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旋律のアリアドネ-底辺ヒロインは王冠に手を伸ばす-  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
― 2章 8000回目の朝に目覚めよ ―
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第164話 この手がいい

「何言ってるの!? ねえほんと何言ってるの!?」


「ありえない……! 何がありえないって、一から十まで何もかも!!」


 オーギュストはサーベルに手をかけながらアリアを背に庇い、フランシスは折れていないほうの腕をひっしと掴み、クリステルは肩を抱いてインゴルフを睨みつけた。


「正気の沙汰とは思えません!」


 蒼白になった年若き騎士が、大男に噛みついた。


「良心が、傷まないのですか!? アリアさまはこんなっ、小さな女の子ではありませんか……! おれもお相手を務めたことはあるが、血が出るようなひどい怪我をさせたことは一度もない! まして、骨を折るだなんて……! 彼女のご両親が知れば、なんと思うか!」


「そっ……! そりゃあまあ、そうなんだけどなあ~」


 オーギュストの剣幕に、インゴルフは困り果てて頬を掻いた。


「ねえっ……! もう、やめようよ!」


 行かせるものかと腕を掴むペリドットには、いっぱいの涙が溜まっていた。


「見てらんないよ! このおっかない大男に一発入れようなんて……どう考えたって、無理だよ! だって、きみだよ!? ぼくとの勝負だって勝ったことがない、平々凡々な運動神経のきみが……! なんで、こんな無茶苦茶をやろうとするの!?」


「おっお父さまなら……! お父さまなら、この怪我もきっと何とかできるわ!」


 常ならば理知的なカイヤナイトも、今にも決壊しそうだった。


「お願い! わたくしを友だと思ってくれるなら、もうここまでにして! 一刻も早く治療を受けて! もっ……物語で戦いの場面を読むのとは、全然違う……! あなたのこんな姿を目にするのは、胸が張り裂けそうなの!」


「……」


 しがみつく二対の腕に、血の付いた小さな手がかかる。


「そのお願いは、聞けないわ」


 決して離さぬつもりで掴んだ手を、さらに上回る強い力で有無を言わさず外されて、フランシスたちは息を呑んだ。


「わかってる。……わたしに、才能がないってことくらい」


 ぽつりとこぼれた言葉は、いつだって自信満々なこの友人から出てくるとは、到底思えないもの。


 どんなワガママにも折れてくれてきた桃色の瞳は、今は自分たちを映すことなく地面に落ち、どれほど忙しない時であっても朗らかな笑みをまっすぐ向けてくれてきた顔は、ただ滝のような汗が滲む横顔だけを見せていた。


 色を失いつつある唇が、ぎゅっと噛み締められる。


「だって……いくら腕立て伏せをしたって、ちっともこの腕は太くなってくれない。死体に刺さった剣を抜くこともできない。こんなしんどい鍛錬をしてやっと、他の子たちと並んで戦えるくらいの力が身につくだけ。ほんとに……やればやるほど笑っちゃうくらい、才能がないの。……でも」


 血のついた手が、地面を掻いてこぶしを握った。


「勝ちたいの」


 顔を上げた先には、筋骨隆々とした大男。


 その双眸が見据えるのは、遥か先。


「ぶちのめしたい相手がいるの。取り返したい宝があるの。そこにたどり着くためなら、なんだってできる。他のだれかに代わりにやってもらうんじゃ、この火は消えない。それはね……わたしが、そのために生まれてきたからでも、そういう血筋だからでもない。だれかのためじゃないの。もっとずっと手前。魂が、教えてる。──借りを返すのも、ほしいものを根こそぎ手に入れるのも、望む運命を手繰り寄せるのは……全部!」


 手のひらを夕陽に翳し、脂汗の滲む顔で微笑んだ。


「自分の、この手がいいんだって!」


 いまだ全身は苦痛の最中にあるというのに、眩しそうに細められた瞳には、陰りのない黄金の火が瞬いていた。


「な……なんの、話を……しているの?」


 アリアの語るところは、何も教えられていない彼らには理解の範囲外だった。


(……そうだ。そうだった)


