第71話 火の矢となりて
ニュクスはすかさず、ピアスを通して聞いているネメシスに確認した。
『どうです』
『待って待って、ちょ~~~~っと待ってねーーー……。あ、あった! 血と灰! ええとこれは……中央の……ロカンクール県! 呪具の窃盗履歴が警邏の過去帳に残っていたよ』
「ロカンクールか」
もう用は済んだと、ニュクスは立ち上がった。
人差し指を鳴らしてテセウスの戒めは解いたが、セレスティーネとリクハルトは地面に縫い付けたままだ。
「ゼェッ、ゼェッ……むっ、無駄よ……」
セレスティーネは、荒い息を吐きながら、氷色の目に憎しみを込めて無礼な尋問者を睨み上げた。
――自分のための世界で。
このように歯向かう存在がいていいはずがない。
「探せっこないわ。だって、大量に妨害術式を立ててるもの! お前のような魔術師がいることは想定外だったけど……! 万が一にも、あの悪女が覚醒することがないように! ちゃあんと思い上がった性根が叩き潰されるように! 何本も何本も、天高く立てたもの!」
「妨害術式だって……!?」
フレデリクとエミリエンヌの表情がサッと変わった。
二十年前を知る者は、突如生み出されたその術式を前に、神の御業とも思えたイリオンの力がいかに無力だったのか、よく覚えていた。
そして、たった一つの妨害術式を成立させるために、どれほどの命を対価に捧げる必要があるのかということも。
「わっ、わたしを痛めつけても無駄よ! 広大なロカンクールのどこで宴が開かれているかなんて、わたしも知らないもの! ――残念だったわね! 大事な大事な、ヒロインだったでしょうに……! お前たちが見つけ出した時にはとっくに、獣のエサにされてるわ! キャハハハハハ!」
「わざわざどうも」
「ぎッ!」
ニュクスがろうそくの灯をかき消すように手を払うと、セレスティーネは白目をむいて倒れこんだ。
忘却魔法の、雑で手荒いやつである。
しばらく重い吐き気と頭痛に苦しむはずだ。
――カッ、カカッ
ニュクスは短杖――に見せかけて実はただの棒である――を使い、床に素早く魔法陣を書き込んでいく。
書物も見ずに一から魔法陣を作成するのは、そしてそれを照合せずに使用することは、イリオンの魔法使いであっても正気の沙汰ではないが、何もかも記憶してしまう彼にとっては特別なことではない。
「ネフシュタンくん! 頼む、ぼくも連れて行ってくれ!」
「わたくしもよ!」
フレデリクは手を合わせて、エミリエンヌはいつもどおり居丈高に頼み込んだ。
「え? 自前の術符があるでしょう?」
「きみが降りる場所がわからないと、救援物資も人手も送れない! ぼくもあの子を探したいんだ!」
「はぁ。それでグウェナエル卿はともかく、夫人を連れて行って何の意味が?」
「いいから! 連、れ、て、けって言ってるのよ!」
「いた、いたっ! いや、さっきの様子を見ててよくぼくを叩けますね!? 怖いもの知らずにも程がある……! ……は~まったく。座標を確かめるだけですからね。確かめたら帰ってくださいよ!?」
渋々、ニュクスは魔法陣を広げた。
紫色に輝き出したそこへ、プランケット夫妻が乗り、ニュクスが左手を上げたその瞬間、――不意に、視界の外から円へ飛び込んできた者があった。
「すまない! おれも連れて行ってくれ!」
「!? ちょっ、危な……!」
転移とは、真空の亜空間を通過する魔法である。
直前で相乗りするなど、危険極まりない。
魔法陣が定めた定員を超えれば、溢れた分は身体がバラバラに分かれて、この世ならざる空間に置き去りにされる。
最も、そんな危険なことをするバカはそういないので、理論上の話だ。
稼働しはじめた魔法を止めることはできず、――なぜかテセウスも伴って、一行はロカンクールへと飛んだ。
(……アリア……! 今ごろ、どんな恐ろしい目に……!)
見えない鎖に戒められ、前後の脈絡も固有名詞もまるでわからぬ会話を聞きながら、テセウスは必死に頭を働かせていた。
なぜ、国境伯の部屋で、夫妻の監督のもと、その長女が尋問されているのか。
いったい、だれの行方を探しているのか。
元より、理解力の長けた王子である。
状況を判断するのに、時間はかからなかった。
――つまりあの子は、温かいベッドで眠ってなどいない。
命を脅かす悪の手に、生殺与奪を握られている。まさしく、今も。
そしてそれが他ならぬ、彼女の姉の手で為されたのだということを。
「ここが、ロカンクール県……!」
魔法陣から降り立ったテセウスは、先ほどまでのエリサルデと異なる、秋の深まった景色に目を見開いた。
――ゴッ!
