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旋律のアリアドネ-底辺ヒロインは王冠に手を伸ばす-  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
― 2章 8000回目の朝に目覚めよ ―
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第168話 銃と諜報の羊飼い

 イリオン村のモザイク広場には、修復された噴水の周りをセカセカ歩き回る年若い騎士と、腰を下ろしてそれを眺めている父。


 そしてなぜか自分もついていく気満々で用意をしている不死鳥の、計二人と一匹。


「あああもうダメだダメだダメだ! 迎えに行く!」


「だ~~、やかましい。座ってろって」


「だって、姫君は5分って言った! もうっ……もう15分と37秒だぞ!? あの天使のお顔と引き離されて! オレンジのお花みたいな香りがそばにないと思うと、ウッ、呼吸が……! 耐えられない! 常に間近に控え、全肺胞に行き渡らせておかないと……ああああ!」


「さすがにパパもドン引きだよ、ティルダ」


「みんなー! 遅くなってごめんなさ~い!」


 坂の上から、屈託のない声が宵闇に響き渡る。


「! 姫君っ……」


 パアッと振り向き、全身で呼吸せんとまっしぐらに駆け寄ろうとしたティルダは、街灯が照らし出すその姿に、はたと足を止めた。


「は、はわ……っ!」


 切れ長のガーネットが、みるみるうちに感涙で潤んでいく。


「なんて、なんて素晴らしいお姿……!」


「民に会いに行くって言ったら、お母さまが用意してくれたの」


「さすが姫君のご養母っ! 溢れんばかりの愛くるしさの隙間から、並ぶ者のない凛とした強さを引き出す手技……まさに、100%の理解力! 満点です!」


「ありがとう、伝えたら喜ぶわ~」


 むせび泣く騎士の目にハンカチを当て、ついでにチーンと洟もかませておく。


「みんな、どこでもいいからわたしの身体、しっかり掴んでてね。ぽにちゃんもよ。じゃないと、亜空間でバラバラになっちゃうから!」


 ダン! と仁王立ちすると、用立てたばかりの豪奢な()()が、宵の風に翻った。


「それじゃあ行きましょうか! ──導け(アゲーフェレ) アルシノエ!」






 ユスティフ大陸北東部、ノルデン王国との国境沿いに聳える霊峰、アルカン山脈。


 冷たい山勢が吹き(くだ)り、夏も間近な季節であっても肌寒い人里離れた山麓に、その遺跡はあった。


 古代エレウシス朝期に信仰された狩猟の女神の寺院跡。


 通称、廃棄神域『アルシノエ』。


 冷たい湧水のほとり、かぼそい灯りを零す蛍草の群生地の只中、ほとんど崩れ落ちかけつつある東屋(ガゼボ)に三人の人影があった。


「なあ本当に……信じて、よかったと思うか。あんな嘘みてえな、夢物語をよお」


 ガラシモス・ガナスはかろうじて形を残している石造りの椅子に腰かけて、合わせた両の指先をぐるぐると回しながら、落ちくぼんだ赤い瞳を忙しなく動かした。


 普段はオリーブ色に虹彩を変じて、下町の銀細工師として生業を立てている壮年の男である。


「お前、四回も同じ繰り言をほざいて、よく飽きないね」


 酸化した血を思わせる赤銅色の瞳で睨みつけたのは、アグネテ・ペトラキス。


 何百人もの人狩りを腕一本で退けてきた女傑は、崩れた石碑にドカリと座りなおすと傲然と足を組み、苛立ちを隠さない眼差しを同胞に向けた。


「ここに来ておいていまさら、グダグダうるさいんだよ。ったく、それでも()()()か? 赤眼をしていなければ、惰弱なカエル喰らいどもと一緒に叩き斬っているところだ」


「し、しかしだなあ。もし、もし仮にこれが罠だったとした場合、おれらの後ろにはいったいどれだけの血族がいるかと考えると……」


「問題ない」


 冷然として揺らがぬ低い声は、亀裂の入った石の円卓の向こうから聞こえた。


「その場合、おれたちがただちに死ねばいいだけのこと」


 腕組みをし、何もない机上をじっと見つめて動かないバイロン・ヴァシキラスは、この中では最も年かさの男であった。


 男の言に、二人はおのれの人差し指に嵌めた無骨な指輪に、無言の赤い双眸を注いだ。


 滑空する鷹を掘り込んだ、銀造りの指輪印章(シグネットリンク)


 印璽を時計回りに回せば、致死性の毒を塗った刃が姿を現す。


「万が一土壇場で決意が鈍り、死にきれず敵の手に堕ちた場合も、策はある。今も見張っている仲間たちがそれぞれの禁洞(ウロ)に駆け、大規模転移陣を起動する。二刻で、我らが同胞は我らの知らぬ土地に逃れゆけるのだ。おれたちはたった二刻だけ、責苦を耐え抜けばよい。……あとは安心して敵に砕かれて、至福者の島で目を覚ます。ただそれだけのこと」