 フランシスは、うっすらと思い出していた。


 不死鳥に追いかけ回された翌日。


 別れ際、崖上から飛び降りるほどの覚悟で、きみに見合う男になるまで待っててほしいと告白した自分に対して、天使の顔をした少女がまるで悪びれずに、待たないとあっさり答えた理由。


 ──わたし、すっごく大きな夢があるの。まだ言えないけど、それを叶えるためにぜんぶ捧げても惜しくないの。


 その夢が何であるのか、尋ねようとしたことはなかった。


(なんでだっけ……ああ、そうだ。きっと訊いたところで、笑っちゃうくらい壮大なおとぎ話に違いないって、思ったんだ。だって、きみが追う夢だから。……けど)


 こんな途方もない苦難に身を投じているとわかっていたなら、自分はどうしただろうか。


「心配してくれてありがとう。びっくりしたわよね。けど大丈夫! 師範はこう見えてちゃんと手加減してくれてるし、そこにいるのは地上最高の主治医だもの!」


 言葉を失った友人たちを前に、蝋のように白く青ざめた顔は荒い息を吐きながら、「だから、ごめんね」とニッコリ笑ってみせた。


「やめる気はないの。わたしの役立たずのこの身体が、火の矢になれるまで」


「……でっ、でも!」


 なおも言い募ろうとした瞬間、目も開けられないほどの突風が吹いた。


「わっ、わあああ!?」


 少年少女たちの身体は浮き上がり、クリステルはそっと丁重に、オーギュストとフランシスはゴミでも放るような勢いで押し流され、場外の地面に足をつける。


 呆然とした三人を見据えるのは、ポケットに左手を戻した魔法使いの紅紫(マゼンタ)


「まだ気が済みませんか」


 古書や実験器具に囲まれているのが似合う、理知的な美形。


 だがその鋭い双眸が滲ませるのは、温室育ちの子女が浴びたことのない、冷たく激しい怒りだった。


「大事な友人だと声高に主張するわりに、その生命が刻一刻と目減りしていることには無頓着のようだ。これ以上邪魔をするようなら即刻、グウェナエルへご帰行願いたい」


 ハッキリと示されたのは、出て行けの意。


「……!」


 ここに至り、ユスティフの子らは完全に理解した。


 ──この辺境の地では、自分たちが知るものとはまるで違う論理が働いている。


 大怪我を負った子どもよりも、その間近に差し迫っている死よりも優越する、決して侵すべからざる何か。


 そして、かつてたしかに心が通じ合っていた大事な女の子と自分たちの世界は、今やどうしようもなく、ズレてしまっているのだという事実を。


「さあアリア。さっさとインゴルフに一撃入れて、ことを済ませていらっしゃい」


 凍りついた客人に目を向けることなく、指先を鳴らして救急箱をまとめた少年は、一足飛びでギュムナシオンの淵へ戻って言い放った。


「唯一にして至高、最愛なる我が君。あなたさまなら必ずや成し遂げると、ティルダは信じています」


 反対側の(へり)に立つ灰色の騎士も、励ますように微笑みながらグッとこぶしを握った。


「あの人外極まりない筋肉魔人に土をつけ……! 死にかけのセミのようにみっともなく地面にひっくり返らせ! 愛くるしい姫君相手に、涙目で白旗を上げる姿を拝ませてくださると!」


「はあ~。結局(けーっきょく)、おれが悪者になるんだよなあ」


「ふふ……! 毎日感謝してます、師範!」


 止血のできない右腕から血を滴らせながらフラリと立ち上がった少女は、やせ我慢の笑みを再び浮かべてみせた。


 編み上げブーツが地面を蹴る。


 ──結局、王は戦士に一撃も入れることができず、もう一発をこめかみに喰らって昏倒した。


 瞬く間に接近した黒尽くめの少年がローブを広げて(ひざまず)き、血まみれになった小さな頭を、ことのほか優しい手つきでそっと持ち上げた。


 薄い唇から、乾いた風に似た聴き慣れない旋律が流れ出す。


 οἶδ᾿(オイド)  ὅτι(ホティ)

