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旋律のアリアドネ-底辺ヒロインは王冠に手を伸ばす-  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
― 2章 8000回目の朝に目覚めよ ―
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第170話 滅びた神が歌う朝

「はじめまして! 会えて嬉しいわ!」


 アリアが一歩近づくと、三人はすぐさま跪いた。


「あっ! いいのよ! 顔を上げて~」


「恐れながら、できませぬ」


 小さな君主の促しには、間髪入れずに固い峻拒(しゅんきょ)が差し挟まれる。


「我らはみな、かつてのイリオンにあっては卑賤(ひせん)な庶民に過ぎません。本来ならば陛下はおろか、このように夜の帷(オルフェン)と同じ大地に立つのも身に余る立場です。……いえ」


 落ち窪んだ赤眼が、鋭くアリアを一瞥した。 


「陛下と、申し上げていいのか」


「!」


 バイロンの短い言に、白金頭の傍らに控えた三人の顔が強張った。


「……その方、何か言いたいことがあるようだ」


 岩峰のごとき体躯。


 背筋を伸ばし、身の丈ほどもある規格外の大剣を地面に垂直に立ててその上に両のこぶしを置くのは、『待命(たいめい)』の姿勢。


 インゴルフ・ハーゼナイは、底が抜けたように明朗なふだんの人柄を、峻厳な軍人としての覇気ですっかり塗り替えていた。


 どこから見ても立派な幕僚(ばくりょう)職を前に──まさか大脳までもが筋肉に侵されたマッスルモンスターとはつゆ知らず、バイロンは白いものが混じりはじめた頭を「ハッ」と下げた。


「屈強な体躯……そちらは(フルリオ)とお見受けします。わたしは誇り高きハルピュイアの末裔、アネモス家が治めるネフェレ島の民、ヴァシキラス家のアポロスとカーリの息子、バイロン。そして今は、三千と八百余名の生き残りを束ねる()り人をしています」


「あたしはアグネテ。リュコスーラ島二千五百の生き残りの護り人」


「おれはガラシモス・ガナス。ケンタウロスの半神(ヘーミテオス)、イクシオン家が納めたテッサリアの生き残りを束ねてる。数は、およそ二千」


「わたしたちは自らが隠れ住まう里を『禁洞(ウロ)』、禁洞(ウロ)の護り人のことを、羊飼いと称します。ここにいるのは、ネフェレとリュコスーラとテッサリア、三つの禁洞(ウロ)の羊飼い。……だが、われらの(かしら)は別にいる。今日、この場には不在です」


「なるほど」


 真っすぐに伸ばした背を微動だにせず、インゴルフは頷いた。


「王に出向かせておいて、そちらは代理人をよこした、と」


 柘榴石(ガーネット)が、わずかに見開かれる。


「……っ!」


 後ずさりたくなるほどの威圧が、ガラシモスたちを襲った。


「思い上がった、無礼者どもが……」


 左側に佇む騎士からも冷たい怒気が放たれて、膝をついたままの庶民たちは、こめかみから冷や汗を滴らせた。


「つまり……(かしら)であるその人だけが、それぞれの禁洞(ウロ)の位置を知っているということね」


「!」


 思わず顔を上げたバイロンの前には、自分たちと目線を合わせるべくしゃがみこんだ、大きな朝焼け色の瞳があった。


「な、なぜ、そのことを……」


 呆然とした問いかけに返されたのは、ニコッ! と温かく屈託のない笑み。


「会談場所に指定したのは、魔法の痕跡を察知されにくい廃棄神域。わたしたちが到着する前に盗聴網を張り巡らせて、見張りをあちこちに置いて、警戒警備を完了させてある。今日この場所にも、いくつものリスクヘッジを賭けた。そんなあなたたちなら、自分が(まも)禁洞(ウロ)以外を知らないと考えた方が自然だわ。だって……今生き残りの民が隠れ暮らす土地の座標こそ、決して敵に漏れてはならない、イリオン最大の秘密だもの」


 スラスラと言い当てられた内容に、バイロンは目を剥いた。


 点と点を辿るように動かされた視線の先は、たしかに、ほかの羊飼いたちが身を潜めた隠れ場所。


 魔法式盗聴器を耳に当てて息を殺し、『王』だと名乗る見知らぬ何者かが語ることを、固唾を飲んで見守っているはずだ。


「ずっと、不思議だったの」


 長いまつげを伏せると、天真爛漫なばかりに見えたその眼差しが、実はひどく思慮深いことに気づかされる。


「こんなにも途方がなく大きな秘密を、これほどまでに長い間、いったいどうやって隠し通してきたのかしらって。ここに来てわかった。ただひたすら、愚直な一手を積み重ねてきたということが」


 口元にはニヤリと悪戯っぽい笑みが浮かび、三人を映し込んだ大きな瞳は、眩しいものがそこにあるかのように細められた。


「仲間ですら例外ではない厳しい制約、一寸の隙もない警戒、何重にも重ねた危機予知。王だろうが夜の帷(オルフェン)だろうが頼りになんてしない、終わりのない寝ずの番をずっと、勤めてきた。守り続けてきた大事なものを、これから先も、ただのひとつだって取りこぼさないために!」


 蛍草だけが照らす夜闇にあっても曇りなき黎明が、強く光る。


「見事だわ、羊飼い!!」


 熱い風が、孤独な()り人たちの頬を優しく叩いた。


「ふふっ! そりゃあ、全禁洞(ウロ)の位置だなんて最重要機密を握ってるキーパーソン、こんな場所に連れてくるわけにはいかないわよね。うんうんさすが、しっかりもの揃いだわ~!」


