第155話 ド田舎の平穏を滅せよ悪魔ども(下)
「どうして、こんな時期に勢揃いしてるのかな~って……。しかも、いったい何人いるのかな~って……」
「アリア」
愛娘をぶった斬って、エミリエンヌはバラリと扇子を広げた。
「そこの珍走団が、聞き捨てならないことを申していたのだけれど……もちろん、幻聴に決まっていてよね? わたくしのほかにあなたの母がいるだなんて、ぞっとしないわ」
「そういえば……何やらお友だちも、ここにいらっしゃるとか」
「!」
二台目の馬車から聞こえるのは楚々とした可憐な声。
「わたくし以外の、わたくしの知らないお友だちが」
従僕の手を借りて、品よくエナメルのパンプスを揃えて降りてきた華奢な人物に、今日何度目かのすっとんきょうな声が上がる。
「クリス!?」
「ごきげんよう、アリア」
真っすぐな栗色の髪に、空色の瞳。
凛としたアイリスを思わせる聡明な少女、クリステル・フラゴナール。
娘に続いて降車してきたフラゴナール夫妻からは「お久しぶりですこと」と、朗らかな笑みとともに優しい抱擁を受け、どう見てもチンドン屋でしかない小さな王は瞳をパチパチと瞬かせた。
「……もしかして招待状に書いた日付、間違えちゃったかしら? お祭りはまだ先なんだけど」
「いいえ。合っていてよ」
「え?」
剣高の華麗なる薔薇は、至極おかしそうに切れ長のエメラルドを細めて笑みを浮かべた。
「二週間前、コウモリが届けた招待状。あれを読んで、満場一致で決まったのよ。……これ以上、好きにさせてはおけるものかと」
「どういうこと!?」
大騒ぎを聞きつけて、わらわらと家から出てきたイリオン人もメリディエスの市民も、豪華絢爛な一行にあんぐりと口を開けた。
「な、なんだあ? こりゃあ……」
「パ、パレードか……!?」
プランケット国境伯家、フラゴナール伯爵家、リスナール子爵家。
三つの貴族家の電撃訪問は、さながら大名行列の襲来。
誰もが(いったいどういうことか説明しろ……!)という目で白金の頭を凝視したが、一番教えてほしいのはアリア自身であった。
「……オーケー了解、わかったわ」
グッと握った右手は額。
左手は腰に当てながら、出そうになったため息はぶちのめして、常軌を逸した大らかさをフル稼働させる。
「とにかくフライングで来ちゃったのね。うんうん、そういうこともあるわよね。まだホテルの準備できてないから泣きそうだけど。ところで問題はそれだけじゃなくて……馬車の数、明らかにおかしくない? わたしの耳がイカれていなければ、中身は荷物とかじゃなくて、まだたっぷり人が詰まってるみたいなんだけど……」
「ああ。そのことだけれど」
パチン! と長い指が鳴らされる。
「出ていらっしゃい!」
「ハア~イ!」
聞き覚えのある、野太い声。
乗合馬車からハイヒールを鳴らして出てきたのは、たっぷりとフリルが施されたシルクシフォンのブラウスを身に纏った、筋骨隆々とした大男。
「アリアちゃん! お久しぶりねえ!」
「……ぅえっ!? シャルルさん!?」
エミリエンヌお抱え、ユスティフ帝国西南部一と名高いドレスメーカー、シャルル・シプリアンであった。
「やっだ、覚えててくれて嬉しいわあ! 二年ぶり~! ますますキラキラ美少女に育ってて、もうお姉さんたまんない!」
「当たり前でしょう、誰の娘だとお思い?」
「正気の沙汰とは思えないファンキーなルックだけど」
「それよ!」
居丈高に顎をあげ、水平に振るわれた扇がビッ! とアリアを指し示す。
「無駄口は結構! さっさと採寸を始めなさい。わたくしの娘がこれ以上、お調子者のピエロのような服を着てるのには、一秒だって我慢ならないわ!」
「んもう、相変わらずカジキマグロみたいにせっかちなんだから! カムォン、レイディーズ!」
カツカツカツカツ!
