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旋律のアリアドネ-底辺ヒロインは王冠に手を伸ばす-  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
― 2章 8000回目の朝に目覚めよ ―
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第156話 調教師なき猛獣たち(1)

 切妻屋根の端が欠け、少し左側に傾いだ旧市庁舎の二階。


「むむむ……」


「うう~~~~ん……」


 腐った床板を踏み外すと階下におさらばする、刺激的な第一会議室。


 白金色の小さな頭を筆頭にしたイリオン人たちと、チンピラの勤労青年を中心とした市民たちは、まだ朝もや立ち込める早朝から集まって顔を突き合わせていた。


 色とりどりの頭髪が囲む円卓の上には雑多な新聞。


 判型さまざまの機関紙、官報、地方紙、タブロイド。


「南部のエグマリーヌ新聞は?」


「2段1/2の記事下で50シル、5段1/2で120シル」


「モニトゥール・ユニヴェルセルは?」


「その2倍から3倍だな」


「はあぁ~。世知辛ぇなあ~~」


 チンピラの一人が頭を掻きながら、バサリと新聞を(ほお)った。


 彼らは、早くも一か月半後に迫った祭りの告知をするために、広告を出す媒体を検討しているのだった。


「う~ん、どこのメディアが一番、いなくなった人たちの目につくかしらねえ」


「じゃあ、シアン・ド・ギャルドは?」


 考えあぐねたアリアの言を受けてダヴィドが挙げたのは、帝国全土をカバーしている最大手タブロイド。


「えーっと、シアン・ド・ギャルドっと。記事下……全5段……。──せッ……!」


 ダヴィドの一番旧い友にして、この中では知性派といってもよい青年──念のためだが、比較対象はチンピラである──ベルナルドが、対照表に落としていた目をひん剥いた。


「せ?」


「千、五百シル……!」


 底辺労働者どもにとっては、丸十年分もの収入という桁違いの金額。


 ゴクッ……!


 アリアを含めたド庶民たちの喉が上下し、額を冷や汗が滑り落ちた。


「あ゛」


 小さな王からカエルが潰れたような呻き声が漏れたのは、その時だった。


「どうしたんっすかアリアさん」


「落ちたものでも食って当たりましたかアニキ」


「……来た」


 人知を超えた耳が捉えたのは、足取り軽く階段を上って来る、ボスデビルの足音。


 バン!


「おはよう、我が娘~。早起きだね!」


「お、おはようお父さま……!」


 スキップ混じりで扉を開けたのは、はた迷惑なショートスリーパー、フレデリク・プランケットであった。


(くっ、早すぎるわ……! かち合わないように、こんな早朝に会議を設定したっていうのに!)


 昨日、大名行列の電撃訪問を受けて。


 瞬く間にチンドン屋の服をひん剥かれ、苺柄のデイドレスを着つけられたアリアは、ベルトコンベアで運ばれるようにして一同との昼食会場に運搬された。


 そのあとは数時間をかけて、シャルル・シプリアンの春夏新作のフィッティング。


 やっと着せ替え人形の労務が終わったと思ったら、今度はジャクリーヌとクリステルに捕捉され、入学試験の過去問を全科目、クセの強い才女から二人がかりで懇切丁寧に解説してもらうという悪夢に見舞われる。


 知恵熱が出そうな状態のまま、息つく暇もなくディナーへ。


 今度こそ仕事をしようと部屋に引き上げる前に、両脇をがっちり固めてきたリスナール兄弟に町を案内し、へろへろと戻ってきた夜半にはプランケット邸一同からのおねだりでピアノを弾かされて、この日予定していた業務は、ただの一つも終わらなかった。


 ちなみに、夜に少しだけでも書類を片づけようと椅子をひいた瞬間、氷のような無表情で左手をグーパーするニュクスと満面の笑みで白薔薇を撒き散らすティルダが出現したために、完全に諦めてまともな時間にベッドにもぐりこんでいる。


 身体的には、バッチリ100%充電されているのだった。


 顔色が悪いのは、心労のためである。


「昨日さんざんエミリーのおもちゃにされたっていうのに、こんな朝早くから仕事だなんて、精が出るね」


 養女の引き攣った笑みを気にもせず、フレデリクは少し垂れた目尻を細めて愉快そうに微笑んだ。


「まだまだ余裕がありそうだって伝えておくよ」


「どうして!? いじめるのやめて!?」


「ふふふ」


 白手袋を嵌めた手が、テーブルの上の告知文書を拾った。


「ふーん、フェスティバルの広告ねえ」


「そうなの! 今度のお祭りが、二十年前に出て行っちゃったメリディエスの人たちを呼び戻すきっかけになればいいと思って! だから、どこの新聞に告知を出せばいいか、費用対効果を検討中なの」


「ふ~~。おやおや、アリア」


 腹が立つため息を吐きながら、わかってないなあと美丈夫がゆるりと首を振る。


「そんなことより、きみにはやらなくちゃいけない仕事があるだろう?」


「え?」


(ま、まださらにあったっけ……?)


