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旋律のアリアドネ-底辺ヒロインは王冠に手を伸ばす-  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
― 2章 8000回目の朝に目覚めよ ―
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第157話 調教師なき猛獣たち(2)

「お、お父さま! オリヴィエ料理長……!」


 アリアは決死の覚悟を胸に、大人たちをうるうるとした上目遣いで見上げた。


 人からの厚意を無下にするのは、媚びと愛想で生き延びてきたタラシの化身にとって、長年の努力の報酬をごっそりドブに捨てるようなもの。


 断腸の思いである。


「心遣いはとっても嬉しいんだけど、今日はどうしてもこれを決めなくちゃいけないの……! せっかく作ってくれた朝ごはん、お昼ごはんにしたらダメかしら……?」


「ああ、お嬢さま、なんていじらしい……! プランケットの懐事情を慮っていらっしゃるのですね……!」


「え? いやそこは全然」


「心配ご無用! あそこでニヤニヤしてる人は馬車馬のように働くのが趣味ですので。お嬢さまのお食事のため、さらに身を粉にして励み、いっそ塵になっても本望でしょう」


「うん。ぼくもきみと同じで、仕事してないと死にそうになるんだよ」


「ご昼食にはサーロインをご用意しております。こちらも、お嬢さまのお好きなカシスでソースをこしらえました」


「キュイッ! キュイイッ!」


「静かにしなさいぽにちゃん! ……くっ!」


(ダメ……! 歯が立ちそうもない! ていうか正味二割くらいしか、言葉が通じてない!)


 追い詰められていく王が焦る一方で、魔法使いと騎士は互いに一瞬だけ目を合わせると、──主人の椅子を、勝手にひいた。


「!?」


 椅子を引く、それは『さっさと立て』の意。


 まさかの裏切りに、アリアは腹心の部下たちをわなわなと見上げた。


「……常々、思っていたんです」


(たった今墓から甦ったゾンビを目撃したような顔も可憐だな……尊い)と明後日のことを考えながら、飄々とした紅紫(マゼンタ)が口を開く。


「きみには食育が必要だと」


「なんの話!?」


「もちろんぼくが管理している以上、栄養学的に 一 切 の 不足も過分もありえませんが……。落ちたものを食べたり、腐ったものを食べたり、カビたものを食べたりは序の口。カネラが塩と砂糖を間違えたスープを完食するわ、ヘドロ(ヴォジャノーイ)煮凝(にこご)りを完食するわ、ゲロ(ゴブリン)のパイ包みを完食するわ……。もちろん、そうした姿も飢えた野良犬みたいで最高に愛くるしいですが、ひょっとして味蕾(みらい)が死滅しているのかな? と、ひそかに危惧しているんです」


「そんな風に思ってたんですか!?」


「さあ姫君、お手をこちらに」


 (うやうや)しくも、びくともしない強さで右手を取って問答無用で立ち上がらせるのは、ここぞとばかりに顔面の強さを発揮している騎士。


「エスコートはあなたのティルダにお任せあれ。願わくば我が君……あなたさまが口にするものは、地上最高のパティシエが作り上げた甘味(アントルメ)だけ、もしくは、至高の料理人が焼き上げた、血の滴るレアステーキだけであってほしいのです」


「ダメッ、エンゲル係数が破滅的に上がってく……! イリオンの国庫が、わたしの胃袋のせいですっからかんになっちゃう……!」


「心配ございませんとも。たとえ、ワイルド飯の食べ過ぎで味蕾が死滅していたとしても、まともな食事を食べ続けてさえいれば、きっといつしか、呪いは解けるはずですから!」


「いや味蕾が死んでるとかは先輩が勝手に言ってることで……信じて!?」


 だんだんと引きずられつつも、「ちょ~っと前衛的な味だな~と思ってはいるのよ!? でも食べ物のジャンルである以上、飲み込んでしまえば胃酸で溶かしきれるから……!」と無益な弁解を述べる娘に、フレデリクはニコニコと新聞を振ってみせた。


「さ、食事はきちんとテーブルで食べなくてはね。終わったら呼んでくれるかい。それまでぼくがこれで遊んでるから」


「もちろん、お連れの皆さまがたの分もご用意しておりますよ。お嬢さまの大切な方々ですからね。……ほお~ら、こちらにはアミューズも!」


 オリヴィエ料理長がカパリと銀食器の蓋(クローシュ)を開けるとそこには、キャビア、フォアグラ、ポルチーニ茸、──これ見よがしに高級食材がこんもり盛られた、一口サイズの花びら型のタルトたち。


 馥郁(ふくいく)たる香りが、ふわりと鼻腔をくすぐる。


 ぎゅるるるるる~~……。


 早朝に呼び出され、貧相なオートミールすらまだ口にしていない庶民たちの胃が、正直な音を立てた。


(くっ……さすがお父さま、策士!)


 ここに来て敗北を受け止めたアリアは、ぎゅっと目を閉じた。


「はいはい行った行った~」


 完全に告知文書のことなど頭から抜け落ちた民を連れてしょぼしょぼと階下に降りていく小さな背に、朗らかな笑みが問答無用でドアを閉めた。







 初夏に近い日差しが、寄せては返す波打ち際に乱反射する。


「あ゛あ゛~~~……困ったわ。昨日はまるで仕事が進まなかったのに、今日も明日も、ボスデビルたちは遊ぶ気まんまん……」


 昼食後にアリアが逃げてきたのは、人気のない港沿いの路地に並んだ木箱の上。


『ふふん! 面白そうなことをお姉ちゃん抜きでやるからいけないのよ!』


「そんなあ~」


 鏡の中の姉セレスティーネは、実は昨夜からアリアのポケットの中にいた。


 好きなだけ妹とおしゃべりができて、気難しいお嬢さまもたいそうご機嫌であった。


『ねえねえ、今日は昼間の海に行ってみたいわ! 昨日は日が沈んでからだったから、なんにも見えなかったもの。わたくし、イルカとやらを見たくてよ!』


「んんん~~~、待っててね、なんとか時間を捻り出すから……! けど、イルカってそこらへんにいるのかしら?」


『あの目つきの悪い男に魔法を使わせれば、ちょちょいのちょいに決まってるじゃない! お前のお願いなら大喜びで連れてくるわよ! 褒めてもらおうと調子に乗って百頭くらい』