けたたましく鳴るのは高いヒールの編み上げブーツ。
シャルルの後ろから登場した何人ものお針子たちは、有無を言わさぬにこやかな笑みを浮かべながら、アリアの両脇をガッシリ固めた。
「さっ採寸!? まさかっ……ドレスを作る気!? ええええっとその、今日はこれから告知文書の作成と屋台料理の試食とステージ練習があって、終わったら目抜き通りの飾りつけをしないとなんだけど……!」
やけに力の強いお針子たちに引きずられつつ、さらなる異常事態が視界に入った調子こきのピエロは、ぎゅっと眉を寄せた。
「……あの、お父さまは何を?」
「ん? ああ、こっちは構わなくていいよ。勝手にやっておくから」
フレデリクが引き連れているのは、コック帽を身に着けた白衣の男たち。
最後に乗合馬車から出てきた大男、プランケット邸料理長ガストン・オリヴィエは、アリアの姿を認めると太い両手を握りしめて、パアッと頬を紅潮させた。
「アリ…!」
「「「お嬢さま~~!」」」
「ああんっ!」
大男を突き飛ばして、旅着姿の年若いレディたちが抱きついてくる。
「メラニー!? ひえっ、ジャクリーヌ先生まで……!?」
「お元気そうでよかったあ~!」
「しばらくお見掛けしないうちに、すっかり大きくなったわね!」
「よ、4カ月でそんなに差が出たかしら?」
「ええ……! 表情がグッと大人っぽくなったわ! 天使から、小さな女神へと……!」
プランケット邸にいた時からアリアにぞっこんだった家庭教師は、両手で小さな手を握りしめ、歓喜の涙を浮かべた。
「きみがこっちに来てからというもの、ジャクリーヌ先生には、能力の高さを活かして役所で経理をしてもらっていたんだけどね。本当に、いったいどこからどう漏れたのか……ぼくたちのバカンスの噂を聞きつけて、絶対に同行させてもらうって門前でストライキを起こしてね。いや本当、連れてくるつもりは毛頭なかったんだけどね?」
「えへへ! ちょっと無茶しちゃったわ!」
「……」
照れくさそうに笑うジャクリーヌの背後でスッと目をそらしたメラニーを見て、いかなるストライキを起こしたのか聞くのはやめておこうと心に誓った。
「お嬢さま。この大きなコックさんを覚えていらっしゃいますか?」
ヨロヨロと立ち上がりながら、厚い胸板に手を当てて礼をしてみせた大男に、アリアはニコッと微笑んだ。
「もちろんよ、オリヴィエ料理長!」
「……!」
地位の高さを示す長大なコック帽を被った男の目に、じわじわと涙が浮かぶ。
「ウッ、ウッ! またお嬢さまに、ブラックカラントのクラフティやラズベリージュレを作って差し上げたくて、馳せ参じました……!」
「あ、ありがとう嬉しいわ! あの、泣くほど……!?」
「もうプランケットの厨房のやつらは、お嬢さまがいないとだめです! だって一門の方々も使用人どもも、カワイイお手紙をくれるどころか、どいつもこいつも死んだ目でぼそぼそ食いやがる……! 旦那さまなんて食事中に口を開いたかと思えば、『このビスク、トゥルニエ湾のロブスター? ああ、だと思ったよ』……って。ハア!? それだけ!? かわいくない……! なんっにも、かわいくない! 出汁に使った具材の産地を当てたから何なんだよ、チクショウ! まずは味を褒め称えろよ! おれはっ、優しいねぎらいとほっこりする感想が、一日三食ほしいんだッ!」
「料理長、落ち着いて。雇い主、雇い主だから」
「いや~。オリヴィエも、連れてくるつもりはなかったんだけどね」
全く響いていない様子のフレデリクが、ニコニコと笑う。
