第61話 湖畔の宴(10)-狂い火ワルツ-
「おやおやおや……グウェナエル卿。今宵はお招きいただきありがとう。実に――素敵な宴だ」
「これはラクルテル侯。お越しいただけて光栄です」
アリアに群がる人垣がふと割れたと思われた時。
高慢そうに眉毛を吊り上げた夫婦と、金髪の巻き毛の少女が姿を現した。
『来たわね、極悪マウント女ミミ!』
(ろくでもないあだ名の人が登場したわ)
これまで大人しくしていた鏡のセレスティーネが、少女の気配を察してかキャンキャンと声を上げた。
『いいこと? あのマウントゴリラがやって来たからには、すでに試合のゴングが鳴らされたと思いなさい。負けたら承知しないわよ、アリア!』
「貴族のお嬢さまって好戦的すぎじゃない? 戦闘民族なの?」
ちなみにアリアの権能の限界か、彼女の声は近しい肉親である国境伯夫妻にしか聞こえない。幸いであった。
プランケットの政敵、ラクルテル侯爵家。
一家は青い目に侮蔑を浮かべながら、アリアを上から下まで無遠慮に眺め回した。
「まあ本当に赤い目をしてるのね。なんだか悪魔みたいで気持ち悪いわ。生まれつきそんな目だなんて、お気の毒に……」
気の毒そうに言ってのけたのは、ラクルテル家嫡女のミュリエンヌ。
良識を疑う発言だが、周囲のニヤニヤとした視線を感じ取るに、たぶんプランケットが相当に温和なだけで、貴族というのは半獣に対してこのような振る舞いをして当然なのだろうと察せられた。
「そうですか? わたしは気に入ってます」
アリアはにこやかに笑いつつも、目前の少女のことを早々にいけすかないやつとして分類分けした。
母譲りの瞳を侮辱されたということは、母を侮辱されたに等しい。
「プランケットはずいぶんと羽振りが良さそうですな。当家は新しい事業で手一杯で、このような宴はとてもとても」
「ほう、それはどんな?」
「ここだけの話、魔術式を動力とした機関車を開発しておりましてね。中央から放射状に地方へ伸びて、ゆくゆくはアフラゴーラまで伸びようかと計画しております。あと数年で実用段階に入ろうかというところです。……グウェナエル卿だから申すのですよ」
魔術機関車が何かは知らないが、要はこれから莫大な富を稼ぐ予定なので、存分に悔しがれという意味である。
得意満面なラクルテル侯爵に比べて、フレデリクの表情は陰った。
「魔術式の……? しかし機関車など、さすがに動力源への影響が」
「そんなもの、月に百人もいればよいでしょう。ああ! ご心配なく。御家の養女を使おうなんてもちろん思っておりませんよ。何、宝石の民に比べれば効率が悪くとも、問題なく動くことは実証されております」
チラリとこちらを見下ろした瞳は、獲物でも見るかのように冷たく、アリアの背筋を寒気が駆けのぼった。
(これは……何の話をしているのかしら?)
まるで理解できないながらも不穏な響きを感じてフレデリクを仰いだが、氷色の瞳は打ち沈んだように虚空を見つめているばかりだった。
二階を見上げると、影から貫くような視線でニュクスが見下ろしていた。
やはりこれだけ離れていても、会話は聞こえているらしい。
「そうだわ、お父さま! あたくしのピアノを皆さんにお聴かせして差し上げたいと思うの! 筋がいいって、ミカエル先生もいつも褒めて下さるのよ。いいアイデアじゃなくて? きっとアリアさんもお勉強になると思うわ」
大人たちの会話に飽きたのか、ミュリエンヌが無邪気そうに手を叩いて両親を見上げて提案した。
「まあミミったら! なんて優しい子なのかしら! そうね、こちらの方は音楽なんて望むべくもないご環境でお育ちになられたから、ミミの演奏を聴いてきっと為になると思うわ」
「よろしいでしょう? グウェナエル卿」
フレデリクは、例の腹痛を我慢しているような顔をしながら「か、構いませんよ……」と震え声で答えた。
実際には笑いを堪えているだけなのだが、ラクルテル家には屈辱に打ち震えているように映ったのだろう、満足げに「そうでしょうとも」と頷いた。
ミュリエンヌはアリアを流し見て、ニヤリと口の端を吊り上げた。
主催者一家と侯爵家一家の会話とあって、会場の多くの者たちは聞き耳を立てており、他家の子どもたちも少し離れたところから遠巻きにこちらを眺めていた。
セレスティーネは――見渡してみたが、いつの間にやら姿を消しているようだ。
(なるほど。極悪マウント女のあだ名は伊達ではないようね)
ミュリエンヌが弾いた曲は、メスナー作曲、謝肉祭のワルツ第二番。
ところどころテンポが乱れるところがあったものの、それもまた子どもらしく、楽隊の伴奏もついたためボリュームも生まれて、招待客の耳を楽しませた。
