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第41話 夜明けの大団円(後)

「それにね」


 アリアは可憐に小首をかしげると、大きな瞳で養父母を見上げた。


「オーギュストさまとフランに家出しようって誘ったのはわたしなの。……だって子爵はフランを養子に出すなんて平気で言いだして、二人が傷ついているのも気づかないんだもの」


 普段の彼女を知る邸内の者は、早くも口の滑らかさが戻ってきたことを察した。


「ガブリエル夫人はフランに女の子の服を着せたりするし、オーギュストさまがどれだけくたくたでもお稽古を休ませてあげないし。お二人とも、どれだけ家族が大事なのか、思い知ればいいと思ったんです。まあ、不死鳥に襲われたのは予想外だったけど……。だから、悪いことを提案したのはわたしなの」


 と~っても反省しています……としおらしい顔をして、アリアはここぞとばかりにリスナール夫妻の所業をチクった。


 今なら聞いてもらえそうだと勝算を感じたし、寄り親の当主に食って掛かった二人の兄弟の気概を、しかと受け取っていたからだ。


 今度はこっちが塩を送る番である。


「ン゛ンッ! そっ、そうなんだ……」


 フレデリクは何とか笑いをこらえようとしたが、少し漏れてしまった。


 実はアリアが義侠心を出すまでもなく、先ほどからリスナール子爵夫妻は途方に暮れたように立ち尽くしていた。


 自分たちが(あやま)っていたこと、どのような過ちを犯していたのかということを、この一晩の子どもたちの言葉が、ふるまいが、表情が、雄弁に語っていたからだ。


 そして確かに、この腕から永遠に失われるかもしれないという恐怖が、()み飽きて(おご)った精神を叩きのめしていた。


「ギュスト、フラン。……すまなかった」


「許してちょうだい……」


 絞り出された声は小さかったが、二人の息子たちには確かに聞こえていた。


 弾かれたように、二対の緑の瞳が父母を見上げる。


「わたしがどうかしていた。フランを養子にやろうなど……! ギュストの先生たちにも暇を出す。お前をもっと伸び伸び学ばせてやれる教師を、探し直しだ!」


「わたくしも……身勝手な母でごめんなさい、ギュスト。立派な跡取りを育てなくてはとそればかりを考えて、あなたの気持ちを置き去りにしてしまった。フランにも……あなたがあんまりかわいい顔で生まれたものだから、つい趣味を押し付けてしまったの。……独りよがりだった」


