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旋律のアリアドネ-底辺ヒロインは王冠に手を伸ばす-  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
― 3章 罠と裁きのティーパーティー ―
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第30話 お茶会でのひと騒動(4)ー終幕ー

「よ……よ……よかったあああ~~~~」


 膝から力が抜ける。


 ガクッと地面に手をついたアリアを、クリステルが「アリアさま!」と慌てて助け起こした。


「ありがとうございます~クリステルさま」


「いっ、いいえ、──いいえ……!」


 アリアの腕をつかむ手は、熱く震えていた。


「わたくし、あなたさまの無実を……い、一瞬でも、疑ってしまいましたわ……! 責められた時に庇い立てしなかったこと、……本当に、ごめんなさい……!」


 空色の瞳は泣き出しそうに歪んでいて、アリアはほほえんだ。


「クリステルさまは何も悪くありません。夫人の大切な薔薇を手折らせてくれたでしょう? どちらが正しいことを言ってるかなんて、あの薔薇以外、だれも知らなかったことですもの」


「アリアさま……!」


 他の子どもたちも侮蔑を露にしていた表情を一変させ、気の毒そうな顔で近寄ってきては、それぞれ謝罪を口にした。


「……汚らわしい!」


 セレスティーネは蒼白な頬をし、許しがたい敵を見るように殺気のこもった目で、アリアを強く睨みつけた。


「こんな短いうちに、他人の父親やら魔術師やらを籠絡して、わたくしを貶めるなんて……! 男だったら誰でもいいなんて、まるで娼婦じゃない!」


「お姉さま!」


 その言葉は、アリアだけでなくフラゴナール教授にもニュクスにも失礼極まりなかった。


 慌ててたしなめたが、ソランジュ夫人とクリステルをいたく不快にさせたらしく、夫人は扇の奥で横顔を向け、クリステルはセレスティーネを睨みつけた。


「……教授。虚偽の悪評をわざと流した者はどのような罰を?」


 飄々とした問いかけに、フラゴナール教授は「うん」と面白そうに顎をさすった。


「エレウシス朝では、侮辱罪(インユーリア)──言われなき悪評を撒かれた際には、このように刑罰が定められている。いわく、侮辱そのものには罰金六百デヌス。他人を娼婦と呼ぶのは千二百デヌス。支払えない者は鞭打ちのうえ追放、とね。一デヌスは今日のユスティフで言う八金貨くらいかな」


「たっか! ……ハッ」


 思わず令嬢らしくない言葉が出てしまい、パシッと口を抑える。


 アリアはスカートの乱れを直すと、フラゴナール教授とニュクスに向かって深々と礼をした。


「フラゴナール教授、……ネフシュタンさま。お力添えくださり、ありがとうございました。お二人がいなければ、わたしは登場早々に社交界から締め出されていたでしょう」


「礼には及びません。我が邸の庭で起きたことですので、家主であるぼくが対処するのは当然のことです」


「……ですが、御命を危険に晒すのはよくないです。夫人とクリステルさまのお心は、どれほど傷つかれたか」


 とても言いにくかったが、言っておかねばならなかった。


 アリアのせいで、一つの幸せな家族を奪いかねなかったと聞いてしまっては。


「悪評があっても、……それが死ぬまで拭えずに蔑まれても、人は生きていけます。毎日の小さな幸せを数え、誇りを持って生きることは、誰にも奪ったりできないもの。でもフラゴナール教授の命はたった一つだけ。何てことのないもののように、扱わないでください。教授を大切に思う方々にとっては、かけがえのないものなんですから」


 ソランジュ夫人が顔から扇を外し、見開いた瞳でアリアを映した。


 ふと手が温かなものに包まれたので驚くと、目元を赤くしたクリステルが、アリアの手をぎゅっと握っていた。


 フラゴナール教授は「ああ~……」と嘆息すると、自分の額を短杖でペシッと打った。


「おっしゃる通りです……! すまない、ソランジュ、クリス。滅多に見られない術式が見られると思って、つい」


「……もう諦めておりますわ。あなたの魔術バカは、出会ったころから変わりませんもの」


「心臓が止まるかと思いましたけど……アリアさまの濡れ衣を晴らして下さったので、今回は許して差し上げます。でももう二度と、裁判官なんてお務めにならないでくださいね」


