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第33話 訪問者たち

「困るわ、別の日になさいと伝えてちょうだい」


「でも奥さま、もう領都に入ってしまったと先触れが……」


「──もう!」


 ピアノのレッスン中。


 エミリエンヌの声が廊下から聞こえ、アリアはジャクリーヌと顔を見合わせて首を傾げあった。


 何やらトラブルがあったようだ。


 コンコンとノックの音がし、「どうぞ」とジャクリーヌが扉を開けた。


「授業中に失礼するわ。アリア、今日は午後からお客さまが来るから、授業が済んだらわたくしの部屋にいらっしゃい」


「はい。お客さまですか?」


「リスナール子爵夫妻が挨拶に来るの。夫人と息子たちはソランジュのお茶会で会っているわね? ……それと、全く関係なく、アポなしでわたくしの弟が」


「お母さまの弟」


 アリアは即座に脳内の人物相関図をめくった。


「ギルベルト叔父さまですね」


「ええそう。バカだから相手にしなくていいわよ」


「……」


 エミリエンヌの男嫌いは弟にも発揮されるらしい。


 まだどんな人物かわからないので、念のため頷くのはやめておいた。


「今日はあなたにも晩餐に出てもらうから、衣装を見繕うわよ。こういう時に場数をこなさなくては」


「晩餐に!?」


 思わず大声を上げてしまい、アリアは口元を抑えた。


 じわじわと頬が熱くなり、口元がどうしてもほころんだ。


 ──それくらい、嬉しかったのだ。


「なにか嬉しくて?」


 エミリエンヌはいぶかしげに首を傾げた。


「おかしな子ね。まあとにかく、授業の成果を見せてもらうとするわ。せいぜい、わたくしに恥をかかさないことね」


「はい、……はい! 精一杯、がんばります!」


 譜面を抱きしめるようにして何度も頷くアリアに、メラニーとジャクリーヌは優しい眼差しを向けていた。


 アリアがずっと、家族との食事を求めていたことを、二人はよく知っていたのだ。






 昼下がりに、客人の馬車は訪れた。


 アリアはエミリエンヌの指示で、白地に桃色の小花が散った田園風ドレスを身に着けて、同色の細いリボンでツインテールにされていた。


 セレスティーネはフラゴナール邸での茶会以来、ずっと部屋にこもりきりだったが、両親の指示ということで久しぶりに姿を現わした。


 ブルーグレイのドレスに、長い黒髪を普段通り下ろしている。


 その氷色の瞳がアリアを見ることはないが、しかしいつもとは違って何かを探るように、近づいてくる子爵家の馬車をじっと見つめていた。


(つい最近お茶会で顔を合わせたばかりなのに、いったい何の挨拶をするのかしら? ……あの顔面がやたらキラキラした、口の悪い坊やも来るってことよね。やだわ~気が乗らないわ~)


「これはこれは! 国境伯ご夫妻にお出迎えいただけるとは! このドミニク、恐悦至極でございます!」


 リスナール子爵は、フレデリクと同年代の体格の良い男性だった。


 少しお腹が出ているがこの年代では普通のことで、いまだ青年のような体格を維持しているフレデリクがちょっとおかしいのだ。


 リスナール夫人と二人の息子も、続いて馬車から下りてきた。


「閣下。お久しぶりでございますわ」


「やあ、ガブリエル。相変わらず美しいね」


「まあ! とんでもございません」


 滞りなく行われる大人たちの挨拶に隠れて、チクチクと視線が刺さることにアリアは気がついた。


 息子たちからのものだ。


「美しいといえば、何よりもエミリエンヌさまですよ! そのドレスもよくお似合いで、まるで咲き匂うバラのようでございます」


 子爵からの称賛に、エミリエンヌは目元を少し伏せるだけで返事をした。


「それに愛娘のセレスティーネさまも、見違えるように大きくなられましたね。エミリエンヌさま譲りのご容貌、なんとも将来が楽しみでございますな」


「よかったね、セレス」


 フレデリクにも言を向けられて、セレスティーネは会釈だけを返した。


 この母娘、他人に塩対応なところがよく似ている。


 ここに来て、セレスティーネの視線がずっと、リスナール子息たちに向けられていることにアリアは気がついた。


 さて、順番に行けば次はアリアへの挨拶のはずである。


 予想通り、ドミニクはアリアをチラリと見下ろしたが、──すぐに顔を逸らし、「こちらは?」と顎でしゃくった。


「いやだな子爵! 当然聞いているだろう? フラゴナール夫人のお茶会でガブリエルは会っているはずだよ。我が家の新しい娘だとも。アリア、ご挨拶を」


 フレデリクの能天気な呼びかけを受けて、アリアもニッコリと笑顔を返した。


 冷たい視線には気づかないふりだ。


「アリア・プランケットと申します。どうぞお見知りおきを」


 カーテシーを取ってみせたアリアに、ドミニクは「……これは、かわいらしいお嬢さんだ」と返したが、目はちっとも笑っていなかった。


 ガブリエル夫人にいたっては、扇子を開いて顔を背けてしまっている。


(……なるほどね~。これはまた、気合を入れないとだめそうだわ)


