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第35話 オーギュストとフランシス(2)

「グエエッ、ガアァァ――――!」


 目が潰れそうに輝く巨大な鳥。


 金と赤の羽には鱗粉のような炎をまとい、陽炎がゆらめいている。


「やあやあ姉さん、フレデリク殿! ご無沙汰しておりましたよ~!」


 エミリエンヌと同じエメラルドの瞳をした青年は邸に飛び込んでくるや否や、そう気の抜けた挨拶をしてのけた。


 ルフトシェン侯爵家のギルベルト・ルフトシェンである。


「おや! きみが新しい姪っ子だね? アハハハ全然姉さんに似てないね、養子だもんね当たり前か! アハハハハハ!」


 アリアは笑顔を貼り付けたまま、(……この人には言われたくないわ)と脳内で返事をした。


「あっこれお土産、最近首都で人気のお菓子なんだって。セレスと一緒に食べてよ」


 天使の絵が描かれたかわいらしい箱を受け取ったので、一応セレスティーネを探してみたが、どうやらいつも通り、部屋に引っ込んだまま出てくる様子はなさそうだった。


 顔立ちはエミリエンヌの眼差しを垂れ目にしたくらいの差しかないはずだが、全体的な印象がまるで異なっている。血のつながりのないはずの義兄のほうにまだ似ている。


 普段は中央の貿易局で官僚として働いているらしく、たしかに、やや道化者を演じて見せる様子は世渡りがうまそうに見えた。


「どうかした? ぼくの顔に見惚れちゃった? 困ったなあ、ごめんね罪作りな顔で」


「黙りなさい、耳が腐るわ」


 奥から出てきたエミリエンヌは、直視してなるものかとばかりに扇をかざし、その向こうで眉を吊り上げていた。


「こちらの都合も聞かず急に来ると言ったかと思えばそれに飽き足らず……! 何なのよ、その変な鳥は!」


不死鳥(フェニックス)だよ! 東国の商人から輸入したんだ。何度死んでも蘇るという伝説の鳥……姉さんの美容(アンチエイジング)にもよさそうじゃないか? ほら、火の粉を浴びたりするとシミが消えたりとかさ」


「余計なお世話よ愚弟!」


 エミリエンヌが扇で指し示した先には、車輪付きの檻に収まった、輝くバカでかい火の鳥がいた。


 金の瞳は猛禽類の瞳孔をしていて、子どもの一人や二人丸呑みできそうな図体に、殺気と食欲を浮かべてアリアを見つめている。


「ギルベルト叔父さま。不死鳥って何を食べるんですか……?」


「いい質問だね、完ッ全に肉食だよ! 今朝もニワトリを二羽ペロリと平らげた。現地じゃあ人を襲うこともあるみたいで、討伐されて今ここにいるんだ!」


「……」


 オーギュストとフランシスの顔色が悪くなり、興味深そうに近づいていた足を止め、ゆっくりと檻から遠ざかっていった。


 リスナール子爵夫妻は最初から具合が悪そうな顔をして、廊下のずいぶん奥の方から眺めている。


「ともあれ、よく来たよギルベルト。晩餐も用意しておいたから楽しい話を聞かせておくれ。今回は何日くらい滞在する予定だい?」


 フレデリクすら、ギルベルトの前ではまともな大人に見えてしまい、アリアは強めにまばたきをした。





 さて、晩餐の席である。


 客人からの敵意を察知して気合を入れたメラニーたちの手によって、上品な空色のドレスを身にまとったアリアは、こちらを見て眉を顰めたリスナール子爵夫妻をじっと観察した。


 フランシスは今後も子爵家で生きていかねばならないことを考えれば、どうにか夫妻には子どもへの接し方を考え直してほしかった。


 そのためには――うまい具合に丸め込むためには、相手が何に価値を置き、何をされるとプライドを傷つけられるのかを知っておく必要がある。


(少しでも、情報を手に入れなくちゃ。――たとえ、悪口を言われても)


「フレデリクさま……」と、子爵は困ったようなため息をついてわざとらしく首を振った。


「連れ回したいお気持ちはわかりますが、食事の席にまで()を同席させるのはいかがかと思いますよ。おお、獣くさい、くさい」


(ど直球な侮辱ね)


 背後に控える給仕たちの気配が、一気に殺気立つ。


「豚が……」


「調理するぞコラ……」


(ちょっ、本人に聞こえないかしら……!?)


 エミリエンヌのエメラルドグリーンの瞳にも、怒りを込めた炎が揺らめく。


 ギルベルトだけが状況を把握できず、「け、獣? 不死鳥はぼくの部屋だけど……!?」と慌てていた。


「子爵、何度言えばわかるのかな? 我が家の娘だって伝えたじゃないか」


「それは中央では通じませんよ。見てください、この野蛮な赤い目! まさかカントループにも入学させるおつもりですか? 恐ろしい! 他家からどんな反発があることか……」


「あなた、前菜が来てるわよ」


「ギルベルトさまがお持ちになった不死鳥と同じですよ! 人間じゃないのですから、今のうちから弁えさせなくては! セレスティーネさまにもご迷惑をおかけするに決まっています、貧民育ちのうえに半獣(セーミス)など……!」


