第80話 果てなき悪意の果実
テイレシアス家を筆頭とした、十一の夜の帷たち。
主島オンファロスを囲む十一の島をそれぞれの領地とし、半神の特徴に合わせた壮麗な邸を建てているが、転移魔法を使用できるがゆえに、賢人会議以外にもしょっちゅう主島や互いの島を行き来している。
一位のテイレシアス、二位のピュティアまでは序列が定まっているが、そこから下は語る者がどの島出身かによって変わる。
歴史書であってもその有様なので、もはや誰も正確な順番はわからない。
さて、月に一度の賢人会議である。
「……」
「……」
「……」
序列二位の席に平然と腰を下ろした幼い少年――ニュクス・ピュティアを前に、円卓の者たちはまじまじと顔を見合わせた。
「……学校はあっちだぞ?」
「父の名代で来ました」
「おっおっお前が!?」
双頭の犬オルトロスを始祖に持つエリュテイア家の当主セイリオスが、その紅色の目を見開いた。
「兄貴はどうしたんだ!? いつもあっちが来てるだろ!?」
「殿下に急用を頼まれたので留守です。父は陛下の侍医、兄は殿下の遣い走り。であれば、ぼくが出るしかないでしょう」
「「「「……」」」」
一歩も退く様子のない子どもを前に、オルフェンの当主たちは赤い目を交わしたり顎をなでたりと、途方に暮れた。
「ニュクス・ピュティア」
冷たく呼び捨てたのは、序列三位の席につくアネモス家当主のエレクトラ。
ニ位以下の席次が決まっていない中でこの席に座るのは、最年長の女傑であるがゆえである。
「ここは家督を継いだ者、もしくは将来手にする者のみが着席を許される卓。お前は祝福すら持たない身だろう。弁えよ。――おのが運命との約束を果たせ」
「……」
ハルピュイアの傲然とした冷たい声。
オルフェンでない市民が聞けば、震え上がって逃げ出すほどの威圧。
だが我関せぬ顔で、ごそごそ……とニュクスが取り出したのは、数枚の証書であった。
バン! と円卓に置かれたそれを、十対の赤い目が凝視した。
「こ、これは……! 学校の修了証書!? お前、まだ十歳だろ!? おれなんて弟と同じ年に卒業したってのに……!」
「金枝賞だと!? いかれた錬金術バカしか取れないんだぞこれ! なんの論文を書いたんだ?」
「ええっとなになに……反射炉を利用した攪拌精錬法における賢者の石の大量変成――大いなる作業の大量生産簡易効率化……いや目が滑るなあ!」
「おや、卒業試験は全部満点だね。む? 医術薬学は満点を超えているねえ……。困るなあ、学校の教師ともあろう者が採点基準を逸脱して」
「すごいすごい! このアリエス賞、うちが創設したんだよ! こんな小さい子が取るのは初めて!」
「ふふふ……」
どや! と絵に描いたような自慢げな顔。
得意満面の子どもを囲んで、賢人会議はにわかに賑やかになった。
「――とはいえ、ただのガリ勉ではなあ」
「ああ。オルフェンたるもの、腕っぷしも強くないとな」
「結局ものを言うのは腕力だと、古来決まっている」
「!」
前フリのような当主たちのセリフ。
さらにニュクスがドン! と取り出したのは、金のこぶしを形作ったトロフィーである。
「おおおお! 校内の総合格闘技でも優勝したのか!」
「あれって二学年上まで含めてのトーナメント戦だろう? やるなあ」
「……ほんとか? 偽造じゃないのか?」
「反射炉で賢者の石を大量生産できるしな。黄金変成してトロフィーを拵えるなんて朝飯前だろ」
「なんでこっちは疑うんですか失礼ですね!」
地団駄を踏む少年を、当主たちが笑う。
「ふむ……」と呟くエレクトラの声音もまた、楽しげであった。
「そなたのふんばり、とくと見せてもらった。祝福などなくとも関係ない。家督を掴み取るか日陰の身で生きるかは、おのれの力が手繰り寄せる運命次第……ということだな」
「はい!」
琥珀を濃く煮詰めたようなアネモス家の朱い瞳が、にっこりと笑った。
「よかろう! 会議を始めようではないか!」
威厳に満ちた最年長の女傑――だったとしても。
戯れ、無謀、危なっかしさ、力づくのバカ、全力で飛んで火に入る夏の虫。――そのような、報われるとも果てるとも知れぬ夢に魂を燃やす愚か者をこよなく愛するのが、この日の当たる国に生まれた者の性であった。