「否定できないところだわ」


『お前ってほんと、変な男にばっかり好かれるわよねえ?』


 豊かな黒髪を揺らして、雪の妖精は首を傾げた。


『皇太子に魔法使いに、あの男装騎士もカウントしたらさらに狂人平均点が跳ね上がるわ。()()では、簡単に男を落とすいけすかない女って思ってたけれど、モテてるのがあんなのばっかりだって考えたら、もはや珍獣の調教師。アハハッ! お気の毒だこと!』


「まったく同情してないお顔ありがとう」


『わたくしは精神がまともな男がいいわ。当っ然、わたくしの横に並んでも見劣りしない、最高峰の美男子に限るけれど! お前、あの男のどこがいいわけ?』


「!」


 出し抜けの問いに、アリアは目を丸くしたのち、「……そうだった。近くにいる時はわたしの心の中、丸聞こえなんだった」と、少し赤く染めた頬を拗ねたように膨らませた。


「も~~、だとしてもお姉ちゃん! そういうのは本人が話すまで、聞いてなかったフリをするものなのよ!」


『ホホホ! だって気になったんだもの! いやでもマジメに……あのクソ怖男のどこに、お前が惚れるポイントが? 顔しか美点、なくない?』


「ある! いっぱいある!」


『ええ~~? どこお~~~?』


 姉妹が仲良く喋っている路地裏に、軽やかな足音が通りかかった。


「おっアリア。こんなとこにいたのか。ステージ練習あるの覚えてるか?」


『!』


 妹以外の声がした瞬間。


 豊かな黒髪はヒュッと身をかがめて、鏡の中にはつむじだけが残された。


「あっ、いま行くところ」


「遅れんなよ。……ビアンカさん、レッスン中はえげつねえから」


「わ、わかってる」


「飲み物も持って来いよ」


「ありがとうボア!」


 世話焼きの友人に手を振りながら手の中の鏡を見下ろして、アリアは思案げな顔をした。


「……お姉ちゃん。今のはボアネルジェス。あの伯爵の地下牢にいた子の一人よ」


『ふーん、そう』


「挨拶してみない?」


『い、や』


「……」


(取り付く島もないわね~……)


 相変わらずの(かたく)なさに、義妹はため息を吐いた。


 一年半前。二か月分の魔力を費やして、皇都のバルトシェク万華鏡問屋、プランケット邸の姿見、アリアが持つ鏡台の三か所に薔薇の手鏡からの道を繋げたところ。


 セレスティーネの声は、物質界の大気を揺らすようになった。


 つまり、魔力を与えたアリア、血縁の濃いプランケット夫妻、稀代の魔法使いであるニュクスとネメシス以外にも、彼女の話す声とその姿は届くようになったのだった。


 だがそこから、セレスティーネの世界が広がることはなかった。


 アリアと両親以外の前に姿を見せようとはせず、少しでも他人の気配がしようものなら、今のようにたちまち奥に隠れてしまう。


 せいぜい許すのはもとから存在がバレているクスシヘビの兄弟と、そして皇宮を探る情報源として自ら近づき、こづけば白金貨を吐き出すお小遣いマシンとして扱っているテセウスくらいである。


 常にアリアの至近距離にくっついているティルダにもクセのつよい義理の姉がいることはとっくにバレているのだが、頑として顔を見せることはない。


『……よくってアリア、考えてもごらんなさい。あんな庶民の子、わたくしが話すにふさわしい相手じゃないってことくらい、わかるでしょ? だってわたくし、プランケットの姫なのよ。最低でも両親が爵位くらい持ってなくちゃあ、品位が損なわれるってものだわ』


「すぐそこに羊のこやしを発酵させている肥溜めがあるの、お姉ちゃん」


『急になんの話!?』


「貴族の子ならいま、ちょうど三人も来てるけれど」


 リスナール兄弟とクリステルのことを指したアリアに、セレスティーネはバツが悪そうに、ツンと顔を背けた。


『小さいほうは、あの女の手下だったから嫌いよ! 大きいほうは……別に、なんにもないけれど、ただの子爵の息子ごときにどうしてわたくしが声をかけてあげなきゃいけないのかしら!』


「クリスは? フラゴナールさんちの娘さんよ?」


『……もう! しつこいわね! お前、わたくしが面倒になったからって他の人間に押し付けようとしてるでしょう!』


「そんなこと思ってないってわかってるでしょ」


『……知らない!』


 バフン! と派手なクッションを投げつけると、それっきり薔薇の手鏡は、すっかりへそを曲げてしまったのだった。



お読みいただきありがとうございます!


服がヤバいのが明らかになったばかりですが、味覚もおおらかすぎることが白日のもとに晒されました。

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作者ピクシブアカウントはこちら→「旋律のアリアドネ」ピクシブ出張所
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作者ツイッターアカウントはこちら→@BiggestNamako Twitterアカウント
― 新着の感想 ―
[良い点] アリアが食に関して鷹揚なのは幼少期の生活があまりにもあれであり、その原因となる母親のせいであり、母親と子を守れなかった無能なイリアスの民のせいだと自覚して欲しい!アリアはそんな事言わないだ…
2023/09/24 12:18 退会済み
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