第68話 狂宴(3)
※子どもが命を落とす描写が出てきます。
※過去で一番きつい話です。体調の悪い方、心優しい方は読み飛ばしてください。
※この物語はフィクションです。
悪趣味極まりない宴は、月の昇るたびに行われた。
たびたび足を運ぶ客も含めて、顔ぶれは毎夜変わるようだったが、半獣の子どもたちよりはるかに獣じみた振る舞いは、老若男女問わず変わらなかった。
『アリア! 何してるのよ……!? お前だけでも逃げなさいよ! 他の子のことは、それから考えればいいじゃないの! あの師匠だか先輩だかは強いのでしょう!? 何とかしてくれるわよ! ――ねえ! ねえってば!』
セレスティーネは、鏡の中でずっと、声を枯らして叫んでいた。
血に酔った客に、妹の華奢な指が折られた時は、その痛みを自らが感じたように泣き叫んだ。
『イヤアアアア! やめてよ! 離しなさいよッ! その指は、お前なんかが手折っていいものじゃないのよ! わたくしの妹は……ッ、わたくしの、妹は……! その指で、すっごく上手に、ピアノを……弾くんだからあ……ッ!』
アリアは、自分を案じてくれるセレスティーネの健気さが温かかった。
この気が狂った夜を超えてこれたのは、自分を掴んで離さない小さな手があったからだった。
それと同時に、彼女の切なる願いを叶えてあげられないことに、胸が傷んだ。
(できないわ。……ごめんね、お姉ちゃん)
『バカ! ――嫌い! わたくしの言うことを聞かないアリアなんて、大嫌いよ!』
座標を見つけるか、妨害術式に穴を開けるか。
選択肢は二つしかない。
アリアは夜ごと、責め苦を受けながら、客たちの情報を探ろうとしたが、血なまぐさい遊戯の参加者だけあってぬかりなく、身元を示すものを隠していた。
邸の中は全ての窓に重いカーテンが降ろされて、少しでも触れようとしたものならば厳しく鞭打たれた。
極度の緊張にさらされて、疼痛の消えぬ身体を抱えて、眠りは浅かった。
その浅い眠りの途切れるたびに、アリアは歌を歌った。
「……アリアの歌、好き。……大好き」
「イチジクの歌をうたって。ぼくはあれが一番好き」
「わたしは、藤の小道が好き……」
「なんでも歌うわ。知らない歌なら、教えて」
歌えば、ともに囚われている子どもたちの気持ちを落ち着かせることができるし、この場所を覆っているという妨害術式に挑むこともできる。
「……うっ」
「! アリア、大丈夫?」
「平気」
垂れた鼻血を拭って、アリアはにっこりと微笑んだ。
頭を締め付けるような痛みが、ズキズキと脈打った。
魔力は、いっこうに戻らなかった。
ニュクスの説明した通り、魔力が生命力そのものであるならば、毎夜拷問を受けている状態で回復するはずがない。
力を使い果たしながら歌い続けているため、頭痛や吐き気に襲われ、頻繁に鼻血が流れた。
身体を動かすと、心臓に刺すような痛みが走ることもあった。
(平気。平気。……まだ、大丈夫)
すがるように自分の周りに集まる子どもたち。その小さな頭を撫でながら、アリアは何度も言い聞かせた。
あきらめることはできない。
だって替わりの利かないものが、懸かっているのだ。
――だがそれでも。
こんな苦痛は、初めてだった。
終わりのない狂宴が、痛みが、恐怖が、毎夜訪れると思うだけで、精神が少しずつ崩れ落ちていくのを感じていた。
(また、月が昇る……)
窓のない地下で、恐怖により形作られた日時計が秒針を進めていく。
軋むように胸が痛む。
(……限界が近い……)
かつて味わったことのない暗い終わりの縁が近づいているのを、アリアは感じていた。
――その一撃は、唐突に訪れた。
いつものように痛めつけられた晩。
夜明け頃、地下牢へ戻されたアリアたちに遅れて、下男が一人下りてきた。
「そら、忘れ物だ」
「!」
乱暴に放り投げられたのは、ベネだった。
「さっさと戻れって言ってんのに、倒れたまんま動かねえで。まったく、手がかかる奴隷さまだ!」
「う……ガハッ!」
動けるはずがない。
顔色は蒼白を通り越して土気色。
今も、咳とともにおびただしい黒い血を吐き出して、ゼェゼェと荒い息をついている。
(な、何をされたの!? どうしてこんなことに!?)
