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旋律のアリアドネ-底辺ヒロインは王冠に手を伸ばす-  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
― 2章 8000回目の朝に目覚めよ ―
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第179話 だれも寝てはならぬ

 飴色レンガの街からゆるい曲線を描いて、砕石舗装の坂道が高台に伸びる。


 村へと続く一本道を上ってくる灯りにニュクスは気がついた。


(こんな夜更けの来訪者。またリスナールの兄弟どもか?)


 和んでいた目つきに、一気に険が滲む。


(夜にこの子を連れ出そうなんて不埒な真似、ぼくの目が黒いうちは許されると思うなよ!)


 ギュッと眉を寄せながらヘビの触覚を伸ばして探れば、それは意外なことに、クリステルの母ソランジュ・フラゴナールであった。


 背中に背負った子が起きないよう、地面に上昇気流を起こしてふわりと屋根から飛び降りると、ニュクスは自分からソランジュに近づいて行った。


「どうかされましたか」


「!」


 突如、赤い瞳の少年に闇の中から声をかけられて、伯爵夫人は大きくランタンを揺らした。


「まあ、驚いた! 気が付きませんでしたわ、わたくしとしたことが……」


 上品なしぐさで胸を抑えたソランジュは、少年の背で眠るアリアに気が付くと、「あら」と破顔した。


「なんていとけなく、愛くるしいこと! こうしているとお母さまにそっくりですわ」


 アリアの母──ユスティティア・リオンダーリ。


 懐かしい名前の思いがけない浮上に、ニュクスは目を瞬かせた。


「あの方をご存じなのですか?」


「ええ。わたくしとエミリーさまは、カントループでユスティティアさまと同級生。同じ寮で六年を過ごしましたのよ」


「そ、そうでしたか……」


 ニュクスが知るユスティティアは、服を着て闊歩する天上天下唯我独尊。


 始祖以来と謳われる知性、リオンダーリには珍しいオルフェン並みの膂力(りょりょく)を備えた姫は、それらの類まれな才と引き換えに、あらゆる生活能力と協調性が欠落していた。


(あれと四六時中一緒にいるのは、さぞかし大変だったに違いない……)


 心中の同情を口に出したわけではなかったが、ソランジュは少年の表情に気が付いたらしく、「そのお顔! あなたもずいぶんユスティアさまには振り回されたご様子!」とコロコロ笑った。


「あの方は正真正銘、学園の支配者でしたわ」


 空色の瞳が、思い出を探すように海を見た。


「わたくしたちの同窓は、陛下を筆頭にまるで綺羅星(きらぼし)のような高爵位のご子息が多くいらした世代でしたけれど……一番目立っていたのは彼女。だれに聞いても、きっとそう仰るわ。勉学はもちろん、剣や馬術まで、何をやらせてもあっさりと首位で。あの頃はまだ王太子だった陛下も、侍従だった宰相も、まるで歯が立たなかったものです。性格は、ええと……ちょっとだけクセが強かったから、敵も多く作っていらっしゃったけれど」


「……」


 この良識ある夫人が言い淀むほどとは、お目付け役の(クロリス)もワガママを叱る陛下も一角獣(モノケロス)たちもいない他国の学園で、意気揚々と傍若無人に過ごしていたことが伺われる。


「ウィペルさん。入学式の当日、ユスティアさまが何をなさったかご存知? 王太子殿下の胸倉を掴んで、五階の窓から落とそうとなさったのですよ!」


「!?」


「も~~あの時は、心臓が飛び出るかと思いましたわ! わたくしは一学年監督生で、すっごく頭でっかちでしたから、王国の後継者に乱暴を働くなんてとんでもないってカンカンに怒ったものです」


 それは頭でっかちではなく、常識的な人間の振る舞いである。


 ひとつ思い出せば次から次へと溢れ出たのか、「本当に、ユスティアさまときたらねえ」と、頬に手を当てた貴婦人は遠い目をした。


「不勉強な教師を舌鋒鋭く指摘して泣かせるわ、カンニングの疑いをかけた教師を論破して泣かせるわ、嫌がらせをした女の子たちに五倍返しして泣かせるわ、見渡す限り間抜けなロバばかりだと言って憚らないわの、怖いもの知らずで。あの方とエミリーさまとのコンビの凶悪さと来たら、監督生にとって最大の強敵でしたわ」


(もっ、申し訳ない……!)