「彼にもストライキを起こされてしまって。ぼくのディナーだけトマトに塩を振ったやつにされて、三日目で負けた」
「強火の労働者が多いわねグウェナエル……」
白手袋を嵌めた大きな手が、プラチナブロンドの頭を久方ぶりにぽんと撫でた。
「まあ、ちょっと早いバカンスというところかな。あっちは心配いらないよ。邸内はモーリスが、国境はオーレル少将とシプリアン大隊長に任せてきたからね。……ただ」
いつも飄々としているアイスブルーに、珍しく影が滲む。
「焦眉の急は……バカンス先が、ド田舎のゴーストタウンだってこと」
「「「……」」」
出し抜けにディスられて沈黙の落ちた田舎町に、爽やかな初夏の風が吹き抜けた。
「実は……ぼくは10年近くも、戦地赴任させられた経験があってね。その後遺症で、粗末な食事を食べるとアレルギーが出るようになってしまったんだ。もちろん、かわいい愛娘が焼いてくれたクッキーやケーキなら喜んで食べるよ。だからいつでもどうぞ。けどそれ以外の野性的な食物……混ぜ物だらけのパン、具が少ないスープ、茹でただけの芋、一尾3金貨以下の魚、そんなものを口にすると……全身に、発疹が出るんだ」
アリアは「そんな……」と胸を痛めたが、「……いや。よく考えたら正気を疑うくらい鼻持ちならない体質だわ」と、気の毒そうな表情を消し去った。
「だからプランケット邸コック一同は、ぼくらの食事を賄いに来たんだよ」
「メラニーたちは?」
乗合馬車から飛び出してきた家事女中はメラニーだけではなかった。
元気なミシェル、しっかり者のサラ、人妻となってもまだモテているアンナ、それから主人が皇都に行ったことで移動となったクロエの五人が、ひらひらと手を振ってみせた。
「メラニーたちは、生活力が皆無なぼくたちの世話係。どこでも寝られるエミリーはともかくとして、ぼくは……毎日完璧にベッドメイキングされた部屋じゃないと、全身がかゆくなってしまうからね」
「よく10年も従軍できたわねお父さま!?」
話しているうちにも、調理着に身を包んだ屈強な男たちの手によって、テキパキと屋外調理の支度が整えられていく。
「採寸が終わったら、さっそく昼食にしよう」
「……え?」
「ああもちろん、お世話になっている方々の分もご用意するよ」
朝焼け色の瞳がまじまじと養父を見上げたのは、──鍛え抜かれた危機察知アンテナが、ビンビンに電波を受信していることに気がついたからだった。
いや。
全て、すでに手遅れだった。
「採寸で終わりじゃなくてよ。食事のあとは新作の発注。全カタログを見比べるから、着せ替え人形としての任務を果たせるよう、しっかり食べておくこと」
当然のように言ってのける養母の後ろには、山と積まれた装丁も美麗な無数の大型冊子。
「久しぶりにアリアお嬢さまで遊っ……お召し替えできるなんて、楽しみですわ!」と、リスナール夫人ガブリエルが、レースのグローブをワキワキさせた。
「カントループの入学試験の勉強は進んでるかしら」
ガツ! と無邪気に腕を組んでくるのは、しばらく手紙ばかりでご無沙汰をしていた、賢く優しい大事なお友だち。
「わたくし、夢があるの。親友とワンツートップで華々しく入試を通過して、新入生代表挨拶でお互いの健闘を称え合うの……! せっかくですし、一緒に習熟度チェックをしましょうね」
「へ!?」
「もちろん、ぼくらに街を案内してくれるでしょ?」
キュッ! と控えめながらも反対側の袖を強くつかむのは、こちらもなかなか会えていなかった、少し甘えん坊の大切な遊び友だち。
「きみに会いたくてはるばるやって来た友だちを無視して、勝手に遊んでろなんて冷たいこという子じゃあないもんね?」
