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旋律のアリアドネ-底辺ヒロインは王冠に手を伸ばす-  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
― 2章 8000回目の朝に目覚めよ ―
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第183話 黄金の鍵を落として

 人垣をかき分けたフレデリクは、白いグローブを脱ぐと真っ青な少年の首筋に手を当てた。


「……脈が弱い」


 氷色の瞳が地面に落ちる。


「人間は、大人なら(かめ)一杯、子どもなら半量の失血で死に至る。あそこにある血がすべて彼のものだというなら、ウィペルくんは、もう……」


 唇を噛みながら説かれたことに、周囲を取り囲んだ人たちは凍り付いた。


 ここから街までは直線距離で5000ヤルクほど。


 間にあるのは道とも呼べぬ獣道と、入り江を挟んだ断崖絶壁。


 無論、転移魔術式を使えば直線距離など皆無となるが、使ったところで意味はなかった。


 医者はほかならぬ、この少年自身なのだ。


 ──なにもできない。彼の命が尽きるのを見守るほかには。


『あーあーあー、テスト、テスト。うんうんオーケー、問題ないね』


「!?」


 いずことも知れぬ頭上から、やけに能天気な声が降ってくる。


 背後を仰ぎ見れば──何の変哲もない巨木だった樫の木に、人間の口が形成されていた。


『あ、どうも~』


 木繊維の可動域などまるで無視して自由自在に動く、得体の知れない怪物。


「ヒョエーー!」


 人々は次々と腰を抜かした。


『えーっと……そうそう。フレデリクくんとダヴィドくん! お手数だけど、弟のローブをひっくり返してもらっていいかな?』


「なっ、名前!?」


「ど、どうしてぼくの名前を木が知ってるのかな!?」


『いつもうちの弟子と弟がお世話になってます~』


 声がひっくり返るほど動転した相手を物ともしない、おっとりの極みたる態度。


 ダヴィドの脳裏を、ピーン! とひらめきが走る。


「もしかして……アニキの師匠で、師匠のアニキっすか?」


「なんて?」


正解(せいかーい)