 わたしは知っている

 θνατὸς(スナトス)  ἐγὼ(エゴー)  καὶ(カイ) ἐφάμερος·(エファメロス)

 自分が死すべき宿命を持つ はかない命であることを


 横たわったアリアの下に広がるのは魔法陣。


 紫に輝く亀裂の隙間から生ぬるい風が吹き上がり、眠る少女の柔らかな金糸が夕凪に舞う。


 周囲に円を描いて垂直に浮かぶのは、黄金をした無数の歯車とゼンマイ。


 黄昏刻の光を反射して、巧緻に刻み付けられた(みぞ)の一つひとつが星のように瞬いた。


 上空から放射状に落ちる影は、優美な先細りの曲線を描きながらまっすぐに伸びる、二本の細く長い線。


 長針と、短針。


 キリキリと小気味好い音を立てて精巧に回り始め、次第に速度を増していくそれらの幻は、──見上げるほど巨大にして眩暈がするほど精緻極まりない、黄金の機械式時計であった。


「!?」


 いかなる魔術式でも(あらわ)せるとは思えない、神なる(わざ)


 この世のものとは思えない(まばゆ)く神々しい光景に、クリステルたちは目を見開いて硬直した。


「あーしんど」


「やーっと終わったー」


 一方で、赤目の子どもたちは張り詰めていた肩をむしろぐんにゃり緩めると、ギュムナシオンの中へと足を踏み入れた。


「あっ、ああああれは、何ですの!?」


 声が裏返った伯爵令嬢に、ふわふわ髪の少女が「ああ、だいじょぶだいじょぶ」と気の抜けた返事を寄越(よこ)す。


「医者って言ったでしょ。あれがうちの治療だよ。すぐ治るから安心して。回復にも体力使うから、しばらくアリアは寝てると思うけど」


「十本勝負は終わったから、もう入っていいのよ。ほら」


 黒髪の少女に促されて、先程の叱責を思い出しながらも恐る恐る黒衣の少年越しに友人の姿を確かめると、──果たして、目も当てられないほどの大怪我など最初から存在しなかったかのように、華奢ですこやかな手足だけが魔法陣の上に伸びていた。


 点々と散った血痕だけが、凄惨な受傷の気配を残している。


「結局、今日も極歌の出番かよ」


「毎度豪快な大怪我っぷりね」


「せめて骨折は月一回にしてくんない? 見てるこっちが痛いんだけど」


「防御魔法を常時設営しておく装置、開発しよーよ」


 昏倒している相手に言いたい放題のコメントを寄せながら、亡国の子どもたちは青白い顔を覗き込み、呆れ混じりの、気遣わしさが滲む笑みを浮かべた。


(……きみは手紙にこんなこと、ひとつだって書いてなかった)


 フランシスはじっと立ち尽くしたまま唇を噛み締めて、地面にバラバラと投げ出されたプラチナブロンドを見つめていた。


(ピンクのトロール柄の便せんにあるのはいつも、一から十まで無鉄砲な冒険譚ばっかりで……。水玉模様の変なウサギを見ただとか、芋虫を食べたら意外とイケただとか、オーガのモツ煮込みを作ったら自分以外全員吐いただとか……底抜けに間抜けで明るい、おとぎ話だけ。こんな、毎日積み重ねてる血が滲むような努力の気配なんて、どこを探したって見当たらなかったよ)


 ぶちのめしたい相手も、取り返したい宝も、知らない。


 荒い息の中で零された、『そういう生まれ』が指す意味も、何ひとつ。


 こぶしを握り締めたペリドットが、寂しげに細められた。


(きみが目指す、果てしない夢。……ぼくに教える意味なんて、なかった?)



お読みいただきありがとうございます!


フィジカル凡人のアリアがイリオスの先頭に立って戦えるのは、毎日これをやっていたからでした^^


そしてニュクスは推しが喋り終えたのを見計ってから強制退場させ、いけしゃあしゃあとお説教をしています。

どう見てもしゃべってるのは9割アリアなのに理不尽ですね。

ちなみにオーギュストとニュクスはタメの13歳です。心の広さに圧倒的な差があります。

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