 リスナール子爵一家は明日まで滞在すると聞いている。


 アリアは(何ごともありませんように! できる限りいい子にしていますから! あとお父さまはちゃんと根回ししておいて!)と祈りとクレームを捧げておいた。


「さあ、子どもだけで遊んでいらっしゃい」


「「「「……」」」」


 そうエミリエンヌに水を向けられたものの、四人とも目線を合わせずに沈黙で返事をした。


 あのお茶会での双方のやらかしは真新しく、いかに子ども同士といえど、まだ風化していないのだ。


「……ではわたくしは、フランとお話しますわ。アリア、あなたはオーギュストさまと、」


「は?」


 敵意をこめた短い返答は、当のフランシスから発せられた。


 セレスティーネの端正な眉が、不快げに吊り上がる。


「フラン! あなた、セレスティーネさまになんて口の利き方を……!」


「まあまあ、ガブリエル。フランシスにはフランシスの気持ちがあるんだ、──聞いているよ。いろいろと」


 悲鳴じみたガブリエル夫人の叱責を、フレデリクの穏やかな、それでいて有無を言わせない笑みが押しとどめた。


 リスナール夫妻がぎょっとしたような顔をし、エミリエンヌが扇の下でため息をつき、その場が緊迫した時。


「アナグマに興味ありませんか?」


 春の陽気に似た明るい声が、一瞬にしてふんわりと空気を弛緩させた。


 アリアは「あの林」と、少し離れた西側の木立を指さした。


「あそこに巣があってね、お母さんアナグマとお父さんアナグマと……ちっちゃい赤ちゃんアナグマがいるの。先週から巣穴の外にもちょっとずつ姿を見せるようになったのよ。本っ当に小さくて……かわいいんです!」


 子どもだけでなく大人たちも、説明につられて木立の影に目を凝らしたが、当然玄関からでは何も見えない。


 フレデリクはつい目をすがめてしまった自分に苦笑しながら、人の機微に聡すぎる、養い子のプラチナブロンドをぽんと撫でた。


「お姉さま、オーギュストさま、フランシスさま。一緒に見に行きませんか? リスもよく走り回っていて、とっても賑やかな林なんです」


 無邪気な誘い文句に、オーギュストは「はい」と笑みを浮かべ、フランシスは目をそらしたまま、頷きだけ返した。


「……林なんか行っては、日に焼けてしまうわ。虫にもさされるでしょうし……わたくしが日差しを苦手なことを知っていて、そんな提案をするなんて、ひどい……」


 セレスティーネだけは悲しげに目を伏せ、顔を背けた。


「え? 初耳ですが……では、お部屋で読書にしましょうか?」


「だったら来なくていいよ」


 アリアの手首をパシッ! と掴んで言い放ったのは、フランシスだった。


「一生そうして、いじめられてるかわいそうな子のフリをしてれば? ──行こう」


「えっ」


(いや、寝返ったの? いつの間に?)


 フランシスに引っ張られ、半ば駆け足になりながら振り向くと、──視線で殺そうとでもしているような形相で、セレスティーネがこちらを睨みつけていた。


 一歩出遅れたオーギュストは、あちらとこちらを何度も見比べたのち、「……気を付けろよ!」とやや残念そうに、弟に声をかけた。


 フランシスは振り向かず、庭園を横切って木立へ足早に駆けた。


「……」


 その思いつめたような横顔を、アリアは手を引かれながらじっと見つめていた。


「……あの、手を放しても大丈夫よ」


「!」


 木立についても手首を握ったままだったことに気が付いて、フランシスは弾かれたように手を離した。


 横顔はまだ、こちらを見ない。


「なにか言いたいことがあるの?」


「……っ!」


 促してみると、少年は口を何度か開いては、心折れたように閉ざした。


「……ごっ、ごめん……」


 やっとのことで出た言葉は、すでに涙声になっていた。


「自分が……恥ずかしい。デマを吹き込まれて、よく知りもせずに責め立てて……本当に、」


「許すわ」


「あんなことどうしてできたのか……えっ」


「あなたを許すって言ったの」


 アリアはにっこりとほほえんで答えた。


 許しを得た安堵と、──自分自身が許せていないことによる混乱で、フランシスはじわじわと目を潤ませた。


「だ、だってぼく、レディにひどいことを言ったよ……!」


「ブスとか? 全く攻撃が通っていないから大丈夫よ。目が見えていないのかしらと思ったくらい」


「国境伯夫人のこと、お前のお母さまじゃないとも言った!」


「ちょっとウッと来たけど、かすり傷よ」


「バッグも投げつけたし……! レディに暴力をふるうなんて、最低なことを……!」


「投げつけてはいないわ、投げ捨てたのよ。お母さまが買って下さったものだから死守しただけ。少し擦りむいただけで、もう治ったし」


「……!」


 しこりになっていたことを解きほぐされて、ペリドットの瞳は決壊寸前だった。


 アリアは自分よりも少し小さな手を、両手でぎゅっと握った。


「あなたはお姉さまから聞かされたことを信じて、かわいそうなお姉さまを助けようとしたのよ。ただ、嘘をつかれたから失敗しただけ。──だれかを助けようとした気持ちが間違っていたなんて、思わないで」


 フランシスの頬を涙が伝い、声もなく肩を震わせはじめたので、アリアはそっと抱きしめた。


「きっと、あの時こうしていればよかったって後悔しているでしょ?」


「うん。……人の悪事を暴こうとしたくせに、ぼくは何も調べなかった」


「それをわかっているなら、次は間違えないわ。きっとあなたの正義は、だれかを助けられるはずよ」


「うん……うん」


 震える背を撫でながら、アリアは瞳を落とした。


(どうしてこんな純粋な子に嘘を吹き込んで、おもちゃの兵隊みたいにけしかけることができたの? ちょっと許せないわ……お姉さま)


 聡い耳が、柔らかな地面を踏み締める音なき音を拾う。


「あ」


「なに?」


「アナグマさんご一家だわ」


「うえっ!? どこ!? どこ!?」


 濡れた瞳を見開いて必死の形相で辺りを見渡すフランシスに、アリアは人差指を立てた。


「しっ。……あの茂み、見える? あのちょっと奥を、よーく見て……」


「……!」


 目を凝らした先には、まるまると太った親アナグマの後ろをよちよちとついて歩く、五匹の子アナグマがいたのだった。

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