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旋律のアリアドネ-底辺ヒロインは王冠に手を伸ばす-  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
― 2章 8000回目の朝に目覚めよ ―
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第163話 死を十回数えるまで

 衝撃のあまり、受け身を取れずに列柱に直撃する。


 薄い身体は地面に落下するとボールのように跳ね、ずるりと崩れて動かなくなった。


 直撃した柱身には、半円を描く赤黒い沁み。


「でっ……殿下あああああ!」


 泡を食って駆けつけたインゴルフが見下ろした少女は、悲惨な状況だった。


「カハッ……!」


 あらぬほうに曲がった右腕からは骨が覗き、額だけでなく後頭部からも血が溢れ、苦痛に歪んだ顔が咳き込むたび、地面に点々と血痕が落ちた。


「面目! 面目ありませぬ!! このインゴルフ、殿下のあまりのすばしっこさに目測を誤りました! すぐに治療を! ええと……ほらっ! 血止め薬ならここに!」


「インゴルフ!」


「父さん!」


 涙目になった大男に強い制止をぶつけたのは、魔法使いと騎士だった。


 ヒザ蹴りが当たった瞬間にすっ飛んできて、すでにケガの程度を改め終えたニュクスは、──治療せずに、少女から手を離した。


「頭部裂傷、右尺骨幹部開放骨折、第八肋骨骨折、外傷性腎損傷。……ただちに、命に別状はありません」


「いっ命に別状はない!? 何を、閣下! こんなに血が出てるんですよ!?」


「診ればわかります」


 端正な顔が、苦々しい険をこめてインゴルフを睨みつけた。


()()()()、命に別状はないと言ったのです。放置していれば、数刻と持ちません」


「でしょうよ!? ならっ」


「臣下の分際で王と交わした誓約を忘れたか、インゴルフ・ハーゼナイ」


 燃えるような眼差しで父を見つめるティルダは、クレーターの縁に立っていた。


 今は十本勝負の最中。


 緊急時の医師以外、フィールドへの立ち入りは許されていない。


「実戦では必ずしも即時回復できるとは限らない。腕が折れても内臓が潰れても本懐を遂げねばならない時のために、歌は極力、歌わないと誓ったことを」


「……!」


 おのれと同じ石榴石(ガーネット)の双眸に射抜かれて、インゴルフは立ち尽くした。


 目線で人を殺せそうに凶悪な人相のまま、ニュクスはアリアの傍らに膝をついた。


 ゼエゼエと濁った荒い息遣い。


 滴り落ちて止まない脂汗。


 医神の使いとしての権能が、目の前の少女のどこに異常があるのか、何を施せば治せるのか、どれほどの苦痛を味わっているのか、近くに寄るだけでたちどころに悟らせてくる。


 本当は、一瞬で治してやりたかった。


 よくがんばったと褒めて、もう休ませてやりたかった。


 王の武術の指南役は、地の露(ティルマティム)にいた頃はティルダが、合流してからはインゴルフが務めることとなった。


 もともと生傷は絶えず、骨折のような大怪我を負うこともままあったが、相手が大男に替わってからはその娘の比ではなく、アリアは共にパーティーを組む子どもたち以外が鍛錬を見学に来ることを禁じるようになった。


 長い思い出話を旅した、秋の夜。


 差し出された小さな手を取った瞬間から、少年は心に決めていた。


 地上で何より大事なこの宝が業火へ飛び込むというのなら、生き抜くために必要な全てを与えようと。


 だから自分よりも体格の優る者を相手取る戦闘に慣れておくことも、その過程で無理をしなくてはいけないことも、承服していた。


(でも……きみは決して、恐れ知らずの英雄なんかじゃない)


 溢れる血を止めようと右腕を抑える手は、いまだに小さく薄い。


(千年の歴史を背負い、いかなる敵を前にしても不退転の、勇猛果敢な黄金の君主。その仮面を外した、本当のきみは……お化けに怯えて半泣きでぼくらのもとに逃げてくるような、怖がりの小さな女の子なのに)


