのに、不死鳥から助けられなかったぼくのことを、――二十年前、敵に歯が立たなかった役立たずの、おぞましい罪を犯した、こんなぼくのことを、きみは……ヒーローと、呼んでくれた」


 最後の声がわずかに震えたのを、聡い耳は聞きつけた。


 ニュクスは視線を外して、何もない床を見た。


「あんなにも愛らしく、胸を打つ形容をしてもらえるなんて、信じられなかった。……生き残ってよかったと……初めてそう、思えたんです。そんな日、決して来るはずがないと、疑っていなかったのに」


 心情を吐露することに慣れていない少年の指先が、苦しそうにぎゅっと丸められ、呼吸を落ち着かせるように軽く唇を噛んだ。


 彼のうたう歌と同じ、乾いた風に似た小さな声が継がれていく。


「きみを見ていると、思い出します。ぼくを取り囲んでいた彼らが、どれだけ眩しくて、熱かったのか。あの国の笑い声が、歌が、ぼくを取り巻いていた全てが、どれほどやかましくて、優しかったのか。……忘れてしまっていた、かけがえのないぼくの宝。きみがその小さな身体で……全て、思い出させてくれたんです」


 張り詰めた横顔に、アリアはそっと目を伏せた。


 再び自分を映す瞳の澄んだひたむきさが、温かくも、胸を痛ませて仕方ないから。


「前も見えない闇の嵐の中でも、決して光を見失わないきみこそが、ぼくの光。だからアリア――どうか、幸せになってください。この地上のいかなる人間よりも」


 いまだ地獄にある少年は、双眸に誇りと愛を滲ませて微笑んだ。


「きみが日差しを浴びて、人に囲まれて幸福に暮らしているという事実だけで、ぼくは……どんな奈落の底にだって、降りていける」




「……やっぱり、ダメ」


 顔を上げたアリアの瞳は、――黄金だった。




(!? い、今の話のどこに、激怒する箇所が……!?)


 苛烈な怒りを正面から受けて面食らったニュクスは、わずかに後ずさった。


「ダメだわ。やっぱり許せない。――こんなおバカさんみたいにお人好しの先輩に全部押し付けてさっさと離脱したお母さんも、そもそも平和ボケしまくった挙句、後手後手に回って失敗しまくったおじいちゃんも、性格が終わってる父親も、何もかも全部」


「? おバカさん……?」


 言われたことのない形容詞に自分を指しているとは気づかず、魔法使いは首を傾げた。


「わたし、先輩が好きよ」


「……」


 意図のわからぬ言葉。


 だが衝撃の余り、ニュクスはドサッと後ろに倒れ、慌てて起き上がろうとゴッ! と勢いよく机に頭をぶつけた。


 頭を押さえるのも忘れて、ぽかんとアリアを見上げる。


「……へ……」


(家族愛? 友情? 親愛? 尊敬……?)


「お人好しなところも、努力家なところも、皮肉屋なのにわたしにだけベタ甘なところも全部好きだわ。それに、うちの一族のせいでとんでもない苦労をさせられてきた過去を見て、責任取って幸せにしてあげなくちゃって思ったの!」


 ニッコリ!


 激怒の金眼をしていてもなお、可憐な花のような笑みを見て、やっと理解する。


 あっ、これそういう意味だ、と。


「……!?」


 血色の悪い魔法使いの顔に、ぶわっと朱が散った。


吹雪け 氷(ヒオノシエラ)!」


 ――が、迅速に氷結魔法を発動させ、血が上ったおのれの頭に氷塊をぶち当てて事なきを得た。


 理性の祝福は、伊達ではないのだ。


 突然のスピード感溢れる自傷行為に、アリアは「なっ、え!? 敵襲!?」と目を白黒させた。


「ハアッ、ハアッ、ハアッ! も、問題ありません!」


「問題ない!? ほんとに!? 頭から血が出てますけど!? 何を根拠として!?」


「い、いいから座ってなさい……!」


 大事な女の子が冷たい思いをするといけないので、積もってしまった氷塊を窓から投げ捨てながら、(落ち着け……! 落ち着けニュクス・ピュティア! いいか、こういう時は金属の計算方法を思い出すんだ……!)と、脳内の全ニュクスを総動員して、暴発したドーパミンの弁を閉じようと躍起になった。


(銀7:26、水銀56:26、錫61:26、鉛2と24/47単位と鉄1単位にエリキサで黄金錬成……! アリアはまだ9歳、9歳だ! 恋と親愛の区別もわからない年齢――まあぼくもわからないけど! とにかく、浮足立つな! お前はこの子の何を見てきた? 並外れて情に厚く義理堅い、人たらしの厄介極まりないこの性格を……知っているだろう!)


「かっ……! かかかかか軽はずみにそそそそそういう言葉を口にしてはいけませんよ、アリア」


 何とか言語を取り戻した魔法使いは、盛大にどもりまくりながら、顔だけは落ち着き払った様子で振り向いた。


「もっと大人になってから、人柄、経済力、将来性に義理の両親、親戚づきあい、友人の知能、新居の立地、近隣住民の質、ハザードマップの安全度……何もかも全て大陸中でもっとも優れた相手を選ぶんです。目ぼしい者どもを、ぼくとネメシスでピックアップしますから。たとえそいつが地の果てにいようとも関係なく連行してくるので、きみはそんなこと気にせずに、すくすく大きくなりなさい」


「あの、なんか全体的にブルブル振動してますけど、大丈夫ですか?」


「なんのことですか? ここにいるのはきみの世界一カッコいいオルフェンですよ。無様な動きをするわけがないでしょう」


「いやでもあの、窓枠ものすっごくガタガタ言って……」


「と に か く!! きみの伴侶となる者は、地上でもっとも優れた存在しか許しません! 天地開闢以来、未来永劫の人類史を含めて最高の存在しか……!」


 どさくさに紛れて正気の沙汰とは思えぬほどのハードルを設置しながら、ニュクスは照れたように咳払いをした。


「ぼくにとってアリア……きみは、世界で一番大事で愛くるしく、目に入れても痛くない、そうまさに――妹のようなものなんですから!」


「い、妹……!?」


 ガーン!

 ショックを受けて、アリアは固まった。


 ニュクスは、母を早くに亡くし、父と兄だけの男所帯育ち。


 姉とも呼べる存在は暴君そのもの。


 こうした生い立ちから、このクスシヘビ、『妹』という概念を盛大に、――誤解していた。


 彼が抱いている『妹』という形象は、『初孫』とでも呼んだほうが圧倒的に正しいものであったが、――そのことを指摘できる存在は、下の階でデザート作りに勤しんでいた。



お読みいただきありがとうございます!


コメントから(あまり恋愛は期待されてなさそうだな!?)と察している作者ガクブルの78話です。

アリアは恋愛オンチではありませんが、ニュクスはご覧の通りポンコツです。


改稿の結果、1万字を余裕で超えてしまったので、2分割させていただきました…

本当に愚かなピエロで申し訳ございません(2023/2/12)


もしお好みに合いましたら、下部の★5やブックマークを頂けますと、作者の励みになり更新頻度が上がります! よろしくお願いします!

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