「ああ、よかった……! 愛してるよ、二人とも」


 妻と娘に許してもらい、ほっと安堵した灰色の瞳が、眩しいものを見るようにアリアを見下ろした。


「アリア嬢。……あなたであれば、仮に今日濡れ衣を着せられたとしても、きっと無実であったといつの間にか周りを信じさせていたと思いますよ」


「もったいないお言葉です。……それで、侮辱についてなんですが。もしかして、親告罪ではありませんか?」


 ここで初めてニュクスが顔を向け、まじまじとアリアを見つめた。


 やっぱり瞳が黒いと違和感がある。


 教授は「いかにもそのとおり」とほほえみながら頷いた。


「被害者が訴え出ることではじめて、法廷が開かれるものです」


「ではわたしは訴えません」


 同じ家の未成年の姉妹である。


 罰金刑など、プランケットから出金されてプランケットに入金されるだけで、どう見ても茶番である。


 鞭打ちも追放もやり過ぎだと思ったし、彼女の両親のことを考えれば、そんなことは到底できなかった。


 ──それに。


「ま、まあわたくしとしたことが……ちょっと誤解があったみたいですわ。こんな大騒ぎにするつもりはありませんでしたのに、あんなふうに騒ぎ立てるなんて……」


 形勢の不利を悟り、周囲に弁解を始めたセレスティーネから、子どもたちは目をそらしてスッと距離を取った。


 卑怯な罠で義妹を嵌めようとしたこと。


 うまく行かないと見るや、口汚く罵ったこと。


 全て目の当たりにした今となっては、領地の貴族子女たちにとって、セレスティーネは危険人物に他ならなかった。


 誰とも目が合わないセレスティーネは救いを求めて、亜麻色のふわふわした頭を見つけると駆け寄った。


「ああフラン……! 聞いてちょうだい。わたくし何も悪いことなんてしていないのに、またあの子が……!」


「寄るな!」


 ──バシッ!


 伸ばした手がしたたかに振り払われ、セレスティーネは愕然と目を見開いた。


 さっきまで全幅の信頼を寄せていたはずの大きなペリドットは、今や裏切られた怒りと嫌悪に満ち、泣き出しそうに歪んでいた。


「よくも……よくもぼくを騙したな! 姉のくせに妹を汚い手口で嵌めようとして、その片棒を担がせるなんて! よりにもよって、このぼくに! どうしてぼくが苦しんでいたのか、知っておきながら! ──セレスティーネさま、ぼくはあんたを軽蔑する!」


