第154話 ド田舎の平穏を滅せよ悪魔ども(上)
徹夜の海上視察から戻り、みんな揃って昼寝中の正午前。
「おいおいてめえら、どこ町のモンだあ!?」
「この道を通りたかったら、氏素性を名乗れやあ!」
「身分証を置いてけコラア!!」
「馬車ごとエヴァンタイユの牡蠣の餌にすんぞ、オッラアン!?」
静まり返ったゴーストタウンに突如、追剥さながらのチンピラどもの怒号が鳴り響いた。
「……?」
岬の家の二階。
南窓に面した自室の窓から、(やだ、またヒヨコたちが暴れてるわ……)と重いまぶたをこすりながら顔を出したアリアは、──坂の下に寄せられた大型の四輪馬車を目にして、朝焼け色の眼をぎょっと見開いた。
「……ま、ま、ま、まさか……!?」
何台もの馬車の前で困り果てているのは、胡桃色の髪をした二人の少年。
「だから! ぼくたちは、アリア・プランケットって名前の令嬢に会いに来たんだって言ってるだろ!」
こぶしを握りしめてもどかしそうに地団駄を踏む少年の瞳は、大きなペリドット。
「だあーから身分証をよこせって何度も言ってんだろーが、このスットコドッコイがよお!」
「そのふわふわした頭には綿菓子でも詰まってんのか!?」
「わっ綿菓子!?」
子爵家次男フランシス・リスナールは、ドブ色のツナギを着たゴロツキから罵倒されるという想像もしていなかった経験に、陶器人形めいた顔を真っ赤にさせてプルプルと震えた。
「おれたちはアリアさまの友人で、後ろの馬車には彼女のご家族も乗られています」
弟の窮状を見かねた兄が、剣ダコのできた右手で「ほら、この紋章が何よりの証拠」と馬車の扉を指し示す。
艶めく黒塗りのボディに金で彫り込まれた紋章は、古くから続く家門であることを意味する、シンプルな作り。
盾、交差した剣サルタイアー、百合、左を向いて立つグリフォン。
紋章の下、広げられた巻物には、「fac, quod rectum est, dic, quod verum est.(正義を為せ、真実を語れ)」と、古言語の格言が刻まれていた。
「西方の国境守護者プランケットという家名は、あなたがたも耳にしたことがあるでしょう? あまり大きく出ると、あとで困るのはそちらだと思いますよ」
子爵家長男オーギュスト・リスナールは、真新しいサーベルをしっかりと吊り下げ、しかしあくまで紳士的な態度を崩さずに、モスグリーンの瞳を細めて人当たりのいい苦笑いを浮かべた。
「あ゛あ゛!? 紋章!?」
チンピラの長ダヴィド・ダルシアクは、垂れ目をギロリと凄ませて、礼儀正しい少年の忠告をドスの効いた声で跳ね返した。
「紋章がなんだ。そんなの、偽造してもたかが手枷50日じゃねえか。──覚えときな、坊っちゃんども」
日夜薬草を弄り続けて変色した無骨な指先が、ビシッ! と少年たちに突きつけられる。
「たとえ貴族だろうが医者だろうが、身元も照会できねえやつがほざくことなんてこの町じゃあ、アホウドリの鳴き声とおんなじだぜ!」
横に並んだたくましい胸板どもが、「そうだぜ!」と暑苦しく包囲する。
「確かなのは諸領通行許可証! 身分登記簿! 親兄弟の在地も記載された家族登録簿!」
「こっちは偽造したら縛り首だからな!」
「オラオラとっとと全員分、三つ揃えて提出せんかあい!」
「ちゃーんと所在地の身分吏の印章とサインが残ってるやつじゃねえと、受け付けねえからな!」
「「……」」
二対の緑の目が、(この追剥、なんか……変わってない?)と訝しげに交わった。
「だいたい、家族ってのがうさんくせえ! アニキにはなあ、ちゃーんとママもパパもマブダチも、このメリディエスにいるんだからな!」
「ア、アニキ!?」
「だれの話をしているんだ……!?」
ふんぞり返ったチンピラたちに、兄弟がゴクリと唾を呑みこんだ時。
「聞き捨てならないわね」
──バン!