 二十年越しの身内のヤンチャを知り、ニュクスは頭を抱えたくなった。


 ソランジュはクスクスと笑いながら、アリアの額にかかった髪を優しくよけた。


「アリアさまと初めてお会いした時、ああこれは()()()()()()の再来だと思いましたのよ。お顔立ちはもちろんのこと、濡れ衣を着せられても悪意をぶつけられても、歯牙にもかけないあの態度。……でもこの方は、ユスティアさまではありませんわね」


 慈愛深く目を細め、そっと頭を撫でる。


「人のことが大好きで、見ていられないほど健気で、お母さまとは比べものにならないくらい、優しい子。とっても素敵なお嬢さんだけれども……そんなに頑張らなくていいのよと、差し出がましくも言ってあげたくなりますわ」


「……」


 ニュクスもまた丸い額に目をやってから、ソランジュに向き直った。


「感謝します、フラゴナール夫人。この子の無理に気づく大人が周囲にいてくださることは、得難い幸運です」


 深々と頭を下げたのは、かつて一家揃って暗示をかけたことへの贖罪が多少入っている。


「まあ! まるで保護者のようなことを仰るのね!」


 ユスティフ貴族には珍しく真っ当な大人である貴婦人は、鈴を転がすように笑った。


「あなたもまだ子どもでいらっしゃるのよ、ウィペルさん」


「……」


 少年は背中が痒いのに掻けないような、なんとも言えない顔をした。


「……なにかご用件があったのでは?」


「ああいけない! うちのクリスを連れて帰ろうと思っておりましたの!」


「クリステル令嬢を?」


「ええ。夕食後にあの子、アリアさまと花火する約束があるって言い出して。リスナールのご子息たちが迎えに来てくださったんですの。ダメだって言おうかと迷ったんですが、あの気難しい子がお友だちと夜遊びをする年ごろになったのかって、感慨深くて……」