演奏を終えた少女が礼をすると、周囲からほほえましげな拍手が上がった。
「ああ、疲れちゃった! 喉が渇いたわ」
ミュリエンヌはそう言って、給仕からぶどうジュースを受け取るやいなや、アリアに向けてバシャッと投げつけた。
「!」
「まあ、ごめんあそばせ」
周囲からざわめきが起き――いざこざを楽しむ、愉悦を含んだ視線がいくつも飛んできた。
「悪気はなくてよ。手が滑ってしまったの。ほら、あなたはご存知ないかもしれないけど、演奏のあとって疲れるものだから」
「……あら~」
アリアは花のような笑みを浮かべ、小首を傾げると頬に手を当てた。
(――叩き潰そう)
「あたくしばかり弾かせてずるいわ! アリアさんは? なんでもいいから弾いてごらんなさいよ」
当然、孤児院育ちの半獣に、ピアノなど弾けるはずがないと思っての発言である。
まあそう来るだろうと踏んでいたので、アリアは朗らかにすら見える笑みを浮かべたまま、「そうするわ」とピアノの椅子をひいた。
「まあ、正気!? ……親切心から忠告してあげるけど、わざわざ恥をかくようなこと、貴族の女の子はしないものなのよ?」
「勉強になるわ~」
フレデリクは珍しくケンカを買った様子のアリアを眺めながら、(別にうちの子の音楽の才、隠してないんだけどな。ラクルテルの情報網も大したことなさそうだ)と考え、エミリエンヌは面白そうなことが始まったと気がついて、ホールの端から飛んできた。
ポケットの中のセレスティーネは、他人に聞こえないのをいいことに、『ぶっ飛ばしておやり!』と思う存分ヤジを飛ばしている。
「アリアお嬢さま、なんの曲を?」
「おんなじ曲よ。でも伴奏はいらないわ。――ラウテンバッハの方だから」
「えっ?」
指揮者が聞き返した時には、アリアは早くも鍵盤にその指を下ろしていた。
謝肉祭のワルツは初心者でも弾ける曲だが、メスナーから百年後に生まれたラウテンバッハは、その軽やかな祝祭の旋律を凶悪な難曲へと編み直した。
別名、ラウテンバッハの狂い火ワルツ。
複雑なトリルの連打と超高速のフレーズが連続する、超絶技巧曲の一つである。
会場の者たちは曲がりなりにも貴族揃いとあり、音楽の基礎知識は一通り納めていたため、この難曲を子どもが弾くだけでも衆耳を驚かせた。
まして、つまづきながらやっとやっとの演奏ではなく、その小さな手が縦横無尽に鍵盤を駈けるとあっては。
音の粒は一つ一つ明晰に際立ち、消え入りそうな音色も鳥肌が立つような迫力も自在に操ってみせる。
生まれつき、母と音楽の神には愛された。
この喉と手首から先は、思うがままに制御することができた。
そんな身が、プランケットという恵まれた環境に置かれ、教師のもと存分に、毎日何時間でも練習に精を出していたのだ。
鍵盤の上は、アリアの独壇場であった。
(まったくもう! 適当に! お茶を濁してあげてもよかったのに! せっかくお母さまがデザインしてくれた大事なドレスに! なんてことしてくれたのよ! 極悪マウントミミちゃんっ!)
祝祭の曲にしては小規模な怒りが込められていたが、招待客たちはその完璧な調べに唖然と口を開け、驚きに慣れた者から酔いしれた。
先に奏でられた同じ曲との次元の差は、誰の耳にも明らかであった。
最後の一音を鳴らし終えると、アリアがその腕を鍵盤から降ろす間もなく、力強い拍手が巻き起こった。
「これは素晴らしい! プランケット卿は天才少女を養育されているのですな!」
「耳が快くてずっと聴いていたい心地でしたわ……」
「この年齢であれだけ弾けるとなると、皇帝陛下の御前で演奏するようお声掛けがあるやもしれませんな」
こぞって誉めそやす貴族たちに対し、フレデリクが防波堤となって「ハハハ」といつもの食えぬ笑みを浮かべている。
アリアは立ち尽くしているミュリエンヌを振り向いた。
「それで……何のお話でしたっけ? あ、勉強になると思うわ、と仰ってましたね。――ええ! ミュリエンヌさま、勉強になりました! ふつうの九才の子のレベルを教えていただいて、ありがとうございます!」
「!」
呆然としていたミュリエンヌの頬に朱が散った。
「こ、このッ! 獣臭い半獣のくせに、あたくしに張り合おうなんて生意気な! 身の程を知りなさい!」
右腕が振り上げられて、飛んでくる平手打ちをアリアが普通に避けようとした時。
細い腕を、パシッと後ろから掴む者がいた。
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改稿により文字数が増えたので分割しました(2023/5/27)