平手打ちするような勢いで、先頭の馬車の扉が開かれた。
サラサラと上等な絹擦れの音をさせて姿を現したのは、日に当たると紅く輝くブルネットに、長いまつ毛に縁どられた切れ長のエメラルド。
中高年揃いの限界集落では、滅多にお目にかかれない絶世の美女。
「おっ、おぉお……」
「はわ、はわわ……」
おそろいのツナギを纏った田舎のチンピラたちは、一瞬前までの威勢のよさをすっかり取り落として、たじたじと後ずさった。
「今、とても不快な幻聴が、この耳に入ったわ」
国境伯家夫人エミリエンヌ・プランケットは、結い上げた後れ毛を海風になびかせながら、パラリと扇を開く。
「わたくしのほかにあの子の母がいるだなんて……いったい、どこの偽物がなりすましているのかしら? たとえ白痴どもの愚にもつかない勘違いだとしても、耐え難くてよ」
伏し目がちにため息を吐くさまは、海辺の日差しが毒ではないかと気遣わしくなるほどの儚げな美しさ。
傍らの侍女がすかさず日傘を差し掛けながら、「おいたわしいエミリーさま……」とハンカチで涙を拭う。
だが、青年たちを映した緑の双眸は、人を従わせることに慣れた支配者の傲慢な炎を、轟々と燃やしていた。
「……偽物、だと?」
気圧されていたダヴィドの浅瀬色の目に、怒りが灯る。
「シンシアさんが、偽物のママのはずあるか!」
チンピラ仲間も「そうだ!」「そのとおり!」と続いた。
「偽物なんかがナマクラの大剣を使って、大の男の首を落とそうとするもんかよ!」
「いくら娘の仇だからってよ!」
「一回で落とせなきゃあ何度だって振り下ろして、胴体とお別れさせてやるって言ってたぜ!」
「そこの男の首のことだぜ!」
「ねえさっきからなんの話!? この町なんか変だよ兄さん!!」
涙目のフランシスをよそに、ひと際大柄なダヴィドが、エミリエンヌにズイと詰め寄った。
「撤回してもらおうか、マダム」
「お断りするわ、珍走団ども」
一歩も退かない苛烈なアクアマリンとエメラルドが、バチ! とぶつかり合った。
「……なら、こっちにも考えがある」
筋骨隆々とした腕が持ち上げられた瞬間、──赤毛の大男が、宙を舞った。
強い日差しを背に、パイ投げ祭りのパイのごとく高々と放物線を描く友の姿を、青年たちはぽかんと口を開けて見上げた。
「うべし!」
土煙を立てて、ゴロゴロと地面に転がる。
「へ……?」
視界を青空が占拠してやっと、ダヴィドは自分の身に起きたことを理解した。
「ごめんね~、手荒なことして。怪我はないかな?」
いつの間にか馬車の横に佇んでいたのは、黒髪に氷色の瞳をした壮年の美男子。
「うちの妻に近づかれると、ちょっと障りがあって」
たやすくダヴィドをすくい投げした西方国境伯、グウェナエル卿フレデリク・プランケットは、片手を上げて申し訳なさそうに苦笑した。
気の抜けた様子の貴族とは裏腹に、海のヤカラたちの血管が、ビキリと浮き上がる。
「なんだあ? テメエ……」
「どうやらちったあ、やるみてえじゃねえか」
──青年たちの後ろには、まだ幼い身の上で法外な懸賞金を掛けられてしまった、兄貴分の暮らす村があった。
殲滅も報復も泣き落としも自分が使える手は何だって使って、この辺境で暮らすしょぼくれた負け犬たちを引っ張り上げてくれた、小さな優しい女の子。
毎日朝から晩まで一生懸命町を修復してくれる、年寄り受け抜群の子どもたちもいる。
完徹のとんでもないピクニックの夜が明けて、今頃はみんな揃ってすやすや朝寝をしているはずの時間。
たとえ仲間内で最も腕の立つ男がたやすく片付けられてしまう実力差があるとしても、決して退くことなどできないのだ。
「おれたちとやろうってのか? 色男さんよお」
