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第45話 別館の悪霊

「まったく。ど~~こに入ってくれちゃったのかしら、ぽにすけったら」


 明るいミントグリーンのエプロンドレスを身につけたアリアは腕組みをして、扉も窓も固く閉ざされた別棟を見上げた。


 ぽにすけとは、アリアの部屋に住み着いた不死鳥の雛のことである。


 古いイリオンの言葉ではフェニックスのことをポイニクスと呼ぶのだとネメシスに教えられた瞬間、「じゃあぽにすけね」と速攻で名前が決まった。


 不死鳥はショックを受けたような表情をしていたが、エサにTボーンステーキを与えると全てを受け入れ、大人しくぽにすけと呼ばれている。


 そのぽにすけ、言葉を解する分ほかの鳥よりも賢いため、ふだんから檻に収まることもなくアリアの肩や頭に乗って移動しているのだが、つい先ほど池まで散歩に来たところで突然飛び立ち、そのまま別館の煙突へと消えてしまったのだ。


『あそこは入っちゃだめですよ!』


 そうメラニーから言い聞かされていたものだから、どうしたものか考えあぐねているのだった。


(理由までは聞いてないけど……ふだん管理していないお家だものね。子どもが入り込んで怪我でもしたら、管理人もメイドたちも大弱りだわ)


「だれか呼んでこようかしら。でもみんな忙しいのに、ぽにすけのことなんかで時間を取らすのも悪いわよね……」


 赤い煉瓦造りの、田園風を意識した二階建てのこじんまりとした館である。


 どの部屋の窓にもカーテンが下されており、陽に褪せたその蔓薔薇模様から、ここ数年まったく使用されていないことが窺われた。


 迷いながら見上げていると、ふと耳に届くものがあった。


 ――ひっく……ひっく……ぐすっ。


 それは泣き声だった。


 迷子の小さい女の子が、途方に暮れてしゃくりあげているような嗚咽。


 アリアはパチパチとまばたきをした。


 音の発生源は。


「え……ここから?」


 反射的に玄関ポーチまで近寄ってドアノブを回すと、木製のドアはたやすくガチャリと開いた。


(!? 開いたわ!? な、なんで!?)


 普段管理していないとはいえ、だからこそ施錠されていないはずがない。


「あ、あんまりプランケットの人たちが来ないものだから、地元の子どもたちが遊び場にしているのかしら……?」


 それらしき理由を考えてみたが、鍛え抜かれた危機管理センサーが怪しげな気配をビリビリ察知していた。


 全くもって入りたくない。


 もうここから逃げたい。


 そもそもグウェナエル領最上位の貴族邸に入り込むような命知らず、いくら子どもであってもいるとは思えない。


 だが逡巡しているうちに、二階のほうからバサバサと羽ばたきの音も聞こえてきた。


(……致し方ない、回収しなくっちゃ)


 アリアは覚悟を決めて、渋々エナメルの靴を別館へと差し入れたのだった。





 そこは外から見たとおり、長いあいだ使用されていない邸であった。


 いずれの家具にも埃が積もり、滞留した空気を吸った瞬間カビ臭さが鼻腔に満ちて、くしゃみが飛び出した。


(なんか……プランケットらしくないセンスの内装だわ)


 一見した印象はそのようなものだった。


 プランケット本邸は黒とボルドーを基調にした重厚なもので、家具も艶深いマホガニーにアイアンから成る厳めしいものが多い。


 別荘の本館はリゾート地らしく開放的ではあるが、深いピーコックグリーンと金をメインカラーとした内装は、本邸と同じく垢抜けた高級志向で形づくられていた。


 一方こちらの別館を彩るのは、若草色と白のストライプの壁紙、節のあるパイン材を使った調度品、不器用な刺繍のクッション、時の止まった赤い屋根の鳩時計と、温かみのある田舎風インテリアである。


 部屋の隅に小さな木馬が転がっているのを目にし、そのまま奥へと視線を向けると、ドレスを着たお人形、バラ模様の手鏡、うさぎのぬいぐるみ、つみきなどが点々と落ちているのが見えた。


(子どものおもちゃ……。どうやら、小さな女の子が暮らしていたみたいね)


 ――だれと? いつ?


 疑問に思ったその時、上の方からバサバサと羽音が聞こえてきた。


「あっ、ぽにすけ! も~……! 早く回収して出なくっちゃ!」


 正直、握りしめた手は冷たい汗でいっぱいだった。


 だってさっき確かにこの邸から女の子のすすり泣く声を聞いたというのに、数年ずっと誰も入っていなかったような空気をしているのだ。


 そうでありながら、聞こえすぎる耳には、気づかれないように呼吸をするような、そっと身じろいでかすかに衣擦れが立つような、身を潜めた何かの気配を感じ取っていた。


(こんな不気味なところからはおさらばしたい……! 一刻も早く!)