「だが此度の会議は昨年度と今年度の各島収支の比較、そして来年度の税の検討。子どもには難しいのではないか?」
「お前やそいつが参加しているのだから大丈夫だ」
「どういう意味だ?」
「多忙といえど、参加せぬのはピュティアの都合。何、決まったことを覆したければ、――浜だ」
「ああ! 浜だな!」
「おお、浜か! いいな!」
ワクワクと浮足立った当主たちに、ニュクスは(蛮族が……)と鼻白んだ。
浜。
それはすべてのイリオスにとって、心のふるさと。
友に会えば浜で語らい、よきことが起これば浜焼きで祝う。
子が生まれても浜焼き、成人しても浜焼き、結婚しても浜焼き、――そして葬儀であっても、死者の埋葬が済んだら浜焼きである。
特に何もなくても、新鮮な食材が手に入れば浜で焼いて食う。
そしてもめごとが起きればこれも浜辺でタイマンをし、敗者が勝者に従うというのが、イリオンの不文律であった。
「問題ありません。税の収支報告書はここ十年分をすでに頭に入れてあります。始めてください」
「ほ~ん」
「十年ね、十年」
オルフェンたちは、話半分に聞いていた。
この生意気で跳ねっ返りの怖いもの知らずの新入りの歓迎会のために、会議が終わったらどこの浜でバーベキューをしようかと、まるで関係のないことを考えていたからであった。
+++++
「ニュクス。話がある」
その夕方。
珍しくエピダウロスの本邸へ帰島した父ラサルは、悪友たちとの外遊びから戻った次男を見つけると、執務室へ手招きした。
(タイミングが悪いな……)
そう思いはしたが、怒られることなどを恐れていたら、最初から賢人会議に無許可で出席などできない。
ニュクスは大人しく、父の執務室の扉を開けた。
兄のクロリスも呼ばれたのか、サフランイエローのリネンに綿を入れたラタンのソファーに腰掛けている。
南に向けて開け放された大きな掃出し窓の向こうには、一面の空と海を橙から紫に染め上げながら、水平線へと沈みつつある太陽が滲んでいた。
「テイレシアスのザヴィヤから聞いたぞ。おれの名代と言い張って、勝手に賢人会議に出席したと」
「はい、出席しました。父上も兄上もご不在だったので。それが何か?」
「……はあ~~~~」
低い声で詰問したというのに、全く恐れた様子もなく平然と応じてみせた息子に、ラサルは深い深いため息を吐いた。
年齢の割に苦労の多い顔には、濃いクマが浮き出ている。
「いやいやいや。おかしいだろ、十歳児が円卓に座ってたら。なーんで誰もつまみ出さないのかなあ? おれ以外の当主もたいがい、頭がどうかしてるんだよなあ」
「エレクトラさまには出てけと言われましたが、食い下がりました」
「エ、エレクトラさまに!? あのおっかない女傑に!? お、おれなら心臓が止まっている……! ――まったく、この鼻っ柱の強さときたら。だれに似たのかなあ?」
「父上ではなさそうですね」
「そりゃそうだ。おれは毎日、王宮で胃を痛くしているんだから。リラかなあ? 彼女も、こうと決めたら頑として動かない気の強さがあった。……お前は、母親似だな」
苦笑交じりの父の言葉に、兄弟そろって、執務室の西の壁に飾られた母の肖像を見上げた。
少し癖のあるブルネットの聡明そうな女性のことを、ニュクスはほとんど覚えていない。
「無駄話をするために呼んだわけじゃない。またすぐオンファロスへトンボ返りしないとならん。――陛下がな、王女殿下とクロリスを婚約させるのはどうか……って仰るんだ」
「「!」」
二対のロードライトの瞳が、弾かれたように父を見上げる。
クロリスがソファーを蹴とばすようにして立ち上がった。
「ま、まだ決まったわけじゃない! 打診の前だ!」
息子たちからの熱い期待を込めた眼差しを受けて、ラサルは耐えきれずに後ずさった。