 少年の左手が、何をするでもなくふっと宙に浮いた。


 ただ(いたわ)しい気持ちでいっぱいで、せめて汗で張り付いた前髪を優しくよけようとした手は、──ひたりと自分を映し込む朝焼け色の大きな瞳に、動きを縫い留められた。


「……アリア。解放骨折の応急処置の仕方、思い出せますか」


 だからニュクスは眉をきつく寄せて下唇を噛み、左腕をそのまま自分の膝の上に置いたのだった。


「は、い……!」


 アリアは歯を食いしばって、医師が地面に置いた救急ポシェットから、片手で包帯を取り出した。


 利き手はだらりと折れて、使い物にならない。


 口で包帯の端を引っ張りながら、ままならない左手を動かしづらそうに操って、もう片腕に巻きつけていく。


「心臓より上に患部を置いて、可能なら止血! 悪化を防ぐため、一時固定……! ──ウッ!」


 折れた骨が、ずれる。


 脂汗が一気に噴き出し、滝のようにボタボタボタと地面に滴り落ちた。


「むっ……無茶だわ!!」


 クリステルの喉から、とうとう悲鳴が(ほとばし)った。


「医者……! 早くっ、お医者の先生を呼ばなくては! 誰か!」


「あそこにいるじゃん」


「え……!?」


 呼吸すら苦しいほどの動揺は、このような状況には場違いとも思える平然とした声に押し留められた。


 いつの間にか傍らに佇んでいたのは、四人の子どもたち。


「あの目つきの悪いイケメンが医者だよ」


 ふわふわの髪を二つ結びにした少女が、ギュムナシオンの内側と淵に立つ者たちを指さした。


「いっつも『ハア~今日の運勢も凶かあ』って感じの陰鬱な顔してるんだけど、特にいまは大凶って感じ」


「絶対近寄りたくないね」


「あそこでキラキラしてるのが騎士」


「女の子と小さい子とお年寄りには優しいのよ」


「それ以外にはちっとも優しくねえから気をつけてな」


「山みたいにデッカイのが騎士のパパ」


「こないだ馬車を片手で持ち上げてスクワットしてるのを見た」


「きみらが乗ってきたあの派手な四輪馬車が脱輪したら、大声で呼ぶといいんじゃないかな」


「!? ……!?」


 端的にして的確な形容と紹介文だったが何ひとつ理解できずに、ユスティフの子らは目を白黒させた。


「医者!? あっ、あの少年が……!? ご冗談でしょう!?」


 ひとまず最初の一文を飲み込むと、人を指さしてはいけないという寝起きでも思い出せるマナーも忘れて、クリステルは円柱のたもとに(ひざまず)く人影をわなわなと指し示した。


 隈が濃い怜悧な横顔は、どう見ても自分たちと同年代。


 二つか三つは年上のようだが、いずれにせよそんな年齢で修了証書を出す医学校など存在しない。


 せいぜい、やっと入学試験が許されるかどうかという頃合いである。


 さて、一昨年の夏。


 ニュクスは、お茶会に乗じたセレスティーネの企みを叩き潰すため、主催であるフラゴナール邸への侵入を行った。


 その際、自分のことを父の研究を住み込みで手伝っている若き学者として認識するように、クリステルを含めたフラゴナール一家に暗示をかけたが、お茶会がお開きになった瞬間に暫時解けていくよう設定していたために、現在クリステルがニュクスの顔を見ても『どこかで見たことがあるような、ないような?』と思う程度である。


 履歴書として持ち込んだ論文は本物なので、教授が『ウィペル・ネフシュタン』という名前を聞いて飛びついてくるのは変わらない。


「み、認めませんわ! 医者だというなら、どうして患者に処置をしないんですの!? 目の前にあんな大怪我をした女の子がいるというのに、あなたがたは何をして……っ!」


「ダメだよ」


 駆け出そうとした身体は、グッと手を引かれて制された。


 琥珀を煮詰めたような濃いオレンジの瞳が、静かにクリステルを見つめていた。


「邪魔しないでほしいの。その分、あの子が苦しむ時間が長くなるから」


 ガーネットの瞳をした黒髪の少女も、反対側から袖口を掴んで縫い留めた。


「あ~アハハ、ドン引きだよね? わかるわかる。ぼくもヤバいと思うもん」


「でも来ちまったのはそっちだからな。悪いけど、終わるまで大人しく待っててくれよ」


 オーギュストとフランシスの前にも、赤目の少年たちの腕が左右からまっすぐ伸ばされて障壁を為した。


「ゼエッ、ゼエッ、ゼエッ、ゼエッ……!」


 彼らが見つめるのは、血のついた円柱の下。


 荒い息をつき痛みに震えながら、折れた片腕にもう片腕と口で包帯を巻く小さな背。


 時折耐えかねたように手を止めては、大きく息を吸って、また挑む。


 子どもたちとは少し離れた(ふち)に立つ灰色の髪の少女も、木剣を手にしたまま佇む大男も、間近で片膝をついたローブの少年も、ひと時も視線を逸らそうとはしない。


 集まったすべての赤い双眸がただひとりを一心に見つめる様子は、何かの懸命な祈りにも見えた。


(なっなんなの!? この人たちは、一体……!)


 腕を掴まれて身動きの取れないクリステルは、蒼い瞳を見開いてあちらとこちらを何度も見比べることしかできなかった。


「ハア、ハア、ハア……! こ、これでっ! 固定、できてますか……!?」


 脂汗で滑り、自由にならない左手でやっと片結びをやり果せた少女の口から出たのは、聞いたことがないほど深い疲労が滲む声だった。


「……はい。よく耐えました」


 眉間の深い皺も、握ったこぶしも解かないままの魔法使いが、言葉少なに頷く。


「人間なら、ここから感染症と多臓器不全が立ちはだかるところですが、きみの身体にそれらの毒が回るまでぼくが側にいないことなどありえない。……つまりこれで、戦場に戻れます」


 ためらいを断ち切るようにバサリとローブを翻して、ニュクスは立ち上がった。


「今ので、きみの死は九回を数えました。この夕暮れは十本勝負。……アリア。あと一本、やり通せますね?」


「「「……!?」」」


 耳を疑わずにはいられない言。


 だが小さな白金頭は、脂汗を滲ませながらニッコリとやせ我慢の笑みを返した。


「もちろん……!」


 ──ユスティフの貴族子女たちは、真っ青になった。


「ダッ……ダメダメダメーーー!」


 とうとう制止を振り切った三人が、修練場の中にバタバタと駆けこんできた。



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