 フレデリクやリスナール子爵夫人のやんわりとした制止も、子爵の耳には届かなかったようだ。


 アリアは(どう出たものかしら……)と、エミリエンヌやフレデリクの顔色を伺いながら、――膝の上で、きつく拳を握りしめていた。


「半獣が同じ家にいるとなっては、うちのフランをお預けするのもちょっと考えなくてはいけなくなってしまいます!」


「……!? 父上……?」


 ペリドットの瞳が弾かれたように父を見上げ、信じたくないものを見るように震えた。


「いい加減にしてください!」


 叫ぶような制止は、ごくわずかに震えていた。


 モスグリーンの目に悲しみと怒りを湛えて、オーギュストは立ち上がった。


「アリアさまは誰よりも誇り高い令嬢です! 決して、父上が見下していい方ではない! 国境伯家の晩餐で、プランケットの姫を侮辱するなど――おれの弟を簡単に手放すなど、よく言えましたね……! あなたには心底、失望しました!」


「なッ、なんだと!?」


 リスナール子爵も椅子を蹴って立ち上がった。


「よくもそんな口を……! 誰のおかげでそこまで育ったと思っている!? グウェナエルで最良の教師のみを揃えて、勉強も剣術もあんなに仕込んでやったというのに! 親の顔に泥を塗るような愚物に育てた覚えはない!」


 フレデリクは苦笑し、エミリエンヌはうるさそうに顔をしかめ、リスナール夫人はおろおろと「お父さまに謝りなさいギュスト!」と息子を叱責した。


(こんな状態になってしまっては晩餐どころじゃないわね。よし……)


 アリアは決意を固めた。


「謝るのは子爵のほうです、夫人」


 朝焼け色の瞳に見据えられて、リスナール子爵は息を呑んだ。


「半獣風情が、このわたしに直接口を聞いていいと――!?」


「オーギュストさまの仰ることは間違っていないわ」


 玻璃を鳴らすような声は、決して張っていないのに耳を惹き付け、ひび割れた反論を上書きして続きを言わせない圧があった。


「母はどんな境遇であっても、背筋を伸ばして生きることをわたしに教えてくれた。仮に孤児のままボロを着て生活していたとしても、あなたに侮辱される筋合いはないわ」


「は、母!? 母だと? たかが場末の娼婦風情だろうが!」


「父上……!」


 重ねられた侮辱は努めて聞き流し、アリアは横顔を向けたままフレデリクに尋ねた。


「お父さま。フランシスさまを養子にするって本当なの?」


「いや。そういう話が出ていることは出ているけれど、何も具体的なことは決まっていないよ」


「……」


 やはり打診はされているのだ。


 フランシスの頬からは血の気が失せて、何も手を付けていない前菜のプレートを、一心に見つめていた。


「いやいやいや! ぜひすぐにでもお預けしたいところです。プランケットにはセレスさましかおられないでしょう。エミリエンヌさま譲りのこのお美しさ、すぐにでも皇家から婚約の打診が来てもおかしくありませんよ! そうなっては国境伯家の跡継ぎが不在となってしまい一大事です! その点、フランはわたしの息子ですし、出自の良さは折り紙付きですとも!」


 フランシスはやっとのことで目線を上げて、リスナール子爵夫人を見上げた。


「母上……ぼくを捨てるの?」


「……」


 リスナール夫人は何も答えず、ただ目線をそらした。


「……!」


 妖精のような顔が絶望に染まった。


 足を絡ませるようにして立ち上がり、フランシスは逃げるようにホールを飛び出していった。


「フラ……!」


 追いかけようかためらったオーギュストの手を、アリアは強く握った。


「わたしの耳ならどこに行っても追えるわ。ついてきてください」


 オーギュストはややあって、ピンクの瞳を見つめて頷き、アリアの導きに従って駆け出した。


 ホールを出る瞬間、アリアの耳にしずくのような呟きが届いた。


「――偽善者」


 セレスティーネは悲しげにうつむいた表情の影に、隠しきれない憎しみを込めてアリアを睨みつけていた。


 アリアも一瞬見つめ返し、――首を傾げてほほえんだ。


「お姉さまがやったこと、忘れていませんから」


 リスナール子爵家が歪な家庭環境であったことは、この数分だけでも理解できた。


 おそらくフランシスだけでなく、オーギュストも別の形で、夫妻から居心地の悪い抑圧を受けていただろう。


 だが、ただでさえ浅くはなかった兄弟の溝を深めたのは、セレスティーネからの手紙である。


 フランシスに同情するふりをして、兄と――どっちが本命かはわからないが、義妹への悪感情を煽り立てた。


 氷色の瞳が驚愕に見開かれたのを横目で見るだけ見て、足を止めずにアリアはオーギュストの手を引いた。


 目的地は、そんなに遠くはなかった。


 宵闇が沈んだ庭を横切って、木立が黒い影を見せる辺り。


 オーギュストの耳にも鼻をすする嗚咽がかすかに届き始めた。

 大きな樫の木の根本に座り込んで、亜麻色の頭は自らの膝に埋まりこんでいた。


「フラン」


「……アリア」


 二人を見上げる大きな瞳は、真っ赤に泣きぬれていた。


 膝をついてハンカチで頬の涙をそっと拭うと、アリアはピカピカの太陽のような笑みを浮かべてみせた。


「家出しましょ、三人で!」

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