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第19話 古物商バルトシェクにて

 その日のティータイム、さっそくフレデリクにエルヴェとのやりとりを報告した。


 ちょっと多めのお小遣いをせびるためである。


 いつものように隣にセレスティーネもいたが、本で済ませて授業に参加する気はないという意思表示も込めて、あったことをそのまま伝えた。


 だが切れ長のアイスブルーは、凍えるような怒気に満ちて横目で切るようにアリアを流し見た。


(……残念ながらこれも、お気に召さなかったようね)


 もしかして彼女の願いは、義妹と一緒の授業を受けたくないということではなく、自分の教師に近づいてほしくないということだったのだろうか。


(う~ん、そんな気がしてきたわ~。色んな男性をたらしこむ悪女だってわたしのことを言っていたし……。とにかく、お姉さまの近くにいるイケメンには近寄らないほうがよさそうね。でもエルヴェ先生、お付き合いするにはだいぶ年上だと思うけど……。いや、待って待って。リクハルトと付き合っているんじゃなかったっけ? わ、別れちゃったのかしら……!?)


 だとしたらたぶん、絶対、フラれたのはこいつの方。


 甲斐甲斐しくセレスティーネの世話をする少年に、気の毒そうな朝焼け色の眼差しが注がれる。


「……!?」


 謂れのない生あったかい目を浴びせられ、動揺した侍従はワゴンにガッ! と(すね)をぶつけて悶絶した。


 娘たちの間に流れる冷たい空気も意に介さずに、国境伯は意味ありげに微笑むと、「もちろんいいとも、かわいい娘よ」と二つ返事でお小遣いをよこしてくれた。




+++++++++




 翌日。アリアはメラニーを伴って、古物商のある通りに馬車で乗り付けた。


 バルトシェク古物商。


 エルヴェが教えてくれた古道具屋は、城下町の東の下町、五番通りに位置していた。


 重いオークの扉を開けるとカランとベルが鳴り、埃、薬草、錆びた金属、なめした革、焚き染められた異国の香、──雑多な匂いが鼻孔に満ちる。


 扉を開けてすぐの真横、よく磨かれた甲冑が槍を持った姿勢で頭上から見下ろしていて、二人揃って身をすくめた。


「いらっしゃいませ、お嬢さまがた」


 店の奥から出てきたのは、節くれだった杖をついた、非常に小さな老人。


「わたしはバルトシェク古物商の店主、ツチラト・バルトシェクと申します。よしなに」


「アリア・プランケットと言います。よろしくお願いします」


「ふむふむ。領主さまのお嬢さまですな。それで、今日は何をお探しに?」


 貴族の幼い娘が古物商を(おとな)うなど滅多にないことのはずだが、ツチラト翁は気にしたそぶりもなく、ポケットから手袋を出して嵌めると、片眼鏡の位置を直した。


「えっと、魔術式に使う短杖(ワンズ)と……あと術符(スクロール)、それからインクって置いてありますか?」


「ふむふむ。短杖はこちらですぞ。カントループの卒業生たちが売ったものがこれくらい……新しいものはこちら。あくまで古物商ですので、比較的に」


 老人が見せてくれた棚には、細長い筒がぎっしりと詰め込まれていた。


 そこから手袋をした指で一本の筒を取り出すと、「たしかこれ」とアリアに渡した。


「お嬢さまと同じ、宝石の目をした方が持ち込まれた杖です。お試しあれ」


「宝石の目……?」


 それが自分の赤い目を指しているのだと、しばらくして理解した幼い頬は、じわじわと桃色に染まった。


 ――獣くさいと言われ続けてきた。

 

 母から受け継いだ、二つとないこの虹彩。


 茶色や緑や青や灰などの穏やかな色とは真逆の、血と黄金の半ばにある熱い色。


 どれだけ一人で胸を張ってみせようとも、野蛮、無知、理性のない動物だと、人間未満の半獣(セーミス)だと、短い人生でも蔑まれてきた。


(う、嬉しい……)


 そんな美しい言葉で自分の出自を称されたことは、生まれて初めてだったのだ。


 筒から出てきた短杖はトロリと赤みがかった飴色で、年若い学生が使っていたものだからか、先端が欠けて無数の小さな傷が残っていた。


「短杖は、素材によって使用者との相性がございます。合っていれば、全身に要素が行き渡る温かい心地がいたします」


「合っていなかった場合は?」


「その時々。火花が出ることも、爆発することも」


「ば、爆発」


「支障ありません。初心者の場合は、いずれも小さな不具合でございますから」


 アリアはおそるおそる、飴色の杖を手に取った。


「振ってごらんなさい」


 目をぎゅっと瞑り、びくつきながらもほんの少しだけ杖先を動かすと。


 ッポー!

