第160話 調教師なき猛獣たち(5)
辺境にへばりつくようにして生きるメリディエスの全市民と、イリオン村の一同。
目抜き通りから続くレンガ敷の中央広場『リコルド』に集まった人々は、大きなパラソルの下、必死で羊皮紙になにごとかを書きつけている小さな町長を眺めやった。
「広告の発注、宿泊施設の整備、タイムスケジュールの調整、食材の手配。それから衣装をディスられて落ち込んだママたちを励ますのと、燃やされた装飾の作り直し……!」
羽ペンを握る手に、汗がしたたり落ちる。
(くっ! 使える時間は、正味あとこれくらい! 間に合わない、かも……! ──いや! 絶対になんとかなる! してみせる!)
「アニキ~~~!」
ドブ色のツナギを着た舎弟たちが、大きな皿を手に走ってきた。
人々の鼻腔をくすぐるのは、肉とスパイスのかぐわしい香り。
「準備できたっす!」
「ありがとう! それじゃあ始めましょうか、『試食会』!」
スパッと気持ちを切り替えたアリアが、羊皮紙を丸めて立ち上がったところへ。
「おやおや、おいしそうな匂いですなあ!」
ノコノコと現れたのはドミニク・リスナール子爵、そして、本日二度目の登場になるフレデリクであった。
不死鳥騒動以来、リスナール子爵家の家族仲はユスティフの貴族一家とは思えないほどに良好になり、もともと小太りだったドミニクはさらに丸く、つやつやと血色のいい薔薇色の頬をしていた。
髪の毛だけが、少し寂しそうな進化を遂げている。
「愚息から聞きましたぞ~、アリアさま! お祭りの屋台で出す、伝統料理の試食会をなさるのだとか。そんな素晴らしい催し物をなさるのに美食家と名高いこのドミニクを呼んで下さらないとは、いやはやまったくお人が悪い!」
大きな腹を揺らして、中年がお茶目にウインクした。
「美食家? 初耳だわ」
「うん。本人が自称してるだけだからね」
「さあさあさあ、皆々さま! さっそく始めようではありませんか!」
勝手に仕切りはじめたドミニクが銀食器の蓋を開けるとそこには、ずらりと並ぶ串焼き肉。
こんがりとついた焼き目の上にはフレッシュなハーブとスパイスがふんだんにふりかけられ、パチパチと弾ける脂が、網の下に滴り落ちていく。
「子羊肉の香草串焼き……ふむ! これはうまそうだ! では~」
中年が、決め顔で蝶ネクタイをキュッと直した。
「とくとご覧あれっ閣下、アリアさま! 野生の美食文豪である、我が渾身の食レポを!」
ひときわ大きい串を取り上げて、小指を立てながらさっそくかぶりついたドミニクは、
「……がッ!?」
口元を押さえ、膝から崩れ落ちた。
「……っ! ぐ、ゲホッ……! こっ、香ばしい炭火の香り漂う焦げ目……! 噛み締めるたびに肉汁が溢れ、じゅわりと口いっぱいに広がっていく旨味と甘い脂……! そしてっ、……飲み込もうとすると鼻腔を突き抜けていく、スパイスらしき謎の便臭……!」
「わあ~、たしかに立派な食レポ!」
「アハハ、すごいすごい」
「うっ! ぐす、ううっ……!」
プルプルと震えながら涙目で吟じられた感想に、国境伯家の親子からテキトーな拍手が贈られた。
「カ~~! やっぱりなあ」
「これにかかってるスパイス、メルド草っつうんだけど、口に入れるとウンコの臭いがすんだよ」
「別名『悪魔のクソ』って呼ばれてる」
「どうしてそんなものをかけちゃったのかね!?!?」
心からの常識的な問いかけに、「どうしてってなあ」「名物だからしょうがねえよなあ」「なあ?」と、『そんな当たり前のことを訊かれても困る』と言わんばかりに、海辺の市民たちが顔を見合わせた。
「昔……町が栄えていた二十年前には、これと組み合わせることで、ほっぺたが落ちちまうくらいすんげえうまい味にするスパイスがあったんだけど、……料理人たちが消えちまって、今となっちゃあ誰もわからねえ」
「だが、メルド草がかかってねえ串焼きなんて、メリディエスの名物とは言えねえぜ」
ダヴィドの言に、そのとおりと市民たちが大きく首肯した。