 不安げな顔をした娘に、おっとりとした、しかし煮ても焼いても食えない笑みがにんまりと深められた。


「うちの料理長渾身の朝食を、残さず食べること」


「お嬢さまああっ!」


「ひえっ」


 疾風のような勢いで、長大なコック帽を被った大男が蓋つきの銀食器を片手に駆け込んできた。


「今朝はお嬢さまに朝食を作って差し上げられる、素晴らしき朝……! この料理長オリヴィエ、ここ二年弱で最高の目覚めでありました!」


「そ、それはよかったわ〜」


「さて、本日の朝食のメニューでございますが」


 パラリと開かれたのは、鬱金のインクで記された優雅なメニュー表(ユヌ・カトゥ)


「まずオードヴルは採れたての畑の野菜、ソースはタプナード。お嬢さまがお好きな柔らかいホワイトアスパラガスをたっぷり使用いたしました! スープはほろほろ鳥とトリュフのポタージュ。魚料理(ポワソン)は舌平目、フレッシュなモリーユ茸とフェンネルも少々……! お口直しのソルベは、今が旬のライチと柑橘。こちらも好物でいらっしゃいましたね? 覚えておりますよコックさんは……! そしてメインの肉料理(アントレ)は、香ばしく焼き上げた骨付きの乳仔羊(アニョー・ド・レ)のロティにございます! アントルメには、ブラックカラントをふんだんに使用したチョコレートケーキをご用意いたしました……っ!」


 紅潮した料理長によって、余人が口を挟む間もなく説明された料理の内容は、まさに豪華絢爛。


 庶民たちは、(タプ……何?)(ほろほろ……鳥?)(ソルベってなんだ?)(わからん。何もわからん)(ああ。バチクソに旨そうだってこと意外は……)と、目だけで雄弁に困惑を表現した。


「わ、わあっ! すっごくおいしそう! それであの、一応確認しておきたいんだけど……」


 イリオン人やメリディエス市民たちに想像がつかないのも無理はない。


 オリヴィエが挙げてみせたのは、貴族でもそうそう食べられないような高級食材ばかりである。


「あ、朝から……!?」


 そして明らかに、朝食のボリュームを逸脱していた。


 大喰らいだったと名高い三代前のイリオン国王だって、起き抜けにこの量を喰らったら一日胃もたれしてひっくり返ったに違いない。


 正気の沙汰ではない気合の入りように、フレデリクはだいぶ前からプルプルと震えていた。


「ふっふふふ……! あ~おかしい! メニュー表なんて初めて見たよぼくは……! どうしてきみに出会った者は、軒並みパワフルになりすぎてしまうんだろうね?」


「さあさあお嬢さまっ! 今朝はヒバリの声がうるわしい初夏の候! ぜひ中庭のテラスにお出でくださいませ」


「中庭の……テラス?」


(たしかあそこは、ぺんぺん草が生い茂ってバッタが飛び跳ねる、未開の地だったはず……)


 いぶかしげに眉をひそめたアリアが窓から見下ろすと、果たして草がぼうぼうと伸びきっていた市庁舎の庭はすっかり整備し尽くされ、パステルカラーのクロスを敷いた長テーブルが立ち並んでいた。


 ふわふわと飾り付けられた初夏の花々、ストライプのクッション、冷えたシャンパン、木々の間にはリボン。


 どうやって運んできたのか、移動式の噴水までもが景気よく水を噴き上げて、キラキラと日差しを反射している。


(こっ、こっ、こっ、この人たち……!)


 一夜にして享楽趣味の貴族の庭園へと姿を変えた中庭に、アリアの顔からザッと血の気が引いた。


(ほ、本気だわ! まったく意味がわからないけど、謎の気合が入ってる……! 今日もやりたい放題にするつもり! ……否!)


 身の危険に関しては明晰な頭脳が、直視したくない現実を否応なしに悟らせる。


 昨日と今日だけで、済むはずがない。


 だって、荷馬車(ワゴン)は五台もあった。


 はち切れんばかりに高級食材を詰め込んで、完全に長期滞在の準備を整えてやってきた大名行列の魂胆は、ただ一つ。


 祭り当日まで、自分をおもちゃにして、全力で遊び尽くすつもりだ。


(まずい……! 負ける!)


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