「う……!」
言葉に詰まったアリアの左隣で、理知的な藍晶石が「……あら?」と剣呑に光った。
「なにかいま、脳みそ小さめのキャンキャンうるさいバカ犬の鳴き声みたいなものが、どこからか聞こえた気がしますわ。いやだわ、親友同士で仲良くお話ししてる最中だというのにまったく……耳障りだこと」
右隣のペリドットが、「ハア~~~?」と冷たく威嚇する。
「犬なんてどこにもいませんけど~? ガリ勉のしすぎで幻聴まで聞こえるようになったわけ? あ~あ、イカれた独占欲のうえイカれた耳だなんて、お気の毒さま」
「まあ、聞くに堪えない下衆な自己紹介」
「カビが生えそうに陰湿な優等生」
いや、あんたら一枚岩じゃないんかい。
なぜかバチバチと火花をぶつけ合う両隣に挟まれ、身動きが取れないアリアは白目を剥いた。
「コラコラ。あまり困らせてはいけないよ。アリアさまだって急にみんなが来て、びっくりされているんだから」
凶悪なボスデビルどもの襲来にあって、初めてのまともなフォロー。
優しく肩に置かれた手に、「オ、オーギュストさま……!」と救世主を拝むがごとくアリアは涙ぐんだ。
「お会いできて嬉しいです」
折り目正しく礼をする少年の右胸に輝くのは、金の羊と鎖を象った真新しい勲章。
「先月、士官学校の馬上試合で優勝したんです。十八歳の騎士見習いまで含めたトーナメント制、おれの年齢で最後まで勝ち上がるのは、創設以来初の快挙だと」
「わあっ! すごいすごいすごい! ぜひお祝いをさせてください!」
「ふふ、恐れ入ります。……ええ、それで」
精悍さを増した少年の笑みが、深くなる。
「卒業に先んじて、団長から許可を得て来ました。刀礼の儀を、行う権利を」
音もなく片膝をつくと、穏やかにして揺らがない深い緑の瞳が、金色の少女をまっすぐ映しこんだ。
「おれはあなたに、剣を佩かせていただきたい。心に決めた唯一の主君……おれのレディ、アリアさま」
──こと、ここに至るまで。
静かに動向を見守っていた灰色の騎士は、突然ぶち込まれた爆弾に、その切れ長のガーネットをカッ! と見開いた。
「あ゛あ゛!? 何だこのポッと出のクソ野郎!!」
1ミクロンもまるで関係がないはずの漆黒の魔法使いも、「おれのレディ、……だと?」とこめかみの血管をビキリと際立たせる。
「思い上がるな、ド低能のハエが……!」
背後から迸るのは、ろくでもないくせにこの世のものとは思えない威圧。
「……」
当のアリアは、額にこぶしを当てて、ほんの数分で指数関数的に膨れ上がっていった諸問題を整理しようとし、──やめた。
ギリギリの賭けでかろうじて計画通りに進みつつあった何もかもが、天災のような襲撃によって完全に打ち崩されたことを直視するには、もう少し時間がほしかった。
お読みいただきありがとうございます!
ユスティフのサルの群れVS.イリオンのサルの群れ、ファイッ!
広げ散らかした風呂敷は未来のゴリラが死ぬ気で畳みますのでご安心ください!
過去回の修正対応に伴い、20話ほど追加されます。
筋に変更はなく、1万字近いイカれた回を分割するだけです。
描写が細かくなり、最初まだ常識の範囲内だったセレス(本体)やニュクスのボルテージを最初から上げる、それ以外の人々も様子のおかしさを盛るくらいの差異となります。
最新話まで追って頂いている皆様には、更新通知などで多大なるご迷惑をおかけいたします…。
作者が作品大好きすぎて、同じネタを無限に擦り続けて4度目の全編改稿となります。チンパンめが申し訳ございません!