 ニコニコと頷きながら、ガラシモスとアグネテの手を取る。


「千年王国、……日の当たる国、イリオン。わたしたちは二十年前、完膚なきまでにボロ負けしたわ。国土は怪物に奪われて、大陸はまるで奈落の底で、太陽は沈んだきりまだ、昇らない。……でも」


 自分のこぶしをも迷いなく握りしめてきた、その手の小ささと力強さに、バイロンは息を呑んだ。


「長い長い夜をずっと勝ち続けてきたのは、やつらじゃない!」


 じわりと滲んだ涙で、朝焼けの瞳は宝石よりも温かく輝いた。


「この地獄みたいな地上にあって今も、八千三百人のイリオスが永らえている。あなたたちがずっと、戦ってきたから……! ありがとう! わたしの代わりに、みんなを守ってくれて! ありがとう! ここまで無事に、生き延びてくれて! 敗北を知らない屈強な羊飼いたちに、心からの敬意を!」


 太陽のような笑みを真正面から受けて、──肩を震わせるガラシモスの足元には涙の痕が点々と落ち、アグネテは顔を真っ赤にして熱涙をこらえていた。


(夏の海を渡る、風のような声だ……)


 通信装置から漏れるあちこちの羊飼いどもの嗚咽を聞きながら、バイロンもまた唇を噛みしめ、滲む視界を細めた。


(まだ幼い、少女のはずなのに)


「それで……このままずっと、地面に手をついてるの? それならわたしも、この体勢でいなくちゃなんだけど……」


 大人たちの号泣を目の前に動揺したそぶりすら見せず、アリアはただニッコリと屈託のない笑顔を浮かべてみせた。


「わたし、あなたたちと座ってお話したいわ。ずっとずっと、会いたかったんだもの!」


 ガラシモスは涙を滴らせて洟をすすりながら、何度も頷きを返した。


『ごらん。あの大きなお城が暁の讃歌、ヒュムノサーラ』


 ──潮の香りがする風の中、父の肩車に乗って見上げた壮麗な宮殿を覚えている。


 暁光に照らされて、橙とも桃ともつかない温かな色に染め上げられた白大理石の王城。


『さあガラス。あそこに暮らす王さまは、どんなお方だったかな?』


『覚えてるよ!』


 父の問いに食い気味に答えると、まだ音程を取れない(つたな)い声で、脳内の幼子は歌い出した。


 千年を生きた樹があった

 鈴懸(プラタナス)のように広い手で

 わたしに日陰を作ってくれる大きな樹


 それは、イリオンに生まれた者であればだれもが知っている、古い古い王室歌だった。

 

 いとけない歌声を耳にした往来の人々は顔を上げ、深く息を吸うと、父子に(なら)って朝焼け色に輝く宮殿を仰ぎ見ながら、他人の歌に当たり前のように相乗りし始めた。


 千年を生きた樹があった

 天を()くほどまっすぐに伸びて

 恵みの黒雲を手繰り寄せる大きな樹


 通りすがりの出勤途中の者も、商店の奥で品出しに励んでいた者も、歌に気づくやいなや朝方だというのに、遠慮など一つもない声を朗々と張り上げた。


 千年を生きた樹があった

 火の粉を恐れず退くことを知らず

 立ち続ける大きな樹


 星よ 稲妻よ 野焼く遠火(とおび)よ 海嘯(うみなり)

 我らが王を守りたまえ

 聖なる骨より生まれし不滅のあるところ

 とこしえに祝福あれ イリオン!


 白い漆喰の街並み。


 朝の炊事の煙と(かすみ)がけぶる、眩しい陽光の中。


 王都イリオリストスの一画で、底抜けに明るい大合唱を終えた人々は、とたんに笑い出しながら、活火山を背に悠然と佇む宮殿を見上げたのだった。


(……まだ幼くても、間違いない……)

 

 二十一年の孤独な歩みを労ってもらえたことよりも、手放しの称賛を与えられたことよりも。


 ガラシモスの胸を打ったのは、目の前にいる存在が千年の国で暮らしていたころ寝物語に聞かせられた、おとぎ話の君主そのものだということだった。


(この身体に流れる血が、教えてる……! この方は、正真正銘、おれたちの王だ!)


 そしてイリオンの主人であるということは、つまり、民の絶対的な庇護者であるという証なのだ。


 嵐にあっても光を失わない(しるべ)


 力なき者たちを守り抜く頑強な盾。


 いかなる半神たちも繋ぎ止める最強の(いかり)


 黄金の獅子の一族の伝説的な逸話の数々は、イリオンで生を受けた者なら誰もがよく知っていた。


 何もかもを民に捧げ、尽くしてくれる──王冠を頭に受けてから、その命尽きる時までずっと。


(終わる。おれの任も、禁洞(ウロ)も、何もかも役目を終えて……やっとみんな、ひとつに戻れるんだ……!)


「は、はい……っ!」


「どうぞ、お足元にお気を付けを……!」


 涙目のガラシモスが立ち上がり、熱く掠れた声でアグネテが先導した。


 この女傑が『お足元』など丁寧な言葉を使うのを初めて耳にしたガラシモスは、笑いまじりに振り返り、──はたと、目を見開いた。


 年嵩(としかさ)の仲間は、いまだ地面に跪いて微動だにしなかった。


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