 果たして探していた不死鳥の雛鳥は、二階へと続く階段の上に止まっていた。


「ぽにすけ! 帰るわよ!」


 呼びかけたものの、のんきな雛は毛づくろいを始めてしまい、一向に下りてこようとする気配がない。


「くっ……ぐぬぬ……」


 仕方なく階段を上っていくと、ふと動くものが視界に入った。


 アリアはぎょっと目を見張った。


 それは大きな鏡であった。


 二階の私室から一階に向かう前に身支度を整えるように設置してある、ありふれた楕円の姿見。


「な、なんだ。鏡かぁ……」


 息をついたのもつかの間。


 まばたきの隙に、後ろに女の子が佇んでいた。


「!」


 背格好はアリアと同じくらい。


 俯いた顔は長い黒髪で隠れ、真っ白な肌に、目の醒めるような赤いワンピースを身にまとっている。


「ッ……どなたかしら?」


 悲鳴は、すんでのところで飲み込んだ。


 少女がゆっくりと顔を上げると、――頭からダラダラと血が流れ、真っ赤に血走った瞳と目が合った。


 小さな歯が覗く口元は笑みの形。


 だがその瞳を爛々と輝かせるのは、紛れもない悪意。


 アリアは悟った。


 ――悪霊だ。


『哀れな生贄。お前の身体、あたしにちょうだい』


 白い手が伸ばされる。


 青ざめた顔の下に続く細い首が、後ろから爪を立てて締め上げられる。


 血の凍るような冷たさが、またたく間に頸動脈から全身に伝播した。


「ひゃっ……ひゃわあああああ!」


 アリアは両手を振り回した。


 足がもつれて転落しそうになる。


 首が開放された隙になんとかぽにすけを引っ掴むと、転がり落ちるように階段を駆け下りてドアにしがみついた。


「あわわわわわひゃわわわわわ」


 間抜けな悲鳴だが許してほしい、口から心臓が出そうになっている。


 ガチャガチャとドアノブを動かしても、鍵でもかかってしまったかのようにビクともしない扉を前に、朝焼けの瞳にみるみる涙が滲んだ。


『キャハハハハハハ!』


 屋敷中に悪霊の笑い声が反響する。


『出られっこないわ! 一生ね! お前はここで干からびて死ぬのよ! キャハハハハハ!』


「……!」


(だっだから入っちゃダメって言ってたの!? いや、こんなやばいのがいるってわかってたらとっくに別館ごと燃やして更地にしてるわよね!? 知ってて野放しにしてたら許さないわよ、お父さま~~~!)


 全身に冷や汗をかきながらも、――こちらには、確実な勝算があった。


 アリアは散乱したおもちゃのもとへ駆けると、その中の一つ、薔薇をかたどったコンパクト型の手鏡を手に取った。


 どこから声が出ているのか、聡い耳はすでに聞き分けていた。


 渾身の力で叫ぶ。


導け(ドゥーカト)! 地の露へ(ティルマティム)!」


 ――えっ、ちょ……


 不死鳥事件からこのかた、転移術符はポケットに入れて持ち運ぶようにしていた。


 この切符さえあれば、何に襲われようとどこに閉じ込められようと、アリアが絶対の信頼を寄せる二人の待つ館へと離脱することができるのだから。


 金色の魔法陣が輝き、困惑したような悪霊の制止もまとめて、風が遠い彼方へ転移させた。






 深い深い森の奥、地の露(ティルマティム)


 シュポッ

 天上から吊り下げたヒッポグリフの瞳が、緑色に光った。


「!」


 珍しくふたりそろって一階の応接間(ドローイングルーム)で研究に没頭していたクスシヘビの兄弟は、いつもとは違う時間帯の来客に顔を見合わせた。


「何かあったのかな」


「見てきます」


 すかさずニュクスが出迎えようと腰を上げた瞬間、早くもバン! と扉が開け放された。


「師匠ッ! 先輩ッ! なっなんかっ、変なのが家にいて……! どうしたらいいですか!?」


 息を切らして立っているのは、彼らが溺愛して止まない女の子。


 不死鳥を頭にのせ、ピンクの瞳に涙をいっぱいに貯めながら、右手を突き出している。


『嘘、ここ、外!? で、出られたの……!? やっと……! やっと!』


 突き出された手から響くのは、たしかに人ならざるものの声。


「おやおや、これは」


「……」


 ネメシスは興味深そうに目を細め、ニュクスは大事な少女を泣かせた異物をきつく睨みつけた。



ホラーは大好きですが、超絶ビビリなのでこの短さでも自分で書くのはきつかったです。


今日もお読みいただきありがとうございました!

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