第27話 お茶会でのひと騒動(1)
セレスティーネのデイドレスは濃紺だった。
初夏らしいかと言われるとそうではないが、深い色味は彼女によく似合っている。
レースもフリルも控えめでリボンも少ししかついていないが、日に透けると淡い虹色に輝く生地をふんだんに使用しており、一見地味に見えても価格帯はアリアと同じようなものと思われた。
「まあセレス、わたくしアメジストカラーのドレスにするよう言わなかったかしら? どうしてそのドレスを選んだか訳をおっしゃい」
「……」
エミリエンヌの静かな、だがやや怒気のこもった問いかけに、今日セレスティーネの衣装を着つけたクロエは真っ青になった。
表情を見ると初耳だったようだ。
当のセレスティーネは母の声などどこ吹く風で、いつもどおり悲しげな目で横顔を向けているだけだ。
「素敵ですお母さま! みんなでお揃いにしたかったんですね!」
アリアは明るい声でニコニコと割って入った。
せっかく初めてのお茶会だというのに、出かける前から険悪な空気にさせてなるものか。
エミリエンヌはこっそり当て込んでいたことをバラされて「なっ……! 何を訳が分からないことを……!」と扇を開いて怒ったように語気を強めたが、「その紫のドレスもすっごくお似合いです! 薔薇の女神さまみたい! やっぱりユスティフで一番お母さまがお綺麗だわ!」と養女にキラキラした瞳で畳みかけるように称賛され、たちまち気勢をそがれていった。
「――もうっ本当に口が回る子だこと! さあ、行くわよ二人とも!」
エミリエンヌは鮮やかな紫をした、とろけるようなシルクのドレスをひるがえし、高いヒールをカツカツと響かせてロータリーに待たせた馬車に向かった。
後ろから若草色のドレスをまとったカトリーヌが、女主人の荷物を手についていく。
「お姉さまも、その青いドレスとてもお似合いです。夜の妖精みたい! 知性的なお姉さまには青が似合いますね」
一応、セレスティーネにも誉め言葉を言っておいた。
片方だけ褒められて片方は放っておかれたら、誰だって気分が悪くなるものだ。
「……」
返答は全く期待していなかったが、やはり長い黒髪は振り向くことなく、いつも一緒の侍従とともに馬車へ向かっていった。
フラゴナール邸は夏薔薇の咲き乱れた、大きな白柱が印象的な華やかな邸宅だった。
国境伯家の馬車が屋敷の前につくと、待ち構えていたのかタイミングよく妙齢の貴婦人が玄関から姿を現した。
「まあエミリーさま! ご機嫌うるわしゅう」
「あなたも変わらないようね」
「こんなに早くおいでになるなんて、嬉しい驚きですわ」
フラゴナール夫人は栗色の髪をした優しげな美しい女性で、オールドローズの柔らかなドレスの胸元に、おそらく庭で今朝摘んだばかりの瑞々しい薔薇を挿していた。
エミリエンヌは対フレデリクとも対シプリアンとも違う、大貴族らしくそれなりに鷹揚な態度で――しかしいつもどおりえらそうに――扇をパラリと広げて応えた。
「セレスティーネさまも、大きくなられましたわね。お母さまにそっくりなお美しさだこと」
「ごきげんよう」
セレスティーネも無表情ではあるが、裾をつまんで優美なカーテシーを披露してみせた。
子ども好きとして知られる夫人はほほえましげに目を細め、次いでアリアに視線を向けた。
「あなたがプランケットさまの新しいお嬢さまね? わたくしはソランジュ・フラゴナール。あなたのお母さまとは学生時代からのお友達なの」
「アリア・プランケットといいます。どうぞよろしくお願いします」
アリアもふわふわのスカートの裾を広げてカーテシーをすると、ソランジュは「まあ! うふふ。そのデイドレス、エミリーさまの趣味ですわね?」と一瞬にして見抜いた。さすがである。
「あら悪い? こんなお誂え向きのお人形が手に入ったのですもの。遊ばないほうが失礼かと思って」
「お変わりのないこと……」
ソランジュ夫人は小鳥が鳴くようにコロコロとよく笑う女性のようで、エミリエンヌの毒気もほんの少し和らいだ。
「それで、話があるのだけれど。サロンに人が集まる前に、少しよろしくて?」
「ええ、もちろんですわ」
貴婦人たちは薔薇のような後ろ姿を残して、邸内に姿を消してしまった。
――その時。
隣に立つ小さな白い手から「これ」と差し出されたものがあって、アリアは一瞬、息が止まった。
「あげるわ。いらないから」
セレスティーネがよこしたのは、ガラス製の小さな髪飾りだった。
黄色い百合の意匠が施されて、何の宝石かはわからないが、花芯にあたる部分が小さくキラキラと輝いている。
「……えっ、……え!?」
反射的に受け取ってしまったが言葉も出ないアリアの返答を待たずして、セレスティーネとリクハルトは中庭に向かっていった。
その後ろ姿に「ありがとうございます!」と大きく声を上げた。
高い位置で結ばれたふわふわの二つ結びがぴょんと跳ねる。
心臓がバクバクと早鐘を打ち、頬が熱かった。
(これって、プ、プレゼントよね!? どうして!?)
もらわれてきて早二か月。
どれだけ拒絶されようとも、必死に媚びを売り、愛想を振りまき続けた。
家族になりたかったから。
(もしかして……もしかして……お姉さまと仲良くなれるかも……!?)