 バサバサバサッ


「ヒッ!?」


「ハト!?」


 ツチラト翁がすっとんきょうな声を上げた。


 ピンクの瞳を開けると、丸々と太った白いドバトが羽を撒き散らしながら、満足げな顔をして杖先に止まったところだった。


「……あの、鳩が出ることってよくあることですか?」


「残念ながら、初見でございます」


「そ、そんな……」


 短杖を振るたびにハトが出てきてしまうとしたら、将来はおもしろマジシャンになるしか道はない。


 にわかに頭を抱え始めたアリアの袖を、メラニーが「お嬢さま……」と小さく引いた。


「すみません、シプリアンさんで急ぎ受け取るものがあることを思い出しまして……! すぐ戻りますので、一人でも大丈夫ですか?」


「大丈夫よ。ツチラトおじいちゃんもいらっしゃるし、走って転ばないでね」


「はい!」


 メラニーが店を出るのと入れ替わるようにして、──カラン、とベルが鳴った。


「店主。依頼の品を持ってきました。詩篇に禁呪がはめられていて、それで怪異を起こしていたようです」


 砂地を渡る風に似た、少し掠れた声。


 アリアが何の気なしに振り向くと、紫がかった紅い瞳と目があった。


「!」


 ロードライトガーネットのような瞳が、なぜか心底から驚いたように見開かれる。


 それは、黒いローブを着こんだ少年だった。


 年はアリアより少しだけ上の、十一、二歳ごろ。


 少し癖のある黒髪が、夕闇の混ざる西の空のような紅紫(マゼンタ)の双眸を少しだけ隠している。


 端正にして怜悧。


 どこからどう見ても美形だが、鋭い目つきと深い隈がやや荒んだ印象を与え、疲れ果てたような眼差しは、見た目の年齢よりもずっと年上のような陰影を滲ませていた。


 少年は、信じがたいものを見るように幾度かまばたきをすると、──左手で自分の両眼を覆い、この世の終わりかのような声で、こう嘆いた。


「カワイイ」


「……えっ??」


 目の前の玲瓏とした少年から、初対面で飛び出すとは思えぬ単語。


「世界一カワイイ」


(な、なにが……!?)


 怪訝な顔で五度ほど強めに瞬きをしたが、さらに言い重ねられて聞き間違いではなかったのだと悟る。


(め……めちゃくちゃラブリーなものが、お店のどこかにあるのかしら?)


 自分の後ろを振り返ってみても、いるのはシワクチャの御老体と太り過ぎたハトだけである。

 

 少年はしばらくそうして顔を覆っていたが、ややあって「はぁ、いけない。ぼくとしたことが……」と居住まいを正し、再びアリアを見つめた。


 今度は、手元にじっと視線を向けている。


「……短杖(ワンズ)を?」


「えっ? はい」


「……はあぁああ~~~~~~~……」


 長い長い、ため息だった。


(!? な、なぜ!?)


 どうして初対面の少年にこうまで深いため息をつかれるのか、さっぱり見当がつかない。


「……店主、依頼品の確認を。解呪は完了しています。そのセフィロトの挿絵が入ったページを開いて、かたわらに水を入れたコップを置いてください」


「少々お待ちを」


 ツチラト翁は少年の持ってきた古びた本を受け取ると、近くの棚から売り物らしき金縁のティーカップをソーサーごと取り上げて、短杖を弾くように振るった。


(な、なにが始まるのかしら……)


 目を凝らして見ていると、ティーカップには音もなく水が湧き出てきた。


 ツチラト翁は優雅な手つきでカップを本のかたわらに置いて、しばしの間、じっと見つめた。


「……しかと。もう水が血に変わることはありませんね。カップから溢れてあたり一面を血まみれにすることも、持ち主の発狂を引き起こす悲鳴を上げることもなさそうです」


(なにそれ!?)


 どうやら少年が持ってきたのは呪いの本――それもかなり迷惑な――だったらしい。


「では代金はいつもどおり」


 アリアはもはや短杖よりも、なにか訳知りらしい少年のほうが気になってしまっていた。


「あの……」と話しかけたが、なにを言うか決めていない言葉を言い終わる前に、少年がはっきりと告げた。


「あなたに扱える短杖はありません」


「えっ」


 ――短杖が使えない?


「……あの、あなたは?」


「ウィペルくん、問題ございません。代金はこちらで」


「ありがとうございます。頂戴します」


 ツチラト翁と少年の間で素早く確認が交わされると、黒いローブが足早にひるがえった。


 このまま立ち去ってしまうのかと思われたが、夕闇の迫る空のような瞳は、立ち尽くすアリアを一瞥した。


「……ついていらっしゃい」


「ど、どこに?」


 まごつきながらも少年について古物商から出ると、パシッと手首を掴まれた。


「少しの間だけなので、ご勘弁ください」


 眉根を下げた、やたらとすまなそうな物言い。


 聞き返そうとした途端、スカートをひるがえす風があって思わず下を見ると、紫色の光を放つ複雑怪奇な円形の図が、絨毯のように広がっていた。


 これは――見たことがないけどこんなもの、アリアが知る限り一つしかない。


「じゅっ、術式……!?」


「転移します。息を吸って。――止めて」


 音の聞こえないほどの強風が耳を塞ぎ、たまらず目を閉じると、一瞬、何もかもを失ったように感じられた。


 重みも、酸素も、音も匂いも光も影も、過去も未来も。


 束の間の永遠を経て、全ての重みが身体に取り戻された。


「――ぷっはぁぁ……ッ!」


 アリアは思いっきり胸から息を吐き出した。


「うわ……!」


 水から上がった直後のように身体が重たく感じられ、ガクリと膝の力が抜ける。


 少年は掴んだままの腕を引っ張って立ち上がらせると、小さな声で、「……すみません」と呟いた。


「慣れていないとどのようになるか、忘れていました。その、少し……慌てていたもので」


 途方に暮れたような声音に見上げると、先ほどまで大人びて神経質そうだった顔がおろおろと困り果てていて、途端にその年ごろの少年らしく見えた。


 鼻腔に、水辺の花の匂いが満ちた。


 水音がする。


 さらさらと清らかなせせらぎの音、深い森の葉擦れのざわめき。


 聡い耳は、下町の雑踏が一瞬のうちに遥か遠くに消え失せたことを聞き分けた。


 アリアは腕を離して一人で立つと、スカートの乱れを直して少年に向き直った。


「あなたはどなた? ここはどこなの? どうしてわたしを連れてきたの? ……わたしのことを、知っているようね」


 ロードライトガーネットもまた、アリアを見つめ返した。

サブ主人公のボルテージ、最初からギア高めにしておきました…(2023/4/10)

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