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第20話 紅い瞳の少年と金の瞳の賢者

「ぼくの名はニュクス。ここは地の露――ティルマティム。あなたの耳には、泉の音が聞こえるでしょう」


 ツチラト翁が呼んだ名とは違う名を告げた少年は、アリアの聞こえすぎる耳のことも知っているようだった。


「グウェナエルからは数日彷徨(さまよ)ってもまだ遠いが、またたきの間にたどり着くほど近い。あなたを連れてきたのは、単なるぼくの我儘です」


「……ワガママなんて、言いそうには見えないわ」


 自制心の強そうなその印象を思うまま述べただけだったが、夕刻の瞳は虚をつかれたように見開かれて、ややあってぎゅっと不満げに眉根を寄せた。


「本当にお人好しだ。……()()()()()()。得体の知れない男に魔術式を使って拉致されたという状況を、理解していないんですか? とにかく、こちらです。すぐに済ませて帰しますから」


 足早に森の小道を進み始めた少年のローブを追って、アリアも小走りでついていく。


「ねえ、何をするの? さっき古物商さんで、わたしに使える短杖がないって言ってたけど……どうしたらいいかわかる? 魔術式が使えないと、たぶんちょっと困りそうなの」


「それを教えるために、連れてきたんですよ」


「親切なのね。でもさっきの質問、ひとつだけ答えてくれてないわ」


「……」


 ――わたしのことを知っているの?


 切実なたった一つの問いにはやはり、この博識そうな少年も答えてはくれないらしい。


 少年はそれきり細い鼻筋の横顔を向けたまま、薄い唇をわずかに噛んで黙ってしまった。


「……ここです」


 足を止めると、木立の中に煉瓦造りの館が突然現れた。


 黒に近いグレーの煉瓦、ところどころに蔦の這う白い漆喰の壁。

 

 ヤドリギを宿したオークの大樹が影を落とす中、サフランイエローの扉が鮮やかに映えている。


 人里離れた森の中に建っているのは異様に映るほど、洗練された美しい館だった。


 少年がドアを開けると吹き抜けの階段があり、大きな掃き出し窓を背にした二階の手すりの向こうから、まるで来ることを知っていたかのように、男がこちらを見下ろしていた。


 少年と同じ黒いローブ、一つに結んで垂らした長い黒髪、そして黄金に輝く双眸。


 細い瞳孔は、まるで蛇のようだと一瞬過ぎった。


「やあ! お客さまなんて久々だ」


 男は細い目をさらに細め、笑みを浮かべて両手を開いた。


(はちゃめちゃな、男前……だけど)


 金の瞳は、底冷えするような威圧を滲ませていた。


 それは笑っても同じらしく、むしろ人当たりのよさが加わることで、詐欺師じみたうさんくささを発揮していた。


「兄です」


(……本当に?)


 訝しみつつも、「アリアと言います!」と大きな声で挨拶をした。


「会えて嬉しいよ、アリア! わたしはネメシス。この大陸で唯一、魔法を教えられる者」


 晴れ渡る真夏に吹く風のような、朗々とした響きを持つ声だった。


「魔法? 魔術式ではなくて?」


「魔術式だって?」


 昨日のエルヴェの言葉を思い出して聞き返すと、金の瞳が嘲笑するように細められた。


「あんなのは魔法を使えないグズが使う、見苦しい代替品に過ぎないよ。本物はもっと自由で残酷で、何でもできる」


「でも……わたし、待たせている人がいるんです。すぐ帰らないといけないの。いま教わるわけにはいかないわ」


「――あははは!」


 ネメシスは、大きく口を開けて笑った。


 冷たい印象の目がぎゅっと細められて見えなくなってしまうと、途端に本来の穏やかな性格が、正しく伝わってくるように見えた。


「わたしも今日ここで魔法の真髄を教えようとは思っていないよ! 安心おし! ではこうしようか。きみが再びここへ来られるよう、()()を渡しておくよ。わたしはいつでもここにいるから、きみは好きな時にやってきて、魔法を学んでいくといい」