「だが……! 全員を転移させるほどの陣を敷く魔力は、おれたちにはねえ。健康な子どもから順に箱舟に乗せていき、乗り切れない年寄りや病人は……そのまま、見捨てられる……っ!」


「仕方ないじゃないか」


 間髪入れずに返したアグネテの声に滲むのは、苦い諦念だった。


「あんたも言っただろう。夢物語なんだ、これは。……誇り高き夜の帷(オルフェン)の計らいにより、勇猛果敢なる(フルリオ)に守られた不滅の王が、あたしたちを迎えに来る。嘘みたいだ。ああたしかに、人狩りどもの巧妙な罠だと考えた方が、よほど正気だろうよ。けれど……この希望に抗うことなど、どこの誰に、できるというんだ」


 諦念の下、隠しきれない憧れが、熱を帯びて脈打ち始める。


 ──ネメシスと名乗る青年が自分たちに接触してきたのは、まだ雪解けも遠い時期のこと。


『やあ、こんばんは! きみはイリオスだね? うんうんその目、虹彩変容の魔法をかけているの、通信装置越しにもわかるよ~。あっ待って待って逃げないで。……う〜んごめんね、ちょーっとだけ手足拘束させてもらうね〜? わたしはネメシス・ピュティア。今は滅びたクスシヘビの末裔の一席にして……千年の王の言葉を預かる者』


 夜半、なんの前兆もなく突然木の洞から話しかけられた民は……恐怖のあまり、泡をふいて失禁。


 ()()()たちへの報告も、『もっ森にバケモンが出た!』という半泣きのものだったが、──いざ退治せんと(くだん)の場所へ赴いたガラシモスは、水面に展開された動く写し絵も、それに合わせて周囲の木の洞に喋らせる技も、ユスティフ人の特権階級が奮う禍々しい魔術式からは逸脱したものであることを一目で看破した。


 敵の技どころかむしろ、叫び出したいほどに懐かしい、母国の魔法に他ならないということも。


 彼ら三人は、羊飼い。


 国が滅び、あらゆる庇護者は消え失せて、息つく暇なく命を付け狙われるこの地獄の中で、実に二十一年もの長き夜の間、生き残りのイリオスを隠し通してきた歴戦の勇士。


 禁洞(ウロ)にあっては守り手として、眠る時も病む時も警戒を怠らず、市井にあっては異国の容貌と振る舞いを完全に模し、周囲には無害な市民として馴染みながらも、奴隷商、軍閥、高官の懐に忍び込んでは、情報を掠取し続けてきた。


 敵が扱うあらゆる戦術、兵器、戦力を研究し、知悉した。


 もちろん、かつて自分たちを食い荒らし流浪の身に貶めた、ユスティフ帝国が世界に誇る魔術式についても。


「おれの耳が間違っていなけりゃあ、あ、あなたさまは……ピュティアと名乗ったと……そう聞きました」


 手に持った剣をガランと取り落とし、むしり取るように帽子を外しながら、ガラシモスは震える声で尋ねた。


『いかにも』


 深い森の中、風ひとつない水面に映る美しい青年は、気楽そうに頭を傾けた。


 鷹揚に細められた煌々と光る金の眼は、二日月のよう。


「そう、か。……そうかあ……。おれたちがこれまで生き延びてきたのは、間違いじゃあなかったかぁ……」


 孤独な羊飼いは雪上に膝をつき、静かに涙を流したのだった。


 半神(ヘーミテオス)の血の濃さを顕す金眼。


 いかなる種類でも巧みに操ってみせる懐かしい魔法。


 虚飾や卑屈とは無縁の堂々たる態度。


 ネメシスという青年が夜の帷(オルフェン)の生き残りであることは、ガラシモス以外の羊飼いたちにも、すぐに信じられた。


 ……だが、秘密を明かすことは別の問題だった。


 約束がいかに脆く、身を翻した信頼がいかに獰猛に牙を剥くかということを、二十一年前の夏至を生き延びて、知らぬイリオスはいなかったから。


 羊飼いとは、この地上でもっとも疑り深い人々だった。


「背後に何がいるのか探れ。いいか? 甘い言葉は全て罠だ。……敵に魂を売っていなけりゃあ宝石眼のオルフェンが今日この日まで、生き延びてこられたわけがない」


「ああ」


「わかっている」


 どうにかして罠と裏切りの証拠を探ろうと、青年との問答は新月のたびに行われた。


 東の空が空け染めるまでの長く執拗な詰問を、ヘビの青年は厭わずに、わずかな疲れや眠気を見せることもなく、穏やかな笑みで受け続けた。


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