「なっ……! 軽蔑ですって!?」


 氷色の瞳に、プライドを傷つけられた怒りで炎が灯った。


「わたくしにそんな口を叩けると思っているの? たかが子爵のくせに! 子爵家でもいらない子のお前を、だれが可愛がってあげたと思っているの!?」


「なっ、何ですって!? 今のは聞き捨てなりません!」


 オーギュストも困惑と怒り混じりに制止の声を上げ、弟をかばうように立った時。


「いい加減になさい、セレス」


 冷たい声が、一切の発言を強制的に抑え込んだ。


 この場の最高位者、セレスティーネの母エミリエンヌは、濃いエメラルドグリーンの瞳で子どもたちの動きを縫い止めながら、ゆったりとした足取りで優雅に進み出た。


 セレスティーネのこともアリアのことも一瞥せず、ダミアン・フラゴナールに首を傾ける。


「伯爵、見苦しいところを見せたわね。姉妹喧嘩を収めたこと、礼を言うわ」


「過分なお言葉、光栄です」


 かなり前から、噴水のパラソルの下で何が起きているか、四阿(あずまや)の貴婦人たちには丸聞こえであった。


 それでもエミリエンヌが出てこなかったのは、子どものケンカとして対外的に収めるためである。


「……」


 エミリエンヌから叱責されたとたん、セレスティーネの顔はいつもどおり、能面のような無表情へと変わった。


「……気分が悪いわ」


「セレスさま! 失礼、馬車を回してください!」


 リクハルトから頼まれたフラゴナール家のメイドは、女主人に目をやってお伺いを立てた。


 ソランジュは試すような表情でほほえみ、小首を傾げた。


「セレスティーネさま、このままお帰りになってよろしいの?」


「……気分が優れないと申しましたが」


「そう」


 ソランジュが頷くと、一人のメイドが辻馬車を呼びに表に走り、一人のメイドは「こちらへ」とセレスティーネとリクハルトを奥に招いた。


 まもやくやってきた辻馬車に乗って、二人は一足先にプランケット邸へ戻っていった。


 ティーパーティーの主催者が、両手をパチン! と合わせる。


「さあさあ! 騒動も落ち着いたことですし、仕切り直しいたしましょう! マリア、皆さまに続きのデセールをお運びして」


「かしこまりました、奥さま」


 貴婦人たちは冷たいお茶で喉を潤し、子どもたちは新たに運ばれてきた桃のトライフルを見て歓声を上げた。


 何事もなかったように、お茶会は再開された。


 表面上は。


 ──ねえねえ。見た?


 ──見たよ、見た。盗みの濡れ衣を着せるなんて恐ろしいこと、普通は考えつかないよ。


 ──男の侍従を連れているのもおかしくない? あの子のこと責めていたけど、あれではあちらのほうが男たらしにしか見えないわ。


 ──フランシス・リスナールのことも、どうやら洗脳していたみたいじゃなかった? きっとあることないこと、手紙で書き立てていたんだろうさ。


 ──今日来ていない子たちにも教えてやらないと。


 ──そうね。同じ目に遭う子がいるかもしれないもの。領都中の子たちに、教えてあげなくてはね。


 ヒソヒソと話すのは子どもたちだけで、貴婦人たちのほうは近くにエミリエンヌがいることを慮って、何も口にしなかったが、時折チラチラとアリアを流し見る瞳があった。


(鞭打ちも追放も、いらないわ)


 セレスティーネは自分が起こした騒ぎについて、釈明することもせず、逃げることを選んだ。


 今日彼女が何をしたのか。居合わせた人間の口から語られるだけで、評判が命の貴族令嬢にとっては十分な制裁となる。


「あ~……」


 アリアが自分の席に戻ると、すでにさくらんぼのクラフティは下げられてしまっていた。

 アイスクリームが乗っていたので、きっとドロドロに溶けてしまっていたのだろう。


 心なし肩を下げたアリアの前に、小さな手が新しい皿をすっと差し出した。


 チェリーのクラフティのデセール。


 アイスクリームが乗っているのは先程と同じだが、クラフティが二切れも取り分けられていて、傍らにはフレッシュダークチェリーがこんもりと盛られ、ルビーのように輝いていた。


「先程は召し上がれませんでしたものね。どうぞ、アリアさま」


「ク、クリステルさま……!」


「クリスとお呼びください。……あなたのような眩しい女の子、物語の中にしか存在しないと思っていました。……ア、アリアさま」


 空色の瞳が、ためらうようにあらぬほうを見て、ややあってアリアをまっすぐ映しこむ。


 ふっくらとした頬には、緊張のためか薔薇色が滲んでいた。


「わ……わたくしと、お友だちになっていただけますか……!?」


 アリアはよだれをぐっと呑み込んで、ニッコリ笑った。


「もちろん、クリス! わたしのこともアリアって呼んでね!」


 波乱のお茶会は、友人を一人得て──無事無傷とは言えないが──幕を下ろした。


 帰るまでの間、何度も辺りを探してみたが、黒いローブの少年は最初からいなかったかのように姿を消してしまっていた。


「では、アリアさま。これからはいつでもいらしてね。……本当にいつでもいらしていいですからね!?」


 フラゴナール夫人の念押しに見送られて、アリアはエミリエンヌとカトリーヌとともに帰途についたのだった。


やっとざまあ(初回)達成できましたので、意気揚々とざまあタグをつけました!

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作者ピクシブアカウントはこちら→「旋律のアリアドネ」ピクシブ出張所
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― 新着の感想 ―
[気になる点] 破滅してない(評判はもう姿も見えないくらい破滅してるけど)し初回って言ってるからこれが続くのか…… 根性の使い方間違ってるぅ笑
2023/09/23 09:28 退会済み
管理
[一言] 大暴れにも程がある……(ドン引き) セレスの中の人の稚拙さが気になる 通常のおばさん憑依ではないのかな?
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