――茶会の馬車が、次第に集まり始めた。
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「セレスティーネさま、こいつがその女狐?」
招待客の子どもの中で、ひときわ目を惹く少年だった。
淡い亜麻色のゆるくウェーブした髪、ペリドットのように明るい大きな瞳。
少年用の衣服を身に付けていなければだれだって美少女と見紛うような、かわいらしい顔立ち。
(わあ~)と思ったのもつかの間、目が合った瞬間に黄緑の瞳は敵意に満ち、さくらんぼのような唇は先述の罵倒を繰り出したのだった。
大人たちは少し離れた四阿で涼みながら冷菓をつまみ、子どもは子どもで遊びなさいと噴水のあたりに集められ、水色と白のストライプを基調としたパラソルの下、子どもだけのお茶会が始まってすぐのことだ。
「ま、まあフラン。わたくしそんなこと言っていなくてよ?」
セレスティーネが珍しく慌てて訂正したが、肝心のフランシスは全く退く気がなかった。
「だってセレスティーネさまの服やおもちゃを盗んだり、悪口を言いふらしたりするんでしょ? ぼくに手紙であんなに言ってたじゃん! みんながいるここでとっちめてやろうよ!」
「……」
アリアは呆れた目で義姉を見てしまうのを止められなかった。
部屋にこもって何をしているかと思えば、せっせとそんな手紙を書いて送っていたとは……。
フランシスもまた、凡人とは別格の美形である。
(もしかして美青年でも美少年でも、美形ならなんでもいいのかしら……。この調子なら、美形と見れば手あたり次第、あることないことを吹き込んでいてもおかしくないわ)
「フラン!」
不穏な空気を感じ、また一人少年が駆けつけてきた。
頭二つ分くらいは小さい亜麻色を乱暴につかむと、無理やり下げさせる。
「申し訳ない、こいつセレスティーネさまと文通してからちょっとおかしくて」
「おかしいのはぼく以外のみんなだろ! 離せよ!」
オーギュスト・リスナール。フランシスの三つ離れた兄である。
弟よりやや濃い亜麻色の髪に、モスグリーンの瞳をした精悍な少年だ。
この兄弟はプランケットの寄り子の子爵家で、フレデリクの遠縁にあたる。
今日はリスナール子爵夫人に連れてこられたはずだがと夫人を探してみると、一生懸命エミリエンヌに話しかけていた。
(あれじゃあ、息子が暴走しても制御できるはずもないわね)
「初めまして、オーギュスト・リスナールさま、フランシス・リスナールさま。アリア・プランケットといいます。――どうぞ仲良くしてくださいね」
アリアは相手が名乗る前に相手の名前を当て、完璧な礼儀でお辞儀をしてみせた。
笑みだけはおっとりしているが、お前の素性はバレてんだぞという威嚇である。
貴族令嬢らしく、指先を頬にあてて可憐に首を傾げた。
「それで、フランシスさまが何かおもしろいことをおっしゃっていたのですが……わたしがお姉さまのドレスやおもちゃを盗んで、悪口を言いふらしているとか? うふふ! どうしてそんな空想を思いついたのかしら? わたしは絶対にそんなことしません。プランケットのどなたに尋ねていただいてもいいですよ」
「なっ……フラン!? お前、ご領主のお嬢さまになんて言いがかりをつけたんだ!? 謝りなさい!」
「うるさい嘘つき! 誰に聞いたって意味なんかない! あんたが屋敷中を脅して味方につけたって言ってたもん!」
フランシスは兄の手を振り払って、兄とアリアをキッと睨みつけた。
まあフランシスからしてみれば、同じご領主のお嬢さまからのタレコミである。退く理由などないと思ってもおかしくない。
「まあ、またおもしろいことを仰って。八歳の子どもが大人を脅して言いなりにするなんて、ずいぶん夢見がちなのね。それも何十名もいるのに、一人残らず! 自分にできるか考えてみた?」
「うっ! げ、下賤の生まれだから、悪知恵が働くんでしょ!? ぼくとは違うもん!」
「フラン!」
「あら、悪口を言いふらしているのはあなたの方じゃない?」
「……うう~~ッ!」
何を言ってもびくともしないアリアに、フランシスは真っ赤になって、セレスティーネのドレスを引っ張った。
セレスティーネは、聞き分けのない子どもに対するようにうんざりとため息をついた。
「アリア。小さい子をいじめて楽しくて?」
「同い年ですけど」
確かに体格はそちらの方が小さい。小柄なアリアよりさらに小さいので一歳くらいは年下に見えるが、生まれ年は同じだと知っている。
招待客の家族構成を全部頭に入れてきてよかった。
「もっもういい! 黙れ! 貧民のくせに口答えするな! ブス!」
プランケット家――領内で最上位に位置する家の娘を貧民と呼んだ時点で、フランシスの負けは決まっていた。
「……」
母に激似と言われる自分の顔面が強いこともアリアはよく理解していたので、少年の渾身の一撃は何も響かなかった。
「まあ、何ごとですの? ――お母さまのティーパーティーにふさわしくない言葉が聞こえてきましたが、聞き間違いですわよね?」
そうおっとりと、しかし有無を言わせぬ圧で現れたのは主催者の娘、クリステルであった。