 頬に手を当てて微笑みを浮かべるソランジュと相反して、顔色の悪い少年の眉間には、見る見るうちにシワが寄っていった。


「それにしても、こんな遅くまでお邪魔するなんて思いませんでしたわ。ご迷惑をおかけいたしました」


「……夫人」


 ニュクスは張りつめた表情で、伯爵夫人を見上げた。


「ご令嬢もリスナールのご子息も、うちには来ていません」


 ソランジュの顔から、ずっと湛えていた笑みが抜け落ちた。


「と、おっしゃると……」


「ただちに鐘楼の鐘を鳴らします」


 言うが早いか魔法使いがその左手の指を弾くと、目抜き通りの果て、メリディエスの中央リコルド広場の大鐘楼が鳴り出した。


 日々の時刻を告げてくれる美しい音色ではなく、警報を意味するけたたましい金属音。


 穏やかな橙色の光をこぼしていた外灯は、高台から街にかけてバチバチと稲妻が走ったように眩しい白色に切り替わり、辺りを真昼のごとく照らし出した。


「つまりご令嬢たちは、大人に告げずどこかへ消えた」


 落とした灯りを再び灯し始める家々を背に、年不相応に鋭い紅紫(マゼンタ)がソランジュを見据えた。


「一刻も早く、見つけなくてはなりません。……ここは辺境。街から一歩出れば、そこは魔獣の土地です」


「……!」


 息を飲む音とともに、背中に追われていたアリアの瞳がパチッと開いた。




「いたっ! なにこの虫!? 蚊の親分!? ものすっごいデカいんだけど!?」


 鬱蒼とした海辺の森のなかを、今にも闇に飲み込まれそうになりながら進むランタンがひとつ。


「ねえ、ほんとに転移先合ってるの!? 迷宮ってこんな山奥にある!?」


「うるっさいですわねー。キャンキャンキャンキャンよく(わめ)きますこと! 正確な座標がわからないんですから、ちょっとくらい歩くのは仕方ないでしょう!」


「明らか迷ってるくせに、なーんでそんなに偉そうなのかなあ!?」


「ふたりとも、朝から夜まで飽きないな……」


 灯りを手にしたクリステルを先頭に、ブヨに刺されて涙目のフランシス、鳴り止まない口喧嘩にぐったり疲れたオーギュストが続いていた。


「探査録によれば、あと少しのはずですの。廃鉱山のすぐ近くだって……」


「それ何年前に読んだ本? 記憶違いってことないの?」


「失礼ですわね! ありえませんわ、このわたくしが間違えることなんて!」


「……クリステルさま、あれは?」


「え?」


 前方を指し示すオーギュストに従ってランタンを掲げれば、そこは行き止まり。


 むき出しになった古来の地層が美しい帯を描いて伸びる露頭(ろとう)の根本には、板が打ち付けられた坑道跡があり、飲み込むような闇を隙間から覗かせていた。


「ふ~ん。ここのどこに、迷宮があるっていうのさ?」


「そ、そんな! どっ……どこかに、入り口があるはずですわ!」


 その時、汽笛の音がかすかに響いた。


 彼方から此方へ向かって吹き抜ける長い風、潮の匂い。


 ふと頭上を見上げた少年少女たちは、巨大な甲虫のようにして露頭にへばりつく奇怪なそれに気がついた。


 息を呑み、ランタンの灯りが大きく揺れる。


「何、これ……!」


 闇の中にあってかすかな月光を反射して淡い虹色に輝くそれは、たとえれば無数の繊毛が生えた脳。


 風に吹かれるたび、真珠のように照り映えながら繊毛を揺らめかせる姿は、美しくも度し難いほどにおぞましく、子どもたちの肌を一瞬で粟立たせた。


 ひと目でわかる、人知の領域外の建造物。


「迷宮、磔刑のネーヴェ……」


 呆然と近づいたクリステルは、全貌が(つぶさ)に見えるようになると「……図録に描かれていたものと違いますわね」といぶかしげに眉を寄せた。


「表面はリボン状のものに覆われているはずですのに、これでは一部にしかありません。入り口の形も異なります。十八年前に刊行された書物だから、情報が古かったのかしら……?」


 頭を捻りながらも、肩から下げた巾着袋(レティキュール)に手を突っ込んで毛糸玉を取り出した。


「さて。問題は、どうやってこの高さを登るかですわ。お二方、とりあえずあそこの立て看板にこれを結んで頂けます?」


 そう言って毛糸を差し出したが、だれも取り上げようとはしない。


「もう。時間がないんですのよ──」


 唇を尖らせたクリステルが振り向くとそこには、真っ青になった兄弟の姿があった。


 これでもかというほどに目を見開いて、人差し指であらぬほうを指し示す。


「うっ……後ろ後ろ後ろ!」


「いや、上上上!」


「はい? 後ろ? 上?」


 怪訝に顔を上げたカイヤナイトに映ったのは、──肉色であった。


 ぬらぬらと光る粘膜。下から上へと繰り返しせり上がる内壁。


(……あ)


 これ、迷宮の口だわ。


 理解した少女の唇から悲鳴が上がるよりも早く、中空から伸び降りた捕食器は上半身を飲み込んだ。


「うっ……わあああああ!!」


「ああああああ!!」


 少年たちは絶叫した。


 フランシスは下半身だけになったクリステルに飛びついた。


「フラン、離すな!」


 蒼白になりながらも迷いなくサーベルを抜いたオーギュストは、鋭い突きを繰り出した。


 ダチュラの花を思わせる、紡錘形の口。


 切っ先が捕食器の皮膚を貫く──かに思えたその一瞬、無数のリボンがサーベルを絡め取った。


「!」


 視界外から伸びてきたリボンはそのまま少年の両腕に絡まり、オーギュストはなすすべなく中空に引き上げられていく。


「兄さん!」


「来るな!」


 自由が効かない身を捩って、兄は弟を一喝した。


「お前は助けを呼びに戻れ! おれはクリステルさまをお守りする!」


「そんな!」


 フランシスの顔が泣きそうに歪む。


 ──一個大隊でも打ち勝てなかった試練がこの中にあるのだと、他ならぬオーギュストが言っていたのに。


「無茶だ! 無茶だよ兄さん!」


「いいからお前だけでも早く、遠くへ──!」


 最後まで言い終えないうちに、暴れる脚を残してオーギュストの姿は飲み込まれ、二秒後には革靴すら見えなくなった。




 その器官は、毛細血管が浮かぶ朱色の細長い管であった。


 手を突っ張ろうにも叶わず、粘液で滑る管の中を奥へ奥へと凄まじい勢いで送られていく。


(ヘビに飲み込まれたカエルみたいだ……!)


 だとしたら行き着く先は、胃酸煮えたぎる消化器だろうか。


 絶叫しそうなほどの恐怖をこらえて、オーギュストは前方に手を伸ばした。


 先に飲み込まれた少女の腕。


 気絶してしまったのか柳の枝のように投げされたそれを強く握りしめた瞬間、視界が真っ白に染まった。


「!」


 中空に投げ出されたのだと気づいたのは、浮遊感を得たからであった。


「うわ、あ、ああ……っ!」


 白すぎる視界に上下もわからぬまま、クリステルを抱き寄せたオーギュストは落下の衝撃を覚悟して目を閉じた。


 バフッ!


 思いの外地面は近く、そして柔らかかった。


 チラチラと輝く何かが視界を覆う。


 ぞっとするほど冷たい風が、夏の暗夜行で火照った肌からみるみる熱を奪っていく。


「……」


 その場所は、とても寒くて、美しかった。


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