第158話 調教師なき猛獣たち(3)
「アン・ドゥ・トロワ! アン・ドゥ・トロワ! ──ホラホラホラホラ、遅れてるよアリアッ!」
「はいいいっ!」
中央広場リコルドの舞台の上、八人の少年少女たちが一糸乱れぬ動きで舞う。
座席には夕飯の支度前の母親たちが腰かけて、微笑ましげに練習姿を眺めていた。
シゴキを披露しているのは港町メリディエスの元踊り子、ビアンカ。
「オラッ、肩が上がってる! 指先まで気を抜くんじゃないって何回言わすんだい!? 背中を逸らす角度が、まだ浅い! 背骨が折れるんじゃないかってくらい、深く深く逸らすんだよっ! 足音をバタバタ立てるな! そんなアホみたいにやかましく歩き散らかす精霊が、いるわけないだろうがッ!」
「ひいい~~……!」
「クッソ怖」
気風がよくて優しいお姐さん──というふだんの皮を完全に捨て去り鬼と化した往年のダンサーの指導は、打たれ強さに定評のある小さな王が涙目になるほど、スパルタであった。
そもそもなぜ、子どもたちがダンスの練習などをしているのかというと、発端は半神たちによるアルマゲドンの修復作業に遡る。
陥没や倒壊を直すついでに、匠たちの手によって改修された真新しいステージは特に用途が決まらぬままで、ぼんやりと見上げたアリアが一言、『なにか催しものができたらいいわね~』と呟いた瞬間。
小さな肩はガッ! と両手で鷲掴みにされ、得体の知れない熱気に満ちた青い双眸が、朝焼け色の瞳を見つめていたのだった。
『アリアちゃん! それっ……あたしに任せてくれない!?』
『ビ、ビアンカさんに?』
『すんっっ……っっごく! いいアイデアがあるのよお~~! もう帝国南部が諸手を挙げて、バンッバンに沸き立つような! アリアちゃんたちを初めて見た時からあたし、ずっとずっと、温めてきたのよお~~~~!』
『わあ……!』
自分をのぞき込むその表情に、アリアの胸はぽかぽかと温かくなった。
ほんの一月前には枯れ葉が舞う道に佇んで、人生に希望などないかのように虚ろな街を映すばかりだった女性が、こんなにも頬を紅潮させてワクワクと瞳を輝かせている。
当然、答えは決まっていた。
『なにをするのかわからないけど……最高~~~! うんうんっ、もちろんお任せします!』
──わずかな乱れも許さない過酷な手拍子が、ステージに鳴り響く。
「アリア! なあ~~にアホ面してるんだい! あんたは山トロールのガキンチョ役だったかい!?」
「違いますうう~!」
自分の見切り発車の二つ返事を、これほど後悔したことがあっただろうか。
ビアンカのアイデア。それは、メリディエス舞踊団の復興。
かつて海の心臓だったこの町に鳴り響いていたのは、ユスティフ南部辺境と海を越えた異国が混ざり合った文化。
どこの家にも古めかしい太鼓や竪琴があり、海ツバメたちが仕事を終えた昼下がりには、シエスタの始まりを告げるようにいずこからか音楽が立ち上がった。
旋律が流れれば屋内で家事をする者は懐かしい歌を口ずさみ、野外で労働する者は裸足でステップを踏んだ。
誰もが楽師であり、歌い手であり、踊り子であった。
そうした町で燦然と輝くトップ舞踏団の名は、大波を意味する『オンダータ』。
観るものを魅了する舞台の素晴らしさは国を超えて知れ渡り、往時にはわざわざ船に乗って観覧に来る旅人も大勢いたのだという。
その烈日の大波でエトワールを務めたのが、このビアンカであった。
アリアを筆頭に、ティルダ、アニス、カネラ、ニコス、ボアネルジェス、──そして、『面のいいガキは全員参加だよ』と強権発動のもとにニュクスまでもが引きずり出されて、亡国の子どもたちは揃ってダンスレッスンをさせられているのだった。
「こらアリアッ! 何回言ったらわかるんだい!? そこはターンしながら肩ごしにこっちに視線を送るところ! なーんで下を見てんだおバカ! あんたの足元にゃ白金貨でも落ちてんのかい!?」
「おっ、落ちてませ~~ん!」
そして一行のなかで、完全なるドベはアリアであった。
「全く、ここでガツンと掴んで引きずり込むんだって言ってるだろうが! あんたがセンターなんだから、気張ってもらわなきゃ困るんだよ!」
「……あの! そのセンターっていうの、わたしじゃなきゃだめですか!?」
ゼエハアと肩で息をしながら、アリアは勇気を振り絞って手を挙げた。
「ああん!?」
「ヒッ、ヤカラ! ……だって! わたしより他のみんなのほうが、どこからどう見ても上手だわ!」
「……」
腕組みをしてギロリと少女を睨みつける壮年の舞踏家の圧は、それはもうこの世のものとは思えないほど恐ろしかったが、オーディエンスの母親たちは否定しきれずに「う~~ん……」と眉尻を下げた。
「姫さんはそりゃあお顔に華もあるし、振り付けを覚えるのも早いんだけど……」
「他の子と比べると、な~んかキレみたいなもんが、いまひとつなんだよねえ~」
「おっかしいわねえ。マンハント相手の戦いじゃあ、うちの子にも引けを取らない強さだっていうのに」
客席でのひそひそ話であっても、性能が無駄にいい耳には丸聞こえ。
アリアは(し、知ってる~~……!)と、悔しそうに目をぎゅっと瞑った。
神の血をひく半神、イリオンの民。
祖先の種族と血の濃度により顕在化する特性は違えども、イリオン人はみな、優れた身体能力を受け継いでいるものである。