「いいか、絶対に外では言うなよ? ――あまり、陛下の病状がよろしくない。ユスティフとの約定では、王女殿下があちらに身を置くのは成人までと決まっている。もちろん、ユスティフがそう簡単に神の御業を離すとも思えんが、少なくともこっちの貴族と婚約をさせておけば牽制にはなる。クロリスなら年齢もちょうどいいし、身分も釣り合う、本人たちの仲も良いと来てな。……陛下は、ご自分がエリュシオンへ旅立つ前に、次の世代の憂いを取り除いておきたいというお考えだ」
「陛下……」
兄は、王の親心を聞いて気づかわしげな色を浮かべたが、弟は「そう来なくては!」と、喜色満面の笑みを浮かべた。
「子が二人いてよかったですね、父上! しかもどちらも桁外れに優秀と来ている! 兄上が王配、ぼくが当主ときたら、今後百年、ピュティア一族の繁栄は約束されたも同然……! 安心して隠居してくださって結構ですよ!」
「お、お前というやつは……」
ラサルはどっと肩を落とした。
「まあ、そういうことだから、今後ニュクスにも当主業を教えていこうと思う。……いいか? ことはそう簡単じゃない。祝福を持たないお前に、ピュティア一門の跳ねっ返り魔法医どもが、やすやすと従うと思うな」
厳しく見下ろしてくる紅紫を、同じ色をした瞳はたじろぎもせず、「問題ありません」と挑戦的に見上げ返した。
「そのようなことは些事です。ぼくを認めぬ者は、その口が素直になるまで、言って聞かせるだけですから」
そう言いながら、左こぶしを右手のひらにパァン! と打ち付けたニュクスを見て、父と兄は深々とため息を吐いたのだった。
「お前はほんと、イリオスらしいイリオスに育ってるよ……」
――父の執務室を辞した廊下。
ニュクスは兄を見上げると、ニヤリと生意気な笑みを浮かべた。
「嬉しいんでしょう? 難しい顔してないで、素直に喜んだらどうですか?」
「わたしよりお前のほうが嬉しそうだね……」
小憎たらしい顔で小突いてくる弟に苦笑いをしながらも、クロリスは「そうだね……」と窓の外を見た。
ロードライトガーネットが映すのは、はるかな北の果て、ユスティフのある大陸。
「……嬉しすぎて、言葉にならない。この喜びをもし取り上げられたら、きっとわたしはショックで気が狂ってしまうだろう」
「ふはっ! 何を弱気なことを言ってるんです、天下のクロリスともあろうお人が。そんなことにはなりません、陛下の御心ですよ。全ての半神が総力を上げて、兄上と殿下の婚姻を成立させるともう決まってます。――それに兄上には、イリオン千年の歴史に残る大天才の弟がついているのですから!」
ニュクスは思い切り胸を張った。
かつて見たことがないほどに、嬉しさをにじませた兄の横顔。
――ずっと、この顔が見たくて走ってきたのだ。
「ははは! ……そうだねえ。お前が、無祝福というハンデを補って余りある成果を見せたから、父上もお許しになった」
「知ってます。ですから、兄上はお好きなところに婿に行ってくださって構いませんよ。もう薬師のヘビの跡継ぎとしてはお役御免、クビです」
「その減らず口を直さないと、ニュクスのお嫁さん探しは苦労するだろうなあ」
「ぼくは医学と婚姻を結ぶので無用な心配です」
「待て待て待て、にわかに現実の懸念になってきたぞ……。それじゃピュティアが御家断絶するじゃないか」
「ぼくなんかの妻になる女性は気の毒すぎます。不幸な女性を作るくらいなら、こんな家滅びた方がいい」
「お前ねえ……。自覚があるなら直しなさい……」
――夜更け。イリオンの北の沖。
伝統の夜間銛突き漁をしている小舟のもとに、見慣れぬ物体が流れ着いた。
「おい。これ、何かわかるか?」
「ん?」
ランタンの明かりが照らすのは、赤黒く濡れた、こぶし大の塊。
「なんか……デカ目の魚の臓物か?」
「いやあ~? 見たことあるか? こんな部位」
首をひねりながら漁師が手に取ると、見かけぬ内臓はビクン! と脈打った。
「うおおっ!? 動いたぞ!?」
「筋肉の収縮だろ。……しっかし、変な臓物だな。人間の心臓みてえだ」
「怖いこと言うのやめろよ! 捨てるからな!」
漁師が遠くに放り投げると、見たことのない内臓は、放物線を描いて黒いインクの満ちた夜の海に落ちていった。
「げええ……しかも、妙に生あったかかったぜ……」
素手で掴んでしまった男は、いつまでもキトンの裾で手をぬぐっていた。