うまく動かない手でベネの服をめくり、――アリアは悲鳴を上げた。
「お、お医者さまを呼んで!」
「あ?」
「このままじゃっ、このままじゃ死んじゃうわ!」
必死の訴えを聞き、下男は目を見開いたのち、――腹を抱えて嗤った。
「ヒャハハハハハハ! バカかお前!? 呼ぶわけないだろ! 死んだら死んだで使い道があんだよ! 骨まで残さず使えるイリオン人~ってな!」
「……お願い! 何でもするから、お医者さまを呼んで!」
「チッ、キャンキャンうるせえな!」
すがりつくアリアを容赦なく蹴飛ばすと、下男は地下牢から出て行った。
あとに残されたのは、苦しげな喘鳴だけ。
「……無理だ。どの道、もう長く持たない。……そういう、呼吸をしてる」
物陰から少女が現れて、目をそらしながらそう告げた。
彼女はすでに何度もこうして、死んでいく子どもたちを見てきた。
「痛い……痛いよぉ……。ママ、助けて……」
「……!」
ほとんど意識を失いながら、うわ言を繰り返すベネの声を耳にして、子どもたちは耐え切れずに目をつぶって耳をふさいだ。
自分もああして死んでいくのだと、絶望の中で、引きつった嗚咽を漏らした。
「ベネ……」
アリアは膝の上にベネの頭を載せると、脂汗の浮かんだ額をそっと撫でた。
細く長く、息を吸う。
もしもわたしが イチジクの木だったら
あなたの上に影を落としたい
手のひらのように 大きな葉を伸ばして
夏の盛りの重い日差しが あなたの眠りを妨げないように
――それは、木陰を吹き抜ける風に似ていた。
静謐で、魂のこもった子守唄。
ベネのくせ毛を優しく撫でながら、「大丈夫よ」とささやく。
「……お医者さまが来てくださったわ。怪我は包帯を巻いてもらって、すっかり元通り。お腹が痛いのも、今だけよ。もうお薬も飲んだから、すぐによくなるって」
嘘だった。
誰も、正そうとはしない嘘。
昼下がりの風のように穏やかな声を聞いて、ベネはかすかにほほえんだ。
「ああ……ほんとだ。もう痛くない……」
「でしょう? 大丈夫。安心していいの」
「……ママは? パパはどこ……?」
「ここに……いらっしゃるわ。ベネにそっくりの、優しそうなご両親ね。ベネが元気になるのを待ってらっしゃるの。もうどこにも行かないって。……ずっと一緒よ」
アリアの声の在り処を探るように、ベネは見えない瞳をそちらに向けた。
「ママ……パパ……。うれしい……。また……会えるなんて……」
喘鳴は少しずつ、小さくなっていく。
痛みを感じないよう、恐れを感じないよう、優しい歌を繰り返しながら、アリアは彼の母がそうしたように、癖っ毛を撫で続けた。
その手の上に、鼻血がパタパタと落ちていく。
最後の呼吸が身体から抜ける音が、かそけき風となって、聡い耳には届いた。
歌が終わるまで、時が止まったように身動きひとつ、誰もしなかった。
「……うっ、……うぅ……」
――その呻き声をアリアが発していることに、少女は最初気が付かなかった。
だってこれまでどんな責め苦を受けても、彼女は苦悶の声を漏らすことはなかったから。
だがプラチナブロンドの流れ落ちる肩は、たしかに震えていて、その震えは次第に大きくなっていった。
「うああ……あああああ……! あああああああん……!」
涙が、ボタボタとあごを伝って滴り落ちていく。
それはアリアが、この絶望の館に来て、初めて流した涙だった。
それを見つめる少女は息を止めて、鉄格子の向こうで、ただ己のこぶしを握りしめていた。
「ベネ……ベネ……! あああああ……!」
ベネを抱きしめて、地に伏せて泣くアリアの周りに、他の子どもたちも駆け寄った。
頬を伝っていたのは涙ではあったけれど、絶望の涙ではなかった。
「ベネ……ベネェ……グスッ、グスッ」
「うわああああん……」
「ひど、ひどすぎるよぉ……」
「……あなたを……! ご両親のもとへ、帰すわ……! 必ず……!」
嗚咽の波が満ちる地下室へ、下りてくる足音があった。
「ふむ、死んだか」
やってきたのは、少女の雇い主であった。
男の家名はおろか、この屋敷がある場所すら、少女は教えられていない。
知っているのは伯爵という位と、その腐り果てた性根だけ。
「運べ」
「! 何をするの!?」
命じられた下男が、すがりつく子どもたちを邪魔そうに蹴飛ばして、ベネの亡骸を抱え上げた。
伯爵は、「ああ……聞きたいのか?」と、肉に埋もれた瞳を嗜虐的に細めた。
「明日は昼と夜が等しくなる晩。その上、月の満ちる特別な夜だ。特別な宴の食材が入用だったからな。ちょうどよく死んでくれてよかった。さもなくば、まだ生きているのを潰さなくてはならなかった」
「食材……?」
アリアの呆然とした問いかけを耳にして、灰色の髪の少女は目をぎゅっと閉じた。
彼女は知っていた。
宴で使いつぶされたウサギの末路を。
「食べるの……? 何を……?」
「まだわからんか!? 貴様らがウサギと呼ばれる理由が!」
伯爵は太った腹をゆすり、歯茎をむき出しにして嘲笑した。
「お前たちは! 肉を喰らえば不老の薬になり! 血で術式を書けば、効果を何倍にも倍増する増幅器になる! 目は宝石に、骨は短杖の芯に、心臓は動力源になる……! まったく……クジラ並みに捨てるところのない獲物だよ!」




