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第34話 オーギュストとフランシス(1)

 キラキラとしたプラチナブランドと亜麻色の頭が連れ立って林に消えてしまったのを、オーギュストはうらやましい気持ちで眺めていた。


 楽しげな方に混ざりたい気持ちは山々だったが、兄として、弟に恥をかかされた寄親の令嬢を放って遊びに行くわけには行かなかった。


(でも、おれがいたところで、セレスティーネさまは何の感慨も抱かれないだろうな……。フランシスにしか興味がない様子だ)


 セレスティーネのもとからフランシス宛に、突然手紙が届いたのはこの春のこと。


 それ以来あのお茶会まで、週に一度という頻度で、双方飽きずに書信を交わしていたようだ。


 事実、セレスティーネはオーギュストを一瞥もせず、ぞっとするような憎悪をこめた眼差しで、弟妹たちの消えた林を見続けているばかりだった。


「生まれというのは争えませんな。大人たちの話に口を挟んだりして、目立ちたがりだ」


 同じく林を眺めていた父が、顎髭をさすりながら首を振った。


 フレデリクに最もかわいがられているという自負があるらしく、それを誇示するためか時折、無礼なことをわざと言ってみせる悪癖があった。


「そうかい?」

「そうですとも。セレスティーネさまは大人しくされてらっしゃるというのに。さすが国境伯家の正当な姫君であらせられる」


 オーギュストはモスグリーンの瞳を伏せた。


 あの茶会で、絵に描いた姫君のようだったのは、セレスティーネではなかった。


(むしろ、彼女の方が、ずっと……)


 しかし実際にその場で目にしていたはずの母も、同意するように何も言わないので、オーギュストもまた口をつぐんだ。


「まあ……愛玩動物でしょう? イリオン陥落当時には流行ったものですが、まだ残っていたとはね」


 父の口から出てきた言葉に、オーギュストはぎょっとした。


(いま……何と言った? 国境伯家の次女を……その父の前で、ペット呼ばわりしたのか? あろうことか、あの誇り高い少女を……!?)


「……ち、父上!」


「なんだ? 大人同士の会話に口を挟むな。……ほら、セレスティーネさまをエスコートでもしたらどうだ、気が利かないな。退屈そうにしておられるだろう」


 いつ来たかも覚えていない他人の家で、エスコートも何もない。


 セレスティーネは興味もなさそうに髪をいじっていたが、自分に話を向けられた途端、「宿題があったことを思い出しましたわ」と、男の侍従を連れてさっさと部屋に下がっていった。


