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旋律のアリアドネ-底辺ヒロインは王冠に手を伸ばす-  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
― 3章 罠と裁きのティーパーティー ―
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第28話 お茶会でのひと騒動(2)

 クリステルの目に軽蔑の色があるのを見て、フランシスはようやく、辺りの子女たちから自分が好意的ではない視線を集めていたことに気がついた。


(隙あり!)


 アリアは一歩前に進み出て、クリステルに向けてカーテシーを披露した。


 家格はアリアのほうが上だが、生まれつきの貴族と違ってつい数か月前まで孤児院にいた新参者、おまけに赤い目を持っている。


 身分が上だからこそ、へりくだっておくに越したことはない。


 フランシスに絡まれなくとも、子どもたちはアリアを遠巻きにしていた。


 顔見知り同士で耳に唇を寄せては、聞こえていないと思って小さな声でささやきあっていた。


 ──ごらんよあれ、赤い目だ。半獣(セーミス)っていうんだって知ってる? お父さまがおっしゃってた。


 ──みなしごだったんでしょ? 親がいないなんて信じられない。絶対、悪い子に決まってるわ。


 ──なんかくさくない? 獣くさい気がする……。


 クスクスクス……と上がった嘲笑は、この耳でなくともきっと聞こえただろう。


「はじめまして、クリステルさま。アリア・プランケットといいます。仲良くしていただけるとうれしいです」


 だから最初が肝心なのだ。


 舐められたくはないが敵意を持たれたくはない。


 それであればアリア自身が、自分をどのように扱うべきかを知らしめる必要があるのだ。


 これまで、いつだってそうしてきたように。


 天使のような微笑みを浮かべられて、クリステルは「まあ……」とはにかんだ。


 ──明日のお茶会には、国境伯さまの半獣(セーミス)の子も来るわよと母から聞いた時。


 赤い目を見たことがないクリステルは、どれだけ恐ろしい顔をしているのだろうと怯えた。


 親がいない孤児院育ちとも聞いて、(お庭を汚したら嫌だわ。お母さまお気に入りのティーカップも、壊すのではないかしら……)と心配もしていた。


「クリステル・フラゴナールです。……お会いできてうれしいですわ、アリアさま」


「うふふ、わたしもです」


 しかし少女はこの場の誰より上品で、貴族令嬢らしかった。


 ふわふわのデイドレスもとろけるようなプラチナブロンドも、まるで童話から抜け出したお姫さまのよう。


 非現実的なまでによく作られた可憐さに、みな目を奪われて離せなかった。


「そのブローチ、とっても綺麗ですね。金のお星さまみたい」


「!」


 妖精めいた少女は、クリステルが最も大切にしているものにすぐに気が付き、大きな目を興味深そうにキラキラさせた。


「そうなんですの……! 父が贈ってくれた宝物なんです。曇り空の海を航海する、北方の船乗りの羅針盤をモチーフにした魔道具なんですって」


「素敵……! クリステルさまがいつでも迷子になることがないように、必ず自分たちの元へ帰ってきますようにって、フラゴナール教授の願いがこめられているんだわ。ご夫妻はクリステルさまのこと、心から愛していらっしゃるんですね」


「……!」


 頬を染め、まるで眩しいものが眼前にあるように目を細めた笑みに、クリステルは自分の顔が熱くなるのを感じた。


 ──こんなに優しい言葉が自然に出てくる子が、他にいるだろうか?


 初めて目にした赤い目は優しく、初夏の果実水のように澄んできらめいていた。


 クリステルの父フラゴナール教授は、高名な魔術研究者である。


(クリステルさまも、お父さま譲りの賢そうな娘さんだわ)


 その空色の瞳をうるませて、嬉しそうにはにかむ少女に微笑みながら、アリアは(……いいなあ……)と心中でうらやましく思った。


(……わたしにも本当のお父さんがいたら、こんな風に愛してもらえるかしら)


 金の瞳を細めた詐欺師じみた笑みが脳内をよぎり、はにかみ混じりの苦笑いともに、風変わりな兄弟に会いたくなった。


 それまで遠巻きにしていた子どもたちも、アリアの歓声に興味を惹かれ、近くに寄ってくるとクリステルの襟に飾られたブローチをまじまじと眺めた。


「すごーい」


「きれいね」


 汚い言葉を使ったことを恥じたか、フランシスはバツが悪そうに輪から離れていった。


 一方のセレスティーネは興味がなさそうに、かたわらにリクハルトのみを控えさせてチョコレートをつまんでいる。


(……とんでもなく太い神経してるわ)


 発端は彼女の蒔いた嘘であることを、アリアは忘れていなかった。


(イケメンを侍らせて、悪口を言いふらす。……そっくりそのまま自分がやっていることなのに、気づいていないのかしら)


