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旋律のアリアドネ-底辺ヒロインは王冠に手を伸ばす-  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
― 2章 8000回目の朝に目覚めよ ―
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第178話 リトル・トークス(4)

 ひとりだけ残されて目覚めた朝、ニュクスの人生の意味は決まった。


 千年王国の仇を討つ。


 敵もろともに、奈落へ落ちて灰になる。


 この身体はすでに用途の決まった一本の(まき)であり、自分の歩む一歩は、敵とおのれを焼く炎に向かう一歩である。


 ゴーレムに宝石眼を奪われて以来、両目には火花が散るほどの黄金しか走らなくなった。


 瞳に表れなくなってなお火勢を弱めることのない激怒、それから炎に隠れるようにして身をかがめ、じっとこちらを見上げて待つ「楽になりたい」という願いが、ニュクスの持つ全てであった。


 それは、薪となるためだけの二年を過ぎた春のこと。


 いつものように捕魂術式を打破できる魔法を調べて机にかじりついていた少年の皮膚に、突然夏の風が触れた。


「!」


 気がつけばニュクスは、懐かしい実家の中庭にいた。


 大きな月桂樹の木陰に座って、兄の部屋から失敬した本を読んでいる。


 紺碧を塗り込めたように高く晴れた空から降り注ぐ日差しは青く滲むほど濃い影を作り出し、潮の混じった熱い風が、麻の短衣(キトン)の中を吹き抜けた。


 目を見開いた少年の脳内を、いずことも知れぬ座標が彗星となって落ちていく。


 ()()()()()()()()と気づいたのは、沈丁花香る池の端でハッと我に返ってからだった。


(ど、どこだここは!?)


 後から調べて、そこは西南部国境グウェナエル領の領主城だとわかったが、見知らぬ場所に転移してしまったニュクスはとっさにヘビの身に変じ、そうして──輝くものと出会ったのだった。


 妙なる歌を(もっ)てこの身を手繰り寄せたのは、上等なワンピースを身に着けた小さな女の子だった。


(殿下……?)


 初めは、女王が幼子に身を変えたのだと思った。


 プラチナブロンドの髪とピンクの瞳を持つ少女など、ひとりしか知らなかったから。


 人間に気付かれるはずがない距離だというのに、少女は大きな目をぱちくりと開いて、池向こうの弟切草から覗いている漆黒のヘビを見た。


『あら』


 目の形も顔立ちも記憶と寸分違わず、髪の分け目すら同じ。


『あなたもひとりなの?』


 だがニュクスが知るあの人ならば決してしない、心細げな眼差しをしていた。


 泣くのを我慢しているような笑みを目にして思い出したのは、かつて藤の花咲き乱れる花園で、自分の人差し指を握りしめた小さな小さな手。


 つまり千年王国は、燃え落ちる前にたったひとつだけ、形見を残したのだった。


 ──この子を守り抜く。


 脳天から足先まで駆け抜けた稲妻は、少年の心臓に新たな命題を消えないインクで書き記した。


 ニュクスは幸運だった。


 灰になるまでの道程で、世界一大事な女の子の人生に幸せなものを敷き詰めるという、この上なく楽しい仕事を与えてもらったのだから。


 自分にできる限りの力で、小さな腕から零れ落ちるほどの幸福を抱かせる。


 そうして背中を押してやるのだ、優しいだれかが待つ場所へと。


 この子が日差しの中を駆けていく後ろ姿を見られたなら、きっとぼくだって胸を張れる。あの短夜(みじかよ)から殴り続けてきた自分を、ようやく許してやれる。骨まで灰になるその時だって、いい仕事をしたと満足して、鼻歌混じりで奈落に落ちていけるだろう。


 そうだというのに、こうしていると、欲が出る。


「まだ、手放したくないなあ……」


 苦笑いとともにこっそり零れた思いのたけは、煙突の横を吹き抜ける夜の海風が持ち去っていった。






 ()()()ラビュリントス。


 二十年前、ユスティフ各地に突如現れた奇怪な建造物。


 金銀よりも希少な財宝、各国垂涎ものの資源、踏破者には超常の力が与えられるというまことしやかな噂。


 一箇所でも討ち果たせば一生遊んで暮らせるほどの大いなる見返りを求めて、大陸全土から何万人の荒くれ者が引き寄せられてきたが、その成立過程も存在理由も、いまだ闇に包まれたままである。