 百にも及ぶランタンが吊り下げられ、色とりどりの光が輝く地の露(ティルマティム)の家で、安楽椅子に座った賢人は気楽に微笑んだ。


『弟は準備魔だからね。たぶん、ぬかりなく()()()()()()はずだよ』


「……あ!」


 夏着には厚すぎるローブを裏返したダヴィドは、ポケットのなかに見覚えのある小瓶を探り当てた。


「あった……! あったぜ! エネP、一本だけっ!」


 涙目で掲げられた赤いラベルの瓶に、イリオンとメリディエスのヤカラたちは「おおおーーーっ!」と沸き立ち、ユスティフ一行は怪訝な顔をした。


「失礼。何ピー?」


「エネPだよエネP!」


「……なるほど?」


 フレデリクは、『よくわかってませんけども』という笑顔のまま、患者の横を空けた。


「つまりそれは、千年王国の不思議な薬だ。それならここは、きみに任せよう」


 彼らの世代は、学生時代、同級生(ユスティティア)の不思議パワーでさんざん痛い目を見せられているのである。


「だが……正直言って、ウィペルくんは瀕死だよ。あと数分で命が尽きるような状態。その小瓶で、ほんとにどうにかなるとでも?」


「そりゃフリってやつだぜ、色男!」


 小瓶の蓋をキュポッと回しながら、ダヴィドはニュクスの頭を持ち上げた。


「これはおれの師匠が、アリアさんのためにこさえた薬だ。医神に愛された天下の世話焼きが、全身全霊の愛を込めて調合した癒魂薬……」


魂回生用(プシュキス・)エネルギー剤(エネルゲイア)』は、瓶の琥珀色よりも淡い金色をした液体だった。


 ゆっくりと少年の口に含ませながら、ダヴィドは憧れで潤む浅瀬色の瞳を、眩しそうに細めた。


「千年分のバカでっけえ愛が詰まった薬に、治せねえものなんてあるもんか!」


 喉がかぼそく上下する。


 死人のような顔色に、わずかに生気が戻る。


「師匠! 師匠!」


「ニュクスさま!」


「ウッ……」


 口々に声をかけて身体を揺さぶれば、重たそうにまぶたが開いた。


「……!」


 ぼんやりとしていたのは二秒ほどで、紅紫の双眸にはすぐに力がこもる。


 ニュクスは立ちあがろうとし、しかし血を吸ったローブの重量に負け、あっけなく崩れ落ちた。


「まだ無茶だぜ、師匠! いくらあんたでも、あと二時間は動けねえよ」


「ダヴィド、ありがとう。命拾いしました。……行かなくては」


「話聞けって!」


 荒い息を吐いて蒼白な顔のまま、それでも譲らず動こうとするローブの裾に、ドスッ! とクレイモアの切先が刺さった。


「わたしの目の前で無様な振る舞いはやめろ」


 横顔を向けたままのティルダが、冷たく言い放つ。


「死に損ないなら死に損ないらしく、エネPが回るまでそこでひっくり返っておけ」


「抜きなさいティルダ。休んでなどいられません。ぼくが行かなくては」


「黙ってろ!!」


 いつにない怒気が返されて、ニュクスははたと目を見開いた。


 唇を噛み締め、こぶしをギリギリと握りしめたガーネットが見据えるのは、頭上に張り付いた迷宮。


「姫君は……お前を頼むと命じられたのだ! ご自分を、捨て置かせて……!」


 騎士の語ることに、魔法使いの顔も歪んだ。


「あの子は……」


 ここに至って人々は、何か──とても大切なものが足りないことに気がついた。


「ねえ、ニュクスさま。……アリアは?」


 カネラの問いに、目の下に濃い隈を浮かべた顔は暗い眼差しで答えた。


「迷宮に呑まれました」


「……!」


 声のない悲鳴が飲み込まれ──、一拍置いて、怒号が夜を揺らした。






 風は、果てしなく遠くまで吹いていた。


(あの音にならない奇妙な音……。たぶん、犬笛ね)


 触手に絡め取られ、奥へと送られながら、アリアはここに至るまでに迷宮によって仕掛けられた罠を思い返していた。


 近づいた人間をいつでも呑み込めるように、門型(ピュレー)から喫飲型(ラーリンガス)に人知れず姿を変えた。


 犬笛を吹いて、はるか遠い東方大陸の怪物を呼び寄せた。


 罠にかかった獲物の悲鳴を真似た。


 ──なんのために?


(ネーヴェはピュレーだって、たしかに調査報告にあった。師匠が調べたものだから間違いなんてありえない。じゃあ、どこかのタイミングで変容したんだわ)


 思い当たる節などないが、確かなことはひとつ。


「まんまと罠に嵌まっちゃったってわけね」


 無理な体勢でライフルを使ったことで痛めた左肩を押さえながら、小さな王はいつもどおり、ゆったりと微笑んだ。


 風の音に、別の風音が混ざる。


 途方もなく広い空間が近づいてくる。


「……!」


 突如真っ白に染まった視界にぎゅっと目をつぶると、剥き出しの顔に冷たい空気が当たった。


「……雪?」


 頭上は抜けるほど晴れ渡った蒼天。


 眼下には、白銀の降り積もった針葉樹林。


 視界の端には白雪を頂いた山脈が、その稜線を眩しいほどに輝かせる。


 そこは冴え冴えと美しく澄んだ、一面の銀世界……


 の、上空400ヤルクであった。


「あの、もしかして……ここでリリース?」


 自分の腹部に巻き付く触手に尋ねると、──ウン! と答えるように、あれほど暴れても頑として離れなかった腕がするりと剥がれた。


「ちょ」


 一瞬の無重力。


 のちに、血の気が凍る浮遊感(エアタイム)