「さあさあ、お嬢ちゃまがた、お坊ちゃまがた! チェリーのクラフティを持ってきましたよ。こちらにおいでになって召し上がれ」


 フラゴナールの家政婦長が、お盆いっぱいに甘酸っぱい香りのケーキを運んできた。


 どの皿にもアイスクリームがひとすくい乗せられていて、子どもたちは大喜びでパラソルのもとに集まった。


「アリアさま、行きましょう。……あら、何やらすっごく嬉しそうですわね?」


「ふふ、はい。わたし甘酸っぱいデザートが大好きなんです」


「よかった! マリアのクラフティは絶品ですの!」


 ニコニコと、クリステルとアリアが隣同士で席に着いた時。


「──ないわ! わたくしの宝物!」


 突然上がった大声に、テーブルについた子どもたちの衆目が一斉に寄せられた。


 セレスティーネは、氷色の瞳を見たこともないほど見開いて、わなわなと唇を震わせていた。


「お母さまにいただいた大事なものなのに! ちゃんとここに入れておいたはずなのに、気づいたらなくなっていたの!」


「お嬢さま……」


 リクハルトがいたましげに肩に手を置いた。


「邸に戻られたらもう一度探しましょう」


「無理よ……! これまでだって、ずっとそうだったもの……」


 黒髪が力なくふるふると振られて、アイスブルーの瞳が、チラリとかすめるようにアリアを見た。


 目があった瞬間大袈裟にびくつかれて、夏の黒雲のようなイヤな予感がもくもくと湧き上がる。


(……まさか)


「アリアお嬢さま」


 かつて呼んだことのない敬称で、リクハルトが礼儀正しくアリアに呼びかける。


「セレスティーネさまの宝物をお待ちではありませんか? 黄色い百合の花の、オパールの髪飾りを」


「……!」


 答えるよりも早く、横から飛び出してきたものがあった。


 フランシスはアリアの膝からちょうちょのポシェットを奪い去ると、乱暴に中を漁った。


「……あった。あったよ、セレスティーネさま!」


 果たして、小さな手は、セレスティーネが今しがた詳らかに説明したとおりの髪飾りを見つけ出した。


 衆目がいっせいに、アリアに引き寄せられる。


「薄汚いコソ泥が!」


 フランシスは嫌悪に顔を歪め、ポシェットを地面に投げつけた。


(! お母さまが買ってくれたもの……!)


 とっさにアリアは身を投げ出すようにして、ちょうちょをなんとかキャッチした。


(いてっ)


 ちょっと足を擦りむきはしたが、細心の注意を払ったので、ドレスにダメージは入らなかったことを素早く確認する。


「……はあ~~~~~~」


 そうして、大きくため息をついた。


 ──プレゼントだと喜んだ自分が、滑稽だった。


 もはやセレスティーネを見る視線に軽蔑が滲むのを、耐えようとは思えなかった。


「ほら、さっきみたいに何とか言ってみなよ! 偉そうに……! 汚い半獣の孤児のくせに! プランケットに引き取られて、それだけで命を捧げてもいいくらいの恩だっていうのに、本当の娘のセレスティーネさまに嫌がらせをするなんて! 気味が悪い……! 恥知らずすぎて、虫唾が走る!」


 フランシスが高々と掲げた手には、黄色い百合のバレッタが日差しを受けて輝いていた。


 ポシェットを救うために転げたアリアと今のフランシスを見比べたら、悪事がバレてみっともなく地面に倒れた罪人と、それを追求する正義の執行者に見えるだろう。


 オーギュストすら止めようがなく、オロオロとセレスティーネとアリアを見比べるだけだった。


「いいの、いいのよフラン……! わたくしが悪いの。どうか責めないであげて」


「セレスティーネさまは優しすぎます! こいつは罪人ですよ!」


 鈴の音のような声を震わせて、手癖の悪い妹を庇うセレスティーネは、守りたくなるようにたおやかで可憐に映った。


(……反吐(へど)が出る)


 ポシェットを大事に拾って、アリアは立ち上がった。


「お姉さまにはがっかりしました」


「!」


 悪罵を受けてなお、朝焼けのような瞳に浮かぶのは、悲嘆でも怯えでもない。


 堂々とした軽蔑。


 一歩も退かずに傲然と見据えられて、セレスティーネは思わず本気で後ずさった。


 元より、衆耳を惹きつけることにかけてはこの声の右に出るものはない。


 これまで情感豊かに小さな弦楽器のように響いていた声は、温度を失って凍り付き、聞いたものの肌を粟立たせた。


「フラゴナール邸の玄関の前、バラのアーチの下で、いらないからあげるとわたしに下さったものじゃないですか」


「デ、デタラメを言うな!」


 応じたのはリクハルトだった。


 セレスティーネ本人は悲しげにまつ毛を震わせているだけだ。


 紺色のシンプルなドレスさえ、アリアの見るからに華やかなドレスと比較すると、義理の妹に持ち物を盗まれて地味な衣装しか残っていないためだと、子女たちの目に映った。


 クリステル・フラゴナールも、どうすればいいのかわからずにプランケットの姉妹を見つめることしかできない。


 ──コソ泥だって。


 ──やっぱり! そうだと思ってた。だって貧民育ちで、あんな赤い目だもの。


 ――見てごらんよ、あんなにゴテゴテ着飾ってさ! 貴族の物を盗んだって、本物にはなれやしないのに!


 さざなみのようなささやきがテーブルを渡り、疑惑と侮蔑に満ちた眼差しがアリアを突き刺した。


 その時。


「では、確かめればいいでしょう」


 聞き慣れた声は、聞こえるはずのない場所でも飄々と響いた。

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