「お前たちは、ただいるだけでこんなに愛おしいのにな。欲に目がくらんだ愚かな父を、どうか許してくれ」


 兄弟の目にとうとう涙が浮かんだが、二人揃って顔をそらすとこぶしで乱暴に拭った。


 泣き顔なんてものを、絶対に見られたくない人ができたのだ。


「ち、父上。母上……」


 だが喉はこらえきれずに、熱く掠れていた。


「……ありがとうございます。でも、先生方は変えないでください。おれはもっと、もっと強くなりたいんです」


「ぼくも! 急に兄さんの先生は、無理かもしれないけど……! ぼくも、剣術を習いたい!」


 ドミニクはまぶしそうに目を細めて二人の息子を見つめ、「そうか」と優しく頷いた。


 さて、場が緩みかけたところで。


「丸く収まったようで何よりだわ。それはそうと、わたくしの娘を幾度も愚弄してくれたこと、忘れていないわよね? ドミニク・リスナール」


 冷たく言い放ったのは、ドレスが汚れ髪がほつれ、顔に泥をつけてなお美しいエミリエンヌであった。


 ドミニクは一瞬にして笑顔を消し、唇を噛んで頭を垂れた。


「……承知しております。我が舌禍のため、アリアさまのお心を痛めたこと、慙愧(ざんき)の至りでございます」


「口先で謝って済むとお思い?」


「いや姉さん、すでに鼻血が出るほど殴ってるよね? 何発も」


「「「鼻血!?」」」


 さすがに見かねたギルベルトの口出しに、その場にいなかった子どもたちはみなぎょっと目を剥いた。


 夜明けの光の中、たしかによくよく見上げれば、ドミニクの顔は青アザだらけになっている。


「それが何よ? わたくしの扇が一つ無駄になってしまったわ、白痴の肥満体ごときに」


「あのさあ……」


「……ふふっ!」


 恐ろしげに領主夫人を見上げる兄弟の横で、明るい笑い声が上がった。


「あはははは……! もう、お母さまったら!」


 養父の腕の中、澄んだ朝日に照らされて涙目でケラケラと笑い転げる少女の姿は、まるでおとぎ話のように可憐でだれもが目を奪われた。


 たとえその笑顔の理由が、凶悪だったとしても。


「許します、ドミニク・リスナール子爵」


 平身低頭するドミニクを見下ろすのは朝焼け色の瞳。


 口元に浮かぶのは、品よくも傲然とした君主の笑み。


「自分の借りは自分で返すのが信条だけど……お母さまの扇に免じて、今回だけは特別よ」


 衣服は引き裂かれてボロ布に成り果て、髪も肌も泥まみれで、鼻は強くぶつけたのか赤くなっているような有様だというのに、それは膝をつくのが当然だと思えるほど、気高い笑みだった。


 ドミニクは思い出していた。


 言いたい放題の悪罵を浴びている時でさえ、この少女はずっと背筋を伸ばし、相手をまっすぐ見据えて退かなかったことを。


「これは……とんだ節穴でございましたな!」


 そう言って、やや薄くなった額をパチンと叩いた。





 完徹で捜索をしたということもあり、半日ゆっくりした夕刻に、リスナール子爵家の見送りとなった。


 別れの時にすら、セレスティーネが姿を見せることはなかった。


 メイドに呼びに行かせたものの、部屋から出てこないという報告を受けたエミリエンヌはわずかに眉をひそめただけで、それ以上何かをしようとはしなかった。


 アリアの足は靴を履いて歩ける状態ではないため、フレデリクに抱きかかえられたままの見送りとなり、その様子を屋敷中の使用人たちがニコニコと微笑ましく見守っていた。


(くっ! だいぶ恥ずかしいわ……!)


 いつもどおりの笑みを浮かべてはいるが、赤ちゃんのような扱いにはひそかにダメージを受けている。


 その膝の上には、元気よく首の火輪を燃やした不死鳥の雛鳥が乗っていた。


「またね、フラン! お元気で、オーギュストさま!」


「あ、あの、アリア!」


「ん?」


「そっそのっ! えっと、あのさ……っ!」


 フランシスは頬を赤くしてなにごとかを言いたそうに、口を開けたり閉じたりしている。


 言葉が継がれるのを待っているアリアの前に、オーギュストが一歩進み出た。


「どうかおれのことはギュストとお呼びください、アリアさま」


 精悍な顔に笑みを浮かべて、礼儀正しく左胸に手を当てる。


「いいの!? じゃあ、わたしのことはアリアって呼んでね!」


「それはできません」


「えっ」


 少年は地面に片膝をつき、深い緑の瞳で少女を見上げた。


 キラキラと炎がまたたく、森の泉色をしたアレキサンドライト。


「まだ刀礼を受けていない身ですが……わたし、オーギュスト・リスナールは、アリア・プランケットさまに忠誠を誓います。あなたの敵から決して退かず、あなたの矛となり盾となり、この剣を捧げます」