特に貴族や軍人など血の濃い一族は、知覚、膂力、敏捷性、あらゆる素体値が人間離れしており、対等に戦える他国人がいるとしたら、同じく人間離れした英傑だけ。
カネラたちもそこらへんの人間よりは素の運動能力が高く、たちまちのうちにやったこともないダンスのコツを習得してビアンカを感心させたが、──唯一、始祖すら人間であるリオンダーリに生まれついたアリアだけが、そのマッチョなチートを与えられていなかった。
つまりは天才どもに混ざってしまったフィジカル凡人が、さらに間違えて、ど真ん中を陣取ってしまっているのだった。
「はあ~~。まったく。まだ、わかってないようだね。……あんたの、その場所」
手拍子を止めたビアンカが、アリアの足元を顎先でグッと示した。
「舞台の中央。踊り子たちのセンター。そこに立つためにはダンスがうまいだけでも、顔がいいだけでも足りない。絶対に、持っていなきゃいけないものがあるのさ」
「持ってなきゃ、いけないもの?」
「舞台に足を運ぶ客たちが求めてるものは、なんだと思う?」
師からの新たな問いに、首を振って答える。
「やつらはね、ゴミみたいな現実を束の間忘れて、一夜の夢に浸りに来るんだ。舞台の上で、あんたたち踊り子は人間じゃあない。人を欺き、からかい、惑わせる百花の精。そいつらを率いるセンターってのは、輝ける一番星。退屈な現実にカーテンを下ろし、夢の始まりを告げる宵の明星だ」
かつて同じ舞台で同じ任を担っていた女の双眸に、古びることのない誇りが滲んだ。
「妖精の王がほかの妖精たちの輝きにかき消されたりした日にゃあ、酔えるもんも酔えやしない。だからセンターは当然、一番巧みに踊るに決まってる。一番眩しく光るに決まってる。そして何より……気性が激しい踊り子たちも自分勝手で飽きっぽい客どもも、たやすく支配して気が向くままに振り回してみせる。そんな一番のワガママ娘こそ、センターってもの……!」
反らした人差し指が、ビシッ! とアリアに突き付けられた。
「あたしは知っている。あんたがそうだってことを!」
「え~~!?」
往年の名ダンサーから自信満々に宣言されて、フィジカル凡人は途方に暮れた。
『センター? なにかしら、どこかで聞き覚えがある概念……』
鏡の中で、セレスティーネは珍しく頭をひねっていた。
そこへ。
「あら。面白そうなことをしているじゃない」
カツ! と華奢なヒールの音とともに姿を現したのは。
「ひえっ! お、お母さま……! と、シャルルさんまで……っ」
侍女に差し掛けさせた日傘の下。海辺の町ということで娘たちとお揃いのヨットブルーのドレスに身を包んだ国境伯夫人エミリエンヌと、フリルたっぷりのシフォンシャツを着こなした大男、シャルル・シプリアンであった。
「アリアちゃん、ご機嫌よう~」
「ご、ごきげんよう! あの、今日は暑いから夕方まで寝てるって仰ってたはずじゃ……?」
「まだ作り足りない衣装があったことを思いだしたのよ」
「衣装……!?」
アリアの顔から、ザッと血の気がひく。
どう見積もっても、これ以上余計なイベントを差し挟む余地はない。
「あ、あのねお母さま! 気持ちは嬉しいんだけど、豪華な服を作ってもらっても、ここじゃそうそう着られないのよ! みんながふつうの服なのに、わたしだけおめかしするなんて──」
「だから、作りに来たのよ」
「えっ?」
「シプリアン、採寸を始めなさい。──そこの子どもたち、全員分よ!」
「待ってましたあ! レイディーズ!」
野太い指パッチンとともに、けたたましい音を立てて編み上げブーツたちが舞台両翼の階段を駆け上がってくる。
「え? え?」
「何何何?」
「なんか始まった」
ズカズカと上がり込んできたお針子たちは状況を掴み切れないままの子どもたちを瞬く間に捕らえ、にこやかな笑顔を張り付けたまま、ポールと縄でこさえた即席のフィッティングルームへと問答無用で男女別に押し込めていく。
「……」
状況を察して身をひるがえそうとしたニュクスの腕も、あえなく両側からガッシ! と掴まれた。
「ああ、そうだったわ。そこにいる黒髪の男の子は、念入りにもてなしなさい。わたくし、借りがあるの」
「か、借り……? あの失礼ですが、夫人。ぼくは」
「さあさ、お坊ちゃま。無駄な抵抗はおよしになって」
「まあ、イケメンでいらっしゃること。そのよく出来たお顔にふさわしいお人形におなりあそばせ」
「いや、ちょっと……!」
推し以外には塩対応の朴念仁といえども、女性を振り払うわけにはいかない。
不健康そうな隈だけが珠に瑕の端正な顔は、混乱に満ちた瞬きを繰り返しながら、目隠し布の向こうに呑み込まれていった。
「……あなた。このお客さまの振り分けをお間違えよ」
「よくご覧になって。こんなに凛々しい美貌の女の子がいるわけないでしょう?」
「あなたこそ目ん玉かっ開いてご覧になりなさいな。こんなに薔薇が舞ってる男の子がいるとお思い?」
「レディーたち、争わないでください。愛くるしい金魚草のようなあなたがたにこの顔を褒めてもらえるなど、恐悦至極」
ティルダだけは、歴戦のお針子たちの間でも物議を醸していた。
お読み頂きありがとうございます!
アリアは運動音痴ではないです。体力測定ではオール8とかの優等生です。
特にがんばらずともオール10揃い、ニュクスやティルダ級だと人間の測定値を逸脱してしまうというのがイリオン人です。