「やらないやらない」
「ここは死んでも通さねえぞ!」
「うんうん、だからそういう感じじゃないんだよ」
「おい。念のため、大量破壊兵器さんに声かけてこい」
「もし突破されたらバチクソ怒られっからな」
「あ~。ぼくもバッチクソに怒られたこと、思い出すなあ~~」
ピリ……と、空気が(一方的に)張り詰めた瞬間。
「待って待って待って待って~~~!」
「「「!」」」
完璧に調律された弦楽器のような声に、誰もが弾かれたように振り向いた。
坂の上からパタパタと駆けてくるのは、──絶望的なファッションに身を包んだ小さな人影。
上半身は床に落ちていた誰のものとも知れぬ蛍光カラーのオンボロ作業着、下半身は水玉模様のパジャマ、ヘアスタイルは寝癖、足元は便所サンダル。
「お互いの身元はわたしが保証するわ! だから抑えて抑えて~! ねっ!」
シャツのボタンを盛大に二つも掛け違えた、どうしようもない着こなしのアリアが、広げた両手を上下させながら猛獣をなだめるように微笑んだ。
そのすぐ後ろには、パジャマの上にローブを羽織ったニュクスと、サスペンダー付きのシャツにキッチリ着替えて剣を佩いたティルダがぬかりなく同行している。
主人は必死で走っていたが、残酷なことに二人の側近は大股歩きで事足りた。
「……」
「……」
黒く虹彩を変じた鋭い黒曜石と、薄く微笑みを浮かべたガーネットが、招かれざる客人を睥睨する。
大事な女の子の貴重な睡眠を邪魔立てしたユスティフ人ども。
厄介ごとを持ち込みにきましたと、デカデカと顔に書いてあるカエル喰らいども。
(……!?)
(なんかあの二人、すっごい顔で見てくるんだけど……!?)
この世のものとは思えないほど敵対的なガンを無言でぶつけられて、リスナールの兄弟はわけがわからないまま後ずさった。
「し、新年の宴ぶりだから……4カ月ぶりかしら?」
少し引きつった笑みで見上げる目線の先には、余人が近づきがたいほどの美男美女。
「お会いできてうれしいわ、お母さま、お父さま!」
「お母さま!?」
「お父さま!?」
チンピラたちの目が飛び出しそうなほどに見開かれ、美女は『だから言ったでしょう』と言わんばかりにツンと顎を上げた。
「こっちはメリディエス青年組合の皆さま! 見ての通り威勢がいいの!」
「アリアのアニキ……っ!」
「ママとパパがよそにもいるんすか、アリアのアニキ!?」
「「「アリアのアニキ!?!?」」」
馬車の内外から、すっとんきょうなオウム返しが迸る。
フレデリクは「グウッ!」と空気が漏れるような音を出し、腹を抑えて崩れ落ちた。
「ふっ、ふふふ……! あはははは! しゃ、舎弟ができてる……! 何がどうなってそうなるのかなあ!? きみは本当に、面白い子だねえ!」
「相変わらずお父さまは笑いのツボが浅いみたいね」
「お言葉だけどだれでも笑うよこれは……!」
「そ、それで……あの~」
何台も並んだ馬車に、チラチラと落ち着きなく朝焼け色の視線が送られた。
三台の貴賓車両。
四台の乗合馬車。
五台の荷馬車。
手紙で告知した祭りの開催時期は、一ヶ月半後である。
招待客は、せいぜい十名弱。
時期も人数もおかしい来客たちに、アリアのこめかみから一筋の冷や汗が流れ落ちた。
お読みいただきありがとうございます!
突然の便所サンダル登場すみません!
1850年代西欧を忠実に再現しようという熱意だけはあるのですが、軍手(江戸発祥)も登場させているしまあいいか! とガバ配置しました。
プランケット夫妻はアラフォー。
なんとなくごまかされそうになるけど、年の割に大人としてはろくでもないタイプの人たちだったということを、思い出す時が来ました。