 強い夜風に運ばれて、子守唄の切れ端がヴェスパ岬にたどり着いた。


 歌を乗せた風は廃灯台を回り込み、眼下に広がる急峻な入り江を越えて、アカンサス生い茂る海辺の深い森にもぐりこんでいく。


 ツタが垂れ下がり、トグロ巻く大蛇のごとく伸びた巨大ブナを過ぎれば、『崩落注意』と記された立て看板と百年前に役目を終えたトロッコの残骸が現れる。


 朽ちた線路の先には、空へとそびえる山肌とその最下部に板を打ち付けて封鎖された入口。


 在りし日には興隆を極めたクラテーレ金山第三鉱山の坑道は全長4000ヤルク、深度およそ1800ファゾムに及び、最下部はその深さゆえに60ケルビムの酷暑地獄となる。


 人間が掘り進めた迷宮がアリの巣のように広がるのは、古オルドヴァイ期からの無数の地層が剥き出しとなった断崖絶壁で、見上げれば褐色、漆黒、黄土、朱、純白、さまざまな色合いの帯が視界をいっぱいに埋め尽くす。


 鮮やかな地層の半ば、森の上空の岸壁に巨大な昆虫が張り付くようにして、それはあった。


 遠くから見れば鳥の巣のようで、間近で仰ぎ見れば、数多のリボンで彩られた脳に近い。


 迷宮分類乙種、磔刑のネーヴェ。


 大きさはタウンハウスを十軒束ねた程度。


 形は、潰れた球体としか言いようがない。


 群青色の外壁は不規則な溝を無数に刻み、よく練ったモルタルを思わせる柔らかさを感じ取らせながら、濡れた虹色を月光に照り返していた。


 奇妙に有機的な建造物は、さらにオーガンジーのように透ける(なまり)色のひも状織物に覆われて、ぶつ切りにされて四方八方に伸びたリボンは風が吹き抜けるたびに同じ方向へ揺れた。


 今にも岸壁から剥がれて落ちてきそうな構造だが、この球体は二十年もの間、何千人の冒険者を飲み込んで微動だにしなかった。


 だがこの夜。


 岬を渡り、森を超えてきた歌が、固く閉ざされた渦巻き状の開口部に触れた。


 ──バチッ!


 虹光するぬるついた表面に、数えきれないほどのターコイズブルーの目が開く。


 風に吹かれるばかりだったリボンは意思を持ったかのように一瞬で開口部へと集まり、凝縮し、弛緩し、また凝縮しては弛緩して、下から上へと何度も逆立った。


 隙間なく集まった一種類の物体が繰り返し脈打つさまは、巣を襲撃した一匹の敵を集団で覆い隠して焼き殺そうとする、ミツバチたちの殺戮に似ている。


 ぶおおぉぉ……と遠くで汽笛が鳴るような音が、迷宮の深部から響く。


 突如夜更けの森を襲った異様な気配に、ブナの木で休んでいたシマリスは樹から駆け下り、ホシムクドリは慌てて飛び立った。


 拍動は止まない。


 荒い息を吐きながら迷宮が大きく震えると、開口部の渦巻きは(ほど)け、代わりに内側から無数の(ひだ)が押し寄せる。


 新たな扉が、形成された。


 脳の前面にウミウシの口を取って付けたような形へと変じた迷宮は、無数のリボンが開口部に集まったまま、気が済んだようにゆっくり動きを止めた。


 さて。


 地上で生きる人間たちのうち、今やだれも覚えていない事実がある。


 迷宮(ラビュリントス)とは、ある目的のために稼働している装置であること。


 外洋から吹き寄せる狂気に呑み込まれ苗床となった獣たちは、穴の底で人を喰らいながら、ただひとりを求め続けていること。


 著しい変容のゆえは、歓喜か激怒か、だれも知らない。



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