 父からは使えないものという視線で見られたが、やっと一息つくことができたようで、オーギュストはひそかに息を吐いた。


 彼女から薫る甘いチュベローズを嗅ぐと、胸が悪くなるように感じられた。


 いや、息がしづらいのは前からだった。


 フランシスとセレスティーネが文通を始めてから――いやもっと、ずっと前だ。


 リスナールに生まれてから、永い永い時間。


 いくら吸っても肺腑に酸素が行き渡らないような心地が、ずっとしていた。


「子爵。なにか誤解があるようだが、あの子を軽んじて後悔するのはきみ自身だよ」


「……おや、おやおやおや、フレデリクさまらしくもない。いけませんよ、エミリエンヌさまの御前でそのようなことを仰っては!」


 国境伯からのやんわりとした嗜めは、残念ながら父の耳には冗談に聞こえたようだった。


 道化者じみた返答に、国境伯夫人は不快げに眉を吊り上げはしたが何も言わず、かたわらの侍女に目線で指示を出した。侍女がうやうやしく礼をした。


「お部屋のご用意が整ってございます。ご案内いたします、どうぞ中へ……」


 暗い色彩でまとめられた豪奢な城が、オーギュストを呑み込もうとするように口を開けていた。







「お兄さんと仲が良くないの?」


 ぽんとポールでも放るように投げられた率直な質問を受け、フランシスはあんぐりと口を開け、拾っていたまつぼっくりを落としてしまった。


「……兄だけじゃない。ぼくはみんなとうまくやれない」


 喉の上の方だけで出したような声は苦しげで、手の中に残ったどんぐりを握りしめると、妖精のような顔がきつく歪んだ。


「そう思うの? どうして?」


 アリアは太陽の形にどんぐりを置く手を止めて、顔を上げた。


「……父上も母上も、二人目は娘が欲しかったんだって。跡取りはもう、兄さんがいるから。……だから、母上はぼくに女の子の服を着せて育てた」


「……!」


 信じがたい過去に、ピンク色の瞳が見開かれた。


「男なのにドレスを着てるやつがいたら、どう扱われるかなんてわかるだろ? 兄さんも、ぼくを連れていくとバカにされるから、男同士の遊びには入れてくれなかった。……さみしかったよ。ぼくは一人で、全然興味ない人形遊びやままごとばかりしてた。男らしい遊びをすると、母上に怒られるんだもん……。兵隊も剣も船も、欲しかったものは何一つ、買ってもらえなかった」


「……」


 女の子の服なんて着たくないって伝えたの? なんて、聞けるはずもなかった。


 主張をしたところでそれでも強要されたら、それ以上の抵抗なんてできるわけない。


 だって他に、愛されるすべを知らないのだ。


 親の前の子どものよるべなさを、アリアは痛いほどよくわかっていた。


 先ほどまであんなに濡れていたペリドットは今や乾き切り、木下闇を見通すように暗く澄んでいる。


 ずっと目の前にあってすっかり見慣れてしまった絶望を、眺めている横顔だった。


「八歳になってからだよ。兄のお古を着ていいって言われるようになったのは。外に招かれるようになって、外聞が悪かったんだろうさ。別に、ぼくの気持ちを考えてくれたわけじゃない。……セレスティーネさまだけが、ぼくをわかってくれた」


「お姉さまが?」


「うん。今年の春になってから急に手紙をよこしたんだ。家からほとんど出たことのないぼくの状況を完璧に把握して、励ましてくれた。……ぼくを冷遇するなんて、ぼくの家族はみんなどうかしてる。ぼくはおかしくない。そのままでいいって、優しく肯定してくれた」


「……」


(どうしてお姉さまが、リスナール邸内部のことを知っていたの? 誰かに教えてもらったのかしら……。それとも)


 彼女のいうシナリオに、書いてあったのだろうか。


 アリアの二の腕に、そっと鳥肌が走った。


 聞き流していた言葉をふと、思い出したから。


『跡継ぎを産まないままお母さまが身罷ってしまったから、領地の子爵家からフランをもらうのよ』


(まさか……ただのお花畑な妄想じゃなくて、出どころのある情報なの……?)


 だとしたら今日、夫妻は養子の件を話す目的で来訪したということは、考えすぎだろうか?


 アリアは木立の向こうの蔦にまみれた城を眺めやった。


「フランシス」


「……フランでいい」


「……ふふっ」


「なに?」


「わたしあなたのおかげで、お友だちが一人できたのよ。クリステル・フラゴナール令嬢。クリスって呼んでいいって言ってくれた。頭が良くて読書家で優しくて、とっても素敵な子なの」


「えっ自慢!? こ、この流れで!? ……ああよかったね! ぼくはやらかしたせいで、せっかくのチャンスを棒に振ったよ!」


「あなたもよ」


 ピンクの瞳で覗き込むと、フランシスは不思議そうな顔をした。


「あなたの親がどう扱おうと関係ないわ。フラン、あなたはとっても素敵よ。王子さまみたいな顔だし、正義感が強いし、勇気がある。学園に入る頃になったら、あなたとすれ違う女の子はみんなあなたに恋するくらい、かっこいい男の子になるに決まってる」


 蒼白だった頬がみるみる真っ赤になり、「か、からかわないで!」と口元を押さえて顔を背けてしまった。


 アリアはほほえみながら、「でもね」と穏やかに、しかし岩のように断固とした声で続けた。


「あなたの子ども時代にもらえるはずだった愛情を、リスナール夫妻がちゃんと与えてこなかったというのなら、その()()はきちんと精算されるべきよ。――どんな手を使ってでも、取り戻すわ」

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