 魔法使いはそう言いながら階段を降り、安楽椅子に腰掛けると術符にサラサラと術式を書きつけた。


 彼の弟は、「見苦しいといった舌の根も乾かぬうちに、よくそんなもの使えますね」と、ズケズケ皮肉を言った。


「仕方ないだろう、この子はまだ魔法を使えないんだから。わたしが書くんだからこれはスクロールじゃなくて切符だよ、切符」


「どこからどう見ても術符(スクロール)ですけど。あんなに馬鹿にしていたくせに持っているなんて、どういう神経をしているのか驚いてますよ」


「はいどうぞ、アリア」


 弟の舌鋒はかけらも気にせず、ネメシスはニッコリ笑って、()()をアリアに差し出した。


「……」


 アリアは手を下ろしたまま、「タダほど高いものはないわ」と二人をじっと見つめた。


「あなたたちは誰なの? さっき会ったばかりなのに、どうしてこんなに好意的なの? どうして他の人が使えない魔法を、わたしが使えるってわかるの? ……わたしの何を知っているの?」


 金の瞳と紅い瞳が、アリアを映した。


(……不思議だわ)


 こんな色の瞳を見たことはないのに、なぜか懐かしい。


「それこそ、人を待たせているのに話せることではありません。……長い長い、話になる」


 ニュクスの顔に、年齢に見合わない、疲れ果てたような影が落ちた。


 ネメシスは切符を差し出して微笑んだまま、金の瞳でアリアを静かに見上げていた。


 この瞳には覚えがあった。


 母が自分を見つめた時と同じ、何をしても許してくれる、温かな確かさ。

 

 揺るがない黄金。


 もう失ってしまったと思っていた眼差しが、なぜ初めての人から注がれるのだろう。


(……もしかして、この人は……)


「……親に言ってから、来てもいいの?」


 人里離れた場所から魔術式を展開して移動しているなんて、後ろ暗い気配を感じないわけがない。


 まさかいいなんて言わないだろうと思っての問いだったが、ネメシスは「構わないよ」と鷹揚に頷いた。


「きみとわたしたちの間に、横槍を入れられる人間などいないのだから。きみがここに来たいと願えば、たとえ地下牢に鎖で繋がれていようとも、道は繋がる」


「言っておくけれど、小さい女の子をさらったうえにまた来てほしいなんて、控えめに言ってもどうかしてるわよ。誘い方を考え直した方がいいわ」


「ウッ! 留意しておきます……」


 ニュクスは苦しげな顔で、心臓あたりのローブをぎゅっと掴んだ。


「……わたしが知りたいこと、なんでも教えてくれるの?」


「わたしたちが知っていることなら、なんでも。きみには、嘘も隠しごともしない」


「……」


 ためらいながらも、小さな手を伸ばしてアリアが切符を受け取ると、少年からかすかに安堵の息が漏れるのが耳に届いた。


「まだ来ると約束したわけじゃないわよ!」


 華奢な指がビシッ! と立てられる。


「今日は勝手に連れてこられちゃったから仕方ないけれど、誰なのかもわからない人たちのどこだかわからないお家なんて怪しい場所、何も考えずにまた行けるほどおバカさんじゃないの。行くか行かないかはわたしが決める。だからとりあえず、いただいておくわ」


「結構! しっかりしたお嬢さんだ!」


 ネメシスはおかしそうにくつくつ笑い、まぶしそうに金の目を細めた。




 ニュクスに送り届けられるのとちょうど同じ時。


 大荷物を抱えたメラニーが古物商に戻ってきた。


「すっすみませんお嬢さまあああ……! こんなにお待たせしてしまって……!」


 なぜか半泣きであった。


「シプリアンさんに捕まっちゃって、なかなか抜け出せなくて! あれもこれもと持たされてしまったせいで走れもしなくて……! ちょっと筋肉を褒めただけなのに、どうしてこんなことに……!?」


「大丈夫? アントナンさんを呼んでくるわ。馬車まで運んでもらいましょう」


(よかったー。抜け出したことに気づかれていないなんてラッキーだわ)


 アリアはアリアで胸をなでおろしつつ、御者を呼ぼうと首を巡らせると、すでに少年の姿はないことに気がついた。


 古物商の入り口に展開されていた紫色の術式も、初めから何もなかったかのように消え失せている。


(幻じゃ……なかったはず)


 右手に握りしめた小さな術符を確かめるように、そっと撫でた。

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