 中空に放り出されたのだから当然である。


「……最後まで責任持ちなさいよおおお~~~!」


 半泣きの絶叫が、凛と澄んだ冬空に響き渡った。






「あんたらのせいだ!!」


 迷宮から少し距離をとった山中で、イリオンの大人たちはユスティフの大人たちに掴み掛かった。


「……」


 メリディエスの市民たちはといえば、自国の上流階級揃いのグウェナエル一行に喰ってかかるわけではなかったが、むっつりと腕を組み、敵意をあらわに睨みつけている。


 あの小さな少女は市民たちにとって恩人。


 そして亡国の民にとってはたったひとりの主人であり、魂のよりどころなのだ。


「姫さまになにかあったら……どうしてくれる!!」


 ユスティフ人の胸ぐらを掴んだイリオスの表情に、怒りの裏側の泣き出しそうな不安が滲んだ。


「でも、あれは門型のピュレーだって……!」


 鬼気迫る形相で詰め寄られて、顔色をなくしたグウェナエル領民も反論する。


「近づいただけで人間を飲み込む喫飲型(ラーリンガス)なら、許可証がなきゃ近づけないよう厳重に封鎖されているはずだろ!?」


「言わせてもらうが、そっちの管理に不足はなかったのか!?」


「こっちだって、三人も行方不明なんだ!」


「……ああもう、やかましくてよ!」


 短すぎる堪忍袋を爆発させたエミリエンヌは、凶悪な形相で一同を睨みつけた。


「言っても仕方ないことをグダグダ、グダグダ! お前たち、無能の集まりなの!?」


「子どもが四人、行方知れず……。状況証拠から、ラーリンガスに変質した迷宮に飲み込まれた可能性が高い。となれば、言い争ってる暇などありませんわ」


 ソランジュもまた、たじろぐような眼差しで人々を見据えた。


「その通り、一秒でも早く潜るべきだわ。ウィペル。グウェナエルからは全ての男手を出すわ。無論、そこの無能も。大怪我をしてるお前は置いておいて、そっちは何人出せるの?」


「夫人……」


 水を向けられたニュクスは、何から説明しようとわずかに口ごもった。


「エミリーさま、違うのよ。わたくしが言ってるのはね……」


 ──迷宮戦果の研究者であるソランジュは、ニュクスの説明を()たずして言葉を継いだ。


「グウェナエルへ使いを走らせて、掻き集められるだけの兵力を集めて、転移限界ギリギリの人数をこの地へ送る。そのために直ちに動くべきと、そう申しているの」


「……ソランジュ。それでは何日かかるかわからなくてよ」


「ええ、そう。でも、他に方法などないの」


 空色の瞳は、穏やかな色の中に、焼け付くような焦燥を滲ませていた。


「神聖歴588年10月。ノルデン王国兵団が磔刑のネーヴェに遠征し……だれひとり、帰らなかった。この時の兵勢は1580名。ネーヴェの推定踏破戦力は……2000」


 非現実的な大きさのその数は、訓練を終えた現役の兵士の人数を指している。


「フレデリクさまがいようとうちのダミアンが随行しようとそんなの、破砕機の前の小石に過ぎないわ。……迷宮は圧倒的な力で、人間をすり潰す」


 たじろぐほど暗い眼差しで説かれたことは、他の者から語る言葉を奪ってしまった。


「そんな、それじゃあ、どうすれば……」


 捜索隊はすぐそばにある奇怪な建造物を、手が届かないはるか彼方にあるような目で見上げ、立ち尽くした。


『う、嘘』


 静寂が落ちた森の中。


 エミリエンヌが大事に抱えたシルク製のショール……にくるまれた薔薇の手鏡から、震える声が上がった。


「嘘よ!」


 セレスティーネはわなわなとソファーから立ち上がると、誰にも届かない箱庭で叫んだ。


「よりにもよってどうしてこんな時に、そんなことになるのよ!? わたくしっ、わたくし……! アリアに、ひどいことを言ったのよ!」


 豊かな黒髪をくしゃくしゃと掻きむしり、大きな切長の瞳が泣きそうに歪む。


「あんなこと、思ってないのに……! 言うつもりなんて、なかったのに!」


 思うがままにならない怒りに任せて言い放った棘が、大事なあの子を傷つけたことを知っている。


 でも、知らないのだ。


 言い過ぎてしまった時にどうやって取り消せばいいかなんて、だれも教えてくれなかった。


 アイスブルーにじわりと涙の膜が張り、唇が震えた。


「わたくしっ……、人に謝ったことなんて、ないのよ!!」


 誰も眠れない夜が、始まった。




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