「痛い!」
転移魔法に飛び込んできたバカへの説教は、時間が惜しいので頭にこぶしを落とすだけにしておいて、ニュクスは大地と空を見渡した。
夜はもう明け始め、東の果てには澄んだ青が滲んでいる。
蛇の感覚器官である皮膚に魔力を行き渡らせて、研ぎ澄ました感覚で探知すると、――なるほどたしかに、妨害術式の打ち立てた柱と、そこから伸びる障壁が感知できた。
(数が多い。……外道どもが)
「ネ、ネフシュタンと言ったか? その、まずは勝手についてきたことを詫びる」
鉄拳を落とされた頭を涙目でさすりながら、テセウスはニュクスに初めて話しかけた。
黒曜石のような瞳は、かつてテセウスが見たいかなる少年の眼差しよりも鋭い。
「……!」
思わず気圧されて、ぎゅっとこぶしを握った。
「その上で、無理を承知で頼む。――おれにも手伝わせてほしい! アリアが悪党に囚われているのなら、おれひとり安穏と、皇宮に帰ることなどできない……!」
「……」
ひたむきなロイヤルブルーの瞳を受けて、ニュクスはわずかに黒い目を細めた。
「それはご立派な心がけだ。……では皇太子殿下。間接照準射撃術式は使えますか?」
「えっ?」
テセウスは、少年が何を尋ねたのか、よくわからなかった。
「ああ……では、フラクタル術式の構築は? 並行仮想二元論はご存知ですか? 掃射術式は何秒持ちますか? 速射砲は? 戦術爆撃が必要なのですが、そもそもどういった高高度移動手段をお持ちですか?」
「えっ、えっ、えっ」
テセウスは決して、不出来な皇子ではない。
むしろ、いかなる学問においても、極めて優秀な生徒である。
だがそれでも、一つたりとも聞き覚えのある単語がなかった。
涙目でうろたえはじめた皇太子へ、ニュクスは「そうですか……」と気の毒そうに眉を下げたのち、いつになく爽やかな笑みを浮かべた。
「では、お気持ちだけで結構ですよ!」
きびすを返すと同時に真顔に戻ったニュクスの後ろで、――テセウスはおのれの不甲斐なさに、打ちひしがれていた。
(む、無理やりついてきておいて、この体たらく……! 何が皇太子! 何がアンブローズの第一の枝! す、す、す……好きな女の子一人、助け出せないとは……っ!)
「……」
膝をついて落ち込んでいる皇太子を横目で見て、ニュクスは(よしよし……)と心中で頷いていた。
(存分に打ちのめされろ。このくらいは厳しくしておかなくてはな。……今のままでは、とてもとても)
――まるで年下をいじめるろくでもない先輩のようだが、別にアンブローズだから意地悪をしているというわけではない。
運命の三女神が与えた宿命のため、彼は憎しみにも恨みにも、酔うことができない性を持っている。
テセウスの父が、叔父が、ニュクスから何を奪い去ろうとも、まだ十の歳を超えたばかりの少年まで、憎悪の対象にすることはできない。
そういう祝福を持って、生まれてきた。
では、なぜ意地の悪い質問をしたのかというと――
(仮にも、あの子の伴侶を目指すというのであれば……最ッ低ッ限! ぼくの足元くらいには及んでもらわなくては! とはいえ彼がどう足掻いても、全てはアリアの心次第。まあ、無駄な努力である目算が高いか……)
――勝手に兄貴面をして、気が早すぎる無用な嫉妬をしていただけであった。
「ネフシュタンくん、状況は?」
フレデリクの問いに、ニュクスは右手で空を指した。
「妨害術式は八本。つまり障壁はその八倍、六四層がロカンクールを覆っています」
「は、八……!? い、いったい、血と灰は何人を犠牲にしたんだ!?」
「単純計算で八四八名ですね」
「ッ……どうする!? きみの力はあの中では効かない。しらみつぶしに探すしか……」
「たしかに、その手段も有効です。卿はそれをお願いします」
他にも手があるような物言いに、フレデリクはけげんな顔をした。
「きみは……何をするつもりだい?」
「……かつて、空にあの柱がそびえることは、その時点でぼくたちの敗北を意味していました。為す術もなく、蹂躙されるしかなかった」
ニュクスは、自らの両の手を静かに見下ろした。
「……ずっと考えていました。どうすれば打ち破れたのか。あの忌々しい障壁を叩き壊せたのか」
魔法使いが左手を上げると、背後に長大な炎の壁がそびえたった。
――燃え盛る炎の中から姿を現したのは、数多の重火器類。
榴弾砲、カノン砲、後装式ライフル砲。
ずらりと並ぶ火砲の隙間からは、数えきれないほどの施条銃が銃身を突き出し、その銃口を主が指さす先へ向けていた。
「雨だれは石をも穿つ。摩耗せぬ防御などこの世に存在しません。――ヒビが入るまで、打ち込むのみ」
まぶたを閉じ、そして再び開けた時、その虹彩は彼本来のロードライトに変わっていた。
色を変じるための魔力すら、攻撃に回すためである。
「! の、脳筋だぁ……! それっぽくないと思ってたけど、やっぱりイリオンの人だあ……」
「障壁の一部に、わずかなヒビさえ入れば良い。それであの子の居場所は一瞬でわかる。――歌が、ぼくを導く」
「歌?」
エミリエンヌがふと聞きとがめた。
アリアからの働きかけに期待するなど、無謀だと思ったのだ。
「獣どもの宴はおぞましく、救いがたいわ。あれほどたくましいあの子ですら、とても……耐えられるはずがない。よしんばお前の攻撃が通ったとして、その時すでにあの子が心折られ、とても歌など歌えない状態になっていたら? もし、歌っていなければ?」
「歌っています」
紅い瞳は、ただひたすらに、おのれが砕くべき障壁を見据えていた。
「必ず、あの子は歌っています。たとえ踏みにじられ、何もかも奪い尽くされ、絶望の中の希望すら、打ち砕かれようとも。……望む運命を手繰り寄せることを、あの子が諦めることはない」
(――だからぼくが、退くことも決してない)
革手袋をした左腕が垂直に上がり、真っすぐに振り下ろされた。
「放て!」
お読みいただきありがとうございます!
二話続けてニュクス視点ですみません。
完全に言いそびれましたが、実はこいつサブ主人公なんです(最初に明記しとけて…)
たまに使っている短杖がただの木の棒であることをやっと描写できました。
次はアリアのターンです! 獣を駆逐しましょう!
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