「というわけで! そこらへんに生えてる草を乾燥させて、順番にまぶしてみましたっ! 名付けて『天国or地獄! クソの中から神の食材を探せ大作戦!』」
「どれかはヒットすんだろ!」
「ワッハッハッハッハ!」
無謀すぎる挑戦。
「え!? じゃあわたしは、ウンコ草とそこらへんの雑草を食べさせられた……ってコト!?」
ショックを受けて青ざめた自称美食家の肩を、筋骨隆々としたチンピラたちがガッシと親しげに掴む。
「貴族のオッサンさま! そのワガママボディどおりグルメなんだよな?」
「さっきの食レポも爆裂イカしてたぜ!」
「もちろん、全部食って評価してくれるよな!」
「え!?」
息子たちとお揃いの緑の瞳が見開かれる。
「頼りにしてるぜ!」
「一緒に見つけよう! 黄金のマリアージュ!」
「いやちょっ、……や、やだ! もう食べたくないっ!!」
地獄の試食会へ巻き込まれた寄り子を、「がんばっておいで~」と涼し気な顔で送り出し、フレデリクはニコニコとほかの皿を開けた。
「せっかく来たからには、ぼくも役に立っておかないとね。……うんうん。この肉詰めパイなら、おいしく食べられそうだ」
すかさず皿とカトラリーを従僕に用意させ、優雅な手つきで一切れを口にした瞬間。
「……ぐッ!」
「お父さま!?」
崩れ落ちた養父へと慌てて駆け寄った娘に、フレデリクは袖をすっとまくって見せた。
「いやあああ蕁麻疹がびっしり出てるうううう」
前情報どおりの光景に、アリアから悲鳴が迸った。
「あっそのティンパーノ、ぽにすけの食べ残しを詰め込んだんっすよ! いや~アリアさんのパパっち、よく気づいたっすね! そこらへんに落ちてた謎の獣肉で作ったって!」
「屋台料理の! 試食会に! どうしてぽにすけの食べ残しで一品作ってきちゃうの!」
途方に暮れたアリアは助けを求めて、いつだって頼りになる魔法使いを見た。
「せ、先輩っ!」
「……んん~~~~」
王から言われるまでもなくすでに診察を始めていた年若い魔法医は、「ヒスタミンの過剰分泌、血管透過性亢進、浮腫、膨疹……しかし、原因物質による作用にしては速すぎる。これは……弱りましたね」と珍しいことに眉尻を下げて患者から手を離した。
「グウェナエル郷の発赤は心因性疾患。つまり、ピュティアの療術の範囲外です。イリオン人は全員アホみたいにメンタルが強いか、もしくは底抜けのアホだったので、この領域の研究は千年かけてもとんと進まなかったんですよ」
脳みそまで筋肉でできた陽気な民族の弊害であった。
毒々しいキノコのような赤い斑点に早くも顔まで覆われつつあるフレデリクは、ボリボリと首元を掻きながら「ハア~」と物憂げなため息を吐いた。
「これは……愛娘が作ってくれた可愛いパウンドケーキや型抜きクッキーを食べないと、治らないかもしれないなあ~」
「!?」
計画に絶大な遅延が出始めた今日。
お菓子作りなんてのんきなイベントを差し挟む余地は、ドミニクの毛ほどもない。
というか粗末なものを食べると発症するというこの謎の病に、アリアがこしらえたおやつがごときが効くとは到底思えない。
(食べ物界のヒエラルキー的には、ぽにすけの食べ残しパイとどっこいどっこいの位置にあるはず……! 甘いものならどう考えても、オリヴィエ料理長に長ったらしい名前のデザートを作ってもらったほうが絶対にいい!)
──だが病人の願いを、無下にできるだろうか。
小さな王の顔面が、丸めた紙のようにギュッ! としかめられた。
「……シンシアさん、シンシアさん! お願いしますっ、ど~~~しようもなくテキトーでいいから、一緒におやつを作ってくれませんか!? 混ぜてオーブンに放り込むだけで速攻でできるやつ!」
「あらあら、まあまあ」
結局、半泣きの町長はホストマザーに頭を下げて、青い顔で坂道を駆け上がっていったのだった。
「あーあ。試食会もグダグダになったな」
小さな背を、肩を竦めた友人たちが見送った。
「も~。困ってるってハッキリ言えばいいのに」
「でも突き放せないでしょ、アリアなら」
「アッハハ! 全然コントロールできてなくてウケる! これはダメかもしんないね!」