 それは、騎士の誓いだった。


「剣は持ってきてないんですが……」とはにかむ様子も決まっていて、息子の凛々しい姿にリスナール夫妻は天を仰いで感涙をこらえた。


「おやおや、隅に置けないねアリアも」


「わたくしの娘だもの、当然の結果だわ」


 国境伯家の大人たちは、この上なく面白いものを眺める目つきをしながら大人げないコメントをよこした。


 アリアはというと、……普通に照れて真っ赤になっていた。


 母の生き写しと称される顔で生まれ落ちておきながら、男の子からこんな扱いをされるのは初めてのこと。


 何せつい最近まで、悪そうなヤツらはだいたい友だちの下町育ちである。


「あの、恩賞とか出せないけど……!?」


「構いません。あなたに尽くせることこそが、一番の褒美です」


「な、なんかお姫さまみたいな扱いで、照れちゃう」


「ふふ! 正真正銘、アリアさまはプランケットの姫ですよ。そして、おれのレディでもある」


「くっ! ハンサムが過ぎるわ、オーギュストさま……!」


 はにかみまくるアリアを見上げ、フランシスは真っ青になった。


「ず、ずるいずるいずるい! 兄さんばっかり! いっつもそうやっておいしいところを持っていくよね!」


「そんなことない。けっこう譲ったぞ」


「ずーるーいー!」


 兄に抜け駆けされた弟は、涙目を拭って少女に向き直った。


 領主の腕に収まって、優しく微笑んでいる金の髪の姫。


 春のひだまりのような姿の下には炎があり、触れたら最後、その延焼を身に浴びずにはいられないことを知っている。


「アリア!」


「うん」


「ぼ、ぼくも強くなる! 兄さんに、いや、この国の誰にも負けないくらい! だからっ、だからぼくと、ぼくと……! っぼくと……!」


 少年は、倒れそうなくらい真っ赤になっていた。


「ぼくと」の先をなんとか口に出そうとして、息を何度も吸ったが、ふと、自分をじっと見つめるピンク色の大きな瞳を真正面から見てしまった。


「うわああああ!」


 両手で顔を覆い隠す。


(可愛い! 可愛い……!)


「もう! 冗談は性格だけにしてよ! 顔面まで強いなんていい加減にして!」


「!?」


 急に怒られたアリアは激しくまばたきをし、フランシスはキッ! と見上げた。


 耳まで真っ赤な顔で、涙混じりのペリドットがまっすぐに朝焼けの瞳を映す。


「……必ず迎えに来るから、待ってて!」


 愛の告白というには遠回りで、プロポーズと呼ぶには未熟すぎる。


 だがありったけの勇気を振り絞った、弟の精一杯の思いのたけに、オーギュストは苦笑いまじりの目を細めた。


(……どう答えようかしら)


 アリアはフレデリクとエミリエンヌに目をやった。


 フランシスが言おうとしていることがわからないアリアではない。


 自分の婚約などの行く末について、何かすでに考えがあるのではないかと養い親を伺ったところ、――二人ともものすごく深刻そうな、お腹でも痛そうな顔をして、プルプルと震えていた。


 必死で笑いをこらえているのである。


「……」


 どうしようもなく頼りにならない大人たちに冷たい視線を送り、アリアは「フラン」とほほえんだ。


「とっても申し訳ないんだけど、待っててあげないかもしれないわ」


「……え!? この流れでそういうこと言う!? 鬼かなんかなのきみは!?」


 フランシスの両目に、たちまちじわっと涙が盛り上がる。


 アリアはふっくらとした少年の頬にそっと手を伸ばし、曇りのない笑みを浮かべた。


「わたし、すっごく大きな夢があるの。まだ言えないけど、それを叶えるためにぜんぶ捧げても惜しくない。足を止めてなんかいられないの。だから、……あなたががんばって、追いかけてきて!」


 小さな太陽が笑う。


「……そうだった。きみってそういう女の子だったよね」


 悔しそうに睨むフランシスもまた、根負けの笑みをこぼした。


「アリアさま。おれたちはあなたと血は繋がっていません」


 オーギュストが傍らに立ち、澄んだ真っすぐな眼差しでアリアを映した。


「けれど血よりも濃い絆を、あなたと結びたいのです」


「きみがぼくたちを、再び結びつけてくれたから」


「……!」


 二対の緑の瞳の意図を理解したアリアは、フレデリクの腕から下りると、二人の少年をぎゅっと強く抱きしめた。


 ガーデニアの強く香る頃。


 一日前とは打って変わって賑やかに語り合いながら、リスナール子爵家を乗せた馬車はポクポクと国境伯邸を後にした。


「また来てねー!」


 窓から顔を出した二人の兄弟と、養父に抱き上げられたアリアは、お互いの姿が見えなくなるまで長いこと手を振り合っていた。


「……」


 西翼の窓から、その様子を冷たく見下ろしていた氷色の瞳には、ついぞ誰も気が付かなかった。


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